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息子が歩き始めた頃だろうか、
我が家に『もらうべぇ』が棲みはじめたのは。

主に奴は、息子がおもちゃを出しっぱなしにしたときに現れる。
そして、その出しっぱなしのものをどこか遠くへ持っていってしまうのだ。

「もらうべぇが来ちゃうよ~~~」

もう息子は血相変えて片付け始めたものだ。

(これは便利だ♪)
調子に乗った母は、寝かしつけるときに
『もらうべぇに何もかももっていかれた子どもの、それはそれは救いようのない話』(作・母)もしてしまった。

さすがに今ではもう信じてはいないだろうが・・ああ、でも、サンタは信じている息子である・・
それにわかっていたとしても、これが妙なトラウマにはなりやしないだろうか?

・・・・今さら何をか言わんや・・・である。

思えば私も幼い頃、祖母によくこんなカンジで脅されて?いたっけ。
明治生まれで、もうとうに鬼籍に入ってしまったが、いつも着物で、きちっとしていた思い出がある。

ポピュラーなところでは
「夜に爪を切るな」とか「霊柩車やカラスを見たら親指を隠せ」とか

それがエスカレートしてくると
「枕を踏むと頭が割れる」と怒られた。
もし踏んでしまったときは3回なでて「ごめんなさい」といえばいいと言われ
幼い私は本気で「ごめんなさい、ごめんなさい」と、もう泣きながら枕の神様に謝ったものだ。

お墓参りに連れて行かれると、その度にお寺にあがって見せられた『地獄絵図』

そりゃもう怖いのなんのって。
「これこれこういう事をすると、地獄へ落ちてこういう目にあうんだよ」

これに関しては、私と弟が、寺に行くたびに『夜泣き(夜叫び?)』をするので
両親やおじおばがかなり意見したそうだが
祖母は全く聞く耳持たずだったと言う。

それが今、私の人格形成にどれだけ影響を与えたかは定かではないが
ご飯粒や取り分けられたおかずを残せなかったり、
霊柩車やカラスを見るとドキッとしたり
もちろん、枕は踏めない。

まあ、それでも私は祖母が大好きだったけど。
「おまえが結婚するまで私は死ねない」そう言っていたけど
ごめん、あの年じゃあ、いくらなんでも待てなかったね。
弟のお嫁さんは見たから、それで許してね。

もしかして、今私が息子に対して
「『ばち』があたるよ」とか、
「もらうべぇが来るんだから」といった、ちょっと『非論理的』なモノ言いをしてしまうのは
そんな祖母の影響もあるのかもしれない。

まあ、現実に『もらうべぇ』がいたとしたら
我が家でいちばん困るのは片付けベタの私かもしれないのだが。