※※危惧感説の再評価の動向
藤木博士の危惧感説は、予見可能性を抽象化するに応じて注意義務として課せられる負担は比較的軽微なもの、たとえば、安全励行などで足りるとか、もっとも確実に結果を回避できる最大限に慎重な措置が注意義務として命ぜられるとは限らず、結果回避の確実度が低い次善・三善の手段を尽くせば足りることがあるという(藤木・前掲241頁参照)。つまり、予見可能性の程度により負担すべき注意義務(結果回避義務)の程度・内容も異なってくるということである(予見可能性の結果回避義務関連性)。そして、生活関係、企業活動の領域等により、課せられる注意義務の内実は異なることになる。これらの点に着目して、以下のように近時、危惧感説を再評価する見解が有力である。
井田良・「変革の時代における理論刑法学」153頁以下は、「予見可能性の結果回避義務関連性・予見可能性の法益関連性」の限度での危惧感説を支持している。すなわち、「何がおこるかわからない、しかし何かはおこりそうである」という程度の危惧感で足りるとすると、漠然としすぎて、結果回避措置を想定できないが、結果発生の可能性(危険性)が低くても(万が一の可能性があるかぎり)、これに対処できる結果回避措置が可能であれば、危惧感程度の予見可能性で結果回避義務をみとめてよいとする。
また、高橋則夫・刑法総論202頁以下は、過失犯の行為規範は「認識可能な危険状況の存在を契機として、当該行為から法益侵害に至り得ると認識し、あるいは認識し得た場合、その侵害を回避するために必要なことに注意して当該行為を行え、あるいは行うな」とする。したがって、過失犯においては、結果は行為規範内容ではないので、具体的予見可能性は不要で有り、危惧感・不安感で足りるが、予見可能性は法益と関連性を有するものでなければならないので、(法益侵害の)抽象的危険性を有する実行行為の認識可能性が必要とする。
なお、後述するように危惧感説の趣旨は、「因果関係の基本的部分」の予見可能性の枠内で考慮することが可能と思われる。
※※※森永ドライミルク事件(差戻審 徳島地判昭和48・11・28判タ302・123)
粉ミルクの安定剤として工業用第二燐酸ソーダが用いられていたが、第二燐酸ソーダに外形が類似するヒ素が含有された特殊な化合物(松野製剤)が混入し、ヒ素が混入された粉ミルクが製造販売され、その結果、粉ミルクを授乳した多数の乳児に傷害ないし死亡の結果を生じた事案に対し、製造責任者と工場長が監督責任として業務上過失致死傷罪の罪名で起訴され、製造責任者が有罪、工場長が無罪となった事件である。予見可能性の程度の論点のほか、監督過失、信頼の原則の適用なども争われた。最初の第一審は全員無罪だったが、高松高判昭和41・3・31控訴審が危惧感説にたって、破棄差し戻し、差し戻された徳島地裁が同様に危惧感説にたって、以下の判断を示した。危惧感説を事案に即して展開しているので、詳細に引用する。
「従来は過失すなわち結果予見義務違反の有無というふうに考え勝ちであったが、過失行為は何よりもまず被害発生をもたらした客観的な落度として把握されるべきである。落度があるというためには、加害行為の時点で加害者が必要と認められる負担を果さなかったことが認められなければならないが、右負担の具体的内容を定めるのが結果回避義務であり、これを課する前提として結果予見の可能性が問題となる。この場合の予見可能性は結果防止に向けられたなんらかの負担を課するのが合理的であるということを裏付ける程度のものであればよく、この場合の予見可能性は具体的な因果関係を見とおすことの可能性である必要はなく、何事かは特定できないがある種の危険が絶無であるとして無視するわけにはいかないという程度の危惧感であれば足りる。
もっとも、具体的に結果発生の可能性が予見できるような場合は重い結果回避義務を負担させられ、一般的な危惧感があるにとどまるときは結果回避義務も軽いものにとどめるのが相当であるといい得る。
しかし、一方ではその危険が具体化したときに予想される実害の質的な重大性の程度が考慮されるべきであって、万一にも発生する被害が特に重大なものであるとき(例えば本件のごとき広範囲、多数人の砒素中毒事故)には、結果回避措置の負担は加重されざるを得ない。
要するに、結果回避義務は具体的には(イ)予想される危険の蓋然性、(ロ)予想される危険の重大性、(ハ)その他の事情などを考慮し、危険防止の責任をどこまで行為者に負担させるのが妥当であるかが判定されなければならない。
