近頃、

やたらと無作為に人を巻き込む犯罪が多い気がする

 

動機を聞けば、

人生に絶望したとか、

孤独だとか

だから死にたいと思ったけど

自分では死ねないから

死刑になりたかった

という人が多いらしい。

 

人生に絶望とか

自分だけが大失敗をしていて

自分以外の人がすべて輝いているように思える

というのだが…

 

絶望っぷりが壮大過ぎて

あまり聞いたことのない劣等感のスタイルだなと思う。

 

思うに、劣等感とは他人の存在なくしては感じえない。

自他を比較した結果にしか存在しない。

 

わたしの思春期の頃にだって

みんな何かしら誰かしらに

劣等感を抱き、

いろいろ失望したり絶望したりしたものだが

それが見ず知らずの他人を傷つけるという

行為にまで走らせるというのは

あまり聞いたことがなかった。

 

何が違うのかと考えるに

SNSの登場によって

比較対象となる他人が増えすぎて

情報量も画像や動画など

リアルな迫力で、何度でもリピートできてしまう

ようになったことではないだろうか。

 

つまりネットで覗き見える他人のキラキラした部分を

あれこれ見過ぎて、自分の平凡で平穏な日々に

価値を感じられなくなってしまっているのだろう。


そんなものは

イイトコだけを部分撮りしたものであることを

忘れているのではないだろうか。

 

失敗したりひどい目に遭っているシーンを

わざわざ人目にさらすため

ネットにアップする人がどれだけいるか。

 

昔は違った。

身近な、数えられる程度の人間の

リアルな手ごたえのある相手に嫉妬していただけだから

相手がいい目を見た翌日に、

ひどい目に遭ったりもしてることを知っていたし

うまくいくまでの苦労も、

目にすることが出来た。

 

だから、いくら他人をうらやんでも

絶望感から、何の関係もない赤の他人を殺める

などというエネルギーは

生まれなかったんだと思う。

 

他人の生活の上がり下がりの一部として

眺めることが出来た。

 

それに対してネットで流れるのは

どれもこれも「絶頂」のヒトコマだけ。

切り取られた一部だけ。

 

そんなキラキラコラージュは

ノンフィクションで作ったフィクションでしかないのに

それに嫉妬したり劣等感を抱いたりしている。

 

実体験や経験値が乏しいせいで

嫉妬が混ざりっけなさすぎる。

あっさり失望しすぎる。

絶望感が奇妙なほど純粋すぎる。

現実には存在しない幻影に劣等感を抱いているのだ。
 

ネットのお陰でいろいろ便利になってきたけれど

まだまだこれを私たちは有効に使い倒すことができていない。

 

SNSを、他人をうらやむために使ってはいけない。

セルフ演出された投稿を話半分で理解し(笑)、

カジュアルに祝福する、

これに私たちは慣れなければいけない。

恩恵を健全に味わうために。

 

そして何よりも

他人の生活覗き見るひまがあったら

もっと自分の一日を丁寧に生きよう。

葬儀の仕事のたびにそう思う。

今日を生きられなかった人を見送るたびにそう思う。