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コロナ騒動に始まった今年も気が付けば夏を過ぎています。
ひと頃よりは状況が好転して、溜まったうっぷんを晴らすかのように、人々の移動が始まりました。
我が家も人との接触に気を付けながら出かけました。
想定外で奈良にハマりました。
歩いた古代ロマン
大神神社 日本最古 @桜井市
橿原神宮 2680年前 @橿原市
唐古鍵遺跡 2000年前(弥生時代)
興福寺 1351年前(669年創建)
平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)@奈良市
東大寺 1292年前(728年創建)
春日大社 1252年前(768年創建)
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橿原市を走っていますと、藤原宮跡の表示がありました。
ちょっと寄ってみましょうか。
奈良時代の直前、西暦694年に持統天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷しました。
それから710年までの16年間の政治の中心だった藤原京。
日本初の本格的な都城は、藤原京ということになってるそうです。
藤原京時代と言えば、大宝律令の制定、それと貨幣も発行。
そして初めて「日本」という国号を使用したのも藤原発の遣唐使です。
ここは藤原宮の発掘現場の跡地。
東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、平安京をしのぐ古代最大の都。
いまは、広大な土地が草原となっています。
ん?
向こうの方に何やらオレンジの物が見えます。
一番規模が大きそうなところはちょっと遠いのですが、
メインっぽいので行ってみましょう。
(車は乗り入れできないので歩きです)
着きました。
案内板に寄れはここは大極殿の柱跡が残っていた場所とのこと。
大極殿とは朝廷の正殿で、内部には天皇が座る高御座が置かれ、国家的な行事が行われていた場所。
大極殿の前には、貴族や役人達が集まるの朝堂院があったそうです。
柱跡しかないのですけど、こんなCGが作られていました。
ここより数百m南には『孔雀門』、
南西方向には『西面南門』、
南東方向には『小子部門』、
の柱跡が同じくオレンジ色のオブジェで示されています。
ちなみに駐車場から一番近いのが最後に言いました『小子部門』ですので、
やってきた人たちはまず『小子部門』を目指して歩いて行ってました。
状況判断が甘いですね。
そして駐車場の近くにあるJA。
ここの2階が資料館になっています。
ここも世界遺産を目指すそうです。
藤原京の時代よりも前は、飛鳥時代です。
飛鳥時代は592年から694年までの102年間です。
その飛鳥時代も飛鳥京がありました。
場所的には今の明日香村です。
こちらも行かなくちゃ。
距離的には車で20分ほどです。
飛鳥京の政治の中心飛鳥宮の後の看板をやっと見つけました。
看板の先はここでした。
広さは東西156m南北19m。
かなり規模が小さいようです。
建物は堀立柱で周囲に石敷きがあって、木簡や土器などが出土したそうです。
近くにあった教員委員会のコメント。
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古代ロマンが広がります。
飛鳥京 1400年前(飛鳥時代、592年から694年)
藤原京 1300年前(藤原京時代、694年から710年)
平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)
つづく。
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