水曜日

午前11時30分 消化器造影室

 

もっかのところ、僕と石川先生は「総胆管結石の粉砕」中。

手は胆道鏡、目は胆道鏡の動きから離せない。

カラー画像は胆道鏡の先端だ、胆管を詰まらせている黒色の「総胆管結石」が映る。

 

「…古代とか、旅の経過はややこしいから、すっ飛ばして。女神の古代ローマ名はディアナ、ギリシア名は豊穣の女神アルテミス、それでオッケー。忙しいんで、切ります」

 

背後で外来ナース島崎君がややぶっきらぼうに、通話を終えた。

彼の首には僕のピッチが下がっている。手が離せない僕が、彼に預けた。

 

再びピッチが鳴った、忙しい時は「至急」が続くもんだ。

「次は、誰だ…。ああ福田主任…えっ、ミラさんの状態変化を報告したい?」

ミラ、どうしたのだろう。

 

「低めの血圧は88/50mmhg、再検しても同程度。更に微熱 37.8度。おそらく倦怠感で不機嫌、でも間食はしてる。一太先生、ミラさん様子見でいいですかって」

 

主任が僕の判断を仰ぐ小さな変化は、ミラの病状では早めに原因を探り、対処すべきだ。

ミラは朝一で脳MRIとMRA検査と、脳神経内科の診察を受けた。それ以外、特別なエピソードは無かった。

 

「石川君、至急で採血と、胸部レントゲン検査を入れて下さい。その結果で、オーダーを出すかもしれません」

「了解しました」

その旨、島崎君を通して福田主任へ伝言した。

 

午後、ミラの治療方針についてインフォームド・コンセントがある。脳神経内科の結果と、今の変化も、加える事になりそうだ。

 

さて総胆管結石の処置に集中、集中だ。

鎮静を掛けた患者さまは、先週の土曜日、総胆管結石と胆管炎、閉塞性黄疸で緊急入院された。柿沢正弘さん(68)歳。

 

山路先生がERCP(内視鏡的逆行性膵胆管造影)で、総胆管へENBDチューブを挿入した。

このチューブは胆汁の排泄を促して(内視鏡的経鼻胆管ドレナージ)、同時に減黄と胆管炎の進行を予防した。

 

今日はこのチューブを、応用している。

逆行性に胆道鏡を挿入して、総胆管結石を粉砕したり、砕石用バスケットで取る。

 

胆道鏡の入り口になる「十二指腸乳頭部」は、胆管と膵管が合流する出口だ。

乳頭部は消化に関係する強力な胆汁と膵液が、十二指腸へ流れ出る。繊細な場所の治療だけに、胆管炎や膵炎を起こしやすい。

だから僕らも、かなり神経を使う。

 

「柿沢さんキツイ処置を、ごめんなさいね]

眠っていても、右腹部に違和感を感じているかもしれない。

 

僕の声かけに柿沢さんは閉眼したまま微動だにしない、でも体に取り付けたモニター類が示す値は安定している、順調に進んでいるサインだ。

 

僕は胆道鏡から出る特殊な衝撃波を、もう一度結石へ当てた。

 

「よしよし。一つ目、砕けました」

島崎君が画像を指す。

細かくなった石は、自然と十二指腸へ流れていくので問題ない。

 

「一太先生。奥にある結石は、粉砕しなくてもバスケットで取れますね」

うん、いけるだろう。次の結石は通称バスケット…把持鉗子で取る。

 

黒色の胆石は、ガイウスのお腹を詰まらせていた大きな胃石と、色だけは似ている。

柿沢さんの結石は、あの胃石よりも遥かに小さい。

 

しかし総胆管には結石が数個、詰まっている。手術はしなくても済みそうだが、仮に結石を全て除去できても、炎症や黄疸がおさまるまで、しばらくチューブは留置する。

 

それから1時間後。

柿沢さんは無事に家族の待つ、病室510号室へ帰室した。

 

結石は、全て胆道鏡で取り除けた。この先は合併症の有無、検査データーを参考にしながら、早めの退院が可能だ。

怒涛の緊急入院だっただけに、ご家族も緊張が続いたのだろう。

 

仕事を休んで駆け付けた長女さん夫婦と、お孫さんと手を繋ぐ奥さんが、安堵の溜息を漏らす、そんな報告をできた。

役目を終えた僕も、頭から滴り落ちる汗を手で拭いながら、肩の荷が降りた。

 

そのまま今度は予備室へ、気がかりだったミラの診察へまわりかけたが。そうは問屋が降ろさない、ピッチが鳴った。

 

他科依頼で、緊急の精査依頼が入った。主訴は熱発、皮膚と眼球の黄染、右季肋部痛。

仕方ない、ミラの診察は後だ。

 

僕は回れ右、面談室の前を通り過ぎた。

エレベーター脇の階段を駆け下りた。

 

僕は造影室へ舞い戻った。

「ああ一太先生…お疲れさまっす…」

「島崎君、準備宜しくね」

 

最初、腹部エコーに廻った患者さまが来るまで時間がある。まずミラのデーター諸々、カルテをチェックした。必要な指示変更、追加オーダーを出した。

福田主任への一報も忘れない。ちょうどガイウス達が面会に訪れていた、簡単な状況説明を頼んだ。

 

その後、他科に入院中の男性患者さまは、検査の結果「肝内結石」が判明した。

患者さまは、柿沢さんの年齢と患部よりも上…肝臓の中「肝内肝管」に結石がある。

 

