神々と人間がつくる八角形の空間で、ヴィアンキ一族の彷徨う魂らは、次々と昇天していた。

皆それぞれ、向かう場所を決めている。


羽田京子さんは、時の神クロノスの元で昇天するつもりだ。恋人の涼君は、一足早く次の世界へ進んでいた。

 
「佳ノ江は首を長くして、待っているでしょう。唐橋、行っておあげなさい」
 
おやっ、岸田主任は言葉を発したようだが…空耳ではなかろうか?

「さくらぎ姐さん、ありがとう。現世で佳ノ江は、私の母親だった。親孝行できなかった、謝るわ。母の夢は娘と、ヴェネチア旅行だったのよ」
 
そっ、空耳ではない、二人は古風な名前で呼びあった。突如、前世の記憶を交え、別れを惜しんでいるではないか。

一体、何が起きたんだ。

いや倫太郎、ひとまず落ち着け。
記憶に関しての疑問は、いったん脇に置いて構わない。ここは優先順位を、考えろ。

なぜ岸田主任は、香苗さんとコンタクトをとれるのか?魂らと直接会話できるのは、神々だ。

俺たち人間は、内なる表現を止める魔術が、掛かっている、それは不可能なはずだ。

もしや岸田主任は、魔術の効果が浅いのだろうか?だとしたら、一大事。

俺たちは12時間前の日本から、フィレンツェにタイム・スリップした。

二人の意思疎通は、過去を変えてしまった。
となると未来も、変化している可能性が高い。

リニューアルオープンを明後日に控えた、きさらぎ訪問診療クリニックが、隣の訪問看護ステーションごと、商売替えしているやもしれん。

「住みたい街ランキング」では、上位につくエリアだ。スーパー・マーケットは、喜ばれそうだなあ。

「本日マグロが特売!!特売だよーっ!!」

店長は賢一郎先生で、事務は荒川さん。
亜子や、志乃ちゃんがレジ。
俺は店頭で集客、チラシを配ったりしてそうだ…うん、ありうるぞ。

いやいや、こんなハプニングの予防も兼ねて、内なる表現を止める魔術が掛かっている。

だから岸田主任以外の人間は、発語も開眼もできない。聴覚を頼りに、事態の様子を把握している…はずなんだ。

筋弛緩作用もはたらき、下肢に力が入らず地面に腰を降ろしている。もはや、移動できない。
 
記憶も相当、曖昧になって来た。
俺はいつ、どこで、香苗さんと涼君に遭遇したのか、全く思い出せない。

ポロロン…ポロン

 おやっ、弦の音だろうか?
シルバヌスは器用だな、今度は弦楽器を弾いているようだ。

倫太郎よ…弦楽器の柔らかい音に、耳を傾けてご覧。ほらね…だんだんアナタは眠くなる…。

神々の音楽療法士、シルバヌスのセラピーは、リラクゼーション効果が高い。

「寝てしまっても、良い。僕のセラピーは、聴覚から脳へ届くからね。いずれにせよ、この場にいる限り、昇天のパワーは送れるよ」

そうさ俺が焦ったところで、無防備な心身では、対処できない。ハプニングは本陣も察しているはずだ、全部任せよう。

ポロン・ポロン

ハープのような音色は、普段以上に混乱した頭を、柔らかくほぐしてくれる。

降って湧いたような、岸田主任と香苗さんの前世についても、この際だ、どんとこいよ。
聞いてしまおう。

 「昔、佳ノ江とむらさきは、病で旅立った。さくらぎ姐さんは、見送りの言葉を、覚えている?」

「唐橋、忘れるはずないわ。生まれ変わったら、自由に生きよう…だったわね」

冷静になると、前世で岸田主任の名前は「さくらぎ」、香苗さんが「唐橋」だった、素直に受け入れられる。
 
「私たち4人は同じ季節に、廓に入った。花魁まで上り詰めたのは、私と姐さんだった」

えっ…唐橋とさくらぎは、花魁?
イコール、香苗さんと岸田主任だよな。

「そうね。夢は年季が明けたら、廓の外に出て自由に生きること。いつの間にか、サヨナラの言葉にかわってしまった」

ひゃーっ、なんてこったい!
俺はようやく、背景を掴んだ。

さすがドラマチックな恋多き、古代ローマの神々・女神たちが揃うだけある。

昇天もクライマックスに近づいた、華やかで切ない、「遊郭物語」が浮上してしまった。

岸田恵子さんは、遊女のトップ「花魁さくらぎ」
羽田香苗さんが、「花魁 唐橋」
 
羽田京子さんは「佳ノ江」「むらさき」も、仲間だった。二人は病で、先立った。

表現が適切か、分からないが。
4人は同じ廓の、同期ってトコだろう。

いやはや、魔術の筋弛緩効果が浅ければ、俺は腰を抜かしたに違いない。
 
