解題 補足 「犯罪論体系」 | 刑事弁護人の憂鬱

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解題 補足 「犯罪論体系」

以前書いた本文が舌足らずだったので、記述を補足する。

第1 手続き法上の2分体系
1 「罪となるべき事実」原則的一般的要件
   刑法各本条の各則規定の解釈による個別の犯罪成立要件・処罰条件
   ①客観的要件:実行行為、結果、因果関係など
   ②主観的要件:故意・過失(一般的主観的要素)、目的など(特殊的主観的要素)

※ 故意・過失は積極的成立要件と故意阻却事由・過失阻却事由である消極的成立要件に分かれる。ここでは、積極的成立要件のみを検討する。

   ③客観的処罰条件:①②のような犯罪成立要件ではないが、処罰を基礎づける条件 事前収賄罪の公務員になること、詐欺破産罪の破産宣告の確定など

※ 講学上は、③は犯罪成立要件ではないが、刑罰権を積極的に基礎づける要件なので、やはり手続き上は、「罪となるべき事実」に含まれ、起訴状においても、判決においても確認されなければならない事実である。学説上は、③も犯罪成立要件とし、構成要件要素とする見解もあるが、その立場からは、③は①に解消されよう。

2 「犯罪の成立を阻却する理由」例外的消極的要件…犯罪成立阻却事由
① 違法性阻却事由 正当防衛、緊急避難、被害者の承諾など
② 責任阻却事由 心神喪失・心神耗弱、刑事未成年者、違法性の錯誤に関する相当の理由、期待不可能性を基礎づける付随事情など
③ 故意阻却事由 誤想防衛など正当化事情の錯誤、抽象的事実の錯誤、その他重要な事実の錯誤
④ 過失阻却事由 信頼の原則、危険の引き受けなど
※ ③④は、論者によっては、①または②のどちらかに位置づけられる。しかし、本質論的議論の対立による錯綜を防ぐため、独立した阻却事由として、便宜上くくりだしてみた。
   
第2 実体法上の3分体系(第1の体系へのあてはめ)
 1 構成要件
   (1)「罪となるべき事実」=構成要件とする見解
      (故意過失を構成要件要素とみる、つまり構成要件的故意概念を肯定する見解)

      ア 違法有責行為類型説
        (故意を責任要素を類型化したものとする見解)
        (責任要素+違法要素を類型化したものとする見解)

      イ 違法二元論的違法行為類型説(故意など主観的要素を違法要素とみる)

   (2)「罪となるべき事実」=犯罪類型とし、そのうち客観的要件を構成要件とする見解
        (構成要件的故意概念を否定する見解)

      ア 客観的違法行為類型説(故意は違法要素ではなく責任要素とみる)

 2 違法性:違法性阻却事由
(1)客観的違法論・結果無価値型違法論(主観的違法要素の否定ないし制限)
(2)修正客観的違法論・違法二元論型違法論(主観的違法要素の肯定)

 3 責任:責任阻却事由
(1)構成要件的故意を肯定する見解 構成要件的事実の錯誤は構成要件的故意阻却事由になる。
 ア 構成要件的故意と責任故意の二重の故意を認める見解
 イ 構成要件的故意のみを認める見解

(2)構成要件的故意を否定する見解
 ア 故意を責任要素としてみる見解

(3)違法性の意識ないしその可能性に関する見解
 ア 故意説(厳格故意説、制限故意説)
 イ 責任説(厳格責任説、制限責任説)

※ 違法性の錯誤について相当の理由がある場合(違法性の意識の不可能性)は、制限故意説では、故意阻却事由となり、責任説では責任阻却事由となる。誤想防衛など正当化事情の錯誤は、通説は故意阻却事由とするが、厳格責任説のみ違法性の錯誤とし、相当の理由のある場合に責任阻却事由となる。

(4)責任能力(心神喪失・心神耗弱)
 ア 責任前提説
 イ 責任要素説
(5)期待可能性

第3 検討
 1 実体法上の体系について、百家争鳴、唯一正しい「体系」があるわけではない。ある意味、条文解釈から著しく反しない限り、何でもありである。

 2 手続き上の体系は、原則、例外(阻却事由)構成で考え、いかなる実体法上の体系も吸収できる開かれた体系である(もちろん、個々の解釈により、何が阻却事由になるか、具体的基準は異なるのはいうまでもない)。

 3 とくに構成要件概念については、錯綜しすぎて、統一的見解がない。違法有責行為類型説による構成要件、客観的違法行為類型説による構成要件、客観的ないし違法構成要件・主観的ないし責任構成要件の分析的見解、違法二元論的違法行為類型説による構成要件などなど。複雑怪奇であるが、理論の分岐点は、大きく分けて二つ。①故意・過失を構成要件に含めるか、②構成要件と違法性、責任との関係をどう考えるかである。構成要件の機能面からすると、①は、構成要件の罪刑法定主義機能のうち犯罪個別化機能を徹底するか、構成要件の故意規制機能を徹底するか、②は①を肯定する場合にその理由付けとして、故意過失を違法要素とみて類型化したものとして構成要件に位置づけるか、責任要素とみて類型化したものとして構成要件に位置づけるか、両方の要素とみて類型化したものとして構成要件に位置づけるかの説明の便宜でしかない。そうすると、重要な点は①の点にある。通説は①を肯定し、故意過失を構成要件に含める(構成要件的故意概念の肯定)。あとの説明概念として②はどの見解をとるかどうかは論者の違法観、責任観に左右される。

