(2022/3/7 初回投稿の加筆修正Versionです)
自己紹介代わりに、
大学卒業後 就職して 一人暮らしを始めてからの
断捨離®︎にまつわる ストーリーをまとめてみました。
***** MY 断捨離 STORY *****
<1984年-1994年> バブルの波に飲み込まれて 溜め込む
大学卒業後の就社で実家から独立。目黒区自由が丘の1DKのアパートでミニマムな一人暮らしを始める。 当時は、留学生時代にスーツケース3個で1年海外で暮らした体験から、物はいらないと思っていた。
しかし、おりしもバブルの余韻が消えない時代の波にのまれて、モノが欲しいわけではなく、使わないかもしれないし、気に入っているわけではないのに、近所のオシャレな雑貨店や洋服店をうろついてなんとなく買う。近くのコンビニにすら必要なものがなくてもとりあえず寄る、みたいな謎の生活。
仕事が猛烈に忙しくなった20代後半はあまり家にいなかったので 所有物を整理整頓することもせず、頻繁な海外出張帰りの空港では、DUTY FREEをうろつき、ブランド物とかに興味がないのに、どうしても必要とか好きとかという物が無くても、無意識に何かを買い物をすることが習慣化されてる。果ては、当時一人身のアラサー独身女子の不動産購入ブームにつられて「忙しくて疲れてるから癒しが必要。。」と貯金もミニマムなのに 温泉地の別荘を購入して、やはり忙しいので行く暇もなく しばらく放置する。
<1995年-2004年> 引越らくらくパック®︎の呪い
23歳から10年ほどは 自由が楽しすぎて、最も縁遠い女子と言われようとも、全然気にせずエンジョイしてきた。そのうち さすがに「結婚して子供を持って夫を支えるのが究極の幸せ」という世間と母からの刷り込みと期待に答えられない 残念な自分に自己肯定感が揺らぐ。それでもしっくりくるご縁は来ない。
33歳の時に覚悟を決めて、自分で自分を幸せにする、一人で生きていくという決心をする。とりあえず 白馬に乗った王子様が家を用意して迎えにきてくれるまでの仮住まいと決め込んでいた1DKのアパートから、ちょっと素敵な1LDKのデザイナーズマンションへ引っ越した。
そうして覚悟を決めた途端、急に良縁が舞い込んですぐ結婚。自分をテキトーな住居に置いて大切にしていなかったことに気がつき、他人に依存して シンデレラになりたいという執着を 手離すと何かが流れ込むという 断捨離でよくあるパターン。
そこそこ 三高なのに縁を遠ざけていた自由謳歌系の夫も 「家族を持って親を安心させなくてはならない 」という世間と親の刷り込みから自分にかけたプレッシャーに負けた。 ミニマムな荷物と共に 私の部屋へ引っ越してきて同居が始まる。二人とも忙しくてあまり家にいないので1LDKでも不便はなかったが、子供ができたのですぐ近くの2LDKのタウンハウスへ。 産前産後と育児休暇取得中、ご近所の奥様達と親交を深め、いまだかつて見たことのなかった有閑マダムの優雅な世界を知る。
育休復帰後、保育園のすぐ近くの3LDKのマンションへ。「一貫校附属幼稚園お受験」を意識した おもちゃ&絵本、一見「ええとこの子」に見えそうな 清楚でかわいい服、その他 様々な謎の知育GOODSで子供部屋が埋まっていく。幼稚園にご縁をいただいた後、通園制限区域内の3LDKのマンションへ。 家族の人数が増えていき荷物も増えていく。子供がいようといまいと早朝から深夜までの 仕事が忙しいのは変わらない。 同業他社だけど元祖イクメンの夫、遠方実家の父母、ご近所 公的私的のベビーシッター 保育施設と それはそれはたくさんの人々の献身的な助けのおかげで幼稚園&小学校低学年を かろうじて乗り切る。なんだか物に溢れた子供部屋は普通の家の2倍の広さがあるにも関わらず、子供はなぜかそこには近寄らない。リビングと親の寝室で暮らしている。
