23年目の阪神・淡路大震災の日。
まだ昏い、でも暖かい夜明け前。
震災発生の5時46分、
テレビに向かって黙祷を捧げました。
毎年この日が巡ってくると、
震災で突然の喪失を味わった方々に
思いを至すと同時に、長い間ずっと
胸から離れない感情がありました。
「名前のある死者」に対して、
ズルイと思ってしまう気持ち。
大震災などの犠牲者は名前が残り、
その日は日本中で悼んでもらえる。
だけど、不慮の死を遂げた私の親友は
悼んでもらえることはない。
大多数の人にとって、「名前のない死者」。
事故や病死や自死の遺族がそうであるように。
たとえば「自死者年間3万人」の数字の中のひとつになってしまう。
喪失の痛みは同じはずなのに。
同じ死者なのにどうして? と。
もちろん震災遺族の方には
それぞれの痛みがあり、
十数年間経ってからフラッシュバックに
苦しめられることがあるのも
知っています。
自分の感情が非常に勝手なものと
承知しているのですが、それでも
湧いてくるのはどうしようもない事実で。
ですが、今年は、気づくと
その感情から自由になっている自分がいました。
いままで16年もの間、
自分のグリーフワーク(喪失のケア)が
不十分だったということに、
改めて思い至りました。
◆◆◆
今回、この「喪失と再生・
もえつきからの回復」の
文章を書くことによって、
喪失によって失ったものと得たものを
再確認することになりました。
16年前、親友を喪ったことによって、
もう一人の親友を得ることになりました。
今回、このお題取り組むことを後押し
してくれたのも彼女です。
そして、10年以上前の文章まで引っ張り出して
形にしたこの一連の記事に対して、
1度もお会いしたことのない方々を含め、
何人もの方から、沁み入るような共感や、
望外の感謝の言葉をいただきました。
亡くなった親友が私に与えてくれた最大のもの。
それが今の親友と、新しい繋がりでした。
道は自分で切り開くしかないけれど、
夜空を見上げるといつも北極星が
変わらずそこにあるように、
亡くなった親友に護られていると感じる。
それだけでもう充分幸せなのだと、
今は思えます。
それを告げた時、
現在の親友が贈ってくれた言葉を
忘れないように記しておきます。
「船出しましたね。
この思いがどの港に着くのかはわかりませんが、
見届けましょう。
あなたの中で紡いできた思いが、
いつか誰かを包む布になるように祈っています。
正しき道の歩みと信じる道ならば、
峠の登り降りもその道に続く一歩で
ありますように。
「通りすぎてみないと幸せだったことは、
解らないのだといつも思います」
今日は、今年最初の新月。
新しい習慣を始めるには最適の時期。
そして自分の誕生日でもありました。
読んでくださってる皆様の存在を力に変えて、
次のステップに進みたいと思います。
皆様にとっても幸いある日でありますよう。
byしゅくらむ
「しゅくらむ」は、アラビア語で「ありがとう」を意味しています。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!!
↓もしよろしかったらポチポチツと押していただけますと励みになります↓
にほんブログ村
ADHD(注意欠陥・多動性障害) ブログランキングへ