刑事手続きの基礎…起訴前手続き・捜査について その3 | 刑事弁護人の憂鬱

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刑事手続きの基礎…起訴前手続き・捜査について その3


1 供述調書の種類・分類
 ア 対象となる供述者の分類としては、被疑者調書、参考人調書等の分類ができる。
 イ 供述調書の方式としては、供述者本人が直接書く供述書(上申書の表題書く場合もある)、供述者から捜査官から聞き取ったものをまとめ、供述者が間違いないものとして署名押印する供述録取書などの分類もできる。被疑者調書、参考人調書の大半は、この供述録取書である。
 ウ そして、供述者が誰の前で話したか(録取したのは誰か)という録取者を基準に、裁判官面前調書、検察官面前調書、警察官(司法警察員)面前調書等に分類できる。捜査段階において、重要なのは、検察官面前調書、警察官面前調書(実務では前者をPSとか検面調書、後者をKSとか員面調書と称することがある)であることはいうまでもない。
   
2 伝聞証拠と検察官面前調書
  既に述べているとおり、供述調書は、伝聞証拠として、原則として証拠として用いることは出来ない。そして、被告人、弁護人側からの同意がない場合、検察官としては、供述者を証人尋問ないし被告人質問により立証をするか、伝聞例外規定により、供述調書を証拠として認めるよう裁判所に請求する。
  たとえば、被害者や目撃者の供述調書を弁護側が不同意にすると、検察官は、被害者や目撃者を証人として請求するか、その供述調書を伝聞例外により認めさせるかの判断をする。通常は、前者を行い、前者と供述調書が矛盾する場合に、伝聞例外で供述調書を認めさせるかを検討する。すでに被害者や目撃者が死亡した場合などは後者の場合しか請求しようがないが。
  いずれにせよ、警察官面前調書の場合は、刑訴法321条1項3号の要件である(1)供述不能、(2)供述を犯罪の証明に用いる不可欠性、(3)供述が特に信用すべき状況でなされたものであること(特信性)という3点を全てクリアしなければならない。しかし、実務上、これらの要件をクリアすることはまれである。つまり、否認事件で警察官面前調書が不同意とされた場合は、事実上、証拠とする可能性はなくなる。
  他方、検察官面前調書の場合は、刑訴法321条1項2号によれば、(1)供述不能又は(2)公判廷での供述と相反するか、実質的に異なった場合で供述が特に信用すべき状況でなされたものであること(特信性)が要件とされ、警察官面前調書の場合と異なって要件が緩やかである。なぜ、このように要件が緩やかなのかというと、検察官は準司法官(つまり裁判官に準ずるということ)であり、公的立場(公益の代表者)にあるから、警察官の面前より、その供述は信用できるといういわば検察官性善説に立脚した考えによる。だからこそ、検察官面前調書は、検察官立証の重要な武器であり、警察官面前調書が証拠として用いられなくても、検察官面前調書だけは証拠として死守したいという傾向をもってしまう。
 しかしながら、最近の大阪地検特捜部の事件にみられるように検察官が捜査官として供述を取り調べにより追求する立場であることは警察官と何ら変わりはなく、事実、検察官面前調書の任意性、信用性が否定されることも少なくない。また、321条1項2号後段は、公判廷の供述より、公判外の密室での供述のほうが信用できることを前提としていることは、伝聞法則の前提である公開法廷で供述を直接検出する直接主義、公判中心主義の建前を骨抜きにする可能性を秘めている。
 近年導入された裁判員制度は、脱調書裁判化を促すものであり、この傾向からすれば、検察官面前調書の例外要件規定の見直しが必要であり、特に321条1項2号後段は、立法論的には削除すべきものではないだろうか。不一致供述は、弾劾証拠として用いれば足りるのであり、それを超えて、実質証拠とする必要性がどこまであるか疑わしい。


3 取調の可視化 
  被疑者の取調の録音、録画により可視化の問題提起について、捜査実務は、全部可視化には消極的である。その理由としては、被疑者との信頼関係を構築して取調を行うには、取調の全面公開はふさわしくないという。
  しかしながら、この点については、私が以前受任した依頼者の父親の素朴な以下の疑問があてはまる。
  すなわち、公開の法廷での発言より、密室での発言が信用できるって、おかしいんじゃないんですか、法廷で本当のことがいえないんだったら、公開裁判なんて何の意味もないじゃないですか、裁判官の前での発言より、刑事さんや検事さんの前での発言が信用できるなんて…との疑問である。

  今回の大阪地検特捜部の証拠改ざん事件が、特捜部解体だとか、特捜事件だけの一部録画とかだけの小規模な解決にとどまるようだとすると、取調中心主義の捜査実務全般に対する改革につながらない。大なたの改革なくして、検察の立て直しははかれないと思う。
  平野龍一博士が半世紀以上前に指摘した「糾問的捜査観」の問題性(平野龍一著「刑事訴訟法」(1958年・有斐閣)83頁以下参照)は、21世紀の今日も解決されていないのが現実である。