太宰治から学ぶ「勉強をする意味」の話 | M社長の痴れ言

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横浜で小さな会社を営んでいます。

日々、経営者として思うことをつらつらと書き連ねていく
自己満ブログ

今でこそ言いたいことを歯に衣着せず

豪快な発言でみんなをヒヤヒヤさせる性格ですが

M社長にも小中学校に通っていた時代がありました




「学校の勉強なんぞ

社会に出てなんの役にも立たんやろが!!」

なんて先生にいったこともありました



(あれ?今とあんまり変わらない...?)



最近、太宰治の本を読み


なんで学校に行って勉強するかがわかりました



勉強はいいものだ。代数や幾何の勉強が


学校を卒業してしまえば、もうなんの役にも立たないと


思っている人もあるようだが、大間違いだ。


植物でも動物でも、物理でも化学でも


時間の許す限り勉強をしておかなければならん。


日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、


将来、君たちの人格を完成させるのだ。


何も自分に知識を誇る必要はない。


勉強して、それからけろりと忘れてもいいんだ。


覚えると言うことが重要ではなくて、


大事なのはカルチベートされるということなんだ。


カルチュアというのは、公式や単語をたくさん


暗記することではなく、心を広く持つということなんだ。


つまり、愛するという事を知る事だ。


学生時代に不勉強だった人は、


社会に出てからも必ずむごいエゴイストだ。


(太宰治「正義と微笑」より)





どこぞの不登校の小学生YouTuberは


「漢字はググればいいし、計算は電卓を叩けばいい」


と発言して話題になっているようだが、


やっぱり子供は子供だって話。