分離が拡散する貝紫色の海。
赤、青、緑色の渦を巻く。
「城壁の拍動と海の異変は、連鎖している」
空に浮く騎士は、身を翻した。
盾と兜を、岩場に置いたままだ。
倫太郎は視線が海へ沈んだままの亜子へ、手を振る。かつて決めた、互いの無事を確認しあう合図だ。
しかし彼女は編み上げブーツの先が、宙を踏み外したようだ。嫌な予感がする。
「緊急避難、感謝する」
フル装備の騎士は右腕に盾、左腕で亜子を抱きかかえる。聖なる力に身を任せた。
ゴトッ、ガタンッ。
騎士の大きな体は看板へ、崩れ落ちる。
倫太郎と拓海、ディアナは待ち構えていた。
「自分は。アンナ…」
少なくとも、この世界の重力も容赦なかった。
「アンナ。紙マスクは重さから、解放されるわよ。いいわね」
頷いてくれた。
女神は丁寧かつ素早く兜を外す。
「亜子、分かるか?俺だ」
開眼しない。体は冷たい。
胸苦しさが襲う。
彼女は彷徨う魂にさらわれ、記憶を抹消された。
「自分のマントを亜子へ…」
拓海が外し、看板に敷く。
くすんだ白いマントに、ダランと広がる四肢。
「倫太郎、アモーレを救えず申し訳ない」
「いいや。俺たちの判断で、時空を超えた。急変は起こり得る」
医者っぽい返事とは裏腹に、絶望感に打ちひしがれる。現実を突きつけられた。
ここに医療機器は無い、ステートすら置いてきた。
…腹水を1.5L引いてから、前代未聞の無断外出。排液バッグは二重にカムフラージュ。外側はデパートの紙袋。岸田主任、主治医もアクシデントレポート書けって、ハアッ。腹減ったなあ…
…腹部の張りが軽減した患者様は、懐かしい街でウィンドウショッピング、映画を観た。腹水が目標量に達するよう速度調節した、血圧低下も予測して。リーダーはアクシデントを事前に予測、予防出来なかったのか?ハアッ。どこかで食べて帰ろう…
…亜子先輩、すいません。まさか他の患者さんをラウンド中に抜け出すとは。マル秘くらいじゃ、煮えたぎらない心よ、明日は夜勤だな。羽沢先生、ごっつあんです!ドォスコイッ!…
ふと、よぎった。
「亜子っ!頼むから、目を覚まし…ん?」
自分の体から残り香…。
まてよ…。
まつ毛、揺れる。消耗反射あり。
微かに動く喉、呼吸は穏やか。
脈拍、触知は弱いが不正なし。
右前腕をつまんで刺激する、手首から先は、左右へ僅かに揺れる。
「アンナ、心配かけたね。亜子はほぼ、内視鏡時の意識下鎮静だ」
最悪を覚悟した分、拍子抜けするほど日常的な状態だ。
「ああっ…良かった。言い訳がましいが、自分の聖なる力は、限界がある」
アンナは拓海に支えられながら、背筋を伸ばしお辞儀した。
「中世時代救急医療は、壮絶だったでしょ?先輩、お疲れっす」
握手した。
骨ばった手、細長い指。
中世時代のサーコートと鎧は、やはりガタイの良さを惑わす…。
それにしても、亜子は昔からお人よしだ。
おおかた、彷徨う魂の思わくに気づかず、さらわれてしまったんだろう。
たぶん俺も、オタク心を利用された。歪んだ時空先で、アルテミス騒動に上手いこと巻き込まれた。
時空の行き来が重なると、判断力や思考も相当鈍る、肝に銘じておこう。
「楓ちゃん。僕に使った聖水を、亜子へ使って下さい。目覚めるまで、額に垂らしてね」
聖水は失われた記憶の回路を探り当てるように、額から体内へ浸透する。
「了解っ!亜子さんは、任せて下さいっ!」
倫太郎は対処を、楓に託した。
「ゴホッ、ゴホッ…ここはフォルム・アエテルヌム(永遠の広場)…すまない、頂く」
アンナは拓海から聖杯を受け取る。まるで水底から湧き上がる、幻想的な声は掠れていた。
「草花が生い茂った、楽園の面影はわずか。異変の原因、生命の樹は病んでいる。共鳴性樹脈不全症候群だ」
『共鳴性樹脈不全症候群?』
倫太郎へ一斉に注がれる視線、しかし彼はブンブン頭を振る。
「詳しく話す。生命の樹は特殊な形状だ、主根は4本。程度の差こそあれ、かなり詰まっている。樹は枯れ、いずれ朽ち果てるだろう」
主根は、エネルギーを循環するだけでない。
生まれ変わりへ進む魂にとって、通り道だ。
「詰まった原因はプラーク。プラークの構成物質は、蓄積した未浄化の思念。それらにも宿る、生きとし生けるものの声なき声だ」
「ははあーん…要は広範囲に、血栓が詰まってる。その影響が樹以外まで、波及してる状態だ」
