永訣の日、

親友が既にこの世を去っていたことを知らずに、

彼女に贈ろうと準備していた自作の詩です。



元は宮沢賢治に傾倒していた

高校時代に創った代物なので

気恥ずかしいのですが。


いま繋がりを実感しているすべての方々に

贈らせていただきます。



▼イメージはこんなカンジです

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***********





【我らを繋ぐ、澄んだ無窮の確かさを。】









想いは


唇にのせるより疾く 真っ直ぐに

彼方の 彼の人へ 向かっている






我々は 


第三次元上の最短一直線上の二点だ







海原を往く海人が

沙漠を渡る隊商が


仰ぎ見た漆黒のその先に

変わらぬ光を見たように



 




幾星霜 幾光年の闇を穿ち

夜を貫き地上に届けられた

今は既に存在しない星々の

繚乱たるその光明に導かれ







振り仰ぐ その先に感じる


延べた この指先に伝わる



真空の光年とのあまりにも確かな連なり









いま、此処に立ちて 受く


ただ、此処に在りて 識る










我らを繋ぐも隔てるも




ただ 無窮のみ












*******





byしゅくらむ

  

「しゅくらむ」は、アラビア語で「ありがとう」を意味しています。

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23年目の阪神・淡路大震災の日。

まだ昏い、でも暖かい夜明け前。


震災発生の5時46分、

テレビに向かって黙祷を捧げました。



 

 毎年この日が巡ってくると、
震災で突然の喪失を味わった方々に
思いを至すと同時に、長い間ずっと
胸から離れない感情がありました。



「名前のある死者」に対して、
ズルイと思ってしまう気持ち。





大震災などの犠牲者は名前が残り、
その日は日本中で悼んでもらえる。

だけど、不慮の死を遂げた私の親友は
悼んでもらえることはない。

大多数の人にとって、「名前のない死者」。
事故や病死や自死の遺族がそうであるように。

たとえば「自死者年間3万人」の数字の中のひとつになってしまう。



喪失の痛みは同じはずなのに。
同じ死者なのにどうして? と。





もちろん震災遺族の方には
それぞれの痛みがあり、
十数年間経ってからフラッシュバックに
苦しめられることがあるのも
知っています。

自分の感情が非常に勝手なものと
承知しているのですが、それでも
湧いてくるのはどうしようもない事実で。






ですが、今年は、気づくと
その感情から自由になっている自分がいました。





いままで16年もの間、
自分のグリーフワーク(喪失のケア)が
不十分だったということに、
改めて思い至りました。





◆◆◆





今回、この「喪失と再生・
もえつきからの回復」の
文章を書くことによって、
喪失によって失ったものと得たものを
再確認することになりました。




16年前、親友を喪ったことによって、
もう一人の親友を得ることになりました。


今回、このお題取り組むことを後押し
してくれたのも彼女です。



そして、10年以上前の文章まで引っ張り出して
形にしたこの一連の記事に対して、
1度もお会いしたことのない方々を含め、 
何人もの方から、沁み入るような共感や、
望外の感謝の言葉をいただきました。





亡くなった親友が私に与えてくれた最大のもの。
それが今の親友と、新しい繋がりでした。





道は自分で切り開くしかないけれど、
夜空を見上げるといつも北極星が
変わらずそこにあるように、
亡くなった親友に護られていると感じる。



それだけでもう充分幸せなのだと、
今は思えます。





それを告げた時、
現在の親友が贈ってくれた言葉を
忘れないように記しておきます。




「船出しましたね。
この思いがどの港に着くのかはわかりませんが、
見届けましょう。

あなたの中で紡いできた思いが、
いつか誰かを包む布になるように祈っています。


正しき道の歩みと信じる道ならば、
峠の登り降りもその道に続く一歩で
ありますように。



「通りすぎてみないと幸せだったことは、
解らないのだといつも思います」








今日は、今年最初の新月。

新しい習慣を始めるには最適の時期。

そして自分の誕生日でもありました。



読んでくださってる皆様の存在を力に変えて、
次のステップに進みたいと思います。




皆様にとっても幸いある日でありますよう。




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▲昨晩の新月直前の夜空




byしゅくらむ

  

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人はみなそれぞれの時期に、

人生の危機を迎える。

 