一先ず緊急処置。


経皮的…皮膚からチューブを挿入して、胆汁を体の外へ出すPTCD「経皮経肝胆管ドレナージ」を行った。治療は全身の状態を確認してから決定。

緊急なので、入院する呼吸器外科へ帰室された。

 

時間はあっという間に過ぎた。

既に15時をまわっている。

僕は汗だくになったスクラブを着替えて、ギリギリ、ミラのインフォームドコンセントに間に合った。

 

面談室には、御馴染みキーパーソントリオと、ディアナ探索から戻ったガイウスも同席した。

福田主任はミラの治療について、内容別のパンフレットを、キーパーソン達へ渡した。

 

ガイウスは持参したファイルに、早速受け取った冊子を挟んでいる。

赤いファイルには几帳面にミラの検査類が、種類別に閉じてある。

 

彼が開いたページは、ミラの年齢が分かる、血管年齢やホルモン値などを表示する。


ミラは西暦170年8月、急性アナフィラキシーショックのため、29歳で旅立った。


病気の発症と当時に「年齢を維持する魔法」が溶けてしまった。検査結果では推定、現在48歳。

 

さて口火を切ったのは、勤勉なガイウスと知恵の女神ミネルヴァだった。


「ミラ自身、治療への希望は、痛くない、それだけでした。彼女には病状も治療も、包み隠さず、分かりやすく説明して下さい。内容は忘れてしまうでしょうが、私達もフォローします」


ガイウスは一瞬、フォローに役つファイルへ視線を落とした。

 

現在のミラは記憶障害もある、せん妄も完全に消失してない。物事をざっくり捉える意識状態だ。だから自らの治療に対してもキーワード、簡潔に希望を述べていた。

 

「知っての通り、魔法が溶けた肉体は、年齢が加速して進む。これだけでなく、他のわけもあってミラには、できるかぎり低侵襲の治療をお願いしたい」


ミネルヴァはガイウスから赤いファイルを受け取った。これを開き、ミラの年齢が分かる、血管年齢やホルモン値などを表示した。

 

ミラは西暦170年8月、アナフィラキシーショックのため29歳で旅立った。

病気の発症と当時に「年齢を維持する魔法」が溶けてしまった。

検査による推定値は、現在48歳だ。

 

過去ミラへ魔法をかけた女神ディアナが、フォロ・ロマーノへ無事に戻った。


神々もミラの今後について、会議を開いた。

彼女の治療が一段落して病態が安定したら、「魔法をリトライ」が決定した。

 

しかしこれも「侵襲」が大きい、「急変」の可能性もある。

そのため、入院中の実地を希望された。

 

だからできる限り、ミラの心身に掛かる負荷を軽くしておきたい。勘違いしないで欲しい、治療途中での「万が一」、神格化も危うい事は視野に入れている。

ミネルヴァは神々の葛藤まで、赤裸々に明かした。

 

「了解しましたけん。皆さんの希望に近い治療内容を、準備しとるけんねえ」

僕らの上司、消化器科医局長の立花里子先生は、スクエアメガネをクイっと上げて、目元の汗を拭いた。

 

「魔法のリトライって、身体へ侵襲が大きいのかあ、勉強になるな…。担当ナースに、看護計画を立てて貰わないとなあ…」


僕の左隣では福田主任が独りごちながら、タブレットに看護記録を打ち込んでいる。

 

「それでですねえ。ミラさんの膵臓のインスリノーマと肝臓の転移、治療は別々に取り組むつもりですう」


僕ら消化器外科内科医師も、ミラの特殊な事情は、ある程度把握していた。

だからミラの個別的な治療は検討を重ねた、一昨日の症例検討会で最終決定した。

 

「膵臓の鉤部と体部に発生したインスリノーマは、肝臓に4つ多発性転移していた、病期はステージⅣ。腫瘍のタイプはNETG3、これは良性と悪性の中間タイプ、私達も油断してません」
 
増殖スピードは速い、先生は包み隠さず伝えた。
記録担当の真紀子さんと、今日はミネルヴァも、真剣な表情でノートにペンを走らせている。
 
「膵臓の腫瘍は、侵襲の小さな腹腔鏡手術で核出しますう。手術は来週の木曜日、朝9時に手術室へ、入室して頂きますう」
もちろん立花先生の執刀だ。
 
先生はカルテ画面に出した、PET-CTの画像、オレンジ色の腫瘍部分を指で示した。
胃の下に、細長い膵臓が横たわって映る。
膵臓体部中央の腫瘍は、20mm×21mmサイズ。
頭部の下方…鉤部の腫瘍は、15mm×10mmサイズ。
 
「すごく小さい腫瘍から出る少量のインスリンが、ミラの全身、神格化の危機まで影響を及ぼすなんてね。検査結果は何度見ても、ブルーになっちゃうなあ」

ウェヌスも毎日面会に来ている、羽沢クリニックのフォローから、ミラの経過をよく知る。僕の胸に刺さる言葉だ。

 

「何と言っても、ミラさんは元グラジエイタアー。お腹にも健闘のあとが残るけんねえ。腹腔鏡手術は開腹手術よりも傷は小さく済みますけんね」
 
立花先生も「フェリクス医師」のカルテ、ミラータブレットの翻訳版に目を通していた。

ミラは腹部を始め全身に、現役時代の傷が多く残る。傷の発生は防具を未使用だった、ならではの事情も関係した。

 