倫太郎のアセスメントに、アンナが首肯する。
「現在生命の樹は、副血行路を中心にエネルギーを循環。生まれ変わる魂たちの、通り道を確保している」
しかし主根の循環不全を補う副血行路まで、プラークが溜まり始めた。本来は樹を枯らさない為の、予備ルート。
「主根の機能を代償する、副血行路の負担は大きい」
「さながら門脈圧亢進の、側副血行路だ」
腕組みする倫太郎、珍しく表情は硬い。
「アルテミス、マリアちゃん…ごめんなさい。アタシ呑気にF1観て、巡礼まわってた」
エネルギー感度が鈍っていた。
ディアナの視線が彷徨う。
自然を司る女神は、巡礼もミッションだ。
「主根には文明の叡智、魂の徳、集合意識の調和が流れるはずですね?こちらも、影響が?」
鷹は船縁から女神の肩に留まり、頬を寄せる。
「ガイウス、存じておられたか。それらの滞りも、ここの異変を加速している。もちろん副血行路が、流してはいる」
「俺、さすがに魂時代の樹を、覚えて無いすっけど。環境をガラッと変えたヤバイ状態、アルテミスや聖母でも、止められないんすか?」
「お二人と騎士が知恵を絞り、最初の副血行路を作った。自然に広がったものの、結果は対症療法だった。病気の改善には、至らない」
「ハアッ、マジっすか…」
拓海はまるで恐れを鎮めるように、インキタトゥスの背中を撫でる。
「例えお三方でも、病んだ樹を治療、回復できない。根本的な解決は、お三方もできない。それは分かってくれるな」
はっ?みんな頷いてるし…。
アタシ、マジ意味、分かんない。
楓はドギマギした。
ってゆうか、生命の樹って何?
根っこが詰まって、枯れたらヤバいの?
未浄化の思念?生きとし生けるものの声なき声って、どうゆう事?
聖水は亜子の額から、逸れていた。
「樹が枯れたら、具体的にどんなモンダイ…」
「亜子っ!船を降りなさい!」
楓の疑問は、金切り声に遮られた。
亜子を攫った人面植物だ。
「アタシは経験とスキルを、活かさなきゃいけない!亜子、忘れたなんて言わせないわっ!」
人面植物、プライド高っ。
前世の職場で、間違いなくお局だ。
ってゆうか亜子さん、まだ目覚めてないし。
空気読まないマウント、余計にモヤモヤする。
そもそもお局が、チョッカイ出さなければ、アタシ達は、危険な目に合わなかった。
正直、倫太郎先生が倒れた時、後悔した。
治療を控える拓海に、もしもの事が、起きたらどうしよう。タイムスリップデートなんか、しなきゃよかった。
ハアッ…。
ため息のあと、香りを吸い込んだ。
「今は考えるの、やめとこ。お局がうるさかろうが、できるだけスルーしよ」
逃げ出したい気持ちが薄れた。
そうよアタシのミッションは、亜子さんを回復させる。聖水の効果、二度目を確かめたいし。
聖水ディアナ・ブレンドは、かすかな苦味が混ざる
ディープな甘さ。沈みながら、亜子さんの体に浸透して効果を発揮する感じ。
楓はアンフォラを傾ける。
聖水を金色の聖杯に注ぎ、没薬をくゆらせる。
ディアナから教わった作法だ。
ブラックアウトした倫太郎先生も、これでリカバーした。亜子さん、もうすぐですよ。
「フォルム・アエテルヌムは二重構造。外側の城壁は八角形。主要ゲートは4基」
アンナを含め、5人の騎士がゲートに就く。
生命の樹は、内側に存在する。
天然岩の城壁、ゲートは1基。
「城壁のエネルギーも、主根を通してもたらされている。現在はほぼ、副血行路から」
主根4本は、ゲート4基へ繋がる。
ゲートは、主根の終着点。
「現状、樹はエネルギー不足。妙なる拍動も、乱れるはずだ…」
鷹は靄ががった内側へ、目を凝らす。
「フォルム・アエテルヌムは左回り周り。自分が就くゲートは、西に位置する」
4基のゲートは西南東北、方角に従う。
「左回りは帰還の象徴、生まれ変わりを繰り返す、魂のルートに沿っているのね」
巡礼も左周りだ、ディアナが首肯する。
「城壁の八角形を構成する8辺と4基のゲートは、それぞれテーマを持つ。内側も同様だ」
各ゲートの形が、テーマを象徴。
「自分はゲート真実を担当、四角形だ」
ゲート真実は、最も理性と秩序が強い。アンナはゲートの性質を維持する能力を、過去性で積んでいた。
「ゲートと辺が持つテーマは。すなわち魂の普遍的成長を示すのですね」
「その通り。フォルム・アエテルヌムの霊的構造だ」
フヘンテキ成長?レイテキ構造?
