


今回はこちらにひきつづきまして、
作者の妻の守護霊の1人である小桜姫を通して
書かれた
霊界の実話である小桜姫物語シリーズ。🌸
この小桜姫の死後は、魂の因縁の関係もあり
ほとんどの人は気軽に会えないであろう
存在に会える機会がたびたび訪れる。
結果的に現世にも存在する神社にて神様として祀られているように、
再度人間として輪廻転生する魂達とは違った修行の道を歩んでいるようだった。
(生前の母や夫にも驚かれるたびに、『全ては身魂《みたま》の因縁からの役目が違うだけで、別に資格だの上下の関係だのがあるわけではないと思いますわ。』などと謙虚に説明しておられた。)
そんな修行の中で、特に印象に残った
神様達との出会いについてまとめておきたい。
まずは現世においても多くの神社で
祀られている、
あの豊玉姫・玉依姫という
女神様達のお話。
〜〜
このお二方は姉妹ということなんですが、なにぶんにも龍宮界のことはあまりにも奥が深く、私にもまだおふたかたの関係がよくわかっていません。お二人が本当に姉妹の間柄なのか、それとも豊玉姫の御分霊が玉依姫であられるのか、どうもその辺がまだ私の腑に落ちません。
ただどんな関係にせよ、おふたかたがお互い切っても切れぬ因縁の姫神でいらっしゃることは確かなようです。
私はその後何度も龍宮界に参り、そして何度もおふたかたにお目にかかっておりますので、少しはそのあたりの事情に通じているつもりです。
この豊玉姫様というお方は、第一の乙姫様として龍宮界を代表なさるほどの尊いお方ですので、やはり何となく貫禄があります。どこかしら龍宮界の女王様といった感じなんです。お年は二十七~三十歳ぐらいに見えますが、もちろん神様に実際の年齢なんか意味がありません。
ただ私たちの眼にそれぐらいに見えるというだけなんですけど。
それからそのお顔はどちらかといえば下ぶくれの面長、目鼻立ちが取り立てて優れているということはありませんが、全体によく整った、実に品のある素晴らしいお顔をされており、そして身のこなしは本当におしとやかな感じです。
私がどんな失礼なことを言っても、決していやな顔お一つお見せにならず、どこまでも親切に色々教えてくださいます。そのお気持ちのお優しく素直でいらっしゃることは、どこの世界を探しても、あれ以上のお方はいらっしゃらないと思うほどです。それでいてその奥の方には凛としたたいそうお強いところも備わっていらっしゃるんです。
第二の乙姫様、玉依姫様の方は、豊玉姫様にくらべてお年もずっとお若いようで、やっと二十一か二十二歳になったばかりのように見えます。お顔はどちらかというと丸顔で、見るからにたいそうお陽気そうで、服装は思いっきり派手です。
ちょうど桜の花がぱっと一時に咲いたような華やかさがおありなんです。
私が初めてお目にかかった時の服装は、上着が白の薄手のものに、何枚かの色物の下着を着けられていました。帯は前に結んでだらりと下げ、その他にもいくつかのヒラヒラした長いものを巻きつけていました。
これまで私が知っている服装の中で、一番弁天様のお身なりに似ているような気がしますわ。
とにかくこのおふたかたが龍宮界切っての花形であり、お顔も気性もどこか似通ってはいるのですが、幾代かに渡って御分霊を出されていく内に性質の相違が次第に強まっていったようで、末の人間界の方では、豊玉姫系と玉依姫系の区別がかなりはっきりつくようになってきているみたいです。
大雑把に言って豊玉姫の系統を引いたものはあまりはしゃいだところがなく、どちらかといえばおしとやかで、引っ込み思案といってもいいほどです。
これに対して玉依姫系統の方は至って陽気で、進んで人の間に割って入っていくような方です。
ただ人並みはずれて情け深いことは、おふたかたに共通の美点で、やっぱり姉妹の血筋は争えないようですね。
〜〜
私も色々な神社にて
お参りしたことがあるのだけど、
まずは
「ちゃんと存在するんだな、良かったぁ」っていう安心感(?)を感じた🥲
神社に常にいるわけではないし
時に遠いところにいたとしても
誠実な気持ちでお参りしていれば
それはきっと通ずる時があるのだと
感じたのだった。
〜〜
くつろいで来客の応対をする時なんかは、こんな綺麗なところに住んでこんな綺麗な姿をお見せするけれど、私たちだっていつもこうじゃないんですよ。
人間の修行もなかなか辛いとは思いますが、龍神の修行だって負けてはいません。現世には現世の執着があり、霊界には霊界の苦労があるんです。
