音型(おんけい)が彫る

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

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対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第11作目は「師弟」です。

教える人と学ぶ人

師と弟子。

 

先生と弟子。

 

師匠と弟子。

 

教員とその学生・生徒・児童。

 

知識や技術を伝える人と、

それを受け継ぐ人の関係を表します。

 

古くから、

技術や知識は師弟関係の中で伝承されてきました。

 

師が持つものを、

弟子が受け取り、

次の世代へと繋いでいく。

 

それが、

文化を守り、

発展させてきた仕組みでした。

師と呼べる人

師と呼べる人は今はいないかなぁ。

 

篆刻においては、

誰にも師事していないんですよね。

 

完全な独学。

 

本を読み、

ネットで情報を集め、

とにかく彫ってみる。

 

失敗して、

また彫る。

 

その繰り返しで、

ここまで来ました。

 

ただ、

人が彫ってるところを間近で見たい!と思ったことがあって、

三つ篆刻教室に問い合わせしてみたんです。

 

でも、

二つは教室中断してて、

一つは日時が全く合わなかった。

今じゃないんだろうな

まぁ、

これは今じゃないんだろうなと。

 

そう思いました。

 

縁がある時は、

すんなりと繋がるものです。

 

扉が開く時は、

スムーズに開く。

 

でも今回は、

どの扉も閉まっていた。

 

それは、

まだその時期ではないということ。

 

あるいは、

そもそも師弟関係という形での学びが、

今の自分には必要ないということかもしれません。

 

ネットも普及してるしね。

 

YouTubeには無数の篆刻動画があります。

 

海外の作家の作品も見られる。

 

古典の印影も、

検索すればいくらでも出てくる。

 

情報へのアクセスは、

昔とは比べ物にならないほど容易になっています。

全ての人は師匠

人生という意味では、

今は何でも心の師匠になれるし、

全ての人は師匠だよね。

 

だって、

全ての人は自分と違うんだもの。

 

人から得るところだらけですよね。

 

誰かの言葉、

誰かの行動、

誰かの作品。

 

それらすべてから学べる。

 

道ですれ違った人の歩き方から、

何かを感じ取ることもある。

 

カフェで隣に座った人の会話から、

新しい視点を得ることもある。

 

SNSで見かけた誰かの投稿が、

人生を変えることだってある。

 

師弟関係という形式がなくても、

学ぶ心さえあれば、

世界中が師匠だらけです。

 

形式的な師弟関係にこだわる必要はない。

 

むしろ、

特定の師に限定してしまうことで、

学びの幅が狭くなる可能性もある。

 

自由に、

広く、

深く。

 

あらゆるものから学ぶ。

 

それが、

今の時代の学び方なのかもしれません。

弟という立場

弟についても特に思うところはない。

 

実際に弟はいないし。

 

慕われるのは嬉しいかもしれないけど、

人に何かを伝えるのはどうなのかな。

 

自分もまだまだ学んでいる途中です。

 

11作品目を終えたところで、

まだ技術的な課題もたくさんある。

 

朱文は安定しないし、

撃辺のバランスも掴めていない。

 

そんな自分が、

誰かに教えられるのだろうか?

教えるより、

一緒に学ぶ。

 

そんな関係の方が、

しっくりくる気がします。

 

上下関係ではなく、

横の関係。

 

師弟ではなく、

学友。

 

お互いに刺激し合い、

高め合う。

 

そういう関係性の方が、

今の自分には合っている気がします。

過去の積み重ね

今回も朱白文で彫りました。

 

字体はいつもの小篆風です。

 

「師」は朱文、

「弟」は白文です。

 

撃辺をやや入れてます。

 

そして今回、

ふと気づいたことがあります。

 

何となく白文がうまく行ってるのは、

過去の百顆印シリーズの積み重ねのおかげかもしれない。

 

前回の国字百顆印シリーズの半分ぐらいと、

前々回の四字熟語百顆印シリーズ、

前々前回の古典落語百顆印シリーズで、

ほぼ白文で彫ってきたからなのかなと。

250顆以上の白文

計算してみると、

すごい数になります。

 

国字シリーズで約50顆、

四字熟語シリーズで100顆、

古典落語シリーズで100顆。

 

合計250顆以上の白文を彫ってきたことになります。

 

その経験が、

今のこのシリーズで活きている。

 

刀の入れ方、

力加減、

空間の取り方。

 

無意識のうちに身体が覚えている。

 

だから白文は、

比較的スムーズに彫れるようになっている。

 

今までの百顆印シリーズを朱文で彫ってたら、

また違った感じになってるでしょうね。

 

技術は、

積み重ねです。

 

一つ一つは小さな経験でも、

それが積み重なると大きな力になる。

 

師匠がいなくても、

自分で積み重ねていけば、

確実に上達していく。

 

それを実感しています。

朱文の課題と楽しさ

朱文は相変わらず線の太さが揃わなかったり、

思った線を思った場所に引けなかったりしてます。

 

イメージは大事だと思うけど、

イメージ通りにいかないのは、

何かあるんだろうな。

 

