昔よく、自分が感じていた「分離感」
頼ってもよかった人に手を離されたとき、
胸の真ん中と鳩尾に複数の握り拳大の抉れるような鈍く、辛い感覚。
(そして、それはだいたい突然無防備なとこにやってくる笑)
あとから思うと、
そうやって手の平を返したような態度を取る人は、初めから、勝手な私像を作り、それを良いとし、そことは違う私の事情を見た時に、勝手に落胆や怒りを覚えるみたいで。
昔なら、こうされる自分を私が守ることは出来なかったと思うけど、今はお陰様で
大抵の特徴としての相手の”往なせているつもりの嘘の態度や言葉”にも、
自分の感じている痛みや悲しみを
ちゃんと捉えての致し方がちゃんとできるから、
相手を責めたり、エネルギーを返すことはしなくて済む自分になれている。
これは本当に有難いことで、
それ以上続ける事も増幅させるこも、
残ることもない。
ただ、成長した自分を感じ、
最近の流行りの言葉で言うのなら、
”その周波数を手放す”作業なのだなと、
淡々とすることができている
自分はもう、その世界には生きていない
でも、確かに投影された、
そのドラマの世界にどっぷり浸かっていたこと
その感情を使って
自分を貶めていたフェーズが、あった
そう、
”あった”
そのグラデーションをよくわかるために、
今、それが目の前に起きている
人にも物事にも
意味も実態も何もない
そこにどのような、
関わっている個の信じているストーリーや印象があるかだけ
それが、お気に入りでなければ
いつでも自分で変えられるということ
しなりはあるけど、揺らがない自分
しっかりと立っていることがわかる肚
自分の魂の入れ物である体が、
しっかりとあること
これが、
自分が作ってきた、自分の実態
ここまで、私を連れてきてくれた
たくさんの人々や出来事。
受講生やクライアントの皆さん
今も道半ば途中の私
漲る力強さと湧き出す感謝で、
今年もあと何日
丁寧に過ごしていきたいと改めて感じ、
思わず覚え書きしました
最後まで読んで頂き、
ありがとうございます(_ _)