「あなたのことを信頼できなくなった」そう言われて傷ついたら、「自分が自分を信頼していないのだ」ということに気がついてください。


もちろん、人として、交流のあった相手に

そんなことを言われたら、とても悲しいですし、困惑もするかも知れません。

ですが、あなたがもし、その人を傷付けようと思って何かをしたのではなないとしたら、

「信頼がなくなる」ということは、実は起こらないのです。


どういうことかというと、たいていは

半分は『相手の心の作用(防衛機制)で、あなたに対する「理想化」が反転した』ということなのです。


人も出来事も、それを体験している人の心のフィルターを通して解釈されています。


なので、一方が「100%信頼を失う」ということは成り立ちはしないというのが本当だということです。

そこには必ず、その人の過去の体験や事情による枠組み(加工メガネ)があります。


多くの場合は、その関係性は親やきょうだいとのものが反映されていたりします。



だから、

本当はそういったことが起きたなら、

お互いに‘’自分に何が起きていて、何を再現しているのか“を話し合えることが一番の理想

(○○シップ)であり、その出来事そのものは

「それがしっかりとできれば、その課題をクリアできます。さあ!今よ!」という合図なのです。


ですから、そのことに

必要以上に影響されてしまう自分がいたら、

それは過去に起こった何かで作られた枠組みが仕掛けとなって、その感情が発動しているということなのです。


「相手からの信頼を失う=自分のアイディンティにどのように関係があるか」

そこを紐解く必要があります。



例えば、講師をしているAさん

「あなたの言動に傷付いた。」と、距離を置かれてしまいました。


そのAさんの場合では



いつかの日に、誰かを傷つけた事に気がつかなかった自分を許してはいけない。


二度とそんなことを

自分にさせないように、よく見張らなきゃ


皆が見ている、理想の自分をやり切らなきゃ


私はまた嫌われてしまうよ


がっかりさせてしまうよ


そして、私もまた


私に絶望するよ


その絶望させる自分に絶望する自分を

私がちゃんと受け止める

ただシンプルにそこから始めて


今、目の前にいる人を信頼します。

皆といる自分を信頼します。


誰かを傷付けた私を私が赦します。


そして、それだけあなたが、

私にとって大切な人なのだという


私を私が信頼します。



自分が思う自分より、目の前に集まってくれている人が自分に向ける「自分の姿」を信頼する。

Aさんは“二度と失敗しないように、自分を見張り、がっかりさせない自分を「良い子の自分」として、皆の前に出ていた。


要するに、ベースの自分がそこだったわけですから、今回、それが起きたのは、そりゃそうなるね、ということでした。




「もう、それをしていいあなたですよ」

「もう、これまでのやり方は必要ないのですよ」というお知らせを、遠ざけるのではなく

ちゃんと扱い統合していく。


これを繰り返し、繰り返し

私たちは「元の完全なる自己」へと、向かって(還って)いくのです。


その導き手として、専門家の力を借りてください。

自分の顔や姿を、自分自身で見ることはできない私たちだから。