頻繁な引っ越しでも、整理整頓しないので、何も減らない。朝使ったキッチン用具、歯ブラシ、干してある洗濯物とかも、そのままの状態で移動してくれる「引越らくらくパック®️」の呪いで、部屋数が増えていくにつれて、開かずの段ボールが増え、収納家具が増えていく。その後 夫の母を、東京へお迎えするタイミングで、世田谷区の桜の木のある二世帯仕様の一軒家へ 大量のモノがなだれ込む。一軒家には 収納場所がまあまああるので「使わないけど、好きじゃなくなったけど、 高かったし まだまだ使えるし もったいないから とりあえず捨てないでおいておいて、そのうち整理しよう」的なモノがそのまま放置されていく。
<2005年-2012年> 開かずのダンボール と ギチギチのTO DO LIST
朝から夕方までのオフィス勤務(リモートワークなんて無い頃)から帰宅後 深夜まで海外との電話会議で埋まる仕事は責任も増えてかなり忙しい。普通に、夕飯作る人は私しかいない主婦だし、幼稚園から高校まで14年間毎日の 出勤前早朝の暗いうちに起きての お弁当作り&頻繁かつ仕事が理由とかの欠席は絶対許されない ほとんどの母親が専業主婦の私立小学校PTA行事は まだまだ終わらない。
なのに それに加えて韓国スターにハマり、推し活&ヲタク生活も始まって、メディア系や印刷物系が増え続ける。海外や地方への映画祭への取材旅行で有給休暇が消えていく。やらなきゃいけないことTO DO LISTばかりが増え 家事などを終えて 家族が寝静まってから ネット追っかけをするから、睡眠時間は一日数時間まで削られても幸せだから辛くない。好きなことだからお肌もつやつや。
でも 何が入ってるかわからないダンボールを 片付けなくては、いつか片付けよう、片付いたらXXXをしよう、とどんどん何もかもが 先送りとなり、焦りが慢性化していくけれど、無意識だから自分が疲労で蝕まれていることにすら 気がつかない。
会社での食生活は 朝、甘いカフェオーレと菓子パン、お昼はみんなに付き合ってパスタとか麺とか小麦粉と揚げ物のガッツリ系サラリーマンランチセット。 遅い夜は白米のご飯と炒め物物中心。と、添加物だらけ小麦粉と砂糖だらけと物理的な体重もマックスに重くなり、脳に血が巡ってないから生産性も悪い。 (今のように 朝抜き、玄米&味噌汁&野菜、肉はよっぽどの会食でいただくのみ。。からは想像できない)
楽しいからまあいいか! で体と頭と家が重いのは気がついていたけど放置。それにしても詰め込み過ぎの毎日。身体的な症状が出なかったので、更年期にも気がついていない。でも心がなんとなく鬱々とした日々。憧れの韓流スターとついに握手して一対一の取材で 話ができたのに、晴れ晴れとしない。怪しげな心療内科などを訪れて 抗うつ薬にも手を出す。そんな呆れた日々を見ていた漢方 薬剤師の友人からの 指摘で「更年期鬱」と診断される。そんなことにも気が付かなかったほど 簡単な 理由が分かった瞬間、スッキリ元気になった。会社のせいでも、世間のせいでも、家族のせいでもなかったんだ!
