こんばんは
ディメンショナル・セラピスト弓立教央です。
‘’人は人に愛されたいし、愛したいもの‘’
少し、こそばくなるような表現だけど、
これはどんな場合もそうである。
子どもが不登校を起こした場合、おおくは
お母さんをみないといけない。
娘との関係性を何とかしたい。
そう思うのに、今の娘の言動を受け入れることがなかなかし辛い。
たいてい、そのお母さんは自分のやりたいことをやれないで、誰かのために生きている。
そして、
そのお母さんも、そのお母さんと
情緒的なやり取りや、
自分の感情を聴いてもらったり、
体裁や常識といわれる行動を
選択しなさい、という手前の
「そうか、そんなことがあったんだね。
だから、○○ちゃんはそうしようと思うんだね」
こんなふうに
多感な時期に不安を聴いて受け止めてもらったり、
背中を押してもらったり、
共感してもらったりした記憶が
あまりない場合、
自分が親になった時には
ちゃんと聞いてやる親になろう
そう思っていたのに、
「あらあら、自分もされたように
同じことやってますね」
そんなことがまぁまぁある。
娘のやってることも、
娘だった頃の自分にウリ×2で
人間は自分で自分の範疇で
わかっていることしか、
誰かにすることはできないし、
自分にあるものしか、
見ることもできない。
良くも悪くも
だから、結局は
偏った関わりや、恨みつらみの
親子関係が雛形にある場合は、
同じように、自分の娘にも
どちらかに偏った
関わりをしてしまっているし、
セッションでの
‘’じゃあ、どうなってたらいいの?‘’も
‘’そうじゃないように‘’という
どちらかに、勿論無自覚にですが
偏ってしまっていることが多い。
母親の母親との関係性において、
凝り固まってしまっている場合
つまり、ハートブレイクが大きい場合は
「自分の母親とは近づくことは
しようと思わないけれど
自分の娘とは何とかなりたいと思います」
なんてことにも
まぁまぁなる。
だけども、そうは問屋は下ろさない。
ここはTA(交流分析)を勉強していると
よくわかるとこなのだけど
‘’母親からの母性的な関わりが
薄かった娘‘’だった母親が
自分のコピーである娘に対して
その母親の‘’娘‘’の部分が
黙っているはずがないんですね☝️
もちのろん、
無自覚に、のお話です
《三つ子の魂百まで》
そして、たいていの場合
そのお母さんの娘さんは
背伸びしているところがあって、
お母さんはどこか、
少女っぽかったりします。
自立的かと思ったら、
やたらとある部分においては
依存的だったりもします。
そして、娘には
‘’私に不安を突きつけて、
心配させるんじゃないのよ!
まるで、私の責任でそうなったと
言わんばかりに‘’
とコントロールしようと
したり、なんてことも
このへんてこりんな捻れを戻すには
お母さんが自分の母親とのテーマを解消し、
本当の大人に、、
自分の器(身体)と魂(精神)がしっくり
一致するように働きかける必要があります
そして、この魂(精神)の発達や
成長が、ある時で止まってしまった
者同士のパートナーシップは
当然、未成熟な精神の、
満たされていない者同士ということに
なるので、
パワーゲームが起きてしまい、
どこかで力尽きて、
破綻してしまうことに
なりやすいのです
止まった魂の成長を
手を入れた暁には
ぐぐぐーーー〜んと、
すごいスピードで成長し、
これまでやってきたことなんかが
バランスし、
どんどん使えるようになるのです✨