【ファームの開拓史】③ごみ分別を手作業で始めたけど、、 | レムの里山紀行

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時の流れを忘れて土を耕したり野を歩いたり山を観たり

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親問題もやっと落ち着いてきました。

 

親問題で生活フォローと並行して大変だったのが
原生林ような庭を持つ実家を片付けることでした。


ある時、どうせ誰も住まないし、毎週往復4時間かけて郷里に通うなら、
庭を開墾し菜園化してしまおうと考えました。
題して『実家菜園化プロジェクト』 (ブログのサブタイトルです)

 
気が滅入る親問題をプラス思考で乗り切った当時の様子を初めて語ります。

 

ファームの開拓史の一覧はこちら

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庭木の伐採の後、屋内のごみの分別を始めます。

 

まだ両親そろって存命でしたから、必要となるものが眠っている可能性がありました。

 

実際に証書などが出てくることもありました。

 

母屋と離れ屋、併せて部屋数は8、納戸が2、押し入れが6つ。

さすが田舎です。

 

これだけあっても我々が安心して泊まるスペースがありません。

何度か宿泊施設(ラブホ、車中泊もあった)に泊まりながら片付けます。

 

必要なものは母屋へ、

不要なものは袋に入れて離れ屋や屋外に積み上げていきます。

 

14年7月。

連休には1トン車を借りてきて、クリーンセンターへ何往復したでしょうか?

毎回300kg、500kgという量を運び込みました。

 

しかし、クリーンセンターで引き取ってくれないゴミも出てきました。

 

やむを得ません、処理業者を発動します。

 

14年8月。

『4トン車パック』を業者にお願いしました。

処理業者は運び出しと処理だけをお願いすると安いようです。

 

 

二人の作業者がどんどん積み込んでいきます。

 

こんな柱、どっから持ってきたんだろう。

ドラム缶もいくつかありました。

 

ポリタンクなども市のクリーンセンターでNGのものを載せてもらいます。

 

いやー、すっきりしました。

(離れ屋です。母屋は諸事情で未公開)

 

屋内にも何もありません。

 

やっと、ごみ屋敷のレッテルを剥がすることができました。

 

これで維持管理がラクになるはずです。

 

 

と思った矢先、母の入院や義父の体調不良など家族の健康問題が多発。

以降の処分の計画が半年以上中断しました。

 

取りあえずは草を刈りながら維持していくことにしました。

 

(つづく)


 
 
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