4月から5月の初旬は本当に毎日生きることに絶望していた

意識はあるのに体が動かない、全ての任意を他人に全権委ねないとならない状況の恐ろしさたるや筆舌に尽くしがたいものであった

精神的にも肉体的にも追い込まれていた

最初の一ヶ月半は本当に一睡もできず自律神経も乱れまくっていた

尿閉の為、尿道にバルーンカテーテルも約二ヶ月入っていた

かねてからの便秘も病院で投薬コントロールされる為とんでもなく悪化して3日3晩排便に苦しんだことなどもあった

余談であるがあまりにも酷い便秘だった為、

朝食前グーフィス3錠

朝食後酸化マグネシウム2錠

アミティーザ1錠

モビコール1包

昼飯後酸化マグネシウム2錠

夕食後酸化マグネシウム2錠

アミティーザ1錠

モビコール1包というとんでもない量の下剤をずっと処方されていてコントロールは自分に任せるということに今はなっている(今は毎日下痢笑)


神経内科の病棟には約五十人の看護師がいる(ローテーションで昼は20人くらい?)が、とにかくひっきりなしにphsが鳴っている

大半はナースコールなのだがこれは精神を病むぞというくらい忙しそうであり大変そう

なのに自分ときたら食事は介助してもらわないと食べられない、寝返りも打てない、喉が渇いたらブレスナースコールで看護師を呼んで口元に飲み物を当ててもらい飲料をストローで飲む、額が痒くなるとかいてもらう、足の向きがなんか気持ち悪いので動かしてもらうなど、枚挙に暇が無いがそのうち看護師さんに愛想を尽かされるのでは無いかとうっすら怯えていた

しかし看護師さんの大半は微塵にもそんな態度は見せず優しく対応してくれたのであった

ほとんどが若く20代の看護師であったので自分みたいな何もできない役立たずに若い労働力のリソースを割いてくれることに非常に申し訳なさも感じていた

体が全く動かない時は毎日泣いていた

体はあるのに管理者権限が自分にないのである

時々ブレスナースコールが反応しない時など心底怖かった

そんなわけないのにこのまま病室に誰も来ないのでは無いか、今自分が助けを求めているのにほっておかれるのでは無いかみたいな恐怖が襲ってくるのだ

そのくせ、深夜にはきっかり2時間おきに褥瘡防止のため寝返りを打たせにやってくるのを鬱陶しいと感じていた(だって全然眠れんのやもん)

寝返りはまっすぐ仰向けで寝るのが一番平気だった 右とか左に体位変換するといつも15分くらいで足の骨と骨がぶつかって痛くなりモドシテモドシテ、、という始末だった

そんな状況下におかれ仕事も復帰できそうにない、このまま体も動かないまま生殺与奪の意思も自分ではどうすることもできないことに心底怯えた

なぜ日本には安楽死制度がないんだと嘆いた

動かない指でなんとかスマホを操作してスイスに行けばそういうサービスがあることを知ってお金はかかるかもしれないけど、、少しホッとした

さらに調べていくと、くらんけさんという女性がかつてスイスを訪れ、安楽死直前で中断したことなどがネットに書かれていた

どれほど壮絶な病との戦いだったのだろうとネットを探すとくらんけさんの病はcidpであった

自分と同じ病名である

ショックをかなり受けた

やはり安楽死を求めるほどの病なんだと再認識させられたから(くらんけさんの絶望はおそらく自分の比ではないほど深いものである)

さらに体が動かないことの恐ろしさを目の当たりにすることになるのは6月すぎての話

ながくなり過ぎたのでまた次回