ガイウスさん、アンナ…すいません。難しい話し、他人事に感じます。
今のアタシは、完全カヤの外…。
「ま、まさか…と朋子が…彷徨っていたなんて」
「亜子さん!分かります?松本楓です!倫太郎先生っ、亜子さん意識戻っ…うわあっ、今度は何っ!」
船が左右に、大きく揺れる。
ドクン…クン…ドクン…クン。
城壁の拍動リズムは、一拍早まる。
ドクン…クン…空振りする。
「リズム不正イコール、乱れたエネルギーの流れ。
見てくれ、制御不能な現状を。神聖な副血行路を、彷徨う魂までもが、抜け道に利用している」
リズムに翻弄されるかのように、岩場や城壁に生息する特殊な生物棘が、無秩序に人面植物を大量に吐き出す。
ゲート真実の周辺は、既に人面植物に覆われた。ゲートへ足を踏み入れるのは困難だ。
「果実の力で怒り、悔しさ、不要な感情の全てを解消する」
「伝説の果実を、苦労を掛けた家族に渡してくれ。あらゆる幸せが、もたらされる」
人面植物が訴える。
未浄化の思念を解消、生前の願いを叶えるために果実を欲している。
「彷徨う魂は、副血行路の瘤、プラークに引っかかる。魂はそこで停滞し弱るものの、ますます瘤を肥大させる」
プラークの構成物質は。
記憶の断片、エゴ、感情…未浄化の思念。そこには更に、生きとし生けるものの声なき声が宿る。
「彷徨う魂なんすけど。副血行路が抜け道に使える、どうやって気付いたんすか?」
「思念に共鳴さ。プラークが根を詰まらせ、同時に彷徨う魂を引き込む吸引力になる」
時空トンネルを通過した彷徨う魂も、自然と副血行路へ入ってしまう。プラークは浄化どころか、蓄積するばかり。
しかし神聖なエネルギーは、完全に途絶えてない。そのお陰で、副血行路は彷徨う魂達を、外側へ押し返している。
副血行路の出口で「パクッ」、待ち構える棘に食べられる。棘は未浄化の思念が栄養だ。
「飲み込んだ棘の形が、魂の感情を花や草木として、人面植物へ変える」
彼らが発する独特な匂いは、生きた時代、彷徨っていた時間が影響する。
「我々騎士は人面植物を、生まれ変わりへ進める役目をも担う。亜子が手伝ってくれた仕事だ」
人面植物の主張、別に間違ってないじゃん?
なぜ足止めを喰らうの?
楓は首を捻る。
「草木に変化した感情だが。
例えば執着は、絡みつく蔦。
嫉妬 緑黒色の百合。
攻撃性 棘を持つ赤い花。
悲しみ 水気の多い苔類。
依存 垂れ下がるヤドリギ…だな」
ギクッ、「カエデ」は?
亜子に純粋な聖水を飲ませながら、キョロキョロした。
「くっさあ…」
マスクの上から鼻を摘む。
何とも言えない刺激臭に負けた、自分探しを諦めた。
こんな環境にいたら、アンナも病気になる。
匂いは、兜でブロックできるの?
