私が生まれる何年も前からブームがおきたりしたんだよ〜と竹久夢二さんの絵について

学生のころ教えていただいた。

それを教えてくれた恩師の

とある言葉がずーっと私の心の支えである。

ここには書かないけれど。


それから竹久夢二さんの絵に興味が湧いて、

(あのとある出来事がなければ、失礼ながら

世代的なこともあり興味は湧かなかったと思う。

そういう意味では縁があるかもしれない)

去年初めて岡山の夢二郷土美術館にまでいった。


そんで冒頭の絵の立田姫さま。(秋の女神)

の原画もみたけれど、

やや薄暗い広場の拡大された方の絵の前で

動けなくなってしまい、

私は生まれて初めて絵をみて泣いてしまった。



検索より画像参照↓

ちょうど絵の前に立つと見上げるくらい

背の高い女神様が本当に目の前に立っているような迫力がある。人が偶然いなかったのもあるけど

「え、、私もしかして死んでるんか?いきてる?」って映画シックスセンス風の感じになった。(伝われ、、)それくらいこの世のものではない存在に会えたような感覚だった。


「不運と思えることがふりかかったって、

嬉しいと感じる事がふりかかったって、

そしてまた、何で私だけがって思うような雨が

ふりかかったって、

全て浴びてしまいましょう、、」

って言っているかのような、、


私「な、なんて色っぽいんだ…!!」

この女神様が手をバタバタさせて

雨を除けようとしたり、

ちょこまか走り回ったり、激昂したり、

抵抗している様子が全く想像できん!


人間に例えたら、

たとえ抵抗せず傘さえささなかったことで

早く亡くなったとしても(自死以外で)

それも全て運命なのよ、、みたいな感じ。

過去や様々なことへ抵抗することに疲れた私には

染みたわけだ。


(まだ小物な人間である私は、今まで辛いことから逃げたことも全然あって、生物学的な本能にかられて逃げざるをえない時もあるとは思う)


ちなみに、

この男性バージョンを想像しても

かなり色気を感じる私である。

色気という言葉を避けたとしても、こう

言葉にできない魅力

とでもいうか。

造作が数値的に完璧でなくとも美しい=退廃美

着崩れが美しいおしゃれみたいな感じ。

…そのへんはまた別件でいつか書こう。


この出来事が、

1番最初の記事の中の「ふりかかった物事は浴びるくらいの気持ちでいる」あたりの文章の

補足になっている。



嬉しい事も苦しい事も

覚えてない頃からも含めた

因果の雨かもしれない、、







〜次回へつづく〜