おそらく私は30代の危機を経験

したのでしょう。

 

 

「これを越えたからもう大丈夫、

私は悟りを開いた」なんてことは

ありえない。

 

 

 

そして今回、40代の危機は、

立て続けの死を巡るダメージが

過剰に大きいことから、

グリーフワーク(喪失へのケア)が

まだ十分ではなかったということに

気づかされる契機となりました。

 

 

 

そして多分、50代には

50代の危機があるのでしょう。

 

 

 

大変だとは思いますが、

乗り越えていくのは自分次第、

少なくとも自分の中には

その力があると思える。

 

それは自分が個人的に強くなった

ということではなく、

最後の一線で踏みとどまらせて

くれたのは、他者との紐帯でした。

 

結局は、それに尽きると思います。

 

  

 

 

16年前、親友を喪ったことによって、

もう一人の親友を得ることになりました。

もえつきの長いトンネルを抜けた時に

彼女がいてくれました。

今回、この「喪失と再生」のお題に

取り組むことの後押しをしてくれたのも彼女です。

彼女がいなければここまで来れませんでした。

 

 

亡くなった親友が私に与えてくれた最大のもの。

それが今の親友と、

そして自分自身の生きる方向でした。

 

 

 

 

◆ ◆

 

 

 

一所懸命やっても報われず

人を恨むのも嫌ですが、

だからと言って、

何もかも思い入れず深入りせず

フラットにただ生きていくのも

つまらないし、第一、

自分はそれには耐えられない。

 

 

そもそも社会活動を始めたのは、

「泣き寝入りを強いられている人が

いる限りは自分も幸せになれない」

と思ったからでした。

 

自分が幸福に生きるために

必要不可欠な要件だったのです。

 

だから活動によって不幸になったら、

本末転倒なのです。

 

その原点に戻って、

自分の幸福追求権の行使として、

もえつきないように

活動を続けていきたいと改めて思います。

 

 

 

 

これは社会活動に限ったことではない

ですが、政党でも行政でも企業でも、

常に無謬を旨とし、

「間違った事は決してしない。

 

万事OK」と言い続けていると、

問題が発生した時に隠蔽し粉飾し、

立ち行かなくなる。

 

失敗を隠さず、弱い己を見据えて

それを糧に変えていける、

持続可能なのはそういう内実ではないでしょうか。

 

 

 

 

そうは言いつつも、

これからも多分やりすぎては転びかけて

立て直すという繰り返しでしょうが。

 

そういう自分を認めたところで、

人生の楽しみ方が本当にようやく

わかってきたのだと思います。

 

 

 

◆◆

 

 

 

出来ることは、

そう沢山あるわけじゃない。

 

正しいことが通るとは限らない。

 

ままならない世の中で、

それでもやれること・

やりたいことはある。

 

 

 

 

これから先は、

変えられないものを変える

という自己満足のためでなく、

「変えるべき」という

教義のためでもなく、

ただ変えたいものを変えるために、

あるいは変えうるものに変えていく

ために歩んでいきたいと思います。

 

 

誰の為でもなく、誰のせいでもなく、

自分が自分自身の人生を

生きていくために。

 
 
 
 

byしゅくらむ

  

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もえつきからの回復過程で重要なのは、

人生の中で繰り返すことで学習された

行動パターンや発想のクセに気付くこと。

 

 

辿ってきた人生は変えられないけれど、

今後の行動は変えられる。

 

言い訳にするのではなく、

自分の傾向として自覚するだけで、

自分を追い詰めるスパイラルから

抜け出すことが容易になります。

 

 

 

 

◆母の生き方◆

 

 

 

生育歴に向き合う過程で気づいたのは、

「母のようにはなりたくない」と

思いながら、実は母とそっくりの

発想パターンになっていたことでした。

 

 

 


今から考えれば、

母は完全に共依存の人でした。

 




嫁姑関係で、父と父方の祖母に

30年も恨みを抱き続けながら、

「あなた達(子供)がいるから

別れられない」と、

離婚せず職にも就かず、

「いい妻・いい嫁・いい母」である

ことをアイデンティティとしてきました。

 



