先日、知人から情報を貰っていた『日本カメラ博物館』と『未来の巨匠たちによる作品展』へ行ってきました。
場所は都内千代田区半蔵門のJCIIビル。
JCIIとは日本カメラ財団(Japan Camera Industry Institute)のことで、1954年に設立されました。
当時は「財団法人 日本写真機検査協会」という名称で発足し、輸出される日本製カメラの品質検査を行う公的機関としてのスタートでした。現在は歴史的・文化的に価値のあるカメラや写真資料の収集・保存を行っています。
■『日本カメラ博物館』
まず行ったのが『日本カメラ博物館』
ここは世界でも珍しいカメラ専門の博物館、1989年に開館。
最大の特徴は、日本のカメラの発展史を系統的に学べる常設展示です。
技術史的に価値の高い「日本の歴史的カメラ」約300台が常に公開されています。
カメラの博物館でありながら、中は撮影禁止。なのでパンフレットを。
世界で初めて市販されたのは「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」で、190年ほどの前の1839年の発売。
(ネットより)
まだ残ってるなんて。
日本に初めてカメラが渡来したのは、江戸時代の幕末の1848年、長崎の出島に。
この最初のカメラを入手したのが薩摩藩主の島津斉彬。
藩をあげて研究し、1857年に薩摩藩士の市来四郎らが島津斉彬の撮影に成功。
後にはあの坂本龍馬の写真も。
戦後の日本が官民挙げて、カメラ産業に注力した理由は、軍事技術の平和転換と高い外貨獲得力でした。
戦前、日本は世界最高水準の軍用光学技術(潜水艦の潜望鏡とか、、)を培っていましたが、敗戦により軍需品の製造が禁止されました。
そこで各光学メーカーは、生き残りをかけその軍需技術を民間向けカメラへ転換しました。
当時は国内に100社を越えるメーカがあったそうです。
それを束ねたのが日本写真機検査協会。
輸出カメラの品質向上に力を入れたそうな。
それまでのカメラ王国のドイツ(ライカやツァイス)を抜き去り、1960年代には日本が世界一のカメラ王国に。
皆さんご存じの一眼レフカメラが世界市場を押さえて行ったのです。
1990年代にはフィルムからデジタルへの移行が始まり、競争は過熱。
メーカの整理統合が進む一方2010年には1億2000万台のデジカメが世界に輸出されていきました。
ただし、このころをピークにし、スマートフォンの普及に伴いカメラの市場は縮小。
現代は国内メーカ7社で年間950万台くらい生産しています。
それでも世界市場の9割以上を支えています。
■未来の巨匠たちによる作品展
正しくは『水谷塾の修了展』です。
水谷塾(JCIIスポーツ写真育成セミナー)は、日本カメラ財団が主催するプロのスポーツ写真家を育成するためのセミナーです。日本スポーツ写真協会名誉会長を務める写真家・水谷章人氏(1940年生まれ、ことし86歳)が講師を務めています。
水谷章人氏と言えば昭和から平成にかけて活躍していたスポーツカメラマン。
私が最初に彼の名前を知ったのは1988年カルガリーオリンピックでした。
当時は私もスキー部に在籍し競技をちょっとやってました。
活躍していた選手の一人、スイスのツルブリッゲンがカルガリーの男子滑降(ダウンヒル)で金メダリストに輝いた際に、その雄姿を撮影した水谷氏の写真が世界中の報道に使われたのです。
(この作品はブログには載せにくいので、リンク先をご覧ください)
水谷章人氏がアラカンの時に始めた水谷塾。
少人数制の厳格な指導が特徴で、理論や過酷な撮影実習を通じてプロに必要な技術と精神を伝授します。
これまでに多くの卒業生を送り出し、世界の第一線で活躍するプロのカメラマンを多数輩出してます。
作品展は、水谷塾セミナーを今期修了したカメラマンらの作品。
聞けば修了の資格を貰うには2~4年ほどかかるらしい。
50枚ほどの力作はさすが別格でした。
ただし、そうした力作は報道写真としては求められてないと説明を受けました。
シンプルに事実を伝えるだけの写真が報道界で使われるんだとか。。
会場で頂いたポストカードです。
色々と勉強になりました。
学びはいくつになっても大事ですね。
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