「倫太郎さん、驚かして申し訳ない。ここに集まった私たちは、前世から縁があります。過去を思い出しやすい、空間なんですよ」

「岸田主任と香苗に、不可欠な時間だ。だから未来は変化しない、安心してくれ」

 …ああ、了解です。

タイミングよく、本陣に控えるヨナスとアレスが、事の次第を説明にかかる。
 
「岸田主任は到着した時点で、泣いていたでしょう?香苗の姿を見て、遊女時代の記憶が、甦ったのです」
 
確か俺を含め他のメンバーは、腕の動きも緩慢になっていた。岸田主任だけは、ハンカチで目元を押さえていたな。
 
香苗さんを含む16人の魂らは、新再生ネクタルを用いた、第1・第2段階を済ませていたから。
昇天にあたり、不要な感情や記憶は、浄化されていた。

「同時に潜在意識が、クリアになった。自然と前世の記憶が、甦る状態なんだ。彼女だけでなく、他の魂らも、思い出していた」

…グラッィエ、経緯が分かったよ。

どうやら香苗さんは、岸田主任と共に前世を振り返る事で、昇天にすすめるようだ。

4人の遊女は、夢を果たせなかった。だからサヨナラの言葉に、夢の実現を託した。
来世で、叶えようとね。

彼女たちの強い願いは、潜在意識の奥底に残っていた。輪廻転生した、次の人生へ持ち越した。
叶えるか否か、本人次第だろうなあ。

「涼は、しばらく私と距離を置きたい。先に、生まれ変わりたいって」

香苗さんは恋人の涼君について、切り出した。含みのある、言い方だな。

既に涼君は、ケンイチさんからバジル酒を授かり昇天した。ケンイチさんの立ち位置は、八角形の中で、南東の方角を示す。

生まれ変わりを望む涼君は、来世は南東へ縁がありそうだ、こんな直感に従ったのだろう。
長靴型のイタリア半島では、踵の付近かもしれない。

「生前、涼は美容師だった。
福祉美容師の資格を取得し、スキルアップと仕事の拡大を目指していたわ」

香苗さん曰く、彼は衝動的なタイムスリップに、同行してくれたものの。その後の人生は、ガラリと変わってしまった。

ヴィアンキ一族に助けられ、野望を遂げるために、残りの時間を過ごしてしまった。
ルールの多い、窮屈な生活だった。

涼君も第1、第2段階で、浄化を済ませた。
そこで胸の奥に仕舞い込んでいた本心を、香苗さんに明かした。

「前世も今生の仕事も、志し半ばで終えてしまった。生まれ変わり、新たな夢を探して、人生をまっとうしたい。
涼の気持ちは、理解できる」

彼にバジル酒を授けたケンイチさんは、女神ウエスタの補佐を務める。
飄々と仕事をこなすあたりは、辣腕執事ヨナスと似ている。

ましてケンイチさんの付近には、直人さんや賢一郎先生、裕樹もいる。みなプロフェッショナル、医療の専門分野を持つ。あっ一応、俺もね。

涼君は彼らの姿に、夢を実現した未来の自分を、重ねたのかもしれないなあ。
 
さらに香苗さんと涼君は、前世でも夢を実現する途中で、サヨナラしていた。

「私の年季が開けたら、彼と所帯を持つ。そしてべっこう細工の店を、構えるつもりだったのに…」
「唐橋と利助の恋は、叶わなかった。廓ならではの事情、シビアなルールが絡んでいた。それらを覆すのは、困難だったわ」

涼君の前世は、べっ甲職人だった。べっ甲で様々な、髪飾りを作った。
高価な品は遊郭が、お得意さんだった。

美容師の仕事と、関連があるな。前世の職業も、少なからず影響したのだろうか?
 
「べっ甲の簪は、花魁の必需品だった。黒褐色のまだら模様、全体が黄色味を帯びたもの、まるで太陽みたい、眩しい輝きを放っていた」

「姐さんも愛用していたべっ甲は、どれ一つとして同じ物は無い。利助の口癖だった」
 
遊女唐橋は廓に出入りする、べっ甲職人、利助と恋仲になった。やがて将来を誓ったものの、楼主に見つかってしまう。

廓で働く者や出入りする職人と、恋愛は御法度だった。
発覚したらサヨナラ以外、道はない。

身の危険を感じた利助は、夜逃げせざるを得なかった。その後の、行方は分からない。

…ウッウッ、かわいそうに。ジェラシーの炎を燃やした誰かが、バラしたんじゃ。

あらまっ、心優しい最高神ゼウスは、遊郭物語に感情移入してしまった。俺たち人間へ、内なる表現を止める魔術を掛けた、ご本人なのにねえ。フフフッ…眉間を通して、すすり泣きが聞こえる。

