年齢関係なく、

大人な人と子供な人との違いって

やっぱり


「他人にわかってほしい」


気持ちの

差かなとたまに思う。


よく聞く話で、

自分の信じてる信念だったりを

特に家族などの身近なものに

『わかってくれ同じ思想になってくれ』と

なってしまう人が

問題になることがある😅



身近な人ほどお互いに共有できる話題を

作りたくなるし、聞いてほしいし

同意してほしくもなる。

もちろん自然と同意してくれるものは

それでいいけど、

他者に何かしら強要するようになってしまうといくら「その人の為よ!」と思っても

極論をいえば、それは"自分の為"になってしまうのかなと。

色んなケースはあれど。


振り返れば、社会にでてから



先に「あなたのためを思っていってるから

〇〇しなさい」といわれ

守らなかったことを

結局自分があとあと失敗し

ああそういうことねと実感したことがある。

以降、傷ついてしっかり身についてる。

だけど「後悔」していない。


本当の善意で言ってくれたとしても

それが正しかったとしても

自分の納得できないままは嫌で

私は自分で実感したかったのかもしれない。


周りの迷惑にならないようにというのは

最低限のマナーではあるけれど。


つまり、仮に今後、

本当にその人のためを思って

私が誰かに何か伝えることがあるとしたら

そいつが守らなくたって

私ができる最善をつくしたなら

ほっておく。


この砂利(色んなタイプの怒ってくる人等)

だらけの世の中で、

気づかず(傷つかず)生きていくことのほうが

難しいのだなと実感したからである。


そういう意味ではこの世が

ザ善人ばかりでなく


砂利だらけな理由がわかった気がする。

勝手に研磨💎されていくシステムというか。

私は他人に叱るのが苦手だし、

(傷つくかな?とか考えると

パンチのあるキツい言い方などできん)

逆に「後輩育ててくれてありがとうな、

砂利。」

って思った時もあった。

(砂利は理不尽なこと言ってくる時もあるけど、

私が"理不尽なことを言う"という

行為で私自身が負の因縁を増やさずに


理不尽な事はあることを教えてくれたりなどするから)


社会にでてこういう状況になってはじめて

熟考したり悩んだりしながら

いつのまにかレベルアップして、

ある程度のモンスターを受け流す技なりの

様々な対処法覚えて

温室以外でも生きていける耐性と

知性が身についていたりする。


私はわざわざモンスターになってカルマは背負いたくはないから、「ありがとう、砂利…!あなたたちが0人になれば、

善人が100%になるわけではないんだな。

ある程度キツい言い方をされたりショックを受けなければ変わろうとしない人間もいたりするのかもな。」と

最近やっと、少し思えるようになった。


そんな砂利もいつかは美しい知的なダイアモンドみたいになるのもいるかもしれないけれど、

そんな時代にも新たに砂利が生まれているのだろうか。砂利の定義は人それぞれってことで😅(私にとっては、怒鳴ったりキツい言い方をする人)


そして社会以外では、

親子とかになると難しい問題も多いけれど

できる限りの最善を自分なりにつくしたならば、どうにもならない運命もある。

私がしつこく書いてるように

覚えてない頃からの

いつかの自分自身のせいで

不幸と思えることも浴びて清算せねばならぬ事だってあると思ってる。

(あなたにはカルマ因縁があるからとかで

他者から脅されるのではなく、

とにかく自分の""でそう思うだけ)


雨をやますことが私にはできないように、

自分の力量だけでは

どうにもならないことがある。

そして雨(不幸)が自分にかかったとしてだから

なんなん?そんで風邪ひいたらだからなんなん?傘さすん疲れたんや!!

これで清算じゃ〜!(浴びながら)ウォー!って

開き直る時だってある。


ちょっと話それたかもしれないけど、

とにかく

自分なりのブレない"神さま"でもいいし"思想"でもいい(どんな名前でも良い)

を内に持つ。

意見が違う人がいても

「へぇーあなたはそういう考えなんだ😃

それもありかも〜🥱✌︎」と柔らかい表情で

スルッと交わして、

したたかに自分のペースを崩さない。


という技も覚えておくといいかもしれない。