最近、立て続けに友人、知人から

浮気について相談を受けた。


浮気…私には昔からこの概念があまりない。


もっと言えば、「結婚の誓い」というものに

ものすごく違和感を持ってた。


誓いを立てるって、

つまり「私、裏切る可能性があるんです」って言ってるようなもんよね?


愛し合ってる真っ最中の二人が、人前でそんなことを堂々と宣誓するのが

自分でやってて、まったく意味がわからなかったわよ。


一生涯、お互いを大切にしますとか当たり前じゃん。

なんでこんなこといちいち誓わんといかんのよ?

と、あの時は思っていた。


そして、そんな誓いを 意味も分からぬまま

恥ずかしげもなく人前でしておきながら

結果、その誓いは虚しく破られました。

(うちの場合は浮気が原因じゃないけどさ)



みんなが言うように、「愛」が神聖なものなら

そんなことを神様の前でいちいち誓いを立てるなんて


神様相手に小切手書いてるようなもんで

とんでもない冒涜行為だと思うんですけどねえー。



さて、本題に戻って「浮気」


まず最初に思うのは、最近の若い人がよく

結婚もしてないうちから「浮気した」だの「浮気された」だの

言うのがよくわからん。


そんなもん浮気でもなんでもないだろ。

自由恋愛中だぞ。


自分がトップから滑り落ちたってだけのことじゃないの。


彼氏だ彼女だって言葉で差別化してるだけで

別に最初から気持ちは常に浮遊中なんじゃないの?


だから私は「浮気」って言葉は

結婚しているツーマンセルに限って使うわ。


それにしても「浮気」…


これってさー、自分以外のひと一人の人格を

自分一人が所有しているんだっていう前提があるんだよね。


それってすごいおっかいなことよね。

自分の価値を固定して安心するために契約を迫る。

孤独から解放されるために、自由をお互いに売買するようなものよね。


結婚っていうシステム自体、

巣作りして子供を育成している期間に限ってはその意味はあると思うけど


それ以外は、お互いの相互扶助あるいは共依存、

行政側からの管理しやすさ、税徴収の効率化ぐらいしかメリットはないと思うんだけどさ。


何十年という長い時間、ただひとりの異性としか許されなくなる様々な行為。

何をもってして浮気というかも人それぞれのようだけれど、


これって「いじめ」と似てると思う。

された側が「浮気」と思えば浮気なのだ。


もっと言えば、そこに事実があるかどうかさえ問題ではなくなるのだ。

相手を疑った時点でそれはその人の中で「事実」として存在するのです。

世間では「疑心暗鬼」と申しますが。


だって夫が妻に問いただすとしましょうか。

Q:「おまえ浮気しただろう!」


この問いに、妻が答えます。

A1:「してないよ!」

夫:「嘘つけ!絶対しただろう!」


A2:「はい、しましたよ」

夫:「やっぱりしたのかよーっ!」


ほらね、妻がどう答えても夫の中では

「妻は浮気してる」ということは不動なのですよ。


だからこれは世界一くだらない質問で、答えるだけ無駄なんです。


つまり正しい答えは「そんな質問には答える意味がない」です。


はい。昔、このような禅問答が我が家で繰り広げられました。おほほほほ~。


なんかひとりで面白くなってきたから、つづく。