グラディエーターは腕や脛を金属性の装具で保護した、これはミラも然り。

さらに種目別に青銅製のマスクを始め、防具を身に付けて、得意技を魅せた。

 

防具の種類によって、重さは20キロ近くになったらしい。ローマ兵の装備より重かったそうだ。

流石に女性選手は、重量のある防具使いこなせなかった。

かつての主治医フェリクスの診療記録にも、ミラが練習以外で防具を付けた記述はない。

 

「それでもごめんなさいねえ、腹腔鏡手術でも傷は出来てしまうけん。大きさは5mmから1cmくらい、術後の痛みも発生してしまいますう」


立花先生はお詫びしたあと、腹腔鏡手術の画像を開いて、傷の位置を示した。

 

「パンフレットにも、傷が載っています。ご覧下さい」

主任はパソコンから離れた位置に座る、ウェヌスと真紀子さんに該当ページを伝えた。


腹腔鏡手術はお腹をガスで膨らませて、数か所を切開する。ここから必要な器具を通す。

 

腹腔鏡下の膵臓手術は、開腹手術のそれ以上に難しい。術後の合併症、膵液漏れや膵炎も重症化しやすい。
大学病院で研鑽を積んだ、「我らが里ちゃん」だからこそ、ミラと神々の事情も考慮した選択だ。
 
幸いミラの腫瘍は、膵管との距離が3mm離れている。ギリギリ、核出手術の適応範囲だった。

これよりも膵管に近ければ、開腹して膵臓も一部切除するような、侵襲の大きな手術になった。

その分、術後の回復も時間を要する、魔法のリトライと神格化の先延ばしも否めない。
 

「腹腔鏡手術の選択、先生方の配慮に感謝します」
ガイウスを始めキーパーソン達は、手術を了承された。

 「次に多発性肝臓転移の治療ですけんが、肝動脈化学塞栓術を考えとりますう」


肝臓転移は全部で4つ、場所は肝臓の左葉と右葉だ。

 

先週行った血管造影の3D画像、ラクビーボールのような形をした肝臓がデンと、空間に浮かんで見える。

 

4つの腫瘍は、赤く表示される。腫瘍に繋がる肝動脈と肝静脈、太い門脈と下大静脈も色分けされている。

先生は肝臓を回しながら説明する、キーパーソン達も把握しやすいだろう。

 

静止画面では向かって右側、左葉を時計回りに、S2・S3・S4に転移した腫瘍は3つ。

大きさは20mmから30mm。


右葉S7区域は、背中側に位置する。先生は肝臓をぐるっと回転した。S7の腫瘍が45mmと大きい事が見てとれる。

 

4つ腫瘍は肝機能にも、徐々に影響を及ぼしている。午前中ミラに現れた変化は、肝機能低下の影響も出ていた。

 

インスリン―マの肝臓転移も、手術が第一選択だ。しかしミラの場合、出血過多や腫瘍を取り切れないなど、リスクの可能性が高くなってしまう、手術は適切でない。

 

「肝臓の手術は難しい、これは予測していた。ねえ、ガイウス」


「ええ。それを見越して、友人の中沢さんから塞栓術に関しても、実際の様子を伺ってました。だから治療のイメージは、掴んでます」

 

「ガイウスさんとミネルヴァさんは病気について随分、学んだとねえ。肝動脈化学塞栓術は腫瘍の栄養血管へ薬剤を注入して、塞栓物質を詰めますう。腫瘍だけにシュヨウ基地の補給路を断って、陥落させる作戦だけん。今週の金曜日、一太先生が行いますう」

 

立花先生は左右肝動脈と、そこから分岐して「シュヨウ基地」へ栄養を補給する血管を、ここぞとばかり何度もペンでなぞった。

 

ガイウスとミネルヴァは、肝動脈から分岐する血管を目で追い、「通り道」を確かめている。


そこで僕は血管造影でのカテーテルの「通り道」を、穿刺部位…鼠径部の血管に遡って腫瘍までの道のりを話した。

 

「アハハ!ご家族にも噂になってる里ちゃん節、たくさん聞いちゃった。あっ、ごめんなさい」

『ハハハッ…』

 

先生なりの気遣い、ユーモアがジワジワ効いてきたのか。堪え切れなくなったんだろう、笑い上戸のウェヌスが噴き出した。釣られるように他のメンバーも、初めてクスっと微笑んだ。


良かった…硬かった空気が、いくらかゆるんできた。

 

そうそうガイウスは闘病仲間、退院した中沢さんから、血管造影による肝臓癌の治療体験を聞いていた。


ガイウスの勤勉さは、皇帝時代の面影を彷彿とさせる…なんて感慨に耽る情報源は、ローマ帝国オタク・倫太郎だ。

 

かつて即位前のガイウスは、文武両道バランスの取れていた前皇帝ティべりウスから、帝政を維持するリーダーシップを学んだ。


即位できずマラリアで亡くなった彼の父親も、ティべリウスの信頼厚い部下だった。

 

うーん育った環境や経験が、現在進行形でガイウスの血や肉となり、息づいているのだな。


以上ガイウスの勤勉さを考察して、実は僕もプレッシャーを和らげた。ミラの病状と治療は、正直ハードだから。

 

「手術を終えてからになりますう。腫瘍の再発と巡礼の旅に備えて、術後補助療法…薬物療法は取り入れた方が良かですね。こちらは消化器内科チーム主任、中林先生が中心で担当しますう」
 