<2013年> 断捨離®︎と遭遇する
会社での組織再編&人事異動のはざまで 暇になって時間的余裕ができた時期、ついに家の中の惨状が無視できなくなってきた。きっと「片付け」とか「整理整頓」とかを無意識にググっていたんだと思う。ある日 暇に任せてネットサーフィンをしていたときに「断捨離®️」公式サイトの広告のやましたひでこさんと目が合い、2013/6/26に「断捨離®️」のメルマガを登録した。
メルマガを読み始めて、取り憑かれたように 2ヶ月でいきなりゴミ袋45リットルx100袋、その他 紙類段ボール10箱以上を一気に処分。さらに、ただお会いしたい、もっとお話が聞きたい、という追っかけ気分で、やましたひでこさん&重鎮トレーナーさんたちの セミナーなどに行きまくり、Youtubeを聴きまくりながら あちこちの物入れや引き出しを全出ししては捨てまくる。毎回 劇的にモノが減っていった。判断基準が モノ軸「まだ使える」ではなく 自分軸「今必要なのか?」「すごく気に入っていて使いたいのか?」「今の自分に相応しいのか?」に変わった。
原因不明と思っていて なんとなく患っていたらしい「更年期 鬱」も嘘のようにスッキリ。その頃 自分のために学び始めていた カウンセリングやコーチングなどであれこれ習う心理学の理論や トレーニングや怪しげなワークショップにかかっても どうにもならなかったどんより感が みるみる 霧が晴れていく。 断捨離®︎... 魔法か...
<2014年> 想定外の展開
先祖代々 DNA的に 物の取捨選択、整理整頓が習慣化されていた主人と義母は長年黙って耐えてくれていたのかもしれない。私のにわか断捨離熱を喜んで、褒めてくれて、感謝してくれて、積極的に手伝ってくれていた。調子に乗って 義母の部屋も片付けさせてもらって、お手伝いに来てくださって2世帯の義母用の台所を使ってくださっているヘルパーさんからも感謝されたりと家の中がいい流れになった。
ある寒い朝、なんの前触れもなく 50代前半の主人が心筋梗塞で この世からいなくなってしまった。家系的遺伝的なものだと親族は慰めてくれたが、私が物を溜め込みすぎて多すぎたからストレスになったのかもしれない。。と落ち込む。
元祖「育メン」で、同業他社で忙しいのにそんな素振りもなく家事も育児もさりげなくこなす人だった。子供の世話は私は食べることとか物の整理とかの物質的なことが中心で、勉強を見たり話を聞いたり遊んだりは主人が担当していた。残された私と高校生の娘は グレた。お弁当を作りながら 増えた家事をし、義母の介護のマネージメントを引き継ぎ、今まで自分の口座の手取り残高と 遊興費しか見ていなかった家計の把握と管理をはじめて見るようになり、諸々の複雑な手続きをするという毎日。大切な書類がなくなったら困るので、断捨離は中断。
<2015年> ハウスクリーニングは3日がかり
少し落ち着いてきたので 断捨離®︎を再開。まず 家を磨きたくなったので、プロに木造一軒家の徹底ハウスクリーニングを依頼する。でも家財とモノで、床が見えなくて 掃除できない状況。家具や段ボールや物をどかす作業だけで1日、隅々まで磨くだけに1日、家具と物を元に戻すのに1日、と丸3日かかった。どかしたついでに4トン(トラック2台分)の不用品、および大型家具を処分(天井まで届く高さの本棚7竿、プラスチック衣装ケース50個以上、大小の各種収納棚、ソファ、大型ベッドなど)。そこに入っていたものもほとんど廃棄。選び抜いたものだけを残した。
