コミュニケーション | ほんのうみ

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人とコミュニケーションを円滑に取るのは大切だ

コミュニケーションを通して繋がっていくわけだし

仕事上でもコミュニケーション能力は重宝される

分野を問わず必要であると思う




某所で人間はコミュニケーションをとる時に五感を利用するという記事があった。



人間は「見る」「聞く」「感じる」力を使い判断をする

もちろん人間なのでこれらの能力を複合利用するが

どれを優先しているかは人それぞれ違うという話だった。


実際私は

絵にできる「見る」

体験や感情から「感じる」

という二つのコミュニケーション能力者(?)であるが、答えがひとつの情報を求める「聞く」という能力には弱い。

聞くというのは話を聞けるどうのではなく、耳からはいる情報を処理するかどうか、である。

人の表情とかふるまいを「見て」判断をする、雰囲気で「感じて」判断はできるけど、聞こえてきた言葉(情報、記号)を「聞いて」処理、判断するのは弱いのだ。

だから逆に他者に言葉のみで言いたいことを伝えるのも弱い。


感情が溢れてきてもそれを相手に伝える言語処理がうまく出来なくて、同じ見る&感じる者同士なら多少うまくいくけど、聞く者とはやりとりがかみ合わないのだ。
顔を見合せて会話するとある程度大丈夫なのだけど言葉のみの電話だとうまく喋れない。

ブログを長々とかいていてなんだが、実際には本当に言いたいことがきちんとかき切れていないはがゆさは常にある。


他者と話すると、この言葉をどういう意図でいってるのか、という事を雰囲気や振る舞いで判断してしまい、そのまま相手の言葉を素直に情報として処理していないし

逆に自分は論理的会話が求められてる相手にはまったくうまく話せないのだ。

例えばそれが相手と顔を合わせた状態なら、表情や空気から読みとったり信号を送れるかもしれないが、言語だけの電話だと難しくなったりする。

特に意識して気づかなかったけど、改めて思い出すとその傾向があるから面白い


たとえばお店に入ったとき、店員さんの顔や、格好や、しゃべり方なんかは無意識のままチェックしているが、実際店員さんが説明した内容はまったく聞いてない。「店員さん可愛かった!」「しゃべり方がきれいだった」と気付いても、「あれ、ところで今、本日のランチなんていってたっけ?」という具合なのだ。



恋愛で言えば

「君のことが好きだ」といわれて

そのまま「あ、好かれてるのか」と思えるのは耳を使う「聞く」コミュニケーションタイプの人

びっきりの笑顔がついてて「好かれている」と思える目を使う「見る」タイプや

言葉以前に・・というか、言葉なんていらないから条件が揃い空気から好かれているという実感を空気から「感じる」タイプなど・・



逆に言えば聞くタイプには言葉で

見るタイプには見えるもので

感じるタイプには感じるものを与えれば

相手は喜ぶということかもしれない。



相手から好かれたいと思った時にプレゼントを奮発したり見た目を磨けばいいと思うのは見るタイプ

とりあえずラブコールで主張しまくる聞くタイプ

アタック行動に出る前にイメージ・雰囲気作りや相手の感想がなきゃとにかくだめな感じるタイプ・・・



これって相手が自分と同じに違いないと決めつけてるから


「最高のアタックしたはずだけどなにか噛み合わない!」

「なんで私じゃだめなんだろう??」

となるのかもしれない



しかしコミュニケーション能力云々というよりも、これはどちらかというと恋愛のテクニックである。




では、どうしたらコミュニケーション能力つくのか?



コミュニケーション能力育成とかいっちゃうといかにも自己啓発本を読み漁る貪欲大学生みたいだが、あえて考察するならば、意外とHOWTO本にかいてあるようなオウム返しどうの~みたいな技なんて少しでも頭のいい人からみると、その薄っぺらさ、マニュアルっぽさは見抜かれると思う。

コミュニケーション能力は上記の「五感」を利用し相手に合わせるという手もあるがどちらかといえばそれは恋愛においてのやりとりなので一般的にいう、対人関係のコミュニケーション能力のつけかたとしては

