3月23日(水)

 この大震災ではっきりわかっていることは、あまりにも多くのものを失ったことだ。そして同時に、誰も得をした人間がいないということ。けれど、だからといって生き残った人々がこの先、いつまでも「ここ」に軸足を置いたままくよくよと生きていくわけにもいかず、それはきっと誰もが――自分こそがいちばん、というくらいの気持ちで――わかっていること。


 「ないものを嘆くのではなく、今あるものをよろこび、感謝すること」。これは昔たまたまどこかで見つけた教訓の主旨で、なるほどこの考え方! と目から鱗が落ちた。今回の被災者に向けて、「失ったものを嘆かないで」とは口が裂けてもいえない。また、「ホラ、残ったものをこそよろこびましょうよ」とも。たとえばふだん、「底抜けに前向き」ではちっともない僕が、そんな「借りてきたポジティブ」でもって励ますことは、単なる「ポジティブの押し売り」に他ならない。中途半端なポジティブほど人を不快にさせるものはなく、だから心の底、どこを掘ってもそれが湧いてくる、という場合でない限りは、ポジティブを喧伝する資格はないと思う。だから、それでもまだ少し顔を上げきれていない僕に、被災者の前でエイエイオーと鼓舞する資格はない。


 だから、ひっそりとここで、「苦難の中で光り輝いたこと」について考え、記しておきたい。つまり――とかく語弊を招きやすいから慎重になるが――、震災に屈しないよう懸命な日々のそこここで、光り輝く「人間のすばらしさ」がたくさん見つかった。人間の眠っていた力が呼び覚まされたと見ることができ、各々にそれが開眼したことは、また、周囲がそれを知っていることは、これから先の世界を大きく好転させる出来事になったと思う。くどいようだが、手放しでよろこべることではない。けれど、今回の事の上に立ち、これからも生きていくのならば、ここで光を見つけたことはとてつもなく大きなことである。


 極限状態で、それでも維持された日本人の秩序や献身、思いやり、助け合い、使命感などはすでに世界各国から激賞され、恥ずかしがり屋の日本人はしかし今回ばかりは謙遜することなく堂々と「当然です」と胸を張る。僕個人としても、そんな今回の日本人の「生き様」は驚くばかりで、すごい、とか立派だ、とか一言に集約することはできずただただ「なんなんだもう!」と枕に顔を埋めて叫びたくなる。


 列をつくって守るとか、避難所でもすぐに体制を整えそれに従うとか、我が身を省みず職務を遂行するとか、これらはすでに、そしてこれからも世界中で語られることだろう。今日僕は有名なそれらについて書くことはしないでおく。その代わり、「すごい輝きだ」と息を呑んだことについて記しておきたい。


 それは、募金への取り組みである。今回、事が発生してから「あ、募金が必要だ!」と誰もが一瞬で理解した。そして、決して少なくない額を送ることに誰も二の足を踏んでいない。また、発言力のある著名人が、「強要」ではないと示しつつも、「自分にちょっと負担となるくらいの額の募金をお願いします」とほのめかしていた。「募金で重要なのは、その額ではなく、心だ」とはおそらく世の中の通念としてあったことだ。それが今回、極端にいえば逆転した。事はそんな「逆転」を必要とせざるをえない状況だとはいえ、人間が正しい思いのもとでこの殻を破ったことは、うまくいえないが大きな前進になったと思う。


 目に見える形として、被災者が再び立ちあがり、被災地が復興してきたとき、そこを中心に人々は「殻を破った」人々としてはじまる。それはすごくたのしみなことで、ぜひ早く見たい。しかし焦らずに、今はまだその気持ちを絶やさずいることだ。僕は僕として、僕のすべきことを――春眠に負けず――がんばるだけ。