ミラの病期・肝臓転移や、腫瘍のタイプから再発のリスクは高い。
 
「ミラの今後5年間を現役時代に、砕いて考えてみます。剣闘士一人の出場回数は、平均で年に2、3回だったんですね」
 
かつて剣闘士競技に熱狂した皇帝カリグラらしい、いささかクレイジーな例えを引き合いに出してきた。

ガイウスなりに、2000年近く共に過ごしてきたパートナーのシビアな現実に葛藤、苦しんでいるだろう。僕の義理の妹は、遺伝性疾患を持っている。彼が抱える気持ちを、察する事はできる。
 
「ミラが年2回、試合へ出場したとして。10試合を終えるには5年。この間に再発、場合によっては、生まれ代わりへ進む可能性が高いのですね」

「ええ生まれ変わりへ進む可能性は、否めません。ミラさんと似た腫瘍タイプで、一年以内に再発したケースもありますけん」

ミラの5年生存率も、決して高くはない。
 立花先生はメガネをクイっと上げて、目元の汗を拭いた。皆を誘うように、南向きの窓へ顔を向けた。

午後の日差しは、カーテン越しでもキラッとしたエネルギーを放っている。
 
先生は長い臨床経験や、自身が受けた「腹腔鏡下胆嚢摘出術から、コミュニケーション時の「流れ」や「間」に気を使うようになった。

僕も先生の教えや、アンジェルマン症候群の絵理奈ちゃんの闘病生活を知って、臨床に必要な物の見方が変わってきた。
 
「それから、ミラさんの記憶障害についてなんですがあ…」

先生はゆっくり、先を進めた。

 

「やはり重度の低血糖に、端を発してるようですけん。若年性アルツハイマーの早期段階でなさそうです。インスリノーマの治療が進むにつれて、完全とは言えないまでも、記憶の回復は見込まれますう」
 
脳MRIと脳血流SPECTの画像はPET-CTの結果と大差はなかった。「両側側頭葉」に、ごく軽度の萎縮、血流の低下。
脳神経内科の診断も、記憶障害の原因は原疾患にしているが。
 
せん妄が改善しつつあるミラの意識状態では、筆記や受け答えをするような検査がスムーズに出来なかった。判断の材料には、適切でない。

ましてミラは「魔法が溶けて、年齢の進行が加速している」、前例のない状態だ。
脳神経内科のフォローも、継続となった。
 
さて次は僕の番だ。午前中に起きた、ミラの変化を伝える。
福田主任からタブレットを借りて、膵臓や肝臓の機能、血液データーを表示した。
 
「ミラさんは低タンパク血症や、ヘモグロビン及び赤血球値の低下、若干CRP…炎症反応も上昇していました。肝機能の値も、やや上昇傾向。
原因は二つ、考えられます」
 
高インスリン血性低血糖治療薬、「ジアゾキシド」の副作用。
多発性の肝臓転移による、肝臓の代謝機能や免疫機能、解毒機能の低下だ。
 
これらが微熱や血圧低下、倦怠感を起こした。
微熱に関して、胸部レントゲンは問題なかった。
 
「状態変化に対して内服量の変更と、新たに開始した物があります」
 
ジアゾキシドの、副作用対策。
血糖やへモグロビンA1c、インスリン値のコントロールはまずまず、入院直後と比較すると若干は上がった。羽沢クリニックから継続していた、ジアゾキシドを減量した。

 

そして肝機能低下に対して。

ヘモグロビンの低下は、いわゆる貧血なのだが。この鉄不足については、同時にフェリチンも低下していた。肝臓にある「貯蔵鉄」の減少も意味する。これは鉄剤を補充して対処する。

 

低タンパク・低アルブミン血症は、本日から3日間アルブミンの投与を始めた。これは肝機能を補う。免疫機能や解毒機能の改善にも、効果を期待する。

 

「こういうアップダウンは、病気の進行だけでなく、今後は治療の合併症としても、出現するでしょう。その都度、対応していきます」

症状コントロールを続ける。

 

「アタシ達ね福田主任から、状態変化についてザックリ教えて貰って、病状を悪い方へ考えてしまっていたの。気にしないでね、主任のせいじゃないわよ。今こそ南向きの窓、外を見るべし、皆が癒されるって本当ね」

 

感情表現豊かなウェヌスのお陰で、再び重たくなっていた空気が、もう一度流れた。

光のカーテンが幾筋もキラーン、降り注いでいた。


なんだか…アリーナへ注がれる様だ。

 

「いよいよメイン・イベントが始まる。太陽光をスポットライト代わりに、グラジエイタアー・ミラが、上がり舞台から、グワーッと登場するようですけんねえ」


数少ない女性剣闘士の試合は、満員の客席から大歓声が湧き起こったろう。

 

「立花先生、よくご存じね。古代ローマ世界では、現代に引き継がれる優れた舞台技術を持っていた。お客さんがあっと驚く凝った演出も、実は剣闘士競技の見所、人気の秘訣だったわ」

 

へえ、試合を盛り上げる工夫が凝らされていたんだなあ。

 

凝った演出で登場した格闘家たちは、10分間の短い試合に挑んだ。青銅製の盾やマスクを身に付けて、人並み外れた技を披露した。

 

「現代でも格闘家のパフォーマンスに、興奮するでしょう。剣闘士の試合も同じ。アタシはハンサムな騎馬闘士に萌えたなあ。外見はキュートなミラは、熱狂的なファンが大勢いたわ」


ファン選手を思い出したウェヌスは、頬が紅潮してきた。

 