「良いコミュニケーションとは、自分を押し通すものではなく、相手を受け入れるものだと認識する」

これは、あたり前のことであえて言うほどではないようにみえるが、意外と意識できている人はあまりいないと思う。


良いコミュニケーションのためには、まず自分の言動を正しくしようとする人が多い。

しかし、その姿勢自体が間違っていると思う。

自分の良さをアピールすれば相手に好印象を与えられる・・それはそうだが、それだけではだめなのだ。


むしろ、本当に好印象を与えれる自己アピールはひどく難しい。場合によっては嫌みになったり自己過信さがあざとく見える。


中学校の時に一か月だけ交際した男の子が、頭良くていい人だったんだけど

とにかく毎日話を聞かされた

人生観、恋愛観、趣味、家族・・・

彼はとりつかれたように話をした

アピールされるのは嬉しい反面、少し疲れてしまう


ある日ふと気付いた


こんなに毎日何時間も話をしているのに、自分の話はまったくしていないと

たまに質問は投げかけられるのだが、あくまで彼の話すメインの話題のオプションとして付随されているだけで

この人まったく私を知ろうとしていないと・・彼から私自身を引き出されなかったのだ。

結果的にいい人だけど、ごめんなさい、という展開になり幕を閉じた


だから、良い印象を持たせようとするため、自分の良い部分をアピールするよりも、相手に興味を持ち、相手の良い部分を引き出す方が結果的に自分の印象を良くするのだと思う。



コミュニケーションは自分の考えを出すのではなく

あくまで相手を受け入れる行為なのである。


聞き、理解し、そして受け入れる。


立場でいえば、相手ありきの自分の存在という捉え方。

(ここでいう「聞く」はさきほどの五感の聞くタイプの「聞く」とは別である。

ここでは純粋に人の話を聞くという意)


自分が出来ているかはわからないけれど

私はどんな相手であれまず初対面で興味を持って話を聴いている節がある。

「なにからでも学べ」「なににでも興味がある」だけなんだけど。


でもそれはテクニックとして取り繕っているわけでもなく、

違う世界の住民、というものに異常に惹かれるので

自分と違う境遇や年齢、考えを聞くという事が純粋に楽しいのだ。

だから仲が深まったあとはともかく、初対面、またはそれに近い関係の人にはとにかく聞き手に徹する。


ちなみにあくまで人間同士であり、さきほども書いたが恋愛にはこれを代用出来ない気がする。

それこそ「好み」があるので。

自分の恋愛に置き換えてみても、条件とか人のレベルの高さなんて、言うほど求めてないのだ。

その時、まさにしっくりきた関係、そういうのが恋愛であるから・・・

恋愛は頭の良い人がいい人もいれば、ちょっぴりぬけてる人がいいという人もいるし

会話をぽんぽんやりあえる人より、ミステリアスな寡黙な人が好まれる場合が多いし
こう思うと改めて恋愛というのは正しい対応というのはないなぁと思う

だから恋愛のマニュアルって無意味だな、と。

しかし恋愛も人間同士のやりとりの延長なのだ。

友情から入る恋愛や、友情のような仲に変化していく恋愛もあるだろう

だからどのみち人間関係にはコミュニケーションが大事ではあると思う。

しかし、それはすべてではないということで。



ちなみにこれを実践しようとして、マニュアルのように「ひとの話をきくようにする」

と無理してもそれは、どうであろう。

少なくとも私はわかる気がする。


この人無意識にわたしの話を聞いてくれている、と思う場合と

この人意識的に話を聞く姿勢にしてるんだなと思う場合がある

別にどちらも好印象なんだけど、どちらかというと前者のが仲良くなりたい

コミュニケーション能力と、コミュニケーションスキルは別モノだと思う



私はコミュニケーション能力はある方だと思う

きっとネットでのわたししか知らない方には、え、自己主張強いじゃんと思うだろうけど・・

ネットはあくまでわたしのアウトプットな場なので、自分中心なのは否めない
けれど自分の普段の生活において、上記のコミュニケーション力は実践されてると思う

それはけっして計算してるわけではなく(そんな器用じゃない)純粋に人の話を聞くのが楽しいから

その変なくせが結果的に良い結果を招いたのだろう


人を受け入れるという行為を楽しむといいのかもしれない
人と人の繋がりが希薄な今だからこそ。



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