技術的な問題なのか、

道具の問題なのか、

それとも意識の問題なのか。

 

まだ答えは見えていません。

 

でも、

朱文彫ってる時のが楽しいかも。

 

上手くできないからこそ、

挑戦しがいがある。

 

課題があるからこそ、

面白い。

 

そんな風に思えるようになってきました。

 

白文は安定してきて、

ある程度思い通りに彫れる。

 

それは達成感がありますが、

同時に少し物足りなさもある。

 

朱文は、

まだまだ試行錯誤の段階。

 

毎回新しい発見があり、

毎回違う結果になる。

 

その不確実性が、

逆に楽しいんです。

師なき道

師弟という言葉を彫りながら、

考えていました。

 

師がいない道は、

孤独かもしれない。

 

でも、

自由でもある。

 

正解を教えてくれる人はいないけれど、

自分で正解を探せる。

 

型を教えてくれる人はいないけれど、

自分で型を作れる。

 

そして、

世界中のすべての人、

すべてのものが、

師匠になってくれる。

 

250顆以上の白文の積み重ねが、

今の技術を支えている。

 

失敗の数だけ、

学びがある。

 

師弟関係がなくても、

学びは続く。

 

11作品目を終えて、

そんなことを感じています。

 


制作情報

  • 作品名: 師弟
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(師=朱文、弟=白文)
  • 撃辺: やや入れた
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #11
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第10作「出欠」: 

 

 

第9作「春秋」:

 

 

第8作「往来」: 

 

 

第7作「内外」:

 

 

第6作「玉石」: 

 

 

第5作「授受」: 

 

 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 


生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

師匠と弟子なのかな・・・(^-^;

 

#篆刻 #師弟 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第10作目は「出欠」です。

 

記念すべき10作品目!

出るか、欠けるか

出席と欠席。

 

出勤と欠勤。

 

そこに居るか、

居ないか。

 

参加するか、

しないか。

 

シンプルだけど、

人生において何度も問われる選択です。

 

会議、

飲み会、

集まり、

イベント。

 

日々、

様々な場所への参加を求められます。

 

そのたびに、

私たちは「出欠」を問われる。

最近は欠席が多い

最近欠席が多い気がする。

 

まぁ飲み会の話ですが。

 

昔は毎日のように居酒屋に通っていたりしたものです。

 

仕事が終われば居酒屋へ。

 

週末も誰かと飲みに行く。

 

そんな日々を送っていました。

 

でも、

色々と変わっていきました。

 

依存をなくしていく過程で、

食生活が大きく変わっていった。

 

魚肉卵から始まり、

乳製品、

アルコール、

小麦、

油、

化学調味料、

人工甘味料、

農薬野菜、

水道水、

食品添加物、

砂糖等々。

 

必然的にそこまで行くと、

外食できないんですよね。

 

居酒屋のメニューを見ても、

食べられるものがほとんどない。

 

飲めるものもない。

 

ただそこに座っているだけ。

酔った人が本当にめんどくさい

あと飲み会に行くと、

本当にその場にいるだけになる。

 

そして何より、

酔って気が大きくなった人って、

正直なところめんどくさいんですよね。

 

叩いてきたり、

ぶつかってきたり、

絡んできたり。

 

そして翌日、

その事を覚えてなかったり。

 

シラフでいると、

その様子がよく見えます。

 

普段は理性的な人が、

アルコールで理性を失っていく。

 

言動が荒くなり、

距離感がおかしくなり、

記憶が飛ぶ。

 

それを見ているのが、

だんだん辛くなってきました。

 

だからもう二度と酒の席は出るまいと誓って、

何年だろうか。

 

もう最後に行った飲み会を覚えてないぐらいまでになった。

誘われなくなった

最近は、誘われなくなってきてる。

 

しめたものです。

 

最初の頃は、

断るたびに「なんで来ないの?」

「たまにはいいじゃん」

「付き合い悪いなぁ」と言われました。

 

でも、

断り続けていると、

だんだん誘われなくなる。

 

それでいいんです。

 

たまに誘われるんだけれども、

断るパターンが色々と増えていっているので、

よりどりみどりです(´艸`)

 

「その日は予定が…」

「体調が…」

「家族が…」

飲み会を断る時の嘘は、

自分の身を守るための嘘だからついても問題ないですよね。

身体は一つしかない

身体は一つしかない。

 

車やバイクのように換えが効かない。

 

壊れても、

新しいものに買い替えることはできない。

 

一生、

この身体で生きていかなければならない。

 

だからこそ、

大切にする必要がある。

 

そして何より、

人間の體は食べたものでできてるんですよね。

 

これは当たり前のことのはずなのに、

意外と意識されていません。

 

食べたものが血になり、

肉になり、

骨になり、

細胞になる。

 

すべては口から入るもので作られている。

 

そんな大事なことも、

学校では教えてもらえないし、

先生たちも教えようとはしない。

 

給食を食べさせている時点で、

本当のことは教えられないですよね。

仕組みに気づく

全ては利権です。

 

医療業界へお金が流れる仕組みが西洋医学では存在している。

 

