刑法思考実験室「違法の相対性」(下) | 刑事弁護人の憂鬱

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刑法思考実験室「違法の相対性」(下)
3 共犯と違法の相対性
 共犯の従属性の程度(共犯は正犯のいかなる犯罪要件、犯罪要素に従属するかという意味では、「要素従属性」ともいう。)、共犯の従属形式の問題については、制限従属性説が通説である。
 つまり、共犯が処罰されるには、正犯の構成要件に該当し違法な行為があればたり、正犯に責任がなくてもよいとされる。例えば、10歳の刑事未成年に窃盗の教唆をし、未成年が違法な窃盗を行ったが、刑事未成年で責任なく無罪であっても窃盗の教唆犯は成立する。
 責任は行為者ごとの個別的事情であり、個別責任の観点から、他人の責任に従属し連帯することは不当である反面、違法な事実は客観的であるから、従属し連帯しても不当ではないからである。すなわち、「違法は連帯的に責任は個別的に」作用すると定式化される。
 この定式は、共同正犯にも当てはめることができる。共同正犯者の一人に刑事未成年がいても、他の共同正犯者の責任がなくなるわけではないからである。
 ところが、積極的加害意思があり急迫性が否定される共同正犯者がいても積極的加害意思がない共同正犯者に過剰防衛が成立するとの判例がある。この判例を制限従属性説、「違法は連帯的に責任は個別的に」の定式から、どう説明するか問題となる。
 判例によれば、積極的加害意思は、正当防衛の要件である急迫性を否定する事情であり、主観的事情である以上、共同正犯者ごとに判断が異なることは当然である。また通説によれば主観的正当化要素である防衛の意思を肯定するので、共同正犯者ごとに正当防衛の成立が異なることがありうる。
 他方、過剰防衛は違法行為であるが、刑の任意的減免事由である。その根拠を責任減少に求めるならば、上記の判例は、制限従属性説、「違法は連帯的に、責任は個別的に」に矛盾しない。しかし、過剰防衛を違法減少と解すると矛盾することになる。違法減少、責任減少の双方に求めても同様に矛盾することになる。
 判例の事案を少し変えて、積極的加害意思がない共同正犯者に正当防衛が成立する場合、どう考えるか。
 制限従属性説を当てはめると、考えかたはふたとおりある。
 第一に、正当化の効果を積極的加害意思のある共同正犯者にも及ぼし、正当化を連帯させることである。
 第二に、積極的加害意思のある共同正犯者の違法性の評価を積極的加害意思のない共同正犯者に及ぼし違法性の評価を連帯させることである。
 しかし、第一の考えは、積極的加害意思のある共同正犯者が、単独犯ならば正当防衛は成立しないこととの均衡をかくし、第二の考えも積極的加害意思のない共同正犯者が、単独犯の場合、正当防衛が成立することとの均衡をかく。
 そうだとすると、積極的加害意思のある共同正犯者の行為を違法とし、積極的加害意思のない共同正犯者の行為は正当防衛成立で適法とする結論がもっとも座りがよい。
 この結論の説明としては、以下の考えが可能である。
 第一に、要素従属性、従属形式について、制限従属性説ではなく、共犯が処罰されるためには正犯者の行為が構成要件に該当すれば足りるとする最小従属性説をとり、共犯における違法の相対性を全面的に肯定する考えである。
 第二に、狭義の共犯には制限従属性説をとるが、共同正犯においては最小従属性説をとるとの考えである。
 どう考えるかであるかであるが、共同正犯において違法の相対性を肯定する点で違いがないとすると、狭義の共犯で制限従属性説を維持すべきかどうかが問題となる。
 共犯における違法の相対性を徹底すると、親が子どもの移植手術を医者に依頼し、医者が治療行為として手術をして、医者の行為が治療行為として正当化されても、親は医者ではなく、正当な治療行為の主体には、ならないから正当化されず傷害罪の教唆犯として違法となる。
 しかし、正犯が適法なのに共犯が違法というのは、共犯が正犯に対する加担犯であることから、共犯の可罰性を肯定することには疑問がある。
 他方、正犯が違法であっても、共犯に正当化事由を満たす場合、共犯を処罰することには疑問を感じる。例えば、教唆者に防衛の意思があり、正犯に防衛の意思がない場合である。
 そうだとすると、制限従属性説の理解を共犯が処罰されるためには、正犯が構成要件に該当し違法であることは、必要だが、共犯自体も構成要件に該当し違法で責任がなければならないと解し、違法の連帯性を片面的制限的に考える。すなわち、正犯の違法は、共犯処罰の必要条件であるが、十分条件ではないのであり、共犯自体に違法性が肯定されない場合は、共犯は処罰されないと考える。
 いわば制限従属性説を再評価し、その適用範囲を制限し、部分的に共犯における違法の相対性を肯定することになる。

 この結論をまとめると、以下のようになる。
 正犯=違法 共犯=違法→共犯処罰
 正犯=違法 共犯=適法→共犯不処罰
 正犯=適法 共犯=適法→共犯不処罰
 正犯=適法 共犯=違法→共犯不処罰

 この考えについては、間接正犯において適法行為を利用する違法行為の場合を肯定する通説と均衡がとれないともいえる。
 しかし、正犯と共犯では、罪質が異なり、適法行為を利用する違法行為について、異なる結論をとっても不思議ではない。第一次的責任をおう正犯においては、その違法性を個別に吟味しその人的不法をも明らかにすべきであるが、第二次的責任をおう共犯(加担犯)においては、正犯の違法を基礎として共犯固有の違法性を吟味すべきだからである。*
 よって、正犯においては、違法の連帯性は否定され、共犯においては、原則として肯定される。
 したがって、共同正犯においては、最小従属性説が、狭義の共犯においては、原則として制限従属性説的結論が、例外として最小従属性説的結論が採用されるべきである(修正された制限従属性説)。
 このような意味において、上記第二の考えを妥当とすべきである。

*この考えの共犯の処罰根拠論からの吟味は別の機会にゆずる。

 



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