名作、

・ナルニア国物語

・火の鳥

を今年前半に読破した私が

なるほどなーー🙏🏻と思ったことについて

ここに記しておく。


ちなみに

ナルニア国物語がキリスト教寄りすぎて〜とかいうレビューがあるみたいだけど、

私は特定の宗派は無いので

フラットな目で読んでいた。

(各々で神様だったりなんかしら信じているものに変換して読めばよりわかりやすい

話になると思う。)


まずはナルニア国物語より

最終回

最後の戦い

にて、


❶タシという存在を崇拝している国

(生贄を捧げたりしてるから、

最初は悪魔崇拝?と思ったけど

現実世界でも大昔とかは

信仰する何かしらの存在に生贄捧げる儀式が

あった話も聞くしなんともいえない…)


初めてタシを目撃したシーンの文章では

とにかく、雰囲気からして

とんでもなく恐ろしくて恐ろしくて〜

みたいなことをとても書いていた。





❷アスランという存在、いわゆる私たちがイメージしやすい神様(キリストの比喩という声もある)を崇拝しているナルニア国




の主に二つの国の話になる。


ざっくり、別の存在とはいえ

陰と陽は表裏一体というように、

・天界にいる、命も生む神

=アスラン(姿はライオンに見せてる)

・死神=タシ

みたいな対比だろうかな?

死神も一応"神"とついてるものなぁ。


…詳細は省くとして、

最後の方にタシを崇拝する国に生まれ育ったけれど信念をもってまことの道を

生きた青年がいた。


そしてその青年が死後天国のような場所に辿り着き、

アスランに聞いてみた。






あなたとタシとは同じでございますか?と。


⦅本編より〜⦆

それはまちがいだ。タシとわたしは一つではなく、まったく反対だからこそ、タシにつくすほんとの信心は、わたしに通ずるのだ。


なぜならわたしとタシとはまったく別であるから、よこしまな信心がわたしにむけられることはなく、

よこしまならぬ信心がタシにむけられることはないのだ。


タシにまことをちかって、

そのちかいを守る者があれば、その者が知らないにせよ、その者がまことにちかった相手は、じつはわたしなのだ。


またその者に報い(むくい)をあたえるのも、

このわたしだ。また仮にわたしの名において非道なことをする者があれば、

その者がアスランの名をいおうとも、その男のつくす相手はタシであって、

そのおこないはタシに裁かれる。

わかったか、わが子よ?



タシもアスランも

各々でわかりやすい名前に変換したほうが

しっくりくると思うけど、

つまりどんな名前の神様なり思想なりを

崇拝しようが信じようが、

同じということだと私は安心した。

(あからさまな

いわゆる悪魔崇拝的なことをしている中では

非道なことをせず

まことの道をすすめてる人が含まれている事はほぼなさそうだけど。💦)



神も大きくいえば一つだし、

結局それに向かって進んでいく感じかな。


信仰しているものが本当に崇高な神様であったとしても、その名前を借りて悪行をしたり、

欲などで堕ちてしまったり、

本人の心が間違っていれば

悪魔崇拝みたいなもんだと

いっているんだよな。


なんかややこしいよ😅ってなってしまったら

シンプルに考える為に

とにかく

「自分のされて嫌なことはしない」が原点であると考える。


馬と少年

という章でも

自分が逃げる為に犠牲にした継母の奴隷(自分のお付きの役だった者)と

同じ目に遭わされる姫が登場するが、





アスランはこう言っていた。


「わたしがなぜあんたを引き裂いたかわかるかな?

