刑法思考実験室その1 偶然防衛未遂説の検討 | 刑事弁護人の憂鬱

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刑法思考実験室その1 偶然防衛未遂説の検討 


1 はじめに
 偶然防衛は、防衛の意思の要否の論点の事例である。AがBを殺害しようとピストルで撃ち、目的を遂げたが、実はBもAを殺そうとピストルで狙っていたが、Aはそのことを認識していなかった場合、つまり客観的には急迫不正の侵害があったが、主観的には急迫不正の侵害の認識がなかった場合、正当防衛が成立するかどうかの問題である。ドイツなど諸外国では実際に偶然防衛事例があるようだが、日本においては、判例上、偶然防衛が議論されたものはない。そのため、日本においては、偶然防衛は講壇事例、思考実験の意味合いが強い。実務的にはどうでもよいのだが、頭の体操と基本的理解を深める意味で、「刑法思考実験室」その1の題材にしたい。

 ところで、防衛の意思必要説(通説)によれば、偶然防衛は防衛の意思がないので、正当防衛が成立しないことになる。防衛の意思不要説によれば、偶然防衛でも正当防衛が成立することになる。ところが、防衛の意思必要説からも不要説からも、偶然防衛の場合、殺人既遂は成立せず、殺人未遂が成立するという見解がある。本来、必要説からは、違法性が阻却されないので殺人既遂、不要説からは違法性が阻却されるので無罪となるのが論理的帰結なのだが、未遂説はどちらからも主張される。その理論的かつ実際的根拠はなにかについて、検討したい。


2 防衛の意思不要説からの未遂説の検討
  防衛の意思不要説は、違法性の本質を法益侵害に求め、客観的違法論を徹底し、故意など一般的主観的要素を主観的違法要素とは認めない見解から主張される(いわゆる結果無価値論)。防衛の意思(主観的正当化要素)を認めるかどうかが、違法を客観的に考えるかどうかの分水嶺といわれる。「違法は客観的に責任は主観的に」をテーゼとする古典的客観主義体系をあえて採用し、目的刑論と結合して法益保護主義の再確認、刑法の倫理化の拒絶、刑事政策的考慮を踏まえた刑罰制度の合理化、功利主義的問題解決思考(アメリカ法的プラグマティックな思考と新派の実証主義的態度の融合ともいえようか)は、日本においては、戦後の重要な潮流を生み出した。平野龍一博士に代表される結果無価値論の学説史的意義と評価については、メインテーマではないので、ここではのべない。とくに平野説は、刑訴法学まで射程にいれて、戦後日本の刑事法学の一方の柱となったといっても過言ではない(もちろん、もう一方の柱は団藤重光博士のことである。この二つの学説と影響力については、井田良「変革の中の理論刑法学」を参照)。
 ところが、その平野博士から不要説を前提に未遂説が有力に主張されている。つまり、未遂犯においては故意は、超過的主観的違法要素であり、行為当時において一般人から見て正当防衛状況が存在しないといえる事情がある場合は、殺人未遂が成立するという。これは、不能犯における客体の不能の場合に未遂を認める具体的危険説の考えを応用するものである。この考えの実際的根拠は、偶然防衛の場合、まったく無罪というのは妥当でないということが考えられる。「偶然」的事情で行為者を無罪放免とすることは、論者が依って立つ抑止刑論(一般予防・特別予防)上望ましくない。つまり。非常識な結論が刑法不信を生み、行為者、一般人の規範意識に刑罰をもって働きかけ、順法精神を形成させることができないともいえそうである。
 しかしながら、偶然防衛の場合、既遂の違法性は正当防衛で阻却されるが、未遂の違法性が残るというのは奇妙である。また、未遂の違法性が阻却されるには、結局、故意がないこと、つまり防衛の意思があることが要求されるならば、未遂においては防衛の意思必要説と変わらない。客観的違法論を徹底する限り、既遂の違法性阻却と未遂の違法性阻却の基準が異なるのは論理が破綻しているし、一貫性がない。それでもこの見解が主張されるのは、偶然防衛無罪説の実際的不合理性を考慮せざるを得ないからであろう。体系構造論上の明快さ、説得力が、個別具体的解釈論で通用しなくなるという「結果無価値論のジレンマ」の代表例である。
 ではなぜ、そもそも実際的に無罪とするのは不都合なのか。前例の偶然防衛のケースでBが先にピストルでAを撃ち殺し、しかもBも正当防衛状況を認識していなかった場合は、不要説ではBにも正当防衛が成立する。つまりどちらかが先に実行に及べば正当防衛が成立するとなると、いわば、「早い者勝ち」を認めてしまうことになる。むしろ、両者とも正当防衛状況を認識していない場合、どちらも正当防衛が成立しうるというのは奇妙であるし、A対Bの関係は、不正対正ではなく、正対正の状況ともいえそうである。とすると、この場合、「偶然防衛」でなく「偶然避難」が問題となりそうであるが、緊急避難の補充性の要件をみたすかどうかは微妙であるし、緊急避難を責任阻却事由との理解をする見解からは、期待不可能な心理的状態は見いだしがたい。つまり、偶然防衛無罪説のそれ自体のもつ「偶然」的免責の不合理さは、これを前提とする相互偶然防衛事案の解決についても奇妙な結論や理論的に複雑な帰結をもたらす。偶然防衛を無罪としても、一般人にとって、犯罪を行っても偶然に無罪になるラッキーな場合があるとの印象しか与えず、刑罰による犯罪抑止効果(一般人を犯罪から遠ざけること)は期待できないし、行為者個人においても、同様であって、再犯防止を期待できない。
 なお、必要説を前提にしつつ偶然防衛を自己防衛型と他人防衛型(緊急救助型)にわけ、前者は正当防衛を否定し、後者は正当防衛を肯定する中間的な見解もある(曽根教授)。前者は不正対不正であるが、後者は不正対正の関係にあるからだという。なるほど後者については帰責性のない第三者の利益が保全されるので、正当防衛をみとめてもよさそうにもみえる。しかし、この偶然的な第三者の利益保全に行為者の認識は及んでいないのであり、この点では前者の場合と変わりはない。よって、論理としては、区別する必要はなく、後者においても正当防衛を否定してよい。ただ、利害状況が違うのも確かであり、単なる量刑事情の問題と割り切って良いかは一つの問題ではあるが、これを正当防衛論の中で解決すべきかどうかは別問題であろう。なお、検討を要する。