断捨離で、学んだことを体系立ててまとめて落とし込みたい、との想いから、「断捨離®︎徹底実践講座」でやましたひでこさんと、やる気満々の 意識の高い 断捨離®︎仲間と半年を過ごさせてもらって 実践を続ける。
<2016年> 断捨離トレーナーさんは神がかっていた (2015-2022 子育て 番外編)
ここまでやっても、まだまだ 捨てる決心がつかないものが家中に滞留している。母子家庭となった二人共グレたまま。真ん中で調整してくれていたパパがいなくなって言い争いが絶えない日々。
そこで、ネットで検索して ビビッときた「断捨離®️トレーナー」の方 にカウンセリング&実践サポートをお願いする。同い年くらいの娘さんがいらっしゃる方。 柔らかい物腰とでいらっしゃるのにすごい説得力と実行力の方。モノの断捨離®️がココロの断捨離®️へ繋がっていく。
一番の課題は子供部屋。母親の私が自分の趣味と期待で、一方的に与えたけれど、子供には認識されていないものの量がものすごい。「こんな部屋だったら大学落ちる!」「片付けなさい!!」とガミガミ言っても子供の目には自分の所有物と認識されていないのだから 何も始まらなかった。そもそも 子供はその部屋を使っていないし。
初めはトレーナーさんが 娘と向き合ってくださる。子供部屋とか洗面所とかに堆積する一つ一つの物について気持ちを確認してくださっていたが、しばらくして、堆積するものはほとんどが私が買い与えたものだったことが発覚。かなりの量のものが、ざあ〜〜〜っと 私の部屋へ強制的に移動してきた。幼稚園お受験を意識した 膨大な知育絵本、グッズ、おもちゃなどなど、を買い与えて詰め込んだ、母親の私が一人で、ひとつひとつ向き合って、もういい、いい感じに育っている、と気がついて、処分していった。それにくっついていた支配欲と自分よがりな期待と幸せを自分以外のところに求める依存、はす〜っと手離れていった。
子供部屋では、それらの呪いで押し付けられた堆積物は、詰め込まれていた 壁一面の棚ごと無くなり、ベッド一つだけ爽やかなスッキリした部屋になった。 小学生の頃から 家事のお手伝いをした報酬(お小遣い)で買った、自分で選んだ好きなもの、アニメGOODS, 似合う服とかアクセサリーだけが子供部屋に残った。
それまで、中高から大学になっても遅刻ばかりだったのに、謎に意欲的に学校も課外活動にも積極的に参加するようになり、大学3年生の終わりには卒業単位が揃った。「東京が快適、世田谷区を一生出ることはない。豪邸だらけのこの町内の人と結婚する。」と言い切っていたことから一転、自分で応募した海外研修に何度も出かけ、4年生の余裕時間は専攻以外の美術をLONDONで学び欧州中の美術館を一人で巡った。NASA(アメリカ航空宇宙局)のインターンの募集にも選ばれて火星探査のプロジェクトに参加、もはや日本&外国だけではなく宇宙まで範囲が広がった。大学卒業後は 企業からの内定は断り、親戚などに呆れられながらも、ロックダウン真っ最中に パリへ引越し、遊ぶところが全部閉まっていて勉強しかすることがなかったからか、大学院でAI & Marketingの学位をとった。
子供部屋から 親の私による期待と執着と支配がなくなると、子供を安心して信頼し、新しい挑戦を無条件に応援できるようになり(次々とPDFで送られてくる請求書にビビりながらも 黙って処理した。)言い争いは劇的に減り、困ったことも笑い飛ばせる穏やかな毎日になった。
<2016年-2022年> 見えない精神世界を探検する