私だってまさに修行の真っ最中、一時だって遊んでなんかいられません。
〜何はともあれ私たちの世界にだってなかなか人間にわからない苦労があるということをよく憶えておいてくださいね。それがだんだんわかってくれば、現世の人間もあんまりわがままを言わなくなるはずですから。』
こんなまじめなお話をなさる時には、玉依姫様の美しい顔がキリリと引き締まって、まともに拝むことができないほど神々しく輝いて見えました。〜〜
まぁなにはともあれ私たち人間もこれからは
「神様って普段なにしてんやろー?高みの見物??人間だけこんな地獄のような現世で修行辛くない??」とか思わないようにしたいな🥲
〜私がその日玉依姫様からうかがった事はまだまだたくさんありますが、残りはまた別の機会にお話することにします。ただここで一つだけ付け加えておきたいことがあります。
それは玉依姫の分霊を受けた多くの女性の中に、弟橘姫《おとたちばなひめ》様がいらっしゃるということです。『彼女は私の分霊を受けて生まれたものですが、多くの中で彼女が一番有名になっています。』そうおっしゃる時の姫は大変お得意のように見えました。
〜〜
この話のしばらく後に弟橘姫さまにも
お会いした話があったのでこちらも
載せておきたい。
〜〜
そここそが弟橘姫さまの日頃お好みの修行場で、洞窟の入り口にはちゃんと注連縄が張られていました。もちろん弟橘姫さまはいつもここにばかりおられるわけではなく、現世に立派な祠があることからもわかるとおりこちらの世界にもそのようなものがあり、御用があればすぐそちらにお出ましになられるそうです。ー
ーすぐに気配を察して奥のほうからお出ましになられたのは、私が長年お慕いしてきた弟橘姫さまでした。第一印象は年の頃やっと二十四~五歳ぐらい、小柄で細面の大変美しい方でした。
どことなく沈んだ印象もありましたが、きりりとしたややつり気味の目元には、すぐれたご気性がうかがわれました。ー
ーお召し物はまた私達の時代の服装とはよっぽど趣きが違い、上着はやや広い筒袖で、色合いは紫がかっていました。下着は白地で、上着より二、三寸(約6~9cm)はみ出し、それには袴のように襞《ひだ》がついていました。髪は頭のてっぺんで輪を作った形で、そんなところにも古代風の雰囲気が漂っていました。
お履物は黒塗りの靴みたいなもので、木の皮かなんかで編んだものらしく、重そうには見えませんでした。
その口数の少ない控えめな物腰が、私には何より素敵に思えました。『やっぱり歴史に名高いお方だけのことはあるわ。』心の中でそう感心しながら、誘われるままに岩屋の奥深く進んでいきました。〜〜
夫である大和武尊命(日本武尊命•ヤマトタケルノミコト)さまの、身代わりとなった妻として有名なお話にでてくるあの弟橘姫さま。
当時の状況はこんな感じだったと語ってくれている。
〜〜
突然私の耳にはっきりとしたささやき声が聞こえました。「これは海神の怒りだ。今日を限りに命(ミコト=大和武尊命)のいのちを取る。」私がハッと我に返ると、耳にはただすさまじい波の音や、風の叫びが聞こえるばかりでした。
でもまた心を静めると、先ほどと同じささやき声がはっきりと聞こえてきました。
二度、三度、五度と、何度も同じ事が繰り返したので、私は命にこのことを打ち明けました。命は日頃のあの荒いご気性のせいか、「バカな事を」と一言で不吉な事を消し去ろうとするように片付けてしまいました。
だけど私の耳に聞こえる不思議なささやきだけは消し去ることはできません。私はとうとう勝手に神様におすがりしました。
「命のいのちはこの国にとってかけがえのないものです。どうぞ私というつまらない女のいのちを、命のいのちの代わりとなさってくださいませ。」〜〜
そしてここで人間としての生を終えた弟橘姫姫さま。
私も
ん?と思った疑問を小桜姫さまが
聞いてくれていた。
〜〜
ここでちょっと付け加えておきたいのは、海神の怒りの件です。大和武尊様のような立派なお方がなぜ海神の怒りを買われたのでしょうか。
〜指導役のおじいさんにお尋ねしてみました。そのときおじいさんはこう答えられました。
『それはこういうことだよ。すべてものごとには表と裏がある。命がこの国にとって較べるもののない大恩人であることは言うまでもないんだが、しかし殺された賊の身になってみると、命ほど憎いものはないというわけなんだ。
命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は、何万人もいるのだからね。
