10月31日(日)

 ブログにはだいたい、その日、ワープロ(パソコン)に向かったとき最初に頭に浮かんだ事柄について書こうとする。ときどき失敗して一からまた別の事柄を題材に書くこともあるが、いつもたいていそれでうまくいく。そして、頭に浮かんだ事柄というのは、その日に特に意識して考えたものが多い。それでいえば、今日は珍しく具体性を伴った内容になりそうだ。


 思い、考え、そして至ったことはこれだ、「意見はハッキリと言葉にしなければならない」。今日はとにかくそれに尽きる。


 来たるあるイベントに向けての重要な会合がなされた。きちんとまとまった時間が取れるのは今日が最初でおそらく最後。自己紹介もほどほどにし、僕らは次々と意見を出し合い吟味して、取捨選択をしていかなくてはならなかった。


 初対面の人たちと協力して考えをまとめあげなければならないことは、これまでに何度か経験してきた。その度ごとに個人自己採点では不本意な結果に終わってき、さすがにとことんまで馬鹿ではない僕だから、そんななかから学習のひとつくらい当然ある。


「積極的に参加する」。これに尽きると思い至り、次もしそんな機会があったなら必ずや、と臥薪嘗胆してきた。そして今日だ。ひそかにたぎるモチベーションの火は、ちょっとやそっとの降雨では消えやしない、消せやしない。


 その結果あってか、展開する議論のジェットコースターに気づけば振り落とされていたなどということはなかった。これまでのどれよりも積極的に参加はできていたかもしれない。しかし、である。それで得るポジションは「同じスタートラインに立つ」であり、ようやく同じ土俵に上れただけに他ならない。もう一度いうが、しかし、である。


 自分ときたらなんだ、すこし詰めきれていない意見をいうときなどは、声は小さくなりがちで語尾はもぞもぞと自分でもよく聞き取れない。フランス人でもあるまいに。それをするくらいならば、ハッキリと「わからない」とでもいったほうがましである。いや、「わからない」という貴重な歯車が加わることにより回りはじめる展開もあるぶん、よっぽどいい。


 それ以前に、「わからない」などはなるべく出す意見ではない。無駄なく次々決定していく会議などは嘘だ。「わからない」や「どうする?」からは、往々にして「わからないよね」や「どうしよう?」しか生まれない。それならば、少々とんちんかんな意見でも「ハッキリ」と投じてみることだ。そうすれば、あるいは場が和み、固くなりすぎた頭がほぐれるかもしれないし、あるいは「その方向はありえない、ならば逆だ」と進むべき方向があぶり出るかもしれない。「ハッキリと」さえ意見を投じれば、まったく箸にも棒にもかからない「駄意見」には縁がないはずである。ただし、きちんと積極的に参加できていれば、の話。


 ともかく今回は、これまでのように適当にやり過ごせばいいものではない。親愛なるふたりのしあわせな一日は、自分たちにかかっているといっても過言ではない。肩肘張りすぎても空回るだけだが、責任をもってやりきろうと思う。そこで大事なのはやはり、意見は最後までハッキリ口に出すこと。音楽や映画、小説とは違うのだ。フェイドアウトあるいはうやむやにして相手の想像力に投げかけることは逃げである。ヨシこれは理解した。15分で書きあげた衝動的なブログをここに置き、ともかく忙殺の最前線に戻ろうと思う。