日本において,登頂がもっとも難しい山として“剣岳”が挙げられるそうだ.空海が草鞋3千足をもってしても登頂できなかった山という伝承があり,立山修験という信仰対象なのだという.
本格的に登頂を目指したのは明治40年,陸軍の命による陸地測量の測地点を設置するための登山であり,登頂のみを目的とする日本山岳会との競い合いのなか様々な困難を乗り越えて測量隊が山の頂に到達した.
有史以来,悲願の初登頂であったがそこで測量隊は錫杖を発見する.これはかなり以前に修験僧が一人以上,登頂を達成していたことを意味しており,大本営はその“偉業”を認めなかった.
世界最高峰といえばエベレスト(チョモランマ)である.
私には経験がないが,標高8000メートルから先は“デス・ゾーン”と呼ばれており,そこにいるだけで命が秒単位で蝕まれるという.そのため1953年に初登頂者となったテンジン・ノルゲイとエドモンド・ヒラリーは7000メートル付近に最終キャンプを置き,そこから山頂に向かっている.
彼らよりも30年ほど早い1924年,ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンが山頂に向かったまま行方不明となった.ジョージ・マロリーは記者の質問に対して「そこに山があるから」と言った人物だ.
通常,エベレスト山頂へのアタックは早朝から開始され,正午までには引き上げてこなければ暗闇とクレバス,雪崩の危機に直面する.真っ白な雪に覆いつくされているため目を保護するサングラスは必須で,これは直射日光の下でノートや画用紙を見つめれば私たちにもわかる.
時を経て1999年,8100メートル付近でジョージ・マロリーの遺体が発見された.
8000メートル以上での遺体は腐敗することなく,ジャケットの刺繍によってそれがマロリーであることを確認できた.
一方のアーヴィンについてはいまだに遺体は未発見のままだ.写真にあるようにマロリーの腰部にはザイルが巻き付いていて,擦過痕があったという.これはアーヴィンとマロリーがザイルで結ばれていたことを示しており,マロリーが滑落した証拠となっている.
彼のジャケットのポケットからはサングラスが発見された.サングラスが必要なくなった,ということは日没後に登頂を目指したか,または下山を開始した可能性がある.常識的には後者だ.
何らかの理由で日没近くまでそこにいた,という仮説が成り立つ.さらにいえばアーヴィンのアイスアックスがファーストステップで発見されている.最終キャンプ地から「2人がセカンドステップ(より山頂に近い位置)にいるのを見た」という証言から,アーヴィンは下山中のなんらかの理由でアイスアックスをファーストステップに突き刺したことになる.
また撮影用に持って行ったコダックのカメラは発見されていない.さらに「登頂したら山頂に置いてくる」といった妻の写真は,山頂でもポケットからも発見されなかった.わかっている事実は最後までアーヴィンとマロリーは命綱で繋がれていて,日没後に滑落した,という事実のみだ.
◆生きて還るという意味
私は登山の趣味はないが,ボルダリング,フリークライムをやっている.指に松脂をつけて岩場を登るアレ.賛否あるだろうが命綱を装着するのは「練習」であり,本番ではまったく自身の力のみで岸壁を登る.
まったく的外れかもしれないが,生きて還るからこそその意味があり,仮説としてすでにマロリーとアーヴィンが初登頂者であったとしても,生きて還らなければいけないのだ.偉業というのは生きて還ってこそ成り立つのではないかと思っている.
岩登り初心者のころ,先輩方に「やめたきゃやめていいんだよ.そのかわり自力で来た道を降りなければならないよ」といわれた.半泣きしながら恐怖と闘ってどうにか登頂したときの達成感.人間,死ぬ気になればどんな壁でも登れるものだなと思う.
伊豆の家に滞在するとき,かならず登りに行く岸壁があるのだが,同行した生徒や知人がかならず聞いてくるのが「なんで登ろうと思うの」.
――― そこに壁があるから.