追悼・団藤重光先生 | 刑事弁護人の憂鬱

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団藤重光先生が、6月25日に逝去された。

一つの時代が終わったことについて、寂寥感を感じるとともにご冥福をお祈りしたい。

 誰もが認めることであろうが、団藤先生の日本の刑事法学の歴史に残した偉大な足跡は、永遠に刻まれることであろう。
 
 すなわち、戦後の新憲法の影響を受けた刑事訴訟法の起草、制定に関与し、戦前の大陸法の理論を換骨奪胎し理論基盤を構築し(訴因と公訴事実の関係、ゴールドシュミットの影響を受けたいわゆる動的理論)
、刑法では、客観主義・古典主義をベースにし(構成要件論、定型説)、主観主義・近代学派の実証主義を加味しつつ、人権保障、自由主義、ヒューマニズムと社会常識、社会倫理に根ざした理論を構築し(後の死刑廃止論に発展していく人格責任論、主体性の理論)、通説的地位を築いたことは、刑事法を学ぶ者として、必ず学ばなければならない「常識」である。
つまり、いわゆる「団藤説」は、戦後の日本刑事法学の基礎、出発点として位置づけられるのである。(また、同時に団藤説は批判の対象となる権威・通説として措定され、特に故・平野龍一先生の理論は団藤説を批判しつつ、それを超えていこうとする試みあるいは団藤説の裏返しともいえるものであり、団藤説と不可分にある。)

 そして、研究者、理論家の面だけでなく、最高裁判事としての様々な「団藤意見」は、刑事法の分野はもとより憲法判例としても歴史に刻まれるべき大きな意義がある。さらに晩年の死刑廃止論の主張は、刑事法学界のみならず、社会一般にも大きな反響をよんだ。

 団藤先生の業績には枚挙にいとまがないが、そのヒューマニズム、人格に根ざしたやさしさ、寛容の精神と良き人格形成への展望は、団藤先生のお人柄から出ているようにも思える。
 我々は偉大なる先達を失ったが、同時に偉大なる学問的あるいは哲学的遺産を継承していかなければならない。団藤説を理解し吸収すると同時にこれを超えていく、つまり「団藤説によりつつ団藤説の上に」を目指して日々努力していかなければならないのである。