台風で計画キャンセル
シルバーウィークのど真ん中を駆け抜けていく台風25号。
当初の予報よりもスピードが随分と遅く、海上で水分を巻き上げてるらしい。
そのため、明日月曜は終日大雨の予報です。
線状降水帯の降り方とは違い、長時間にわたり降り続くと報道されています。
線状降水帯と言えばこの夏以降、全国各地で洪水を引き起こしました。
我が自宅地方も夏に線状降水帯による集中豪雨に見舞われ、駅前が冠水した映像が全国ニュースで報道されました。あの時はお嬢が通う保育園も床上浸水となり、臨時閉園となってしまい我が家で一時預かりをしたほどでした。
また自宅近くの道路も冠水して川のようになってしまいまして、上流でトラブった車のバンパーが漂流してました。
こんな経験から、台風の大雨をかなり警戒しまして出かける計画はキャンセルになりました。代わりに昨日からお嬢が泊りで遊びに来てます。
台風、、
ご存じのように世界各地では、タイフーン、ハリケーン、サイクロンと呼び名が異なります。
実は台風という呼び名は、明治時代に英語のタイフーンに対して、「颱風(たいふう)」という厳格な当て字が考案され、公式な気象用語となりました。
これが戦後の漢字簡略化を経て、現在の「台風」という表記へと落ち着いたのです。
ではそれ以前はどう呼ばれていたか、、、気になって調べました。
紫式部が『源氏物語』に描いた、嵐のあとの美と情動
「野分(のわき)」という言葉を語る上で欠かせないのが、平安時代に紫式部によって執筆された不朽の名作『源氏物語』です。全五十四帖におよぶ物語の中で、、第28帖にはずばり「野分」という巻名が冠されています。
この巻では、激しい秋の嵐が六条院の壮麗な庭園を襲い、美しい草木をなぎ倒していく様子が精緻に描写されます。しかし、紫式部が真に描こうとしたのは、単なる天災の恐ろしさではありません。嵐という「非日常の混乱」がもたらす、人間の心理の揺らぎや佇まいの美しさでした。
暴風雨が去った翌朝、光源氏の息子である夕霧は、見舞いのために内裏を訪れます。
その際、風によって御格子や障子が開いたままになっていたことから、それまで決して垣間見ることの合わなかったうら若き紫の上(光源氏の最愛の妻)の気品ある姿を、偶然にも目撃してしまうのです。
紫式部は、野分という激しい自然現象を、登場人物たちの隠された情動や運命的なすれ違いをドラマチックに演出するための背景として見事に調和させました。
松尾芭蕉が『奥の細道』で対峙した、定めなき自然の無常
時代は下り江戸時代。
俳聖として知られる松尾芭蕉もまた、「野分」の激しさと秋の情感に深く魅了された文人のひとりでした。
元禄2年(1689年)、芭蕉は過酷なみちのくの旅へと身を投じます。
これがのちに名高い『奥の細道』へとなるわけですが、この旅の道中において芭蕉は、しばしば予測不能な北国の気象の厳しさに直面しました。
激しい秋の嵐や荒れる天候と対峙しながら、芭蕉が『奥の細道』の中で詠み残した一句、
「 名月や 北国日和 定めなき 」
この句は、美しい中秋の名月を心待ちにしながらも、北国特有の激しい風雨や不安定な天候によって、いつ嵐(野分)に変わるか分からないという旅路の緊張感と、自然の無常さを詠んだものということです。
芭蕉は旅を通じて、永遠に変わらない本質(不易)と、激しく移り変わる現実(流行)の双方が混ざり合う境地を見出していきました。
最後に
このように豊かな文学として語られた「野分」という言葉が一変したのが、明治時代以降の近代化だったわけです。
かつて人々が暴風雨のなかに見出した文学的な情景は、令和の時代になってより正確な進路図で表される気象現象へと姿を変えました。
紫式部や松尾芭蕉が向き合った「野分」と、温暖化により風雨の激しさを増すようになった「台風」。スケール感には違いがあるかも。
今回の台風、被害が広がらないことを願っています。
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