苦痛である。
このブログの『好きなもん』の主旨とは大きくずれてしまうが
もう苦しいものは苦しいのである。

なんて言っては、怒られてしまうのだろうが。

あなどるなかれ、小学校3年生。
計算は複雑になり、国語でも『主人公のこのときの気持ちは?』・・そんなの知るか!である。
漢字は自分でもあやふやだし。
理科社会にいたってはもうお手上げである。

そんな私に「おうちの方にマルつけしてもらってください」
そんな宿題はもう、『拷問』なのである。

勉強でも、習い事でも、『できる子』というのは
特に小さいうちは『家族のサポート』や『親の意気込み』が大切なのは
周囲を見ていてもなんとなくわかる。
先生の、「わが子が今、何を勉強していて、何がわからないのか?がわかると思います」
その言わんとすることも非常によくわかるのだ。

でも、つらい。

もちろん、答えを見ながらなのだが
「おかあさん、わかんないんじゃないの?」
そう息子はけんかを売ってくる。(としか思えない私はつくづくちっちぇえ奴である)
まあ、実際「どうしてこうなの?」と聞かれると言葉どころか息まで詰まってくるのだが。

とうとう先日、計算ドリルに関しては
「自分でマルつけってのもね、勉強になるんだよ」
との『錦の御旗』をかかげ、(言い訳とも言う)答えごと息子に受け渡してしまった。

あとはひとりで頑張るのだ、息子よ。
かあさんは遠くから応援している。