担当ゲート、ローテション制にすべきだよ。
「プラークが溜まるにつれ、美しい草花は枯れた。代わりに棘と人面植物が増えた」
「ヒール役っぽいエグイ棘、ナチュラル・キラー細胞みたいっすね」
「拓海、うまいこと言うな」
レインボー・ウルフは、初めて微笑む。
すぐに表情を引き締めた。
「ゲート真実の主根と副血行路詰まりが、最も深刻だ。真実は、嘘の陰に狙われやすい。偽りの愛、執着や妬みが多いな」
ゲート付近の海水は分離、変色。
空は常時、瞑色。
「実は各ゲートから主根を造影して、病気の進行をチェックしていた。倫太郎、読影してくれないか?」
「すっげぇ…もちろんっす、先輩!」
アンナは盾のロゴマーク、ブラッククロスへ手を伸ばす。彼女は定期的に、検査していた。
『ビューッ』
突如、轟音がとどろく。
「しまった!人面植物だけじゃ、すまない」
北西を睨むアンナ。
細長い尾を引く、物体が迫っている。
「未浄化の思念に共鳴した、彷徨う魂と個的無意識だ!巨大な質量の集合体だ」
中にはどこから手に入れたのか、貝紫色の焔を手にしている。
「伏せろ!焔を使って、強行突破するつもりだ!副血行路から生命の樹、果実を目指すに違いない」
集合体のエゴは、副血行路の詰まりを加速する。
アンナが剣と盾を掴む。
「今は力を抜いて!焚き付けるだけよ」
ディアナは躊躇なく、騎士を抱き寄せる。
聖なる衣、ロングチュニックの影へ、引き入れる。
「船は結界を張った、安全よ」
女神は自らの身体を、盾にした。
アンナは残り香で心を鎮めた。
没薬はどこか懐かしい、野性味のある甘さだ。
「ブルルッ…」
鼻息洗いインキタトゥス、後ろ脚で船縁を蹴り始めた。
「ガイウスさんもいる、大丈夫。離れないよ」
拓海はペガサスの胴体・後ろ脚をヒマティオンで覆う。
倫太郎は船縁から動かない鷹を、反射的に掬い上げた。丸めた胸に隠した。
「5年生存率、膵臓癌は低い。でも果実を食べる、娘の結婚式に出席できるわ」
はっ、お母さん?どうしてここに。
楓の母親は、夏に膵臓癌の手術を受けた。
「お母さんっ!ここは危険、元の世界へ戻って!」
楓は立ち上がる。
「きゃっ!」
力任せに引っ張られ脱力。
「離して亜子さんっ。お母さんがいるの!」
「集合体の罠よ。人面植物と同じ、私達の力を借りたいだけ。お母さんは心配ない、夢の中」
フワッ…くゆらせた香りだ。
お母さんに抱きしめて貰った、最後はいつだったかな。楓は混沌から遮るように、亜子の胸に顔をうめていた。
「知恵の果実がある、アグリッピーナが教えてくれた。息子には、幸せな人生を歩んでほしい」
あっ、拓海のお母さんだ。康子おばさんは万が一を考え、有給を取ってくれた。
治療前のデートに、協力してくれたんだ。
当の拓海は、動いた気配がない。
亜子さんの言うとおり、アタシは二人の寝言を、聞いてるだけかもしれない。
「次期皇帝ゲルマニクスは、ローマ市民から絶大な期待、支持を得た。わたくしは貴方と家族を守った。それなのにマラリアは、守れなかった。悔しさ、悲しみ、後悔は消せない」
『ドーン』
集合体が城壁に激突、火花が散る。
振動が船を揺らす。
堅固な城壁が、巨大なエネルギーにぐにゃっとゆがむ。木の葉の様に舞う、破砕片。
「こちらアンナ!城壁再生が突破された。仲間と切り抜ける。余波は対処してくれ、幸運を祈る!」
アンナはコンパクト、ミラータブレットを使った。
集合体は濁流のごとく、城壁へ流れ込む。
空いた穴はゲートを中心に、向かって左側。
露出した副血行路から、濁った液体が溢れ出す。
ガガガガッ…。
巨大な衝撃は、岩場の一部を崩壊した。
「チャンスだ、樹を目指せ」
「内海を進め、早回りできる」
人面植物は荒れる海に、嬉々と揉まれている。
船はすんでの所で浮いた。
鷹が倫太郎の胸から顔を出す。
「集合体の通り道は、副血行路だ。先周りして、行き止まり…出来ないか?」
果実へ辿りつくには、主根を経て樹幹を遡る。
「ガイウス、冴えてる!副血行路の内腔も、詰まって細いはずだ、時間もかせげる。アンナ、どうだ?」
「よし、いける」
『ドクドクドクドク…』
異常に速い城壁の拍動、循環不全は顕著だ。
集合体が狭い副血行路を、通過するサイン。