「アリーナは赤い波打つ、こう捉えがちだったけど。ちゃんと審判もいてルール、選手を守った。視野広げると景色も違って見えてくる。彼の昔話で長年抱えてきた、この競技に対する違和感が、解消したんです」

 

真紀子さんは伝令の神メルクリウスがパートナーだけあり、当時の景色へ想い巡らす。

彼女は競技の「一般的な視線」に、違和感を覚えていた、倫太郎みたいだ。

 

「一般的な視線」、それは仕方ない。

ようやく引き上げた皇帝カリグラの船が燃えてしまったように、人間が長年繰り返している事象も、影を落としているだろう。


ゲームや映画、アニメや漫画で、類似した物を体感できてしまう。当時はそれを人間、ほぼプロ選手が挑んでいた。


10試合中、9人は無事に帰宅した。魂の行進へ進んだ者に対しては、主催者がチームのオーナーへ賠償を払った。

大事な選手に対して衣食住、医療までサポートもあった。決して命を軽んじていた訳じゃない、僕なりの解釈だ。


「私も前世では選手や、剣闘士競技に夢中だったかもしれない。だからピエタ…ピエタ、人間と命へ、慈しみがあればいい。今の私はそう思ってます」

真面目な真紀子さんらしい優しい捉え方は、僕も同感。

 

伝令の神メルクリウスは、かつて広大なローマ領内を西から東へ飛び回った。仕事の合間を縫って、各都市の円型競技場で試合観戦をした。


当然、長期記憶に残っていた。フォロ・ロマーノ会議で「生前のミラ」を共有するうちに、剣闘士競技をリアルに思い出した。


彼は冥界の遣いもこなしていた。時には「魂の行進」、こちらの仕事も一部、関わっていた。

行進を終えた魂たちを、一休みする光の場所へ案内していた。

 

ハードスケジュールだった剣闘士チームも、広すぎる国内を巡業して廻っていた。メルクリウスと親しい選手もいた。


お守りだったのか、選手の中には防具にメルクリウスの翼や、戦いの女神ミネルヴァの姿を刻んだ選手もいた。

 

「ミラさんを始め皆さんとの関りを通して、私はフェリクス先生のようなグラジエイタアー専属医師を身近に感じるけん。不思議ですねえ」

 

…私達の仕事は、相手の心も読む。時に話題が反れてもねえ、そこから患者さまと家族の背景が見えてくる時もある、お互いの距離が縮まるかもしれん。意外な発見があったり、知識も広がる、それはそれで必要な時間だけんね…

 

我らが里ちゃんの、仕事に対する姿勢だ。

 

「先人の胸を借りるつもりで、ミラさんの治療を誠心誠意、努めさせて頂きますけん」

おっと、立花先生と福田主任は揃ってお辞儀した。

僕も後に続いた。

 

さて女性剣闘士ミラならではの治療説明は一旦、ここで終了。
主任が承諾書類をガイウスへ渡してくれた。

面談室を出て、ミラの待つ予備室へ向かった。

 
「16時から主任会議なんだ。ミラさんの説明ね、同席と記録は木崎さんに頼んであるから。一太先生、彼女をナースコールで呼んで下さいね。じゃあ後は、宜しく」
「あっ、ああ…はいはい」
 
今日はナースが一人病欠した、主任はその分も患者さまを受け持っていた。疲れているのか、活気がない。説明時も労いの言葉どころか、ほとんど口を開かなかった、珍しい事もあるもんだ。
 
「主任、昼休憩を取ってないだろう?まだ10分もある、私と院内カフェで一息入れよう。タクシー・バタフライの予約も、16時過ぎなんだ」

すかさずミネルヴァは主任の背中に手を添えた。

「うん、是非。ハアッ…どうして私には、無理難題が降りかかるんだろ…」
 

二人は到着したエレベーターへ、いそいそ乗り込んだ。

主任、やっぱり様子がおかしいぞ。患者さまや家族を前に、愚痴をこぼすなんてあり得ない。

 

ミネルヴァは、これからフォロ・ロマーノへ戻る。インフォームド・コンセントの内容を、守護神ウエスタ、最高神ゼウスへ報告する。やや難しい病態と治療を伝えるとなると、知恵の女神は適任だろう。

 

「あっ、林のおばあちゃん病室から出て、壁つたいにフラフラ歩いてる!危ないって。さてはセンサーマットの電源をオフにしたなあ。明日退院でしょ、転んだら元も子もないよ」

 

「担当ナースさんを探して来ます。でも今日は人手不足、すぐに動けないだろうなあ…」

 

ウェヌスは502号室、真紀子さんは一応ナース・ステーションへ、速足で向かってくれた。

二人も入院環境とスタッフの事情は慣れてしまった、細やかな配慮は実に有難い。

立花先生と僕は、二人へお辞儀していた。

 

林さんの元に到着したウェヌスは、病室へ誘導している。

趣味だった海外旅行の話題など、うまいこと持ち出しているのかもしれない。

 

「うわあッ噂をすれば影、ガイウスさんッだ!紹介します、彼氏です」

「楓ちゃん、青春してるね」

背後から人の気配を感じると思ったら、511号室へ入院する松本久美子さんの長女さんと、ボーイフレンドだった。

 

「松本さんの様子を診てくるけん」

「了解しました」

二人と入れ替わりに、立花先生は室内へ入って行った。

僕は若い二人に引き止められているガイウスもそっとしたまま、予備室へ向かった。

 

松本久美子さんは膵臓癌だ。

術前の薬物療法の副作用で骨髄抑制、白血球の減少が現れていた。

でも造血薬の効果はスムーズに現れた、面会はフリーに戻った。

 

松本さんの「膵頭十二指腸切除術」、開腹手術の執刀医は立花先生だ。

そうそう松本さんのお父さんへ、立花先生は初めてこの手術を執刀した。青春時代だったかもしれない僕と倫太郎も、膵臓の手術に入った初回だった。

 

「ガイウスさんのクールな様子からして、皇帝カリグラに纏わる、ビッグ・ニュースをキャッチしてないよね?」

皇帝カリグラに纏わるビッグニュースってナニ?

