「倫太郎。この幹線道路は、冥界とこの世を結ぶ通り道、ここの出口の一つだよ」
マイカーの助手席に座る愛の神エロスは、幹線道路を見渡す。
冥界の遣い神ヘルメスの面会以外に、目的の場所だった。
言うまでも無く、何かと縁のあるエリアだ。
ワルキューレのグレータに追いかけられた、自宅付近の幹線道路だ。
小田原厚木道路方面に向け、下り車線を走行中している。
「冥界とこの世を繋ぐ通り道ってさ、時空の歪みから生じる、ワームホールの様な物で。
ワープした、出口になるのね?」
普段は神々や女神たちも、クリニックの診察室から、フォロ・ロマーノへ戻る際に瞬間移動…ワープしている。
この機会に構造、理屈を考えてみた。
ブラックホールとホワイトホールを繋ぐ道、ワームホールを通過する状態と似ているのだな。
「そうそう。この幹線道路は、俺たちが得意な、瞬間移動の出口と同じだな。
ヴィンチェッロとカルロ枢機卿は、ハーデス(地獄)を抜け出した。
一人はこの幹線道路に出て、追っ手のヘルメスを撹乱した」
エロスが断言した。
ふと、素朴な疑問が湧いた。
「神々は、美月クリニックや、ウチの待合室とかさ。さまざま場所から、瞬間移動できる。
ハーデスは、出口が少ないの?」
「もちろんだよ。場所が場所だけに、自由に通り抜けは出来ないさ」
「うーん…。
冥界の中でもハーデス(地獄)、特別な場所から脱走した。
不可能な事を、やってのけたのね」
俺は希少な事態に、唸ってしまった。
それだけ彼らは、「魂」をかけた、念をこめていた。
「しかも、グッドタイミングを狙った。
ワルキューレのグレータや、ヴォータンに反旗を翻したヘラとロザも、この幹線道路からワルハラへ戻っただろ?
冥界と繋がる抜け道が残っている、消える前に実行したんだ」
「ははーん、そうきたか」
貴重な抜け道…要はホワイトホールの代用が消える前に、冥界から脱走していた。
「エロス、ジャストな場所に着いたよ」
「ありがとう。この目で、現場を確かめたかったんだ」
デコトラドライバーの長谷川さんが、ヘルメスを見かけた場所に到着した。
俺が彼女と再会した、現場でもある。
マイカーを路肩に寄せて、駐車した。
俺たちは車を降りて、検証を続ける。
「俺とネロも。まさにこの位置で、ワルキューレのグレータを、ワルハラへ送り返したな」
ここで文一爺さんを、呼び戻した。
彼女を国へ連れ帰って、貰ったんだ。
「その時まさに俺は、菌血症やら肺炎で魂を失いかけていたから。事故直後のヘルメスと、同じ状況だったな」
エロスが、苦笑いする。
彼もヘルメス同様、魂の危機に晒された。
尚更、今回の事態に思い入れも強いのだろう。
「本来ならね。
冥界とこの世を繋ぐ、抜け道は残らない、自然に消滅するんだ」
エロスは先ほど明かした内容を繰り返しながら、白いガードレールに触れる。
車両が、衝突したのだろうか?
カードレールは、いびつに変形していた。原因がなければ、事故は起こらなかったはずだ。
「抜け道が残ったら、ヴィントレットやカルロ枢機卿の様に、脱走を試みる者が増えるよな?」
「倫太郎、その通りだよ。
だから、消滅しなければならない」
人間の俺でも、この位は理解できる。
西洋の宗教では、お盆のようや概念は無いわけだから。冥界から「抜け出す、戻る」は、あり得ない。
「だから抜け道が自然に消滅する前に、結託して脱走を企てたんだよ」
「それが新たに、判明した事実なんだね。結託かあ…」
「ハデスとヴォータンが、それぞれの世界で確かめたから、間違いない」
エロスは現場の雰囲気を確かめながら、伝えたかったのだな。
結託とはヴィアンキ兄弟と、サポートしたメンバーが含まれる。
エロスは口元に手を当てて俺の右耳の付近で、囁いた。
夕方だけに、大型トラックの走行が多い。
妖精らに、立ち聞きされる心配は低い。
しかし、油断はできない。
路肩に面したガードレールの先は、多少離れているが森林が広がるからな。
「倫太郎、ヴィアンキ兄弟に力を貸した者はね。ヴォータンから謹慎処分にされた、ワルキューレのヘラとロザだ」
「はああっ?」
予想だにしない展開に、絶句してしまった。
クーッ、また「槍」絡みかよ。
さっきまでは「英雄」…。
この曲に魅せられた信二さんや、人間と神々の愛情に、感動したけれど。
「激情の渦に、巻き込まれるようだなあ。
脳裏に「大洋」が、浮かんでしまったよ」
「同感…翻弄されたような気分だな」
今夜亜子に、弾いて貰うしかないね。
エロスは、クスッと微笑んだ。
「大洋は、さておき。
4人にとって、好都合だったんだよ」
エロスは、冷静に先を続ける。
ヴィントレットとカルロ枢機卿は冥界の河、アケローン(悲嘆)河を渡る、船着場付近をうろついていた。
渡し守のカローンが操る小舟に乗るための、渡賃、1オボロスすら持っていなかったのだ。
かつて栄華を誇ったヴィアンキ一族の、成れの果てとでも言おうか。
懐の深いプルート・バリーニさんが知ったら、逆に哀しむだろうなあ。
ちなみに渡賃を持たない魂は200年、河を渡れない、待たされる。
だからヴィアンキ兄弟は、彷徨っていた。
「そんな状況の二人に、ヘラとロザは目を付けたんだよ」
「好ましい出逢いとは、言いかねるけど。
当人らは、幸運だったろうね」
そりゃ、飛びつくさ。
「俺も事実を知った時は、胸がしめつけられるようだった」
エロスは薄暗くなった道路へ、視線を向ける。
ヘルメスは自動車しか走行しない、「殺風景な往来」で、秘密裏に任務を果たしていた。
挙句、離れたエリアまで追いかけて、事故に遭ってしまった。愛情深いエロスは、居た堪れないだろうなあ。
「滅んだとは言え、かつてイタリアで栄えた貴族を、ワルキューレも忘れるはずはない。
バリーニ家と並ぶ、旧家だったのでしょう?」
「倫太郎の、言う通りだよ。
例の魔力に取り憑かれたヘラとロザは、最高神のヴォータンへ反旗を翻しただけでなく、ワルハラ、故郷を捨ててしまったんだな」
魔力を手に入れるために、力を貸して欲しい。そうすればヴィントレットとカルロ枢機卿の魂を、魔力で肉体へ、甦らせよう。
「取り引きは、お互い望んだ条件、好都合だったわけね。基本ワルキューレは、戦で命を落とす騎士をワルハラへ連れて行く役目だろ?