3 防衛の必要説からの未遂説の検討
  防衛の意思必要説は、違法性の本質を、法益侵害だけでなく規範違反にも求め、客観的違法論を修正し、故意など一般的主観的要素を主観的違法要素として認める見解から主張される(いわゆる行為無価値論ないし違法二元論)。この見解によれば、偶然防衛は正当防衛が成立せず、殺人既遂が成立することになる。この既遂説に対しては、客観的に結果無価値を欠くのに主観的行為無価値(故意)を根拠に既遂とするのは妥当でないとの批判がある。これに対し、結果無価値と行為無価値をともに考慮する分析的な違法二元論から、偶然防衛は防衛の意思がないので正当防衛は成立しないが、客観的に結果無価値を欠き、未遂の客観的行為無価値(具体的危険説における危険性)が肯定される限り、殺人未遂にとどまるとの見解が主張される(井田など。ドイツの多数説)。この見解の主たる理由は実際的妥当性と言うより、もっぱら理論的整合性である。
  しかし、必要説からの未遂説は理論的に整合性があるといえるかどうか。正当防衛の要件として防衛の意思が必要と言うことは、偶然防衛の場合は正当防衛ではないということである。行為規範を強調する違法二元論からは、行為者が正当防衛を認識していない以上、正当防衛行為は許されるという規範意識に何ら働きかけることはないのであり、規範による一般予防効果が期待できないから、主観的な反規範的意思である故意の存在により、正当防衛の違法阻却の効果が妨げられることになる。(客観的に故意に基づく構成要件該当行為に正当化の効果が帰属しないといってもよい)。つまり、正当防衛が成立しない以上、結果無価値の阻却もないと解すべきである。そう解さないと、偶然防衛が傷害致死など結果的加重犯の場合、基本犯である暴行罪のみが成立することになるし、その場合、単なる暴行罪の場合と当罰性が同じというのでは、かえって処罰の不均衡、不公平感を生じ、規範遵守による一般予防効果が期待できない(あるいはこの場合は、傷害致死罪の未遂処罰規定はないので、不能未遂・具体的危険説の応用はできず、傷害致死罪と解するのかもしれない。しかし、そうなると、殺人の偶然防衛の場合(殺人未遂とする)とやはり処罰の不均衡を生じるように思われる。)。偶然防衛はまさに「偶然」であるがゆえに規範論的一般予防のコントロールを超えるのであり、結果無価値阻却という意味での違法阻却効果も違法二元論の立場からも認めにくい。確かに単純な二元論の形式的あてはめから、一見、未遂説も理論的に整合的にみえるが、規範論にとって裸の結果無価値は規範の対象ではなく、行為無価値と関連付いてのみ結果無価値を惹起する行為に関し、規範による犯罪防止が可能なのであるから、形式的機械的二元主義でのあてはめは、かえって違法二元論の規範論的本質を見失ってしまう。
  よって、違法二元論の立場から、理論的整合性を根拠に防衛の意思必要説を前提として偶然防衛未遂説をとることに説得的な理由があるとは思えない。


4 まとめ
  「偶然」は行為規範にとって、自然状態と同じく、違法適法の評価基準から逸脱するのであり、処罰を積極的に基礎づける方向でも、消極的に限定する方向でも、行為者の仕業・帰責性に影響をあたえることはない。何らかの形で刑法の行為規範論、一般予防を考慮し、主観的正当化要素すなわち防衛の意思の必要説を前提とするかぎり、偶然防衛既遂説をとることに理論的矛盾はない。
また、実際的妥当性からも未遂説は問題がある。
 よって、不要説及び必要説からの未遂説が一見緻密な理論を提示しても、結論的に必要説・既遂説(通説)に理論的にも実際的にも問題があるとは思えず、不要説からの未遂説は、不要説の帰結である無罪説の実際的不合理性を承認せざるを得ないのである。