物欲がなくなったら身も心も身軽になった。物を買わず、今度は 旅行や体験や学びにお金を使う。ビビッときたところにはすぐ飛ぶ。神社女子になって全国と世界のパワースポットを巡る。新しい知識やメソッドを 手当たり次第学んでみる。新しいお友達が増えた。楽しすぎる。
スピリチュアル系の情報が 怒涛のように流れ込んでくる。また手当たり次第に学びに参加する。心理カウンセリングにはじまって、コーチング、チャネリング、エネルギーヒーリング、古神道、風水密教、レイキ、暦&方位鑑定、神社巡り、宇宙と地球と日本の歴史、自然治癒&東洋医療系、目醒め系(陰謀論ともいう)政治金融医療について、などなど。 そもそも表に見えない世界なので、物理的なモノは増えないが、こんどは情報過多で PCと書籍と頭がパンパンになり、諸説の違いに混乱してくる。
それでも、行きすぎたり、また戻ったりしながら、見えている現実をはるかに超越した宇宙意識と付き合い 流れてくる情報や いろんな能力を持つ人々が ワラワラと周りに湧いてきて そういう方達が発する 聞いたことのないような言葉やエネルギーに触れるのは本当に楽しい。
<2019年-2020年> 断捨離®︎検定を通して
それなりに片付いたつもりで、断捨離®︎一級検定試験に臨む。筆記試験すら不合格で通過できなかった(理論さえちゃんとわかっていなかったのか)2回目でかろうじて通過したあと、やましたひでこさんをお迎えして自宅面接を受ける。自信満々で細かく箱に分けてしまい込んだ棚だの箱だのを 披露してしまって逆鱗に触れ、その場で一発不合格。
「整理収納は断捨離ではない」「収納地獄」「賽の河原」との厳しいお言葉とともに、ご自身のブログに2記事連続で 無意識の地獄の惨状を公開されてしまった。一見片付いたように見えるけど 扉をあけると細かく分類されてギチギチに詰め込まれた不用品と、もったいなくて捨てられない空っぽなのにまだおいてある収納家具と暮らして、自分の気持ちを 無意識に隠して制限している息苦しい状態を、一瞬でばっさり壊してくださった やましたひでこさん に心より感謝する。
それでも もったいなくてゴミにできない。。という気持ちが止まらない。「いつか」「どこかで」「だれか」に「何か」つかってもらいたい。意味は薄いのに手間暇かかるリサイクルやメルカリ&ジモティーをやるために手伝ってくださる方を雇ったり、大切に捨ててもらうために相当な時間とお金をかけてしまう。それでも罪悪感から逃れたかった。「損得」という感情を見つめて手離すきっかけとなる。
<2020年-2021年> 「見える世界」&「見えない世界」 手離しのシナジー
あらゆる手離し系メソードを駆使して自分に向き合い、ひとつひとつ統合し続けた。そんなとき、東アジアの秘境でのスピリチュアルリーダーの方が開催されたいくつかのリトリートでご一緒した、もはや 宇宙次元に抜けているかのようにみえる スピ系の皆さんが、今、目の前に展開する3次元の住居や仕事場に堆積するモノに、苦悩する姿を目の当たりにした。
その話を、告げ口気分で やましたひでこさんに、軽くお喋りをした。いつか誰かが その方々のマネージメント会社とかが そんなコラボセミナーを 企画開催してくださってそれに参加するものと思っていた。即座に 無茶振りが返ってきた。会社員だから忙しいとか、業界違いすぎて人になんて言われるか怖いとか、やったことがないから無理とか、いろんなこと思ったが、断る勇気がなかった。次の瞬間、向こう2年間の1000~1200名規模のコラボセミナー主催するという体験が 実現した。... 思考が瞬時に現実化する、とか流行りの宇宙っぽい展開...
