おばあちゃん…天国へ。 | ミチュミチュ〜日記代わりのセキララ備忘録〜

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日日是好日
よろしくお願いします。
 

7日の水曜日、
祖母の具合が悪いと叔母に聞いてから
たったの2日。9日の金曜日

朝仕事してると、母から電話。

「おばあちゃん…
今日の夜中に亡くなったって。。。」

深夜0時叔母から母に電話が掛かってきて

病院から危篤の知らせがあって駆けつけてた
叔母が、最期に祖母に母の声も聞かせたいと
携帯ごしに、母も祖母に声をかける事が出来たみたい。

最期は

苦しまず、すぅーっと
息を引き取ったみたい。
良かった。おばあちゃん苦しまなくて。

ずっとおばあちゃんを見続けてくれた叔母が
「本当にモモさんよく頑張ったねー」
と。

金曜に枕経をあげてもらって土曜お通夜で、日曜が告別式となりました。

金曜、

母から電話があって、すぐに
飛行機のチケットを皆で検索したけど
金曜当日は、仕事してる時間しか飛行機ないし
土曜は、通夜が終わってから着く最終便の
飛行機しかなかった。。
宿泊するホテルや旅館も三連休で全部
「×」宿泊施設も空いてないえーん


祖母宅は、福岡の叔母夫婦が泊まっていたし
叔母宅もメチャ広いから全然泊まれるけど、

叔父も叔母も
通夜や葬儀の準備で慌ただしいのに、これ以上煩わせたくなかったので、

日曜の朝イチの伊丹空港↔鹿児島空港間の便の飛行機チケットと最終便を即効予約。
あと、レンタカーも。

金曜は夕方まで仕事があって
帰宅してから熊本へいく
準備。。といっても
日曜に義母の三回忌で喪服は出してたし、あとは香典袋の用意と
土曜に、髪がのびて白髪染めしたいっていう
母の白髪染めをするくらいやけど。

また、こんなにすぐ
「喪服」
を着ることになるなんて。

祖母の葬儀は
結局、母、私、弟、妹夫婦の
5人で帰る事になりました。

相方さんは三連休ずっと仕事。
ウチの子達は、ひい祖母ちゃんの葬儀にでたいと言ってくれたけど、

ひ孫で来るのは熊本の叔父の所だけだったので、今回はいいよと言った。


私は祖母にとって「初孫」うちの子供達は
「初ひ孫」
相方さんと結婚して何回熊本に帰ったかな。

子供達が小さい時は、おばあちゃんも
つれて鹿児島に旅行に連れていったり、
子供達が幼稚園、小学校、中学校ずっと
行ってたな。

思えば、
1995年ばあちゃんのお誕生日に結婚式を
挙げた時も駆けつけてくれて
その時すでに74才。今の母より4つも上。
旅行にツレテ行った時も、とっくに80才を
越えてた。。
でも、霧島ホテルの屋内プールのような
露天風呂に一緒に入って、私達でもお腹が苦しくなるくらいの立派な懐石料理も全部食べてた。

祖母は97才で静かに苦しまず生涯を閉じたけれど、92才まで、自宅で一人暮らしをして

施設に入所してからは
病院や老人ホームに転々としたけれど

とても元気で優しい可愛い
おばあちゃんやった。
 

おばあちゃんが、ほんまに私のおばあちゃんで
良かったと思う。
 
私の子供の頃の思いでは
夏休みは七月は父の会社の従業員を引き連れて
日本海へ海水浴
八月は、熊本の祖父母の家に遊びに行くと
いうのが通例だった。

熊本の祖父母宅は
実は母方だけではなく 
父も同じ町内だったので、父方の祖父母の
家もあり泊まるのは父方の祖父母の家だったけど、

ほとんどモモちゃんばあちゃん家にいた。
子供は敏感でよく分かるから。
優しくて、心の、そこから
可愛がってくれた母方に入り浸るのは
必然だったと思う。

おばあちゃんの思いで話をかけば
いくらでも書けるくらい思いでが
あるけれど、

今はただ
天寿をまっとうしたおばあちゃんを

悔いが残らないよう
おばあちゃんを想って
最期を皆で送ろう。

行ってきます。