むかーしむかし、同じこと書いたような気がするんだけど

先日、まさかの世代からリアルに聞かされたので

今一度、自身に向けても書いてみようと思う。

 

年末にバラエティに富む年代の男性数人と

忘年会ライブのようなことになったのだが

そこで私の10歳年下

(つまりエエ歳のオッサン)が

「頑張れとか言うの、違うと思う」

と発言し

彼と恐らく同世代(つまりエエ歳のオッサン)が

「もう頑張ってるっつーんだよね」

とか受けてて(;´∀`)

私は飲んでもないのに一気に酔いがさめた。

 

『コイツラ…厨二か?』

 

私は言うまでもなくスポ根世代であり

その無駄にたくましい体躯のせいで

当然体育会系の部活が学校での主な居場所だった。

 

だから知っている

「頑張れ」という言葉に

込められている「気持ち」を。

 

「頑張れ!」と声を掛ける人は

あなたのことを

応援しているんだよ。

 

言葉尻捕らえてしょーもないこと厳密に考えんなや!

 

「応援してるよ!」とか言えばええんかい?

そのまんまの言葉でなんか熱量伝わるんかいな?

 

『もう頑張ってるのにこれ以上頑張れっていうのか!』ってさ

 

「お疲れ様です!」って言われて

私が

「いや、疲れてねーし!

何なら今から

カラオケ2時間行けっし!」

とか逆ギレすんのと同じだよね?

(やっとんのかーい!←ハイ(;´∀`)心の中で)

 

「お疲れ様です」って言ってくれる人は

まあ口癖でもあるだろうけど

だいたいはねぎらいの気持ち

声掛けてくれてるんだよね。

 

それともいちいち

「今日は仕事大変だったね、よく休んでね」

って言えばいいのか?

会社で人とすれ違う度に?

どうしろと?

 

言葉を額面通りに捉えては

無駄に不機嫌になるのは

極めて非生産的だと思うのね。

ただの揚げ足取りにしか思えない。

 

「頑張れ」と、声を掛けるのは良くないとか

「よく頑張っているね」と声を掛けましょうとか

なんちゃらコメンテーターや学者センセイたちが

言ってるのも聞いてて情けなくなってくる。

いつから私達は日本語の理解力、いや、

人の気持ちをおもんぱかる力がこんなに落ちたんだろうか。

 

それとも慣用句ってもんを知らずに育ってしまったのだろうか。

「足が重い」っつったら「今何キロぐらい?」とか思うんだろか。
「気が進まない」っつったら「それは通常時速何メートル?」

とか思うんだろか。

 

日本語大好きな外国人に一度レクチャー受けたらいい。

 

「心の状態が落ちている人にはゆとりがないから

そのように受け取ってしまう」っていうのも

なんかしっくりこない。腑に落ちない。

 

どんな言葉にも気持ちが込められてる。

言葉の上っ面だけ受け取って、

気持ちが受け取れないのは

やっぱり普段からのリアル不足だと思う。

 

たとえばメールの、ラインの液晶に浮かんだ

活字だけでは伝わらない気持ち。

発信者の意図せぬ方角に深読みしてしまう

受け手の思考の癖。

 

対面で、目と目を合わせて発する言葉とは

その情報量がまったく違うことは想像に難くない。

 

リアルで会えない時に

文字がミスリードしないためにも

リアルで対面している時間を

もっと濃密に深く取り扱わなくてはいけないと思う。

それがバーチャル空間での担保になるんじゃないかと思う。

 

では、お疲れさまでした!