 4 いずれにせよ、故意を構成要件に位置づけた見解を前提に、誤想防衛で事実の錯誤として故意を阻却する見解をとるとすると、構成要件的故意を肯定しつつ、責任故意を阻却するという二重の故意概念をとるか、違法性阻却事由も構成要件に位置づけ、構成要件的故意を阻却するとするか(違法性阻却事由を消極的構成要件要素とみる見解)しかない。

  しかし、前者は、その後、過失犯の成立を認めるので、本来出発点であるはずの故意・過失を構成要件で区別する構成要件の犯罪個別化機能を徹底できず、体系的に破綻するし、二重の故意概念も技巧的でわかりにくい。ただし、手続き上の2分体系からは、故意の積極的要件(構成要件該当事実の認識=構成要件的故意)を罪となるべき事実とし、故意の消極的要件(誤想防衛)を(責任)故意阻却事由と位置づけて理解することになるので、二重の故意をもちださずに説明はつく。誤想防衛について、争点になった場合で、故意阻却が認められる場合、「構成要件的故意に構成要件的過失が含まれる」とする見解(大塚)からすると、訴因変更せずとも過失犯の縮小認定が理論的には可能かもしれないが(公訴事実対象説、法律構成説)、正当化事情が存在しないことを正確に予見すべきところを予見しなかったことを基礎づける事実=注意義務・過失を基礎づける事実が故意犯の罪となるべき事実に含まれていない場合は、被告人の防御上の重要な事実の変更として訴因変更すべきことになる(訴因説、事実記載説)。そうすると、検察官が故意犯の罪となるべき事実を訴因として起訴し、主張したところ、被告人・弁護人が客観的事実は認めるが、誤想防衛であり、故意はないと主張し、訴訟の進展により、誤想防衛の成立のきざしがある場合(あるいは起訴時から)、予備的訴因として過失犯の罪となるべき事実を検察官は主張、立証することになる。このような手続きで進行するかぎり、犯罪個別化機能の破綻とか、故意の二重の地位の奇妙さは現実化しないし、過失を基礎づける事実も訴因に記載されている限り、不都合は何もない。

 後者は、実体法上の体系的にはすっきりするが、違法阻却事由を構成要件に位置づけると、規範論理としての、構成要件=禁止の素材(違法評価の対象)、構成要件該当性・原則違法=対象の評価(禁止規範違反)、例外的違法阻却事由=許容規範の性質上の違いを放棄する、非類型的、実質的観点からの超法規的違法阻却事由を理論的に説明しにくくなり(構成要件概念は、罪刑法定主義の観点から、限定的な「類型的」な判断との理解を変えなければならなくなる)、かえって違法阻却事由の範囲を狭めるおそれがあるとの批判が可能であろう。もっとも、ドイツ流の犯罪論体系、規範論から見ての批判であり、概念的なレベルのでしかないが(前提とする公理体系が異なる見解を採用すると批判は意味をなさない。)。手続き上の2分体系からすると、罪となるべき事実に「消極的構成要件要素=違法阻却事由がないこと」を含めることになるが、罪となるべき事実と犯罪成立阻却事由を区別する訴訟法の建前と合わなくなる。ただし、この立場でも、消極的構成要件要素を犯罪成立阻却事由に位置づけるならば、通説との実際上の違いはない。

 4 最後にいわゆる結果無価値論の論者により多く主張される構成要件的故意を否定する構成要件=客観的違法行為類型説をコメントすると、これも主観的な責任類型(故意・過失含む)と合わせたものを犯罪類型とよび、罪となるべき事実と位置づけることになるから、手続き上の2分体系に位置付けても問題は生じない(客観的ないし違法構成要件と主観的ないし責任構成要件で構成要件の概念を2分して理解する見解も同じ。)。

 5 以上のとおり、実体法上の3分体系をどう考えようが、手続き上の2分体系に解消できるので、実体法上、どれが「正しい」体系か論ずる実益はない。各論的解釈(問題解決のための下位基準、具体的判断基準)はともかく、体系的構築論に関しては論者の「趣味」の問題である。