「亜子!ぐずぐずしてるからVt(心室頻拍)起こした!間も無くVf(心室細動)よ。脈は打たない、痙攣してるような状態、早く対処して!」
お局、やっぱり空気読まない…。
「アタシは野間に謝って、今度こそ持ちかける。それには、どうしても果実が必要なの」
お局は本当に、野間先生の元カノなんだ。
「亜子さんは優しい。迷惑かけられたお局を、受け流してますけど。昔の仕事仲間ですか?」
「えっ、お局?ああ長平朋子は母校の同級生、消化器外科病棟でも同期よ」
「マジっ」
歳上以外、あり得なかった。
「朋子は志しを持っていた。海外派遣中に、体調を崩してしまった」
人?は見かけによらない。
お局は海外で、医療に従事した。
派遣先は開発途上国。場所は多分、地図を見ても、アタシにはよく分からない国だろう。
とにかくお局は、首都から離れた病院に就いた。
病院は無医村から片道2時間以上歩いて、来院する方もいた。
お局は体調不良を感じつつ、任務を続けた。それでも限界が訪れた、急遽帰国。
「朋子は元職場、病棟へひょっこり現れた。日焼けした顔は、頬骨が突出して。それでも、はにかんだ」
外来、待ち時間だった。
担当の倫太郎先生は、彼女にとって昔の職場へ緊急入院させた。
その時、野間先生は。
合併症を幾つか抱えた、難しい食道の手術に入っていた。病棟主任と倫太郎先生から、恋人の帰国、病状を知った。
現在彼は、丘永病院で乳腺外科を担当してる。
アルテミスの主治医は遠方からも受診されて、むちゃ混んでる。受診歴がある、お母さんから聞いた。
「朋子は緩和ケアを続けながら、入退院を繰り返した。半年後、私と絵里先生が看取った、夜勤ね」
野間先生は、ICUから駆け付けた。
「みなさん、今のアタシとそう変わらない、20代後半ですよね…」
選んだ仕事とは言え、家族じゃない誰かの生死と向き合った、お局も。
お局と野間先生は、派遣前に婚約した。
帰国以降、お局は婚約者に心を閉した。
超多忙な彼の足は、自然と遠のいた。
お局の悔しさ、悲しみは共感できる。アタシと拓海、母親達も似た様な思いを味わってる。
でも昔の友人をさらって生命の樹、果実を狙う、これは許される?ココロザシ、どこいった?
あれっ?こうゆうモヤモヤした感情が。
未浄化の思念、根を詰まらせている原因?
生きてるアタシにも、沢山あるじゃん…ヤバっ。
「倫太郎。ミラが受けた血管造影検査、応用できそうだな」
キラッ。
オッドアイ、スカイブルー&レッドが光る。
「ガイウスっ!いけるよ。IVR(※インターベンショナル・ラジオロジー)だ。副血行路を塞栓術で閉塞すれば、集合体は先へ進めない」
倫太郎は肝動脈動化学塞栓術を例に、アンナへ手短に説明した。(※画像診断を用いながらカテーテルで血管内治療を行う)
彼女の理解は早かった。
「塞栓後、おそらく集合体は逆流する、外へ脱出をはかる。一部の魂は棘にキャッチされる、彷徨うより無難だ」
人面植物は時間が経てば、生まれ変わりへ進む。
直ちに準備。
塞栓物質は、ガイウスが首に下げる八角形のクリスタルと没薬。薬剤は没薬、鎮静効果を狙う。かつプラークを溶解可能か、確認できる。
亜子は鎖ごと、クリスタルを外しにかかる。ちょうど彼女の母指等大。
鷹の鋭い嘴でクリスタル、塞栓物質を穴へ挿入する。
カテーテルは、ディアナの矢。
女神は矢を空洞に変えた。かつ血栓と、狭い内腔を通り抜ける、しなやかさ弾力性を加えた。
造影剤とフラッシュ用の生理食塩水は。アンナの本領発揮、ブラック・クロスのエネルギー。
これで主根と副血行路を造影、チェックしてきた。
「ゲート真実周辺の、主根と副血行路の最新状態だ。今月1日に、造影した」
「すっげ、3Dだ」
「中世とは言え、自分も医師だ。臨機応変に対応できねば」
アンナの盾は、画像検出器。
「俺、没薬準備しますっ。ガイウスさん手順は、聖水と同じっすよね。ウェスタの竈を模した、香炉を使う」
「拓海君。今度はクリスタルの角をなぞるように、煙をくゆらせて」
亜子は頷く拓海へ、鎖とクリスタルを渡す。
ダブルチェックのためインキタトゥスを伴い、拓海は船室へ急ぐ。
「待って、アタシも手伝う!」
楓は後を追いながら、自問自答した。
アタシ達は今。
魂や無意識の、希望の芽を摘もうとしてない?
