《秋旅・紀伊半島2020》⑩藤原宮 と 飛鳥宮 | レムの里山紀行

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時の流れを忘れて土を耕したり野を歩いたり山を観たり

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コロナ騒動に始まった今年も気が付けば夏を過ぎています。

ひと頃よりは状況が好転して、溜まったうっぷんを晴らすかのように、人々の移動が始まりました。

我が家も人との接触に気を付けながら出かけました。

想定外で奈良にハマりました。
歩いた古代ロマン
大神神社 日本最古 @桜井市
橿原神宮 2680年前 @橿原市
唐古鍵遺跡 2000年前(弥生時代) 
興福寺 1351年前(669年創建)
平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)@奈良市
東大寺  1292年前(728年創建)
春日大社 1252年前(768年創建)

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橿原市を走っていますと、藤原宮跡の表示がありました。

ちょっと寄ってみましょうか。

 

奈良時代の直前、西暦694年に持統天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷しました。

それから710年までの16年間の政治の中心だった藤原京。

日本初の本格的な都城は、藤原京ということになってるそうです。

 

藤原京時代と言えば、大宝律令の制定、それと貨幣も発行。

そして初めて「日本」という国号を使用したのも藤原発の遣唐使です。

 

ここは藤原の発掘現場の跡地。

東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、平安京をしのぐ古代最大の都。

 

いまは、広大な土地が草原となっています。

ん?

向こうの方に何やらオレンジの物が見えます。

一番規模が大きそうなところはちょっと遠いのですが、

メインっぽいので行ってみましょう。

(車は乗り入れできないので歩きです)

 

着きました。

案内板に寄れはここは大極殿の柱跡が残っていた場所とのこと。

大極殿とは朝廷の正殿で、内部には天皇が座る高御座が置かれ、国家的な行事が行われていた場所。

 

大極殿の前には、貴族や役人達が集まるの朝堂院があったそうです。

 

柱跡しかないのですけど、こんなCGが作られていました。

 

ここより数百m南には『孔雀門』、

南西方向には『西面南門』、

南東方向には『小子部門』、

の柱跡が同じくオレンジ色のオブジェで示されています。

 

ちなみに駐車場から一番近いのが最後に言いました『小子部門』ですので、

やってきた人たちはまず『小子部門』を目指して歩いて行ってました。

状況判断が甘いですね。

 

そして駐車場の近くにあるJA。

ここの2階が資料館になっています。

ここも世界遺産を目指すそうです。

 

 

藤原京の時代よりも前は、飛鳥時代です。

飛鳥時代は592年から694年までの102年間です。

その飛鳥時代も飛鳥京がありました。

場所的には今の明日香村です。

 

こちらも行かなくちゃ。

距離的には車で20分ほどです。

 

飛鳥京の政治の中心飛鳥宮の後の看板をやっと見つけました。

 

看板の先はここでした。

広さは東西156m南北19m。

かなり規模が小さいようです。

建物は堀立柱で周囲に石敷きがあって、木簡や土器などが出土したそうです。

 

近くにあった教員委員会のコメント。

(クリックしていただければ大きくなります)

 

古代ロマンが広がります。

 

飛鳥京 1400年前(飛鳥時代、592年から694年)

藤原京 1300年前(藤原京時代、694年から710年)

平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)

 

つづく。

 

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