刑事政策の基礎 刑罰論その1「死刑と無期懲役」(下)その4 | 刑事弁護人の憂鬱

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刑事政策の基礎 刑罰論その1「死刑と無期懲役」(下)その4


() 被害感情と死刑選択基準




  ア 死刑選択の積極的絶対的考慮要素として被害感情を重視し、被害感情が強い場合に原則として死刑選択の方向という基準も、近時の被害者保護・支援の強化の潮流として、考えられるであろう。判例も被害感情を死刑選択の考慮要素として考えることを否定はしない。

しかし、他方で被害感情が強い場合は、上記()の類型すべて原則死刑となる基準をつくると1人殺害のケースの死刑率を大幅に上昇させる可能性があり、従前の裁判実務の量刑相場、刑の均衡から逸脱するおそれがあるので、被害感情を絶対的考慮要素とすることには実務的バランス感覚からすると躊躇をおぼえる。

  理論的にも形式的な被害者(絶対善)対加害者(絶対悪)の構図や被害者感情の尊重だけで、死刑と無期懲役の線引きの絶対基準を構成することはラフすぎるとの印象はぬぐえない。

  そこで、以下のような被害感情による死刑選択を制限する見解が提唱されることも相応の理由がある。


イ 犯情と一般情状による二段階量刑基準


   原田國男元判事は、裁判員時代の死刑選択基準として、犯情と一般情状に分けて判断する、いわば二段階量刑基準を提唱する。

すなわち、

犯情により死刑を選択し、一般情状により死刑を回避する」基準、

「①死刑を選択するに際しては、犯情のみによって死刑が選択できるか否かを判断すべきであり、一般情状を理由に死刑を選択すべきではなく、一般情状は、死刑を回避する方向でのみ考慮すべきであること、②死刑を最終的に適用するには、選択と回避との二段階の絞りをかける」基準である(原田國男・裁判員裁判と量刑法141頁~142頁以下)

これは犯情と一般情状の区別を死刑適用基準にもあてはめ、かつ犯情と一般情状を死刑選択の積極的要素と死刑回避の消極的要素に対応させるものである。つまり、論者によれば、死刑選択の基準においては、犯情は刑の上限のみを画し、一般情状は刑を軽減する方向でのみ考慮する見解である(原田・前掲150頁)

なお、他方で、死刑以外の通常の量刑一般としては、犯情により量刑の大枠を定め、その範囲内で一般情状を考慮して最終的な量刑を決定し、一般情状は量刑の大枠の中で1ランクないし2ランク程度被告人に有利ないし不利に考慮されるとしており(原田・前掲136頁)、この意味では、この見解は、死刑とそれ以外の量刑基準において犯情と一般情状の位置づけを別個に解するダブルスタンダードとなっている。

    

 犯情※(金銭目的・計画性など犯行の動機、残忍性、執拗性、模倣性など殺害の方法・態様、殺害された人数、結果の重大性、共犯関係など罪となるべき事実に関連するもの):死刑選択の要素

 一般情状(被告人の年齢、前科前歴、健康状態、家庭環境、生活状況など被告人の属性、被害弁償、示談被害感情の有無、改善更生の可能性、被告人の反省謝罪、捜査協力、捜査の違法など):死刑回避の要素




 この見解は、犯情面からのみ死刑選択を行い、かつ被害感情を犯情ではなく一般情状に位置づけることに特色がある。つまり、被害感情が強いことを理由に積極的な死刑選択は行わないとする見解である。




 ※犯情と一般情状の区別

  この立場からは、いかなる量刑要素が犯情に当たるのか、一般情状にあたるのか問題となる。しかし、原田元判事は前科前歴が一般情状として特別予防の要素であると同時に行為の属性として犯情に当たる場合もあることも認めており(原田・前掲146頁)、そうだとすれば、被害感情も行為の残忍性・悪質性(被害者及びその遺族の精神的打撃=広い意味での結果要素)と評価し犯情として位置づけることも可能のようにもみえる(そもそも、論者は犯情が行為責任よりも概念として広いことを認めているし、社会的影響も犯情に含めている。)

ところが、原田元判事は、「被害者遺族の被害感情については、一般情状に含まれ、量刑の大枠を左右するものではない」とし、「被害者遺族の被害感情というのは、厳密には被告人に対する処罰感情を指し、さらに、被害者遺族が被告人の犯行により受けた精神的ダメージを含めて一般情状と解」し、「被害者自身が犯行により受けた精神的ダメージは、犯情に含まれると解するのであるが、死刑事件では、被害者が殺されているので、この点は、死の結果以上に評価する余地はないというべきである。そこで、被害者遺族の被害感情が強烈であることは、死刑を選択する理由とはならないとするのである。被害者遺族の被害感情を考慮して、それがなければ、すなわち、犯情からは、無期懲役とすべきであるのに、死刑を選択することは許されないというべきである。ここでは、犯罪から一般的に推量できる抽象的な被害感情の量を考慮すれば足り、しかも、それは既に犯情の評価に含まれていると考えるのである。被害感情を死刑の方向でおよそ考慮すべきでないというのではなく、犯情において評価される限度で考慮すれば足りる」という(原田・前掲147頁)。この立場からは、結局、被害感情が宥和したことが一般情状として、死刑回避の理由としてのみ位置づけられることになる。一見、理論的にみえるが、被害者遺族の被害感情と被害者自身の被害感情を分断する点、前者は抽象的に把握し、後者は死の結果に織り込み済みという法的評価は、結局死刑選択の積極的要素として被害感情を独自に考慮しないという論者の価値判断、決断を前提としている。よって、この価値判断の当否については、二段階基準のというフレームの当否とは別に、なお、議論の余地があろう