<2021年> 郊外の一軒家から都心高層住宅へ
ちょうど 還暦を迎えて 定年まで38年間完走した会社の退職のタイミングで、住居のリセットが叶いました。
実家から独立して、結婚して、子供が産まれ、親が同居し、人数がふえていくにつれて物も増えます。子供の通園通学その他家族構成の変化にあわせて 1DK(+別荘)->1LDK->2LDK->3LDK->3LDK->二世帯仕様一軒家へ引越しをしてきました。すぐ使わないけれど まだ使えるというものは捨てられないという考えに支配されて 思考停止になり、また、「引っ越しらくらくパック」の呪いで 忙しいから 整理縮小しないまま次の 不用品がぎっしり詰まった「使わないもの」「着ない服」などと書かれた開かずの段ボールが積み上がり続けました。
「断捨離®️」に出会って、カウンセリングと実践技法で、物の量を半分以下に減らすことができましたが、まだ細かく分類されてぎっしり詰め込まれた整然とした収納地獄でした。そこからさらに断捨離®️の創始者の方の近くで仲間とともに学びと実践を続けてまず 従来の物に対する思い込みを手放していき、より高い位置から俯瞰できるようになりました。
中身が不明な 包み紙-封筒-袋-箱-プラスチックケース-引出し-家具と、あらゆる収納を開けて、中身を出し、選別して、捨てる、をひたすら繰り返しました。そのうち 収納グッズも収納家具も不要になり、好きなもの必要なもののみ目に触れるところにおさめました。その量も その家に引っ越してきた当初の量の80%は処分して、すっきりした空間がどんどん広がっていきました。そして、究極の収納である家も ついに断捨離®️対象なっていきました。
二世帯四人で暮らしていた郊外の一軒家は、順番に家族を看取り、家に住んでいる人数が減っていき、管理に金銭的・時間的・精神的な負担と 土地と物にエネルギーを吸い取られる一軒家の所有そのものに疑問が湧いてきました。
荷物が5分の1以下に減って(ほとんど私のものでした..笑)子供が外国で暮らし始めたタイミングで手放す決心をする。中途半端に建物を売却するスッキリしないと感じ、古家は解体し、更地にして、そこにずっと前からきっといらしたであろう見えない存在の皆さんもろとも 成仏してもらいました。
広さは半分以下となりましたが、快適さと利便性が何十倍もの立地。清潔、安全、超便利で、緑豊かな街の「ちょうど良い 最適な」サイズのマンションに すっきり暮らしています。持ち込んだ家具は ちゃぶ台と ダイニングセットと、ピアノのみ。洋服と日用品は 本当に好きなものだけを作り付けの収納スペースに収まる量だけ。
新しく生まれ変わりつつある躍動するエネルギーが渦巻く街の高層住宅は、出会う人も見える風景も聞こえる音も新しく バラエティーに富むようになり、新しい人生の展開にワクワクしています。 この場所で終わらず、またの移動にも軽やかに対応できるよう、まだまだ身軽になります。
(とはいえ、ミニマムというわけではなく、それなりに量のある、家族とご先祖様の貴重な記録類は捨てずに感謝とともに持ち込んでいます。これからまとめ作業にはいります。 「写真整理アドバイザー」「自分史整理アドバイザー」など 数々のメディア&データ整理の資格をとりまくりました。どうやって残そうかの学び。思い出と家系の資料は これは私のお役目のような気がしています。)
2019年に自宅で実父を看取りました。昔から1個買うと2個捨てるというポリシー。必要なもの好きなものだけが いつも美しく整えられていた実家だったからこそ、最後の時間に、家族が明るく時を過ごすことができて、色々な医療&介護関係のサポートの方々が出入りし、お別れに来てくださった親族友人などの方をお迎えすることができたできた快適に過ごせたと、感謝です。家族の歴史として受け継いでいきたいです。
<2020年-2022年> やましたひでこ公認 断捨離トレーナー へ
前回 収納地獄と評されて一発不合格となった「断捨離検定 自宅面接2回目」に一年後で 整然と片付いて 好きなものばかりに囲まれた部屋で、やましたひでこさんと 会話する時間をいただいた。「(不要)(不快)(不適) を手放したのに、まだすっきりしません。なにかがまだやりきれていないです。」とお尋ねしたら、「(要)(快)も手放すのよ。今・ここ・自分の(適)だけに集中」と。 それから過去への執着と ミライヘの不安の 手放しもはじまった。