いっそ果実を解放すれば、何もかも解決するのでは?その後で新しい樹を、植えればいい。
「とにかく今の選択は、間違ってそうで怖い」
頭がズキズキしてきた。
敷居で、振りかえる。
亜子さんは倫太郎先生の横で、記録を始めた。
見覚えのある、小さなノート。
仕事中、必ずウェアポケットに入ってる。
IVRが始まる。
穴を開けられた城壁再生は、北西に位置する。
ゲートを真ん中に、向かって左側。
カテーテルの挿入は反対側、城壁調和へ決まった。
調和は南西、向かって右だ。
「倫太郎、亜子。矢を挿入する副血行路だが、相応しい刺入部を、判断してくれ。入り口は画像に出る、矢の先端を合わせてくれ。必ず挿入できる」
これまでのデーターが、反映されている。
「了解。しかし城壁調和の副血行路も、想像以上に、プラークが目立つな」
「内腔はもろいだろうから。出血しやすい、血栓も飛びそうね…棘も注意」
倫太郎と亜子はプラークが少なく、かつ副血行路でも比較的太い部位を選んだ。
かろうじてエグイ棘は、生えてない。
盾は赤い星印で、挿入位置を表示した。
ゲート真実から610センチ、かつ高さ89センチ。
「ディアナ。副血行路の入り口と矢の先端が、重なる、ここが穿刺部位です」
「こりゃ誕生以来、初めての経験だ…」
倫太郎と亜子は、盾と弓矢の照準を合わせた。
「古代ローマの神々よ。女神ディアに、畏れを乗り越える力を与えたまえ。ハッ!」
ビジュッ。
弓の名手が放った矢は、堅固な壁を貫通、ゴルフボール大の穴を開けた。
弾力性を備えたカテーテルは狭い内腔、プラークの隙間を縫うように、しなやかに進む。
「よし、造影剤と生理食塩水だ」
アンナが剣を抜く。
切先を盾、ブラック・クロスにあてがう。
エネルギーは穴を通過。
ディアナの矢、カテーテル内部を流れる。
動きは盾が映す、倫太郎は画像の前で腕組みする。
船縁に立つ女神と騎士。
IVR終了まで、エネルギーを注ぐ。
自分の狙い通りだ。
消化器外科医を中心に、チームでIVRを施行している。倫太郎の技術、経験と知識がなければ不可能だ。彼がカテーテルを操り、造影剤を注入、生理食塩水をフラッシュしている。
自分はトレーニングを積んでない、サポートに徹するつもりだ。
「先輩、確認お願いします。集合体が進む副血行路と、主根の合流部はここ?主根の先は、かなり太い枝に変わる、これが樹幹だね?合ってる?」
倫太郎は、画像をなぞる。
「読影、さすがだ。間違いない」
ディアナのカテーテルは狭い主根へ到達し、さらに先へ。
かたや集合体。最も樹幹に近い、副血行路を進んでいる。彷徨う魂、個的無意識は造影されない、副血行路が這う様な動きを見せる。
集合体が主根に出てしまえば、樹幹へ難なくたどり着く。その距離、21センチ。
仮にカテーテルを左へ進めると、主根を下る。
狭くいびつな内腔は、塊が非常に目立つ。
「共鳴性樹脈不全症候群」、神聖な樹を蝕む病だ。
「ディアナ。カテーテルの先端を、集合体が使う副血行路へ出して…オッケー。いったん、そこで留置して下さい」
次は塞栓。
「よし順調…あれっ、クリスタルは?」
「やけに、時間がかかっているな」
怪訝な顔をする、倫太郎とガイウス。
亜子が、素早く船室へ。
「急変です」
戻った亜子は、一瞬唇を噛む。
「塞栓物質、変更が必要です」
船室に若い二人、インキタトゥスの姿はなかった。
誰も返事ができない。
「クリスタルと没薬も消えた。ストックは乳香以外、ありません」
亜子はウエスタの竈を差し出す。
香炉に炊かれた樹脂から、白い煙が立ち昇る。
スッとする、爽やかな甘いかおりだ。
「災い転じて福となす。倫太郎、乳香の浄化作用は、没薬に比べ相応しいかもしれん」
「クリスタルの代わり、塞栓物質はブラック・クロスを使ってくれ。亜子、頼む」
亜子は細長い首から、ペンダントを外す。
ブラック・クロスを取った。
クロスの角を繋げた円の大きさは、クリスタルとほぼ同じ。
亜子はクロスの角をなぞるように、乳香をくゆらす。鎖はパンツのポケットにしまった。
