《秋旅・紀伊半島2020》⑭弘法大師の高野山 | レムの里山紀行

レムの里山紀行

時の流れを忘れて土を耕したり野を歩いたり山を観たり

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コロナ騒動もひと頃よりは状況が好転して、
溜まったうっぷんを晴らすかのように人々の移動が始まりました。
我が家も人との接触に気を付けながらちょっと出かけました。

想定外で奈良にハマりました。
歩いた古代ロマン
大神神社 日本最古 @桜井市
橿原神宮 2680年前 @橿原市
唐古鍵遺跡 2000年前(弥生時代)
橘寺  不詳(574年聖徳太子誕生)
飛鳥京 1400年前(飛鳥時代、592年から694年)@明日香村
飛鳥寺 1424年前 (596年創建) 
藤原京 1300年前(藤原京時代、694年から710年)@橿原市
平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)@奈良市

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今回の旅の当初の目的地の一つ、高野山金剛峰寺。

空海が816年に開祖した高野山真言宗の総本山です。

高野山内はすべて境内地として金剛峰寺の境内となっているそうです。

 

平安の時代には時の関白・藤原道長や白河上皇、鳥羽上皇なども参詣するなど、浄土として信仰を集めていた場所です。

また、鎌倉時代には源頼朝の供養の金剛三昧院も建立されました。

 

戦国時代には織田信長に目を付けられ焼き打ちの危機が迫りましたが、

明智光秀のお陰(本能寺の変)で難を逃れたとされています。

 

そして豊臣家の時代にも翻弄されました。

こちらの旧青巌寺(金剛峰寺・大主殿)は豊臣秀吉の母の大政所の菩提を弔う為に建立されました。

 

 

 

この中は有料拝観で公開されています。

コロナではありますがこのように。

 

十を越える間があり、様々な屏風が見ることができます。

(撮影禁止になっていますので写真はありませんが)

 

そのうちの一つ、豊臣秀次自刃の間。

1595年には高野山に蟄居させられていた関白・豊臣秀次が父・秀吉に追い詰められて切腹したと説明されていました。

 

今回親の供養のつもりで高野山に出かけたのですが、

ちょっと切なく感じました。

 

寺殿内ではお坊さん方の御勤めの様子を垣間見ることができました。

 

町石道の終着点の壇上伽藍。

(こちらも有料拝観で内部に入りましたが撮影は禁止)

ご存知にように伽藍とは僧侶が集まり修行する清浄な場所です。

母の供養のために行きましたので御線香を焚き手を合わせます。

 

こちらは金堂です。

(同じく有料拝観/撮影禁止)

金堂とは 本尊を安置する寺院の仏殿のことです。

高野山全体の総本堂という位置づけ。

本堂と同じですね。

同じく、供養で御線香を焚き手を合わせます。

 

この他に大塔、御影堂、不動堂などが立ち並んでました。(写真省略)

 

こちらは大門。1705年再建。

 

ということでここで時間切れ。

奥之院は次回持越しにしました。

 

泊まるつもりで事前予約をすれば、

高野山全体に117ある寺院の半数は宿坊があります。

車中泊するつもりなら可能な場所や買い出し先もありました。

 

ですが今回は奈良で時間をかけ過ぎたため時間切れです。

 

つづく。

 

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