古キャン使おうと思いつつも、いやいや
もしかしてこっちを先に使ってしまった方がいいかもー
と、浮気性な自分。

まあね、あるものはさっさと使うのがいいのよね。

いつか いつか と とっておくと
結局使えない代物になってたり…

ということがこの半世紀の間に多々ありまして。

そう、30年ぶりにキャンバス張りました!

若かりし頃より私の張ったキャンバスには定評がございました。
それはなんといっても有り余る力のなせる技。

いつかキャンバス破るんじゃないかと思いながら張っていたあの頃。

楽しくて仕方がなかった。

ただ、キャンバス張り器にも、高価なものと安いものがありまして
私が所有していたのは当たり前に安いものでした。
友人たちの持っているのが羨ましかった。

しかーし!「弘法筆を選ばすじゃ!」

そんな意地もあって、必要以上に情熱燃やして張ってたんですな。

ところが、今は亡き伯父から譲り受けた遺品の中に
見付けました。欲しかったあのキャンバス張り器。


銀色に輝くそれは、キャンバスのくわえも左右アンバランスでなく
しっかり信頼に足りるくわえ心地。

ああ、なんてラクチンなんだろう。

そんな夢心地で昔をしのびながら
近所迷惑を心で詫びながら
張ったキャンバスは、昔通りのクオリティ。

軽くはじくと、部屋のガラスが共鳴する。
和太鼓かっ! と一人ツッコミもしたくなるぐらい。

ああ絵を描くためのキャンバスにここまでの
クオリティが必要なのかしらとか思いつつご満悦。

F10号の木枠と切りキャンだけでも2000円弱。

その商品価値を自らプライスレスにしていく私。



再び描きだしてから思うのは

絵を描くってことは
アウトプットではなくて

むしろ、その目に見えたものを自分の中に入れていく
インプットな行為がほとんどなんだなということ。

風景でも静物でも、
そのキャンバスに入れる端から端まで
すべて自分に落とし込んでいく作業。

それが描くということなんだなあと
思うようになった。

その後のアウトプットは3割弱かなあ。

ちなみに

プロの絵描きと、
シロート絵描きでは

描く対象を見ている時間と
描いている時間の比率が
まったくちがうんだと。


プロはほとんど見ることについやし、
シロートほど、たいして見ないうちに描き出す と。


これ、オモシロイことに
歌も同じなんだよね。

ヘタなやつほど
お手本を細かく聞きこまないうちに歌おうとする。

はい。私のことよ~♪ おほほほほ~