「倫太郎とガイウスは、記憶に新しいはずだ。エフェソス時代、私は銀細工職人頭だった。クロスはアルテミス神殿騒動の発端、パウロの同行者と交換した。まあ厳密には、時代を経て」
チュートン騎士団時代、サレルノへ留学した同期と交換した。
黒は光を拒まない、本当は通すための色。どうか不要な物を、溶かしてください。
亜子は祈った。
「神聖なお守り、捧げます!」
クロスを加えた鷹が飛び立つ。
ゴルフボール大の穴より小さく、体を縮小させてゆく。目指す城壁調和は、斜め右方向。
鷹はゲート前を通過。
ブスブスブスッ…。
『ガイウスッ!』
なんと人面植物が、棘を放った。
数本の棘が、鷹に突き刺さる。
膨張する体が、急降下する。
「クロスとガイウス、私に任せてっ!」
亜子が飛び出す。
編み上げブーツ、履いたままだ。
「くうっ…ナガヒラアーッ!泰斗さんが惚れた熱情、彷徨ってんのか!」
倫太郎は叫んだ。
…結婚秒読みの二人に心配かけちゃったけど、幸せのお裾分けね。羽沢君、腹水が2L引けて、お腹の張りが和らいだよ。亜子、ごめん。現地のゆるさが抜けなくて外出希望、届出を忘れた。担当ナースさん固まってるけど、二人のコト初耳?うわっ、ごめーん…
「倫太郎さん!」
「あっ…」
亜子が手を振る、水面スレスレを飛んでいる。
振り返した、頭に登った血が下がっていく。
亜子はいつのまに、ヒマティオンを巻き付けた?
頭から被ってる。
古代の布は行手を阻む風、波を跳ね返す。
「クロス、ありました!」
やっぱり朋子だ。
ブラック・クロスをキャッチしていた。
赤い薔薇、人面植物は崩れた岩場付近で、浮いている。しかし、直ぐに手は出さない。
亜子はウェアポケットから、皮手袋を出す。
ゲートで使った、優れものをはめる。
「亜子と羽沢君が、手を繋いで神殿に現れた。懐かしさ、羨ましさが込み上げた。また迷惑かけて、ごめん、本当に悪気はなかったの」
クロスは朋子の頭、棘に絡まっている。
鋭い棘は、茎を隠してる。
新たに生えた苔や蔦まで、棘が生えている。
棘に狙われたら、ひとたまりもない。
「謝らないで、オツボォネ。日本で蚊帳はインテリア、懐かしさの象徴でしょ?」
仲間も赤い薔薇だ。
「そうよ。そうだった…亜子、許して!アタシは赤い薔薇の花を、現地に贈り続けた。毎日一本ずつ。救えるはずの命が待ってます、祈りを込めた」
ブスブスブスッ…。
二人が放つ棘の雨。
パチン、パチン。
ヒマティオンが全て、退けた。
亜子は二人の背後に回る。
「古ぼけた布は、いっそ燃やしましょ。良いわね?オツボォネ」
「お願い。誰よりも早く、果実が必要なの。亜子、今度こそ手伝って」
朋子は自ら傾き、土台をつくる。
仲間の口元が、赤い海水へ浸る。
今がチャンス。
亜子はクロスに絡まる棘を、解きにかかる。
朋子の頭が、前後左右に揺れる。
どうやら仲間が、水を上手く吸い込めない。
顔中に生える植物が、飲水を遮っている。
ポチャッ…ポチャン。
二人の体勢が崩れた。
「亜子、知ってるでしょ。マラリアは予防も治療もできるのに。今だに現地は、命を落とす感染症よ」
現地の情報は、確かめてる。
朋子は私の視野を、マラリアだけじゃ無い…広げてくれた。
今でこそマラリアは、ワクチン接種、遠隔医療支援も始まった。日本では発生地域へ渡航、持ち込み以外、感染しないわね…。
溢れ出る思いを胸にしまったら、脳裏をよぎった。
…亜子・羽沢君、日本は明るいでしょ?こちらは普通に電気が止まる。医薬品不足、配達遅延も普通。外科治療がもっと可能なら…考えはつきないし。現状を言葉では伝えきれない、歯がゆいよ。
オツボォネ。現地スタッフが日本語を勘違い、妙な渾名で呼ばれてる。ようやく、溶け込んだかな?…
「オツボォネは、娘を旅出させてくれた、マラリアだった。忘れない5歳の誕生日、前日」
「だから果実を手に入れて、途絶えた時間を取り戻す。野間と積もる話をする。素直に、貴方の力を貸して貰えませんかって…」
赤い渦が、二人を飲み込んでゆく。
時間を超えた優しさと悲しみが、深く深く浸透するようだ。
香りは立ち昇り、沈んでいるから。
そっと離れた。
城壁調和へ移動した。
