のっけから真っ黒。 そんな深刻な話でもないんだが ヾ(´▽`;)ゝ


みんなはどうなんだろう。

子供の頃に一度も死にたいと思ったことないんだろうか。


私が一番最初に死にたいと思ったのは小学校二年生。

理由は思い出せない。

いじめが原因ではなかった気がする。

終業式の日だったから、通知表が原因かもしれない。


トイレでしゃがんだまま(…和式でしたからね)泣いて

(想像すると笑える図だね)

トイレの消臭ボールを吊るしてある釘を抜いて喉に刺したら

死ねるかな…とか一時間ぐらいお籠りした覚えがある。


足がしびれたから、一度退室。


そして以前、母から「絵の具なんか舐めたら死んじゃうよっ!」と

言われたことを思い出す。


いつも一番減らない「ぐんじょういろ」を取り出した。

固くなってるキャップをはずして舐めてみた。


まずい…

でもちょっと頑張ってみた。

口の中がしびれるでもないし、お腹が痛くなるでもない。


なんだよ、死なないじゃんか!ドクロ


致死量に至っていなかったのかもしれないが

直ちに健康に影響はなかった。


そして 「大人も嘘をつく」ってことを初めて知ったのだ。


口の周りが群青色に染まっただけで、

誰にも知られることなく、ひっそりと自殺未遂は終了した。


でも「母が嘘をついた」というたったそれだけのことが

自分の「死にたい」原因を相殺したような気持ちになった。


これはどういうことかというと…


決して大げさでなく「世界が広がった」ということなのだ。



子供の世界は、(今から考えると) とっても小さい。

自分の思っている「常識」と

自分の知ってる友達の周りだけが子供の世界で

友達が増えてその家へ遊びに行くたびに世界が広がる。


その小さな世界が子供にとっては全てなのだ。





ちなみに私は

初めて「月・火・水・木・金・土・日」を知った時、

そのあとがどうなるのかとても心配だった。

それで、その後は? そこで世界が終わるのか?


まさかこの7つが永遠に繰り返されるなどとは

夢にも思わなかったのだ。


まだ幼稚園に上がるか上がらないかだったと思う。


つまり1日、1日がまったく新しい日で、

何かが繰り返されるなどという概念がなかったのだ。



話がそれた(汗)




つまり子供の世界というのはそういうものじゃないだろうか。

知らない世界はないのと同じ。

自分の常識の世界だけが、すべて。


あっ、でも、これは大人になってもそうだね。


ただ、子供の頃よりは世界が大きくなってるから

自分の過去を振り返り


「あの頃はなんにも知らなかったんだなー」

などと遠い目をしたりするけど…


だから、その小さな世界がほころびると悲嘆にくれる。

もう取り返しがつかないように思える。

それは「無」に帰りたい欲求「死への憧れ」を引き起こす。


ほしい物が買ってもらえず、寝転がって駄々をこねてる子供も

あれは一種の破壊行動じゃないだろうか。

本人にしてみれば、「こんな世界、ぶち壊してやる!」つもりなのではないか?



自分で積んだ積み木を自分で崩すのは別に問題はない。


だけど、それが意図しない出来事や、他人の手によって

行われると、悲しみを生む。



経験のないことが起きると、対処の仕方がわからない。

もう一度作ればいいという、たったそれだけのことがわからない。

「もうだめだーっ」と思ってしまう。


これは、大人も子供も同じではないだろうか。

ただ、持ってる世界の大きさが違うだけ。


その、「今持ってる世界」からほんの一歩外へ出てしまえば

「あの頃はなんにも知らなかったんだなー」

などと遠い目をしたりできちゃうのだ。



そして、持ってる世界が小さければ小さいほど、

未来と可能性が大きい。


だから子供の自殺は悲しい…





以前、わりと社会のズンドコに属する会社にいたことがある。

元その筋の方がシャチョーのピンハネ稼業…

いや、人材派遣&産廃処理屋さん。


自分の親ほどの歳した大人たちが

自分の今までの常識ではとても測りきれない行動をする。

目がテンになりながら、「こんなんでも生きてていいんだ!」

と、教えられもした。



そこで知り合ったおじさんが教えてくれた言葉が


「シャバで出たもんは、シャバで収まるから、死ぬこたぁーない」 だ。


割といろんなところで働いたけど、ここで学んだことが一番濃かった気がする。

自分の常識からかけ離れていればかけ離れているほど、

世界が拡充するからだ。




「あなたの常識」 と 「私の常識」 は、違うのだ。

私たちはみな、その 「自分の常識」 の周りでしか生きていない。



でも、その外側にも、「世界」なんていくらでもあるのだ。


「今の世界」 で生きにくければ、ホンの少しはみ出してしまえばいい。


そこにもちゃんと「シャバ」はある。

そして、そこでちゃんと「収まる」んである。



群青色をなめるでもいい、会社をサボるでもいい

とにかく今まで「こんなことゼッタイやれない」と思ってたことをやってみて。


はみ出す気力があるうちに、ぜひはみ出してください。

ガス欠になってからじゃ……

大変だったでしょ?クルマでも (´▽`;)




そして、ぜひ子供には、早めに 「広い世界」 を見せてあげてほしい。

キレイに整った世界じゃない、

こんなんでも、あんなんでも、生きていけるんだということを

できるだけ早く教えてあげてほしい。


でも、これはきっと親にはできない。

キレイなお手本しか見せたくない親にはできないな。


その外郭団体である、親戚と触れ合う機会が少ないのも不幸だな。



いわゆる 「失敗大人」 のサンプルが多ければ多いほど


その子供は絶対に 「生きやすい」。


そんなレッテルは何の意味もないってことは あとからちゃんと分かる。



本当は、修学旅行や職業体験で

公園や河川敷のブルーシートのおじさんちへ

一泊したらいいんだけど…うむむむむー。ないだろなー