「快」である 娘。一緒にいると楽しいし 自分が女として生まれて、結婚して子供を持つという 世間一般の期待に答えさせてくれた象徴です。娘の希望通りに欧州の大学院留学へ 明るく心配なく送り出して 手元から手放しました。
「要」であった 家。夫と協力して 働いて手に入れた。みんなが羨ましがってくれて褒めてくれた。何よりも雨風を凌いで 家族全員が 豊かに安全に暮らすことができた。誰もが知っている人気で高級と言われる 住宅地の桜が咲く白い一軒家を手離しました。そして シニアライフを自由に軽やかに送るのに最適化する「適」を追及することを始めました。
やましたひでこさんのファン目線で、 ただシンプルに 毎月お目にかかる予定が欲しいという一心で応募しただけなのに、講習生の抽選に当選し、焦る。講習生はどんどん動画とかブログとかで発信し始める勢いがある。いやいや、現役会社員の私には無理、みんなみたいに、はしゃいで個人情報開示なんてとんでもない、と教室では落ちこぼれ気味だが、家の断捨離®️を更にコツコツ進める。収納グッズや家具から自由になったモノはどんどん飛び立っていく。
研修とインターンの後、2021年8月に公認トレーナーにも 認定していただいた。私らしい私にできる断捨離®️への 貢献を模索するが、「まだ会社員なので、副業はまずいです。」と言い訳をして、自信がなくて、人の評判とかが怖くて、体がどうしても動かなかったが、同期のトレーナー仲間の熱心なお誘いと温かい言葉がけとサポートと、やましたひでこさんの間接直接のエネルギーを浴びているおかげさまで、少しづつ 断捨離®︎を伝えることを一緒にさせてもらっている。
<2023年> 星の回りなのか。。何かじわじわと 地球が変わってきている
2019-2022..世間では 大変大変。。と「頃.. 」とか「枠..」とかが騒がれ始めてもう数年。 なのに、私にとっては、ほぼほぼ何もかもがラッキーで良い方向に働いて、たくさんのことが前よりも良い状態に転じた。 楽しく幸せな時間で、大難も小難も感じない。モノ、コト、ヒトの入れ替えが続いている。日本にとっては、アップダウンがあると言われているのが あちこちからまことしやかに 耳に入りまくってくるけれど、それら全てを含めて どきどきワクワクと楽しみ!
***
長年 支配された地球の重い周波数に 特に違和感なく 馴染んで
大企業勤め、実家の長女、長男の嫁、妻、娘の母親。。まさかの未亡人も..
世間が求める役割を それぞれたくさんの人に助けのおかげでこなせました。
本業と並行して 憧れの人を世界のいく先々へ追いかけたり
見えない世界を語る人たちが周りに湧いてきて、学ばせてもらったり
あれもこれも 全力投球しました
ただただ、好きなこと 得意なことだけを選んでやらせてもらって
できないことや不得意なことは できる人に感謝してお任せしたので
めちゃくちゃ大変でもなく 悩みはあったのかもしれないけれど 意識が向かず
とりあえず 「今のままで まあまあ 幸せ」 な日々でした
でも この数年 宇宙から降り注ぐ強いエネルギーのせいか
見えてしまう一定数の宇宙由来の皆さんが発信してくださるおかげで
目に見える 表(陽)と 目に見えない裏(陰)の情報が入ってくる
どちらが正しくてどちらが間違っているというわけではないらしいけど
へえ〜 今よりもっと楽しくて面白いことがあるらしい
それも 結構簡単に意識を変えるメソードが色々あるらしい
ガチの3次元人間の私だって ちょっと恐る恐る見てみたい
「光」と「闇」って?
「分離」と「統合」って?
「眠り」と「目醒め」って?
「潜在意識」って?「本当の自分」って?
「見える世界」 と 「見えない世界」 を行ったり来たり
スピリチュアルの考え方が とても好きですが
サイキック能力が高いわけではなく
宇宙人でも、霊能者でも、占い鑑定士でもないですが
見えないものが見える能力のある人たちによると
私は随分前の前世でそういう職業だったそうです
が 記憶にないです
26000年に一度という 歴史的 天体の配置で
激動激変しつつある地球に生まれた幸運に感謝し
宇宙でもなかなかできない 貴重な時期の体験を楽しみながら
ご縁が繋がった 色々なメンターや気の合う仲間と
ワクワク過ごしています
~~~ 長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。~~~