ポケットから出した、20CCシリンジを握る。
先端は、ピンク色18G注射針が付く。
船室で、ふと聖水を充填した。
シリンジとピンク針は、パンツのポケットに残っていた。クリニックの処置室で、使わなかった物だろう。
「ブラック・クロス、聖水でフラッシュします」
穴のサイズは、注射器の外筒より太い。
しかし外へ漏れず、クロスは内部へ流れた。
「後は、お願いしますっ!」
傷を負った鷹を探す。
「亜子!任せてっ、やり遂げるわっ!」
威勢は良い。
しかしディアナの全身は、ガタガタ震えている。
…ガイウスはローマ時代から、アタシを崇拝してくれた。ディアナの鏡、ネミ湖はね。古代の思い出に溢れてる…
「ディアナ。カテーテルの先端、副血行路に出てますよ、そのまま留置を続けて下さい。アンナはクロスを流して下さい。あと一息です」
そう…あと一息。
倫太郎は自らへ、言い聞かせた。
脳内で、樹の副血行路は肝臓周辺の動脈と重なっていた。
カテーテルは、右鼠径部の動脈から挿入した。
腹部大動脈を進み、腹腔動脈へ入った。更に総肝動脈を経て、分岐部を左へ。
そこは胃十二指腸動脈だ。
胃の外側、大弯を栄養する胃十二指腸動脈。
ここが、塞栓部位だ。
矢の先端から、塞栓物質ブラック・クロスが放出した。
「やった、完璧っす!先輩っ!」
「やれやれ。前回の過緊張、800年以上昔だ」
ブラック・クロスは、問題の副血行路を塞いだ。
クロスの左右から、モヤモヤした何かが拡散する。
「アンナ!城壁再生、また異変です!ブルブル震えて痙攣してます」
鷹を探す亜子が、いち早くキャッチ。
「やはり集合体は、行き詰まった。副血行路を逆流している、出口は分からない!」
「まさか困らせる、タイミングを見計らった?合併症を起こして、今度も突破するつもりじゃ…」
疑い、不安が倫太郎を襲う。
…見られてるぞ倫太郎、白衣のボタン掛け違えてる。腹腔穿刺、やってみろ。大丈夫、俺がいる、患者さまへ負担は最小限にとどめる…
乗り越えろ俺。
ここまでの手技、経過は順調じゃないか。
「今は何が起きても優先は、塞栓術の終了です!矢とエネルギーを、ゆっくり引き抜いて!アンナ、逆血させるようなイメージで…そう、良い感じ!」
アンナは女神のテンポに、エネルギーを同調。
倫太郎のリードで、慎重かつ迅速に引き抜いた。
『ドドーンっ!』
轟音と共に、ケード真実が崩壊した。
『出たあーっ!』
出口を求めた集合体は、ゲートを破壊した。
崩れたゲートから、圧縮されていたエネルギーが怒涛のごとく溢れ出す。
「騙したのは誰だっ!狭いトンネルじゃないか!」
「白状して、どこに生命の樹を隠した?」
「秘密を知る者は、あの船にいる!」
『ゴオーッ』
怒りのエネルギーは、竜巻へ変わる。
船を転覆させるつもりだ。
「ダイブだ。自分が先に出る、二人を受け止める」
「オッケー!流れる岩へ、不時着だ!」
「ド、ドスコイッ!」
や、やるしかねえ…。
亜子と鷹を助けにゃならん。
「アンナ、待って!」
ディアナはすんでのところで、サーコートを掴む。
「見て、看板に日差し?でも空は瞑色よ」
「なぜ明るい?…」
「竜巻、遠ざかってやしないか?」
三人は、船縁に佇んだ。
『ザザザザッ…』
黄金のネットが、光の粒を放っている。
ネットは竜巻を、勢いよく吸い込んでいた。
2頭のペガサスが、黄金のネットを張っている。
騎手の赤いマントが風になびく。
二人は、ウルフカットだった。
お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました
参考図書ほか
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角川ソフィア文庫・岩波文庫 中村元著
ブッダ伝 思想と生涯・ブッダ真理のことば感興のことば
中公新書 鶴見太郎著 ユダヤ人の歴史
MEDIC MEDIA 病気がみえるVOl.1
新共同訳 聖書
新潮社 塩野七生著 ローマ人の物語Ⅶ
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