「死に耐」スタート
「死に至る病とは絶望のことである」と記したのは、キルケゴールだったか。
私の場合、すべてに絶望したわけではないが、鬱症状を患いやすい体質なのかもしれない。病院で診察してもらったわけではないので分からないが、鬱症状は、あらゆる気力を奪い、無気力になり、涙もろくなる。自殺の考えが浮かぶ。寝ている自分がナイフで全身を刺されることを想像する。このまま外にでて、横たわっていたら、死ねるのではないかと思ったりする。
自分はだめな人間だ。なにをやってもだめだ。過去の過ちを執拗に責められる仕打ちを考えたりもする。。
そんなときは、なにもやる気がしないし、仕事どころか、本来好きなことにも関心を失ってしまう。睡眠は、断続的となり、熟睡感はなくなる。
気力を振り絞り、気分転換のために外に出てみても、歩くことが億劫で、しゃがみ込んでしまったりもする。
そんなとき、「死にたい」って気持ちが湧き起こる。消極的な気持ちだから、湧き起こるという表現はおかしいか。「死にたい」っていう気持ちでいつの間にか胸の中が押しつぶされそうになる。あとは、涙なみだ。
死にたいって何度も心の内に叫んでいたら、「死に耐」って思い浮かんだ。鈴鹿の4時間耐久レース(ヨンタイ)、8時間耐久レース(ハチタイ)の全盛の頃に思春期を過ごした者特有の思いつきだろう。そうか、この「死にたい」を「死に耐」として、死にたいという気持ちをいかに耐えるかを考えてみようと、ほんの少し積極的になれた。
一人だけの「死に耐」のスタート。
誰も知らない一人だけのスタートだ。
今は、ブログを書くという行為ができるまでに鬱症状は緩和したみたいだ。私は、精神面で鬱症状を抱えながら、社会復帰していく自分の姿を「死に耐からの助走」として、そう、まさに助走として、誰にも知らせずにひっそりとこのブログを書き綴っていきたいと思う。