…ワシの鋭いクチバシで、該当者のカンザシを抜き取って。元の姿、タイマイ亀に戻して、海に返してやったわい。

フフフッ、想像できるストーリーだ。

吉兆であろう金色の鷲が、花魁道中を目指して、シャーッと急降下する。
彼女はツンと澄まして道中を張るものの、内心、期待に胸が膨らむ。

「ワチキの願いを、叶えてくれるのね。沢山あるの、聞いてちょうだい」

「ビュンッ、ヒュッ!(馬耳東風じゃっ!)」

鷲は鋭いクチバシで、花魁の簪を数本、抜いてしまう。
クチバシにくわえたまま猛スピードで、浜辺へ飛ぶ。最高神は、ここで変身を解く。

「いでよおーっ、タイマイっ!!」

簪に魔術を掛けて元の姿、タイマイ亀に戻す。
大柄なゼウスが腰をかがめて、小さな亀を海にかえすシーンは、微笑ましいなあ。
 
「楼主サタンは廓の掟を破った私を、許す代わりに。身請けを、勝手にすすめてしまった」

おっと、脱線してしまった。遊郭物語の続きを、聞こうではないか。ええと唐橋は、悲しいかな…身請けが決まった。

「相手はべっ甲の材料、タイマイを輸入する大店の店主だった」

「唐橋より、はるかに歳上で。楼主サタンと、同じ歳だったわ。店の売り上げが、常に頭の中をしめている様な人だった」

利助は、その大店からべっ甲を仕入れていた。
楼主は表向き、禁断の恋…過ちを許したものの。

唐橋が、のちのちまで後悔するだろう、屈折したペナルティを課した。
楼主にしてみれば、身請けは高額なお金が入るので、これ幸い。ホイホイ、進めてしまった。

 おやっ?「楼主サタン」…この渾名は、どこかで耳にしたような気がする。
緩慢な思考状態なので、思い出せないな。

「さて、そろそろ出発するわ。むらさきと、姐さんが自由に生きる姿を、空から眺めている」

香苗さんの声は、微かに憂いを帯びた。

「唐橋、ありがとう。時間を置いたら、あなた達も生まれ変わるでしょう。
思いっきり、生きて」

二人は、サヨナラの言葉を交わした。

しかしここで終わらないのが、粋な古代ローマの神々だった。

「唐橋はキラリと輝く、べっ甲簪をさして、花魁道中を張った。最後にふさわしい曲を、プレゼントしよう。これを聴きながら昇天するがいい」

「クロノス本当なの? 嬉しい!」

フフフッ…ダンディなクロノスらしい、愛情のこもる贈り物だなあ。
彼は俺の左隣に立つ、北の方角を示している。先は、ヴェネチアの上空だ。

この街は、かつてのローマと同様、多くの娼館が軒を連ねていた。高級娼婦は花魁のように、博学多才だった。
ルーツと関係する場所で、親子は待ち合わせしているようだ。

パチンッ!
クロノスはカッコよく、指を鳴らした。

「シルバヌ、オルフェウス、’O sole mio…を頼む。香苗も一度は、聞いたことあるだろう?」
 「うん、有名な曲ね」

時の神は渋いバリトンボイスで、オ・ソレ・ミオ、「私の太陽」をリクエストした。
太陽のような恋人を、歌っている。
 
「縁がある魂は、再会できる。香苗、心配はいらない」
「そうか…生まれ変わった来世のどこかで、涼と再会できるかもしれない。お互いどんな姿か、楽しみね」

クロノスがオ・ソレ・ミオを贈った、もう一つの理由が、ふと浮かんだ。

べっ甲細工の輝き、遊郭の艶やかな煌めき、夢に向かって邁進した過去と、現世の出来事へ、眩しい太陽光を…照らすつもりではないかな。

前世から現世へ持ち越した事柄は、神聖な「音楽の光」に照らされ、すべて昇華するだろう。

岸田主任と香苗さんの再会は、ひょっとしたら神々の計らい…かもしれない。

ポーーォポンポン…。
 
フフフッ…いつの間にか竪琴の名手、オルフェウスが登場していた

シルバヌスの盟友、神々の音楽療法士は、陽気でリズミカルな前奏を奏で始めた。
 
 
お時間を割いてお読み下さり
ありがとうございました
写真 文 Akito
 
参考図書ほか

数研出版・門脇禎二著
新日本史
 
河出書房新社・杉全美帆子
イラストで読むギリシア神話
 
新泉社・槇 佐知子著
病から古代を解く
大同類聚方探索
 
音楽之友社・独唱名曲80選 
E.ディ.カプア作曲
‘O sole mio
 

良いお年を お迎えください

来年も 皆さまにとって

幸多き一年でありますように


  

 

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