幼い頃の私にとっては、それはコーヒーとビールだった。

大人たちが、あまりにもそれらをおいしそうにおいしそうに飲むもんで
また、その場で手を出そうものならすごい怒られるもんで、
(どんだけオイシイんじゃ?)と隠れてコッソリ飲んでみたことがある。

マズかった。
というか、私の幼い判断基準では、それはもう『口にするもの』ではなかった。

それがどうだろう。
それがいつなのかは定かではないが、おいしいと思うようになった。
それも『じわじわと』とかではなく、『ある日突然』おいしく感じるようになったのだ。

大人になるとはこういうことなのだろうか。


夫もコーヒーは大好きなので、毎日朝は必ずコーヒーをいれる。
もちろん息子は「まず~~~ぅいぃ~~」と顔をしかめて、飲もうとはしないが。
君が夫のようにコーヒーを飲む日が来てほしいような、来てほしくないような。

そういえば、以前、道具や豆にやたらこだわっていた時期があったが、今はそれはない。
豆やカップがどうとかというより、
コーヒーやお茶は『人が入れてくれたもの』が単純においしい。

ああ、でも、お酒は『注ぎ注がれ』は好きではない。
勝手に自分で注ぐから、おかわりも頼むから、どうかほっといてほしい。
・・・というのは単なる『のんべのわがまま』ってやつか?


休みの日は夫がコーヒーを入れる。

「『人が入れてくれる』もんってなんでもおいしいよね」
「・・・なんだよ・・それ・・」

ああ、しまった。
こういう時は「『アナタ』の入れてくれるコーヒーが一番おいしい♪」
そう言うのが『世渡り上手』というものなのだよね、きっと。