気になるじゃん、歩くペース遅くした。

 

「ネミ湖で皇帝カリグラが造船させた船の一部かもしれない、装飾品が発見されたんすよ」

「ええっ、本物かな。つい最近ネミ湖へ立ち寄ったのに、調査は気が付かなかった」

 

マジっ!?そりゃあ、オーダーした本人が一番うれしいっしょ…。

2000年前に造船された船の一部が水中に残っていた、奇跡に近い。

 

だってカリグラがオーダーした二艘の船は、ムッソリーニの肝いりで引き上げに成功したものの、悲しいかな時節、柄焼失した。

おやっ、先ほど頭をかすめたのは、大発見の知らせだったのか?

 

血が騒ぐ。なんせ息子の俊は、前世で、ガイウス船の漕ぎ手だったらしい。

となると僕だって、古代ローマと縁があってもおかしくない。それこそご先祖さまの「貯蔵鉄」が、遺伝子の合成時に使われながら、脈々と受け継がれてきた事になる。

 

「ガイウススさん、水上コテージのデザインは覚えてます?カリグラが崇拝した、女神ディアナの祠も備えていたらしいっすね」

 

「ミラさんみたいな剣闘士は、フィギアとか魔除アクセサリーの一部だったり、人気デザインだったんでしょう?船にも描かれていたんじゃない?」

 

「ありがとう、想像するだけで、華やかだったローマ世界へ迷い込むようでしょう」

ガイウスの弾んだ声に、少し安堵した。

 

「ローマ帝国には各都市に優れたクリエイター、アーテイストがいました感謝してます。ちょっと待って。長期記憶にアクセスして、船のデザインを思い出してみますから」

 

ガイウスがミラと出逢うずっと前、彼が楓ちゃんや拓海君と同じ年齢だった頃、同盟国からやって来た仲間達と、彼の祖母の家で過した期間があった、即位する前だ。

 

多民族国家ならでは、オリエント地方やユダヤ…文化や言語、宗教も異なる仲間達から受けた刺激は、最高のスパイスだったろう。 


遡ると彼の幼少期は、アナトリア地方からシリアへ南下しエジプトまで、父親の赴任先を旅して廻っていた。まさにディアナの巡礼ルートだ。

 

こんな過去の経験が、のちのち皇帝カリグラが「水上コテージ」の造船に至る、アーティスティックな才能に磨きを掛けたろう。


皇帝カリグラと言えばイメージは「クレイジー」、でもメルクリウスの言葉を借りれば、異なる面が見えてくる。

 

現在のカリグラはパートナーの危機に直面しても、あまり感情を表に出さない。でも胃石をため込むほど繊細だ、ミラについても苦しみを抱えているだろう。


だからローマ帝国の魅力へスポットを当ててくれた若い二人から、キラッキラなエネルギーを貰っているよう願う。

 

 

「失礼します入ります、山野です…ディアナいらしたんですか、受診お疲れ様でした」

 

「一太、お疲れ様。今度は整形外科の先生と貴方まで、お騒がせしてごめんなさい」

予備室では診察を終えた女神ディアナが、ミラに付き添っていた。

 

女神は点滴スタンドの横、ベッドの右側だ、椅子に低反発クッションを椅子に敷いて腰かけている。隅に縫いつけられたタグから、ちらっとぺガサリオンのロゴマークが覗いた。

自らプロデュースした商品だ。

 

マルタ島で救出された時に比べると、声にもキラッと艶が出ている。「尾骨骨折」の痛みは、鎮痛剤で緩和しているようだ。

ゆったりデニムと白シャツ姿は、ローマの休日ならぬ、さながら「女神の休日」。

 

僕はベッドを挟んで、ディアナの反対側に立った。

ミラは生クリームの乗ったパンを、ジュースで流し込むように、ムシャムシャ食べている。


女神のお土産はカフェ・グレコのスイーツ、ミラの好物だったな。床頭台に紙袋がある。

 

夕食前のオヤツは、低血糖予防にはなるだろうが。ナース記録にも残ってる、最近ミラは間食が増えている。


インスリノーマの患者さまは重度の低血糖予防のため自然と補食、体重が増えてしまいがちだ、ミラも然り。最近は、更に頬がふっくらした。

 

とは言え症状を覗けば、ミラの外見は良い意味で年齢相応、イタリア人女性っぽくなってきた。身長も高いし、三日月型のバレッタで留めている茶色の髪は、軽くウエーブが掛かってる。

ガイウスがベッドサイドに立つと、当然彼が年下に見える。

 

午前中、僕はミラを診察できなかった。

福田主任の報告では、クーリングで熱は下がった。血圧も一時的に下肢を上げ、上昇した。さきほども話しした、こういった変化は、病気と治療の進行と共に頻発する。

 

「アタシの奇想天外な巡礼の結末と、想定外だった診断結果を話していたの。ねっ、ミラ…もう少し、ゆっくりお上がんなさい」


「うん…ゴホッ、ゴホッ。ディアナは貧血が分かったんだったね」

 