それらが一団の怨霊となってスキをうかがい、たまたま心がけのよくない海神の助けを借りて、あんなものすごい嵐を巻き起こしたんだ。
あれは人霊のみでできる仕業ではなく、かといって海神だけであったらあれほどの悪戯はしなかっただろう。
たまたまこうした二つの力が合致したからこそ、あのような災難が急に降ってわいたというわけなんだ。〜〜
'心がけの良くない神'の部分については
別のお話でも結構でてくる。
〜だいたい日本語が、肉眼で見えないものをことごとく「神」と言っちゃいますから、まぎらわしいんですよね。神といってもピンからきりまであるんですから。ことわざにも上には上があるなんて言いますでしょう。〜〜
と小桜姫は語っていた。
天狗と呼ばれる存在に会った時についても
〜〜
もっとも一口に天狗といっても、やはり色んな種類、段階があり、中には性質《たち》の悪いのもいます。修行未熟の野天狗なんかになると、神様の使いどころか、罪のない人間をおもちゃにしてイタズラする始末なんですから。そんなのは私も大っ嫌いです。皆さんもなるべくそんな悪い天狗にかかわり合われぬ様、お願いしますね。
でも困った事に、こちらから人間の世界をのぞいてみると、つまらない野天狗の虜《とりこ》になっている方々がずいぶんいらっしゃるようですわね。大きなお世話かもしれませんが、そんな様子を見るにつけ心が痛みます。くれぐれも天狗さんとお付き合いになるなら、できるだけ強く、正しい、立派な天狗をお選びくださいね。〜〜
現世でもいろんな神と呼ばれる存在やそれらを味方につけているという霊能者もいるかもしれないが、
真実はどう見極めればよいのでしょうね🤔
少なくとも、類は友を呼ぶというように
同じレベルの霊性のものと出会い、
関係が結ばれるのであるから、
他より優れてるとか劣っていることを考えるよりも
ただひたすらに自分の霊性を高めるためになることを考えればおのずと真実は
見えてくるのではないかなと考える、、🤔
たとえ現在低い霊性のものであったと仮定しても、徐々に結ばれる縁も同じく向上していくしかないよねとは思う。(自分で、自分のことはわからないことが多いから)
ちなみに、
話が結構戻るけれど
念のため大和武尊命さまの話について、
へぇー!と
思ったことがあるので書いておきたい。
〜余談ですが、私こちらの世界で大和武尊命様にお会いしたことがありますので、その時の印象を話しておきますね。会う前はあれほどの武勇に名を馳せた方ですから、きっとものすごく怖い方だろうって思っていたんですけど、実際にお会いしてみると、それはそれはお優しいお姿をしておられました。
もちろん筋骨は隆々としておられますが、お顔は色白のお優しそうな細面でした。そしてちょっとつり気味の目元にも、きりっと引き締まった口元にも、ほとんど女性的といっていいほどの優しい雰囲気を湛《たた》えておられたんです。
『なるほど、このお方なら少女姿に仮装されてもよくお似合いでしょうね。』なんて、失礼とは存じながらそんな事を考えちゃったほどです。〜〜
なんで
へぇー!と思ったかというと
親戚の霊能者から聞いた話にでてきた
大和武尊命の叔母である倭姫命さまの
お顔の特徴によく似ていたからである。
私が子供の頃に聞いたし
何年も前の話ではあるけれど
とある伊勢のお宮にて視えたというお顔や雰囲気が
ここに書かれてある大和武尊命の容姿の特徴によく似ている。叔母と甥だものね。。(もちろん女性なので似てるのは筋骨隆々ってところ以外。😅)
とにかく、
綺麗な方だったと聞いた。
(人間だったころの姿がある神様はその時の姿でみえることが多いみたい、光でしか視えないという人もいると思うけれど)
感動した。
当時、
美人で綺麗な声の神様が本当にいるんだ〜!ってことで倭姫さまの話だけは特に
よくよく覚えている私であった。笑
ここである一つの疑問が湧いてきた。
『なぜ女神さま(基本)みんな美人なの?』
(度々、神様を美人と表現してごめんなさい💦)
司馬遼太郎はある小説の中で、
「女性は美しければ美しいほど神に近づく」
と書いている。
男性は愛すべき対象が存在してはじめて、
男としての存在価値が発揮できる。
→だから女性が美しくないと
男は魂を燃やすことができないのである。という解釈があるけれども
各々の好みとかそんな細かい話はおいといて
それでも現世に性格の悪い美人イケメンいるだろっていうツッコミをしたい人もいるだろう。😅
他の記事でも執念深く研究している題材でもあるんだけども。(「前世の自分と似ている」って話)