 なお、違法行為類型説は、構成要件に該当すると違法性が推定されるあるいは原則として違法であるという理解をする。これを構成要件の違法推定機能という。違法有責行為類型説については、責任についても同じように責任が推定されるという。違法有責行為類型説の主張者である小野清一郎博士は、これを訴訟法上の推定、挙証責任の転換と理解し、構成要件=罪となるべき事実、違法・責任阻却事由=犯罪成立阻却事由とし、前者は検察官に主張立証責任があるが、後者は被告人に主張立証責任があるとして、構成要件の訴訟法的機能を主張した。しかし、「疑わしきは被告人の利益に」の原則は、犯罪成立阻却事由の不存在も検察官に挙証責任があるとうべきであり、ただし阻却事由は例外的要件であるから、被告人、弁護人の主張、争点形成、さらには証拠提出責任が果たされた場合に、検察官側でその不存在を立証しなければならないとするのが通説的見解である。よって、構成要件該当性が、違法性ないし責任を推定させるというのは、構成要件該当性判断が、「類型的」な違法ないし責任の「原則的判断を含むという意味でしかない。例外的な違法ないし責任阻却事由の判断をまって、最終的な違法ないし責任判断が確定する。構成要件に該当するから、違法性阻却事由の不存在が推定されるわけではないし、構成要件的故意があるからといって、責任能力が推定されるわけではない。このように構成要件の違法推定機能ないし責任推定機能というのは、誤解を与える表現であり、注意しなければならないし、構成要件概念の理解を困難にする原因でもある。

※若干の試論
  実体法上の体系論は、通説でも何でもよいのだが、若干の思考実験をこころみる。ただし、現段階での実験なので、今後変更もありうる。

  刑法各論上の要件と原則的要件を一致させ個別的な犯罪成立要件の意味として、つまり、罪となるべき事実を意味するものとして、「犯罪構成要件」という言葉を用いて理解することは実務上便宜である(単純なわかりやすさという意味で。)。

  他方、この「犯罪構成要件」と実体法上の体系の一要件としての狭義ないし特別「構成要件」とは概念上別に理解することもできる(一致させてもよいが…)。個別解釈論として、「構成要件」という概念がキーとなるものが多いのは故意・錯誤論である。そして、故意の認識対象が構成要件該当事実、その規範的意味の認識も含むという理解を裏返せば(構成要件の故意規制機能)、ここでいう構成要件とは、犯罪成立要件の原則的要件のうち、客観的かつ規範的要件と理解できる(故意を規制する構成要件ないし錯誤構成要件)。この故意の判断に先行する客観的規範的犯罪成立要件(原則的要件)を「(客観的規範的)構成要件」と理解して、「罪体」概念とほぼ一致させ、むしろできるかぎり「罪体」という用語のみを使う。他方「構成要件」という概念が正犯論、共犯の従属性でもキーワードになるが、下位概念である「実行行為」概念と共犯の正犯の故意または責任従属の問題として検討すれば問題はない。未遂や共犯を「修正された構成要件」「拡張された構成要件」と理解する場面は、上記「犯罪構成要件」(基本的構成要件)を修正ないし拡張した犯罪成立拡張事由の意味で理解する。

  故意、過失の位置づけについて、違法か責任かは、違法論と責任論をどう考えるかによるが、実務との整合性と考えると、故意過失を責任に限定する見解(結果無価値論的理解)は取りにくい。行為無価値的な違法二元論的な理解をとると、故意過失は違法要素とみると筋がとおるが、団藤説のように故意過失を積極的な責任要素としての意味をなお保留する(故意の本籍は責任にある)というのも、「感覚的に」わからないでもない。すなわち、違法二元論(井田教授など)の考えを徹底すると、故意過失が責任から駆逐され、責任要素は、責任能力、違法性の意識の可能性、期待可能性といったものしか残らず、責任は規範的評価の側面のみ残り、消極的な意味しか位置づけられない。責任概念が例外的責任阻却事由の存否のみになり、責任判断の原則的積極的な事実的基礎が不透明になり、責任論が空洞化する。一方で、(構成要件的)故意の違法性の意識を喚起する機能(故意の提訴機能)ということがいわれ(中義勝ら)、違法性の意識の可能性、すなわち責任との関連性は違法二元論の立場からも否定されていない。違法と責任との関係を積極的に処罰する方向を基礎づけるものとして「違法をエンジン」、処罰を限定する方向を基礎づけるものとして「責任をブレーキ」にたとえる見解(井田教授)もあるが、違法においても違法阻却事由は処罰を限定するし、エンジンとブレーキの比喩に例えるのならばクラッチを切らない限り、アクセルを踏まなければ「エンジンブレーキ」がかかる(刑法の謙抑性・可罰的違法性)。また、動機が悪質であるとか、行為態様が残虐といった心情要素は、「責任」が重いとされる「量刑事情」であり、これを責任概念に関連付けて理解するならば、「責任はブレーキとともにアクセル」の意味もあることになる。
 となると、便宜としては、故意過失は、違法性を基礎付けかつ責任も基礎づけると曖昧な日本的通説の理解としてとりあえず満足せざるを得ないかもしれない。あるいは実務的には、とりあえず、狭義の構成要件、違法、責任からくくりだして、原則的主観的要件とでも位置づけとしておき、性質論について態度決定しないのもありであろうか。