ディアナに背中をさすられながら、ミラは幾分ぼんやり返事をした。

一見、どこか上の空のように感じるが、この意識状態は過剰な糖代謝、肝機能低下、せん妄の影響だろう。

 

僕が怠さの程度を尋ねたら、ミラはゆっくり首を左右に振った。

既に投与したアルブミンの効果もあるのか、倦怠感は幾らか改善した様だ。現在は高カロリー輸液とブドウ糖液の他に、茶色の鉄剤を投与している。

 

「そうそう、我ながら驚いたのなんのって。豊穣の女神が栄養不足、貧血、タブーよね」


ディアナは点滴スタンドに下がる茶色のボトル、鉄剤を見上げた。

 

「太古の時代だったら、アタシを信仰してくれた民へ、顔向けできないわ。信仰心も、サーッと冷めちゃったかもね」


整形外科を受診した女神に、なんと他科の専門「巨赤芽球貧血」が判明した。

 

「ハハハッ、確かにタブーかもしれません。僕は豊穣の女神アルテミスの像が、頭に浮かびましたよ」

「アルテミスの上半身にぶら下がる卵は、豊穣の象徴だったね」

 

ミラが返事をしたから驚いた。

ガイウスと共に、長年敬愛してきた女神の像が浮かんだ。嬉しい兆候だ、記憶の回復も期待が募る。


おやっ?ディアナは、口を真一文字に結んだまま、ミラを見つめている。

ダブル受診が、疲れたのかな?


いやはや…豊穣の女神が疲労、病気を抱えていたら、崇拝する国はピンチの前兆みたいだ。


神殿に祈りを捧げる巫女さんがエネルギーの枯渇をキャッチして、お告げを出すかもしれない。

仮にヒッタイト帝国だったら、国のトップシークレット製鉄所の場所が暴かれる…そんなお告げが広まったら、えらいこっちゃ。

 

貧血の判明した女神ディアナは、当初整形外科を受診した。

まず「尾骨骨折」と、「左右の足底筋膜炎」が分かった。

「尾骨骨折」はエフェソスの円形劇場で熱中症を起こし、尻もちを突いた、ハプニングが原因だった。

 

「左右の足底腱膜炎」は、足の裏にある腱膜の炎症で発症する。

主な症状は踵を中心とした、足裏の痛み。


僕らのような立ち仕事、スポーツを習慣にする人に多い。ディアナはこれまで、幾度も長期間に渡り巡礼の旅に出ていた。

役目の一つが、発症の元になってしまった。

 

造影室で女神のレントゲンを拝見したところ、右踵の骨は、槍みたいな鋭い棘(トゲ)の形、棘突起が出来ていた。

棘は歩くたびにゴリゴリッと踵を指す、波及する痛みが足の裏を襲う。正直、僕は想像したくない類の痛みだ。
 

整形外科の担当医は、足底腱膜炎に対して踵にブロック注射を打ちながら疑問が沸いた。


女神は「足裏と指の痺れ」も強く訴えていた。 

足を休ませても、痺れだけは消失しない。

確かに重度の足底腱膜炎は、痺れを伴うケースもある。それにしては、症状が強すぎる。
 
まして長距離を旅して廻っていたわりに、日焼けどころか「顔色不良」だ。
「るい痩」も目立つ。多忙のため、ここ数年は健康診断も受けてない。

女性に多い鉄欠乏性貧血など、可能性は否めない。永遠に存在する体は特殊だ。推定、おいくつなのだろう。
 
当科だけでは、充分フォローできない。
女性特有の病気も、チェックしたほうがよさそうだ。判断した担当医は、ディアナへ女性外来の受診を勧めた。
 

ディアナはこれを承諾した。

その結果、「巨赤芽球貧血」判明した。こちらも足の裏や指の痺れを招いていた、原因の一つだった。神々でも、体は繊細だ。

 

巨赤芽球貧血はビタミンB12、もしくわ葉酸の不足が原因で起こる。どちらかが不足すると、成長途中の未熟(大きくていびつな形)な赤血球が、血液中に増えてしまう。

 

ディアナはビタミンB12の不足が、貧血を招いていた。ビタミンB12は、主に動物性食品に多く含まれる。ディアナはベジタリアンだった。


ビタミン・ミネラル類はサプリメントで補っていたものの。多忙だった女神は、飲み忘れも増えていた。

 

ベジタリアン、動物性食品を控える理由を、ディアナは整形外科の問診票に記入していた。


「太古の時代、狩猟の女神でもあった私に、動物は命の尊さを教えてくれた。愛犬アンナはエフェソス遺跡の付近に、捨てられていました。

私は神獣クリニック・アポロンの院長を兄に持つ。こんな理由から、動物性食品の摂取を躊躇するようになった。気が付いたら、ベジタリアンになっていました」

 

なにはともあれ、ディアナも暫く当院でフォローが決まった。

基本は内薬治療、プラス代替療法も症状緩和に期待できる。

 

整形外科ではシューフィッターによる「巡礼シューズ」選びも、取り入れていく。

貧血の改善は、栄養指導と並行して摂取中のサプリメント類の見直し。こちらはディアナの得意分野だろう。

 

