20年以上前、とある会社の寮にいたことがある。
そこはなぜか長野県出身の方がとても多くて。
しかも、飲む機会がとても多い職場だった。

そこでよく聞いた『信濃の国』の歌。
この歌の不思議なところは、長野出身の人は全員知っているのに
(なんと6番まである!)
他県の人はまったく知らない・・というところだ。

そこはほどなくやめてしまったけれど、
その歌はしっかり記憶に残り、
それからというもの『長野出身です』と言われると
耳元で「♪信濃ぉ~の国ぃはぁ~♪」と口ずさみたくなる衝動が抑えきれない。
すると、ほとんどの方は「十州のぉ~♪」と一節歌ってから
「えっ??なんで知ってんの???」
と、目を丸くして、話が広がるのである。
まあ、最近はよくTVで取り上げられたりするので、いまひとつなのだが。

とりあえず、20年、空振りだったことはない。
これはもう、長野県人の『ソウルソング』だと思った。

実はとってもうらやましい。

というのは、私は幼い頃から引越し続きだったから。
『生まれた土地』といっても過ごした思い出はほとんどないし、
『育った土地』はもう、どこを言ったらいいのかわからない。
『高校野球』も、どこを応援したらいいのか定まらない。

『同郷』で話が盛り上がるとき、そこそこ『軽~~ぅく』は話を合わせることはできるのだが
その浅さが、逆にどこにも属さないような気がして寂しかったりしてしまう。


結婚後、一度引越し(といっても近所だったのだが)をしてから、もう6年以上経つだろうか。

ここで既に私の人生においての同じところに住み続けた『最長記録』

「この先、『ローン倒れ』『離婚』『新聞沙汰』でもなければこのままずっとここかなぁ」

ずっとここに住んでいて、当たり前に幼馴染や幼い頃を知る近所の人を持つ夫が
「そんな事、考えたこともないよ」
そういうのはもっともだと思う。

息子はここを『故郷』と呼ぶのだろうか?