


最近インフルエンサーとの関わりがきっかけで
ふとこれまでの自分の人生のクセに
気づいたことがある。
私はオセロ白をだしておわりたいやつなんだなと。
※オセロに例えて
白→いい思い出(プライド傷つかず)
黒→わるい思い出(自分が恥ずかしくなる)
とする
まずは人生の話よりも
先に
気づいたきっかけのささいなささいな出来事を例にかくと、
⦅インスタライブなどの例⦆
コメント拾われた→2回目スルーされる
→3回目スルーされる→ムキになってきた頃に
終了
→黒で終わってしまった→白で止めときゃよかった。。
(良い思い出は記録したいタチなので、1回目の
画面録画が中途半端だったので、綺麗な思い出として撮り直したかったというのが
動機)
⦅DMの例⦆
相談かえすよーってやつに
返信きた→え、うれしー😭→
感謝と自分語りの返信返す→既読のみ(質問じゃないから当たり前)→なんか返信に自分語りいれてしまったの恥ずかしくなってきたな、
オセロが白になった後、控えめ言動で止めときゃいい思い出だったのに。。
とにかく
私のこれまでの人生は
不完全恐怖にさいなまれているのであった。
このままの性格だったら、めちゃくちゃ生きづらい続行だろうな。
もともと不完全なのが人間なのに、
"完全"に近くあることがデフォと思っていることが痛いのかもしれない。
傲慢、勘違い野郎ってかんじ。
あの明石家さんまさんは
落ち込むことはないんですか?との質問に
「ない、失敗した日でも
『今日がベストや!』と思うから。」みたいな
名言を残しているけど
落ち込むやつは自分の事を過大評価してる
みたいなことを言ってたなぁ。
落ち込む奴、、あれ、、、
それわしやないか!って改めて思うのだった。笑
まとめると、私は
『最終白に裏返してそこで強制終了させたがる女』だったのだ。
・人間関係は途中でバカにされたことが
あったり、黒い時期があっても、
認めてもらうまで外見なり能力なり努力しまくって、
褒められる言葉をもらえるようになった途端
電話番号を変える住処を変えるなど
リセットをした(電話番号は4.5回かえている)
・就職しようがまたあらたな場所に転職しようが、その途中で叱られたり
指導されたりしながらも能力を高め
昇進昇給し、
これ以上あがると部下も増え
自分がどれだけ完璧にこなしても
どこかでミスがでてくる状況になるかもしれないから、
1番自分の思う"点数が高い状態"で退職した
あぁ〜なんて痛いんでしょう😮💨
なんて意識が自分にばっかり向いてるのでしょうか。😮💨
大体の人は
誰もお前のことなんかそこまで
気にしてないし、みてないよって
良くも悪くも思うのでしょうけれども。笑
そんなんわかってるのさ。(きっと似た病の人はみんなそう思うかな)
スピリチュアル的な話では
色々はしょっていうと
前世の影響でプライド高い気質が強いらしい。
ほんと生きづらすぎ😫勘弁してくれ、迷惑。(前世も自分とはいえ)
まぁ他にも
私の動機の一つにあるのが、
後々
"過去を思い出してあーっ"てなりたくないからっていうのがある。
なんせ気色悪い性格なのか、些細な出来事でも
なんやかんや細かく覚えていて
あの日きてた服をしばらくして着た時、
色々思い出すから捨ててしまうこともよくあった。(似てる人結構いると思われる😅)
これまでを振り返ると
白に裏返すまでは
執念深かったと思う。(自分の中で)
白に戻すまで努力なりなんかしらの継続なりに
熱を注ぐ。
→②になった途端、2度と戻らないぞと去る。
(周りは「あんなに情熱的だったのに
嫌いだったの?は?」となる)
みたいなイメージ。
自己中の極みです。
相手の思考を変えることはできないのに、
前黒と言ってきたけど、もう私白でしょ?ね?ね?
と熱くなっているような感じで、

自分にとって
思い出の最後のページが
白になった途端、強制終了、しようとしてる
訳である。
人間全てが不完全なのに、
なぜ自分だけは完全に近く
すべての過去の産物となる思い出
を白に裏返してから
強制終了させたがるのだろう。
そんな強制終了に巻き込まれて不快な思いをした人間もいただろうに。
白に裏返したあと、
物語を続けることができなくなることが
デメリットだし、
「この物語は白で終われるのだろうか??」とビクビクしながら、
新たな挑戦がどんどんできなくなり
道幅も狭まるだろう。
そして私は
とてもとても
芸術家として0点であることに気づいた(芸術家ではないけど。笑)
芸術とは
時に
真っ白なキャンバスに、
あえて黒い点をつけるようなものであるのに。
その黒い点や汚れを愛せなくては
人としての器は小さいままなんだろうな。
黒い点がついたままの過去の産物も
『うーん、、芸術的、まさに
退廃美、耽美というか、、美しい。。』
と思えるようになってやっと
自分と自分の人生まるごと俯瞰で見れるようになって
生きやすくなるのかもしれないな。
バッドエンドのフランス映画が芸術的で美しいと思えるようになる感覚というか。
退廃美は頽廃美とも書くけれど
『頽廃の美の本質は
美は醜なり
醜は美なり
両性具有ならぬ美醜具有』
というメモが私はお気に入りである。
人間の魂の成長について書いた時に、
赤も青もどちらも経験して紫色の魂を目指す
みたいな傾向があるって
話をかいたけど、
思い出もそれと同じで
オセロの黒も白もよく混ぜ合わせて
美しい色にしてしまいましょう。と
思うことがこのクセを克服する
第一歩かなと気づいたのだった。
白いキャンバス(白い思い出)にあえて
黒い点をつけて
「うーん美しい、、」と俯瞰でみれるくらいの
度胸と器を身につけたいものである。
ある意味ぶっ飛んでいるようにみえるけれど、
(もちろん他者をあえて傷つけるとか以外で)
行動が制限されていない自由なイメージ。
そんな人間がいたならば、その人は
何歩も先を行ってる人にみえるんだよな。
なんにせよ、
そんな人間になれた時に(今世でなれるかはわからないけれども)
私はやっと自由になれるだろうと思っている。