宗教や神々の国境を、超えてしまったのね」
ワルキューレ達は、北欧の女神だ。
「倫太郎、そうなるよ。
カローンの船着場に白鳥の羽が二枚、落ちていたんだ。彼が発見して、ハデスへ報告した」
それは、白い羽だ。
「ワルキューレは、美しい白鳥に変身できる。
ここぞとばかり美しい姿で、ヴィアンキ兄弟を誘惑したのか?」
手段を選ばなかったのだな。
想像するだけで、おぞましい光景だよ。
「考えたよな。でもそれが仇になった」
エロスによると。
ヘラとロザの企ては、案の定スムーズに運んでしまった。
カローンが船で他の魂を運んでいる隙に、ヴィントレットとカルロ枢機卿を、ペガサスに乗せて脱走させた。
「おそらくヴィントレットとロザが、彼を撹乱したんだろうな。カルロ枢機卿は、ヘラと組んで、例の魔力を横取りに掛かった」
生前の職業を踏まえると、妥当な分担だな。
カルロ枢機卿は、聖書に精通している。
ヴィーナス洞窟で、イエスの奇跡を参考に、もしくは他の古文書を使い、よみがえりや不老不死を主導したのは彼だろう。
だから今回も、適材適所だ。
その一方でヴィントレットとロザは、ヘルメスが日本の上空に慣れてないの知った上で、この幹線道路…つなぎ目に出た。
「向こうはペガサスに乗っているから、スピードも出る。ヘルメスの体力が尽きるのを待って、槍で突いたのだろう。槍の柄で、鈍的外傷を肝臓に起こしたのだな」
エロスは、仲間の交通事故を解明した。
体力が尽きるまで、惑わしたなんて。
無慈悲だな、悲しいよ。
「ヘルメスは槍の柄で、肝臓に鈍的な外傷を受けた。人間界の事故に例えれば、シートベルトの、衝撃だ。
同時にトラックとの衝突に気が付いて、避けたんだな」
「うん間違いない。だから目撃者は、出てこないわけだよ。さっき倫太郎が激情が渦巻くようだって例えたけれど、俺も同感だよ」
エロスと俺は、水滴が頬を伝わった。
車内のダッシュボードからティッシュペーパーを取り出し、ゴシゴシ拭きつつ。
小田原厚木道路の方向、西の空を暫く眺めた。
「ここまで判明したからには、絶対に解決してみせるって。古代ローマの最高神、ゼウスやハデス、重鎮達だけでなく。ヴォータンも更に、知恵を絞ってるよ」
「キーとなる、プルートさんも動いているから、期待できるな」
「うん。バリーニ一族は昔から、カトリックに限らず神々を敬う、信仰深い一族なんだよ」
だから現在まで家業を続け、繁栄されているのだろう。
さて渦中の4人は以前、行方をくらましている。洞窟か教会に潜んでいるか、否か?
そこまでは、判明していない。
「そろそろ、市民病院へ行こうか?」
面会終了時間に、なってしまうからな。
「くれぐれも、笑顔でな。
だから俺はデニムとシャツ…イケメンに変装したんだよ。ヘルメスってさ、普段はシブヤ辺りを歩く、若者風情じゃん?」
一日でも早く、お洒落なヘルメスに復活して欲しい。変装は面会だけでなく、エロスなりの優しさだった。
「俺もデニムとトレーナーなのに、全くイケてない。仕事を終えてさ、フラフラとコンビニへ立ち寄る兄ちゃんだな」
「倫太郎は仕事着、紺色のスクラブ姿が、キリッとして、一番イケて見えるよ」
「そう?ありがと」
俺たちは一先ず気を取り直し、車に乗り込んだ。直ぐに発進し、幹線道路の上り車線へまわった。
クリニックの仕事が定時に終わった亜子と合流し、ヘルメスの面会へ向かった。
お時間を割いてお読みくださり
どうもありがとうございました
写真 文 Akito
※アケローン、渡し守のカローンについて
wikipedia参考