まだ書いてなかったメモを一応ここに記しておきたい。
───『ロダンの言葉』(高村光太郎訳)
美に透徹したロダンがここで言っているのは、本当の美は内側からの精神(情熱や性格、衝動とも言っている)のわき出しにある。外側の肉体(輪郭とも書いている)はそれを受け止める型である、ということです。そのためロダンは弟子たちに、彫刻は外側だけをとりつくろって形を出そうとするな。内面からの精神のわき出しを心の目で見よ、それを表現せよと教えたのです。
=本当の美は内から外へ咲き開く。ところが、内側だけ美しいというのはいまだ完全な姿ではなく中身の充実が外に表れてこそ完成します。ー
つまり輪廻転生の順番として
Aパターン
1.2.3…と徐々に内面の充実と共にそれが外面にも、現れていく
オーソドックスな道順パターン。
Bパターン
1から恵まれた容姿•環境に生まれ、調子にのる
→2.3.4あたりでつまづく(とても恵まれた容姿•環境を失い、逆に卑下される立場を経験せざるをえなくなる)
→足るを知るということも学び、内面の充実を図る→内面と外面両方の充実を得る
みたいな道順パターン。
もっとたくさんパターンがあるだろうけど、
ざっくり分けると性格の悪い美人イケメン達はBパターンの生まれたて魂か、その道中なのではないかと私は考察している。
生まれたてタイプはなんとなくまだまだこの人中身空っぽで薄っぺらいやなぁー(?)って感じる感覚というかね。
あとは現代でも増えてる整形問題についても言及したメモ。
〜なんらかの高みをめざす、プロになるためには、長い時間をかけて能力を鍛えていく努力が必要になる。
その過程には、失敗も成功も、運も不運もあるけれどそれを乗り越えていく精神力も必要となる。
ところが、整形は、手術代さえ用意すればそれが手に入ってしまう。(それなりに色々な苦痛や苦労はあるだろうけれど)
鍛えた能力や精神力は自分の内面(魂)に残すことができ、たとえプロになれなかったとしても、それらはその後の人生や次の輪廻転生の際に大いに自分を助けてくれる。
けれど、整形で手に入れる二重まぶたや綺麗な鼻は、部品を買って表面に付けるものであり、内面に蓄積されるものではない。
それによって自信がつき明るく、一時的には気分が高まるかもしれないけれど、
内面が変わらないままであれば
意味がないし、
現世を終えた後
本来の容姿にまた戻った自分をみて
驚くことになるだけと江原さんも
いっていたと思う。
とにかく
「内奥の美」を知ったうえでの見た目をどうするかと、「内奥の美」を知らずに外見だけどうするかではまったく異なるということである。
〜
美しさには、思考的な美しさ(黄金比を美しいと感じるような事)とスピリチュアルな美しさがあり、両方を合わせることで、”本当の美しさ”が生まれる。
という言葉の通り
スピリチュアルな美しさには思考によるデータや評価はなく、純粋にその対象物となる人や物を見て感じる喜びや心惹かれる想い。
その後に、思考的な外観からの美しさ(形式的な黄金比)が自然と付随する仕組みが本当の美しさにはある。
"本当の美しさ"を持つ人は、見る側である相手に喜びを与えるため、本当の美しさを持つ人は人に好かれる特徴を持つ。「なぜか魅了されてずっと見ていたい、見ているだけで幸せな気持ちになる」といった。
それは、周囲の人を心から喜ばせる存在であり居るだけで幸せを与えるようなもの。
現代で流行っている"推し活"もそんな要素を含んでいるかもしれない。
しかしながら
まだまだ人間として修行の中にある
そんな人達はそのステージなりの苦労がある。
〜美形に生まれた人の最大の不幸は「愛されたい」という願望を発露することは叶わず、先に人々に「愛してくれ」「許容してくれ」と要求されること。
そうなると、美しければ美しいほど神に近づくというのもある意味納得がいく。
美形たちの多くは人に絶望し、愛することをやめ愛されることも拒み、自らそのものを愛する。そうしたステップも踏みながら神のような精神に近づいていくのかもしれない。
美形に生まれたいという人たちも多くいるが無条件に大量の人間を許容すること、愛することを課せられるとわかっても生まれたいのであろうか。
美形に許されているのは「愛すること」であり「愛されたい」と叫ぶことではない。〜
最後の方は神様の話からだいぶんそれて
しまったかもしれないけど、
小桜姫物語を読むことで確信に近づいた
話プラス、
私自身が疑問に思ったことについて
研究してきたことをまとめてみた
回であった。。✏️
今回も