本件においては、砒素を有害な程度に含有する第二燐酸ソーダの粗悪類似品(具体的には松野製剤)が粉乳に混入することが防止できれば中毒事故は回避できたはずである。
そこでこのような粗悪有毒品の紛入防止のためいかなる措置をとることが可能であったかを検討するに、前記第一の七で判示したとおり、まず成分規格が保証された局方品あるいは試薬又は前示特別注文品等の規格品を発注使用することであり、次に工業用薬品の場合には、その品が間違いなく第二燐酸ソーダであるかどうかを確かめるための化学的検査をすることである。
右規格品はその内容物が容器若しくは被包における表示のとおりの薬品であること及びその成分規格は所定の基準に合格するものであることを製造業者が保証しているものであるから、規格品を発注する限り容器若しくは被包における表示についての外観的検査さえ確実に行っておれば、例えば第二燐酸ソーダを注文したのに、納入されたものが実は非第二燐酸ソーダであり、これをそのまま使用するという類の過誤はこれを避け得たということができる。
しかし工業用薬品は規格品に比し、一般に製造工程が粗雑で、純度が低く、不純物の含有量も多いことを免れず、製造業者も規格品についてのような保証はしていない。
したがって、規格品を注文した場合にはそれが納入後、外観検査さえ確実に行えば、注文品以外のものが紛れ込む虞はないと考えてよいのに反し、非規格品(工業用)を注文した場合には、外観検査をしただけでは、なお注文品以外の品が紛れ込んでくる虞があるのを避け難いといわなければならない。そこで、工業用薬品の場合にはそれを原料牛乳に添加使用する前に、各容器ごとにそれが間違いなく第二燐酸ソーダであるかどうかを確認するため、適切な化学検査をしなければならないのである。
昭和三〇年当時我が国の薬品業界に出回っていた第二燐酸ソーダの後記のような成分の実情にかんがみ、工業用第二燐酸ソーダとして納入された薬剤がまさしく第二燐酸ソーダであるということさえ確定できれば、当該薬剤には人体に有害な程度の砒素は含まれていないということができる。したがって、工業用第二燐酸ソーダであるとして納入された場合にはそれが間違いなく第二燐酸ソーダであるかどうかの化学的検査をなす必要があり、かつそれで足りたわけである。
次に、このような結果回避措置を命ずることが合理的であるかどうかを考察する。
まず予見可能性の点について考えてみるに、従来の見解によると、粗悪品すなわち松野製剤の納品という本件事故の決定的原因となった事実に着目し、そのような粗悪品が存在しそれが納品される可能性が結果の予見可能性にほかならないのであるから、当該粗悪品の存在あるいは少なくとも第二燐酸ソーダとして販売されている薬剤になんらかの類似粗悪品が出回っているということについて、当時の業界一般の知識のもとで知り得たか否かが問題とされるが、当時は業者によって製造される第二燐酸ソーダについて、人体に有害な程度に砒素を含有するものが薬品業界に出回っていた事実はなく、また出回る虞もなかったから、いわゆる松野製剤のごとき粗悪有毒品の存在及びそれが納入される虞があることを予見することが可能であったとはいい難いのであって、このような見解に従うと所論のような結論に至るかのように思えるが、当裁判所はかかる見解を採らない。
当裁判所としては、結果発生を回避ならしめる措置は何であるかを考え、そのうえでどの程度の措置ならば当該行為者に命じても妥当であるかを特に絶対責任を課することにならないよう配慮して、論ずる前提としての予見可能性を考えるのである。
この場合留意すべきは、食品製造業者は、その食品が人体に全く無害で安全であることを消費者に保証してこれを販売している立場にあり、したがって、そこで使用する原材料に不純物が混っていないこと及び製造過程で有毒物が混入しないようにする一般的義務を負う立場にある。
