何とかなるのさ♪ -2ページ目

何とかなるのさ♪

主にアンケートの内容になるかもデス。
たまに毒舌入ってますw

お互い電話のすれ違いで、出られない事が増えてきた。

音に敏感な彼は電話の音を常に切っていたから運良く取らなければ掛けても受け取ってはくれなかった。

最後に掛けてきてくれた日、ちょっとうたた寝していた間のほんのつかの間だった。ほんの1回だけ掛けてきてくれていたのに、その後何回掛けても繋がることは無かった。

そして12月4日、流石に身体が限界となってきた彼は母に連れられて病院に行った。

その朝早くに胸騒ぎがしてお母さんにもしかして体調悪くなって病院へ行っていませんか?胸騒ぎがしたのでと伝えると、「今日入院しました。相部屋なので電話もしないで下さい。本人が出来るようになったらすると思うので。面会にも来ないで下さい。」と取り付く島もない口調で切られてしまった。

ただひたすら待つしか無い。そう言い聞かせながらも、もう二度と会える事も電話がかかってくることも無いと予感していた。


そして12月22日。私の本当の誕生日、朝方3回も金縛りに会い、布団をめくっては足をくすぐったりと言う体験をした。

あぁ、よりによって私の誕生日に逝かなくても…確定はしていなかったが、多分、恐らくと言うか、確信めいた気持ちでいっぱいだった。

彼の退院後初の受診の日、一緒に行く約束をしていたのに、混乱していた彼は私が行ける事を忘れており、母と受診に行った。

私はそれを聞き、もう一緒に行く役はお役御免なんやろうか?もうお母さんと行く事にするのかなぁ。とLINEを送った。こちらとしても寂しい気持ちでいっぱいだったのだが、あまり駄々を捏ねるような歳でもない。お母さんも弱って来ている息子の姿を見て少しでも自分が関わりたい、でも診察室には決して入れては貰えないのだけれど、診察室に入れる私に怒りと言うか複雑な気持ちでいっぱいだったのだと思う。私自身は少しでも詳細をお母さんに伝え現状を知り心の準備を進めていって貰えたらと言う気持ちでいっぱいだった。そこが親子の関係に土足で踏みにじっていたとも気付いて居なかった。

お互いを知るには職場で仕事をしている間では少なすぎ、接点が少な過ぎた。

彼からはお互いを知るために電話で一晩中話し合った日も多かった。

仕事に対する姿勢や考え方、施設の運営をしてきた彼にとって私は稀有な存在だったようで、もっと早くに会いたかったと自分の残された命の短さを悔やんでいた。

そのうち、病院へ着いてきて欲しいと言うようになってきた。

自分の母には現状を伝えるのはあまりにも残酷な内容が故に自分でさえも耳を閉ざしてしまい、聞いたことを母に伝え、そして自分にも詳しく教えて欲しいと。

理解する力が段々と衰えてきている、そう、病気が進行してきていたのだと知った。