「いいえ、ぞんじません。」

「あんたの背中のかききず、その裂け口、そのうずき、その血は、あんたが薬をのませて

眠らせたために、あんたの継母の奴隷が背中にうけた筋のあと、裂け口、うずき、そして血と同じものなのだ。あんたはおなじ思いを味わわなければならなかったのだ。」


また、同じようなケースで


火の鳥からわかりやすい例をあげておく。


〜異形編〜のなかで

うる覚えなところはあるが、


病気を治す力をもつ尼さんの元を

訪れる予定の父を治されては困る事情がある

(父が病を治して長生きされては困る)主人公が

事前にその尼を殺しにいく話からはじまる。


※この2人とも性別は女性。


→殺した後、寺から逃げても逃げても

同じ道を堂々巡り状態で

家に帰れなくなってしまう。


→そして

なんと殺した尼は主人公と容姿が瓜二つで

あったのだった。


諦めて尼としてその寺で過ごしていかねばならんくなる→病を治してほしい人や妖怪の類が次々現れる(容姿が今まで居た尼と同じなので誰も騒がない)

→羽をあててくれといわれとりあえず

寺にあった羽を当てると

病気が治り感謝される。


ある日

火の鳥が現れて、

説明する。

火の鳥=私自身はわかりやすく神様的なあの世の存在と解釈しながら読んでいた。(実際は神様自体というより天界の鳥かなんかと最後の方にかいてた)





羽は火の鳥の羽であった為、人助けのできる力があったのだった。


この尼は30年毎に自分がやってきて殺される痛みを味わうようだ。


それまで何度も何度も他者を救う仕事を続ける日々である。


それこそ無限にやりつづけなさいみたいなこと鳥に言われてたな。(辛辣。)

あくまで漫画だから真実は置いておいて、

なにかに"ゆるされる"まで続く。のか

自身が本当に成長ができるまで。なのか

そこはわからないけれど、

一度の罪を償うことが

無限と決めてしまうのはあまりに辛辣だなとは感じてしまった。。




ちなみに


実話として、私自身も鑑定してもらったことがあり確かな実力者だなぁと感じた

とある霊能者の方の話で

「ある人を鑑定したら

殺された兵士と、殺した兵士の魂が

同じ1人の過去世であった」

ことがあったそう。

(時々同じ魂から分裂したツインソウルとして2人が同じ時代を生きているとかの話は巷で色々あるけれど、

それ以外の説だったら究極をいえば

過去未来現在の概念はないとも言えるしあるともいえて、時空系列の話は物理的世界に生きるわたしにはまだまだ奥が深く難しい🥲)


本当にあるんだなぁ、おそろしい。


もちろんこの同じ魂のケースは稀だと思うし、

基本的には親子だとか夫婦だとか、

輪廻転生の中で

何度も会う縁の強い人同士で

相手にやったことを今度はやられる。

ってことが

多い気がする。

とにかくそれ以外の関係性でも

大なり小なり、やったことは今度はやられる

もんなのだろう。


そして

殺された人全てが同じ一つのケースにあてはまるわけではないだろうし色々なパターンがあるだろうと思う。


過去世の記憶のない私たちはとにかく


何を信仰しようが、


「自分がされて嫌なことは他者にしない」

はブレない一つの考え方とし、

今回のタイトルの逆ver.を言ってしまえば


「助けた(救った)相手は、自分」ともいえる


ということを

改めて心に刻もう。



どんな綺麗事もある意味、

かなしいかな(?)全て自分の為でもある。



「私にしてきた行為のわりに

幸せそうなあいつはなんなんだ、

因果応報なんてないんか?!やってられないぜ」と思って今世

寿命を迎え死んでしまっても、

死後、あちらで色々な理由を

理解するんだろうな。


そしてこれまでの研究によると、

今世で因果応報が適応された奴の方が

まだマシで、来世以降に持ち越されたほうが

借金は膨らんで負のカルマは

かえってくるっぽいのだ。


なので、今世であった

どう考えてもやりきれない出来事は

過去世の自分に対して

「負のカルマのギフト持ち越ししんどいわ

勘弁してくれ😫」と思ったこともある。

そして嫌なことをやられた人間の気持ちをしっかり味わっておいた私なのであった。(以降、やる側になるもんかと魂に刻むくらいの気持ちで)


とにかく、

今年前半期に読んだものの中に

似たようなテーマが盛り込まれていたので

まとめてみた✏️

これからも

今世のことを覚えていない

いつかの来世の自分の為に、

今世は負のカルマのギフトは残さぬよう

(潔癖になりすぎても生きづらいけれども😿)

冷静に慎ましやかに生きていきたい

と改めて痛感したのだった…🙏🏻