化学薬品については、商取引の常態として、局方品や試薬及びその成分規格が保証されたものでない限り、万が一にも未知の類似品の混入あるいは製造過程の過誤による粗悪品混入の可能性がないとはいい切れないところ、第二燐酸ソーダは、本来清罐剤などの原料として工業用に多く用いられ、食品用としての使用は極く少量で本件事故当時、我が国の第二燐酸ソーダ製造業者のうち、相当多数の者がこれが食品に添加されることを知らなかったのであり、薬品販売業者もこれを食品用として使用するについては、本来は清罐剤などに使用されるものであるとの観念から一抹の不安を拭い切れず、食品用には規格品をすすめて販売し、工業用品の注文を受けても食品に使用することがわかっていれば製造業者に食品に使用する旨を告げて、特に品物を吟味して納入させて販売するなどして特別の注意を払っており、食品製造業者は販売業者のすすめに従って規格品を購入する者が多かったのであって、薬品販売業界、食品製造業者間においても第二燐酸ソーダの非規格品については食品用としての無害性に不安感を抱き、食品に添加使用することに危惧感を持つものが多かったといい得る。
このように、薬品販売業者、食品製造業者にして右のような不安感、危惧感を持つというのであればそれが結果の予見可能性を意味し、したがってこの不安感を払拭するに足りる程度の回避措置を命ずることに合理性が認められる。
そして、右の結果回避措置を講ずることによって、ある範囲までは有害物質の混入を事前に抑制防止し得ることになるが、その程度の回避措置によって回避可能な範囲の事態であって、かつ性質上その事態が予想される危険とは全く異質のものとまではいえないといい得る場合には、予見可能性があるといって差し支えない。
したがって、単に第二燐酸ソーダというだけで特に規格品を指定しないで注文しただけでは、非第二燐酸ソーダが、場合によっては人体に有害な物質が紛れ込む危険があり、かつその危険の予見可能性があるといい得る。
右の次第で弁護人がいうような松野製剤そのものの存在及びそれが納入されることまでの予見可能性が要求されるわけではない。
当裁判所のような考え方によると、従来のように予見可能性があるからといって直ちに過失責任があるとの結論には結びつかず、客観的注意義務検討の段階で結果回避措置の合理的な枠付けを考え、許された危険、信頼の原則などを考慮し、その注意義務の負担を合理的な限度にとどめるための検討がなされるわけであるし、また個人的ないわゆる主観的予見可能性、主観的結果回避可能性についても非難可能性を論じる際に別途考慮されるわけであるから、絶対責任を課するものであるとの非難は当らない。
ただし、信頼の原則 についてはそれが誰と誰との間の信頼関係についていわれるのかが問題とされるところであって、本件のような場合においても企業内の同僚相互間の信頼関係に基づく信頼の原則が適用される場合のあることは否定し得ないが、結果回避の責任を具体的にその行為により危険にさらされ被害をこうむる消費者に一部転嫁することは許されない。食品製造業者は自己の売り出した食品が安全であることを消費者に保証しているものであって、消費者に危険を転嫁するような形で手抜きすることは許されないのである。
以上のように本件においては有毒物混入の危惧感は取立てていうほど具体的ではなかったけれども、本件工場における粉乳の生産量(全国生産高の約一割)、販売地域(主として西日本一帯)、粉乳の飲用者が主として乳児であることに照らすと、万が一にもそのような事態が発生した際には、広汎な地域にわたる多数の乳児に中毒等に罹病させることになり、その結果が甚大であることは容易に考えられるところであり、しかも本件工場はその製造にかかる粉乳の消費者に対し保証者的立場にあるから前示結果回避措置を課することは十分合理的であり、かくて本件工場側は有毒物の混入を避けるためにまず規格品を発注使用すべき業務上の注意義務があり、これに違反して工業用第二燐酸ソーダを使用するときには、その使用前に容器ごとにそれが間違いなく第二燐酸ソーダであるかどうかを確認するため適切な化学的検査を実施すべき業務上の注意義務があるというべきである。
しかも、本件工場側において、第二燐酸ソーダを発注するに際して、規格品を納入するよう注文することも、もちろん可能であったし、また単に第二燐酸ソーダとのみいって発注したため、非規格品が納入されてきた場合に、その薬剤が第二燐酸ソーダに間違いないかどうかを確認するための化学的検査を行うことも可能であったのである。
そうだとすると、本件工場側は有毒物が粉乳に混入することを防止することが可能であり、その防止に必要な前示客観的注意義務を負っているのに右注意義務に違反して防止措置をとらなかったため、本件中毒事故を招来したものと断じなければならない。」