子供に暴力を振るうことはありません

でしたが、その代わりに、年に数回、

母自身が爪に火を灯すように貯めた

お金で買い集めた大事な食器を、

突然叩き割るのでした。

 

 



それは「私をこれ以不幸にしないで!」

という無言のメッセージを発していました。

 

 





◆「母のようには生きたくない」と家出◆


 



 

大学卒業時、就職が決まると同時に

家を出しようとした私を、母は

包丁を持ち出して止めようとしましたが、

それを振り切って飛び出し、

社会活動を始めました。

 



生きがいと仕事を持ち、

自立して生活して、

「無力で不幸な母」の存在を

とうに越えたつもりでいました。

 

 

 


 

ところが、トラブルがあったり

相談を持ちかけられると、

「なんでこんな面倒事持ってくるんだ! 

もうこんなにいっぱいいっぱいなのに、

これ以上私にどうしろって言うんだ!」

と反射的に思っている自分がいたのです。

 

 

 

それはまさしく母が発していたのと

同じメッセージでした。

 


 

母もまた、燃え尽きていたのです。

 

 

 



そして理解しました。


 

 

 


思ったほど、人と違う生き方が

出来るわけではない。

 

 




それを受け入れた上で、

それでも模索しながら、

自分が納得できるように

生きるしかないのだ、と。

 
 
 
(続きます)
 
 
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それにしても、

「何か成果を出さなくては自分は無価値」

と、どうしてあれほどまでに強固に

思い込んでいたのだろう? 

 

 

根底にあるものは、やはり

生まれ育った環境を無視することは出来ないでしょう。

 

 

 

2005年当時、

「自分もアダルトチャイルド」

というカミングアウトが

半ば流行のように取り上げられていたこともあり、

私自身、いつまでも親のせいにしたり

過去の埋め合わせで生きるのは御免だ、

と思ってきました。

 

 

「自分の家は、親がアルコールや

薬物の依存症だったわけでもないし、

暴力的な虐待を受けたわけでもない。

 

自分より凄絶な経歴の人はいくらでもいる。

 

大したことじゃない」と考えてきました。

 

 

 

実は、強硬に否認する人ほど、

その問題が根深い場合が多いようです。

 

 

 

 

 

◆「いい子でなくては存在できない」◆

 

 

 

思い当たる節はいろいろあるものの、

一番大きかったのは主要には2つ。

 

5歳の時の「見捨てられ体験」と、

その後の母との関係、でした。

 

 

 

 

見捨てられたといっても、実際に

捨てられたわけではありません。

 

ただ、5歳の時、ある日突然、

見知らぬ他人の家に預けられたのです。

 

 

 

正確には、

体が弱かった母は、弟の出産前、

5歳の私と3歳の妹の面倒まで見れず、

祖母や姑は離れて暮らしており、

なおかつ嫁姑関係が悪く、

親戚のトラブルにも巻き込まれ、

近親者に預けることができなかったため、

やむなく私だけが母の親友宅に

世話になることになったのでした。

 

当時私は、親族トラブルの余波で、

保育園でお漏らしが止まらず、

保育士からも匙を投げられていました。


母の選択は、やむを得ざる結果だった

とは思います。

 

 

 

そういう大人の事情を

事前に説明されたのか

定かではないのですが、

残念ながら、「私は捨てられた」と

刻み込まれてしまったのでした。

 

預けられた時に、

子どもらしく泣き喚いたり

追いすがったりすれば

よかったかもしれませんが、

感情の表出は一切できず、

親の乗った車が遠ざかっていくのを

ただ黙って見ているだけでした。

 

 

 

10か月後、

弟が誕生して迎えが来た時には、

それまでの居場所はなくなっていました。

 

 

 

 

それはその後、

「いい子でいなくては存在できない」

という呪いとなって、

保育園から小学校でいじめられても

休むことも相談することも出来ず、

小学校2年生の時には

心因性の心臓疾患になり、

自宅で一瞬意識を失って、

救急車で運ばれかけました。

 

通常は高校生くらいで罹る

「成長を拒否する病」なのだそうですが、

すでに7歳で人生に疲れていたのかもしれません。

「親の覚えのめでたい、

手間のかからないいい子」が

維持できなくなった時、

 病気という形で表出したのでしょう。
 
(続きます)
 
 

  

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