整形外科の担当医師は、女性外来へ診察依頼に当たり、旅の経緯やらディアナとアルテミスの関係に混乱していた。


本人に聞けば済むはずだ。

しかし女性外来へ向かったはずのディアナは、女神らしい…フフフッ…またもや行方をくらましていた。日本の病院は初めて、好奇心旺盛な女神の胸は高鳴っていた。


で…ディアナを探す、整形外来ナースの連絡に対応したのは島崎君だった。


ディアナは足底腱膜炎用、踵のサポーターを売店で購入した。その後、院内を「探索」していた。いつの間にか、僕が結石の粉砕処置を行った、造影室前も通過していた。

 

「そうそう一太、アタシね相談があるの」

「あら消化器症状も、あったんですか?僕の外来日は明日…」

ディアナは意味ありげに、目配せした。

椅子から立ち上がった。


間食を続けるミラを、横目でチラチラ確めつつ、ソロリソロリ…臀部を抑えながら僕の隣へ廻って来た。

 

「先ほど聖杯への厳かな行進、ピアノ曲が流れた。彼らの気配も漂った、ミラを生まれ変わりへ進めるって、張り切ってたわ」

「うわっ。先ほどって、いつ…」

 

ディアナは衝撃的な出来事を、耳もとで囁いた。

驚愕をグッと堪えた、自分で自分の口を塞いだ。

背中からジッとり、妙な汗が吹き出してる。


ディアナのアドバイス通り、彼らに意識を向けないでいた。これが仇になったのか?音楽と彼らの気配に、全く気が付かなった。


彼らは面談室や廊下にいた僕らの様子を、伺っていたのだろうか?まさか今後の治療方針まで、筒抜けだったらマズイ。


「彼らの中に、ミラの意識も存在した。どうやら長期記憶に眠っていた願望ね。私を置いて行かないで、祖先から受け継いだ血を、私も早く繋いでいきたい。間違いなくミラの声、彼女の持つエネルギーだったわ」

 

「マッ、マジですか…」


聞きたい事が山ほどある、ヒソヒソ話はもはや許容範囲を超えてる。


女神ディアナが、彼らとミラの気配を感じていた最中だ。ミラは本人は、現在同様スイーツに夢中だった。彼らの存在は、気が付かないでいた。


トントン…。ドアが開いた

「失礼しますう」

 

あちゃー、肝心なところで尻切れトンボだ。


スクエアメガネをクイっと上げる立花先生を先頭に、ガイウスそして女神ウェヌスと真紀子さん、最後にナース山崎さんが入ってきた。

 

…ヒューン、ギューン

赤いF1マシンが、ぶっちぎり独走態勢でチェッカーフラッグを受けた。マシンのフロント、サイドには金色の聖杯、ロゴマークが付く。

楕円形の競技場コースに、マシンが止まった…。

 

「アナタが女神ジアナさんねえ、初めまして立花里子ですう。同期の晶子ちゃんがあ、感極まって連絡くれたんよお。巡礼の旅、防災グッスのプロデュースと販売、アンナちゃんが入院する神獣クリニックの話しに、涙したってねえ…」

 

…マシンから降りてきたのはグラディエーター。

青銅製、聖杯のロゴ付きヘルメットを脱いだ。

女性ドライバー、ミラは喘ぎながら両腕を掲げ、熱狂する観衆に手を振った…

 

「里子先生。お目に掛かれて光栄です、女神ディアナです。整形外科では和田先生に、もう大変ご迷惑、お世話をお掛けしました。これからもアンナと共に巡礼を続けられる、感謝しています」

 

僕は、我に返った。

 

クールビューティ―な女神は何事も無かったかのように、我らが里ちゃんと笑顔で握手を交わしている。


点滴スタンドに下がる茶色のボトルからは、鉄剤フェジンが指示速度に従い、投与中だ。

間違いなく、ここは現実世界だ。

 

いやはや…鉄は血液中の酸素を運搬するだけでなく、遺伝子の合成にも貯蔵鉄が必要だ。

ミラの病状に、フェジンを投与して正解なんだろうけども…。


これまで幾度か疑問が沸いた、やはり僕らは水面下で、ミラの意識の底に眠る願望を叶えてやしないか?

いよいよ、速度を上げて。

 

 

 

お時間を割いてお読み下さり

どうもありがとうございました

 

参考図書ほか

 

メディック・メディア 病気がみえる VOL.1・3・9

照林社 氏家弘 監修 運動器ケア 

山川出出版 木村幸弘・篠原千絵 ヒッタイトに魅せられて

新潮社 塩野七生著 ローマ人の物語Ⅶ

ナショナル ジオグラフィック 日本版 2021年8月号 グラディエーター 熱狂の裏舞台

東京新聞 井上たかひこ 水中ミステリー 海底遺跡と難破船

 

jstage-jst.go.jp ガイドラインからみたインスリノーマの外科治療

jstaji.go.jp 腹腔鏡下核出手術を施行した膵鉤部インスリノーマの1例

nagaoka.jrc.or.jp 超音波内視鏡検査によって診断できたインスリノーマの1例

jstage.go.jp 膵神経内分泌腫瘍に対する術後補助療法

 

suika.or.jp 早期アルツハイマー型認知症診断について

aburayama-hospital.com 軽度認知障害について

medicalnote.jp 足底腱膜炎

hokuto.app 『もう迷わない』貧血マネジメント⑤「大球性貧血」

www.excite.co.jp ニュース

www.mcp-kyoto-u.jp 京都大学細胞機能抑制学

 

 

List Paraphrase Yosihiro Kondo(Piano)

舞台神聖祝典劇「パルジファル」より「聖杯への厳かな行進」