さらにその元凶を作る食品業界との癒着。

 

病気を生み出す仕組みが、

完全にできあがってしまっている。

 

今の状態が異常だとも気付けないのは、

洗脳がガッツリかかってしまっているから。

 

何かがおかしいと、

自分で考えて、

死を間近で見て、

自分で色々とやってみる人だけがわかるんですよね。

 

私も、

大切な人の死を経験して、

初めて本気で考え始めました。

 

そして色々試してみた。

 

その結果、

今の食生活にたどり着きました。

本当に必要な場所だけに

出欠からかなり離れてしまいましたが、

伝えたいことは一つ。

 

本当に必要な場所以外は欠席で問題ないと思う。

 

自分の身体を大切にすること。

 

自分の時間を大切にすること。

 

それは、

わがままではなく、

自己責任です。

 

他人に合わせて無理をする必要はない。

 

嫌な場所に行く必要もない。

 

自分が心地よいと思う場所に、

自分が本当に必要だと思う場所にだけ、

出席すればいい。

朱文の課題をクリア

今回も朱白文で彫りました。

 

字体はいつもの小篆風です。

 

「出」は朱文、

「欠」は白文です。

 

撃辺をやや入れました。

 

今回も白文はうまくいってるように思います。

 

そして、

問題の朱文ですが、

画数と複雑さレベルが低めだったので、

意外と思ってた線が出せたように思います!

 

前作「春秋」では朱文に苦戦しました。

 

細かい線が上手く出せず、

納得のいかない仕上がりに。

 

でも今回は比較的シンプルな字だったこともあり、

納得いく線が出せました。

 

少しずつ、

朱文のコントロールができるようになってきたのかもしれません。

可読性の問題

ただ、

普通の人は出欠と読めないでしょうね。

 

うーん、

可読性を高めるべきなのかなぁ、、、

これは悩むところです。

 

小篆は現代の楷書とは形が違う。

 

それが当たり前。

 

読めないのも、

ある意味当然。

 

でも、

作品として見た時、

読めない文字に価値はあるのか?

いや、

でも待てよ。

 

篆刻は実用の印ではない。

 

芸術作品だ。

 

だったら、

読めるかどうかより、

美しいかどうかが重要なのでは?

古典に忠実に、

自分が良いと思う形を追求する。

 

それでいいのかもしれません。

良い石だった

まぁ、

印自体は彫りやすい良い石だったし、

印影も気に入ってるのでよしとしましょう。

 

石との相性も大切です。

 

硬すぎず柔らかすぎず、

刀が気持ちよく入る石。

 

そういう石に出会えると、

彫る喜びが倍増します。

 

今回の石は、

そんな石でした。

 

いやぁ、

今回も楽しかった(´艸`)

10作品達成!

「可否」から始まり、

「乾湿」

「濃淡」

「老若」

「授受」

「玉石」

「内外」

「往来」

「春秋」を経て、

「出欠」で10作品目。

 

最初の区切りを迎えました。

 

10作品を振り返ると、

それぞれに個性があり、

それぞれに学びがあります。

 

技術的な課題も少しずつ見えてきました。

 

白文と朱文の違い、

撃辺の難しさ、

印刀の選択、

石との相性。

 

そして何より、

言葉と向き合う時間の豊かさ。

 

一つ一つの言葉が、

人生の様々な場面を照らし出してくれます。

 

「出欠」という言葉から、

自分の生き方を見つめ直すことができました。

 

残り90個。

 

まだまだ長い道のりですが、

焦らず、

楽しみながら、

一つ一つ丁寧に。

 

本当に必要な場所にだけ出席するように、

本当に必要な表現だけを刻んでいく。

 

そんな姿勢で、

これからも続けていきます。

 


制作情報

  • 作品名: 出欠
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(出=朱文、欠=白文)
  • 撃辺: やや入れた
  • 石: 彫りやすい良い石
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #10
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第9作「春秋」: 

 

 

第8作「往来」: 

 

 

第7作「内外」: 

 

 

第6作「玉石」: 

 

 

第5作「授受」: 

 

 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

存在するかしないかですかね・・・(^-^;


 

 

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第9作目は「春秋」です。

時を表す言葉

春と秋。

 

季節を表す言葉であり、

同時に時の流れを表す言葉でもあります。

 

「春秋の彼岸会」と言えば季節を、

「幾春秋を経る」と言えば年月を、

「春秋を重ねる」と言えば年齢を表す。

 

一つの言葉が、

複数の時間の単位を包含している。

 

言葉の奥深さを感じます。

四季の恵み

夏冬も好きなんですけど、

春秋も大好きです。

 

日本に住んでいて本当に良かったと思うのは、

四季があること。

 

春夏秋冬、

それぞれに異なる表情があり、

異なる恵みがあり、

異なる美しさがある。

 

四季があるって最高ですよね。

 

春と秋はどちらも好きだけど、

山の色が強い緑でもりもりしてくる春からパワーをいつももらってる。

 

冬の静けさから一転、

命が溢れ出す季節。

 

芽吹き、

成長し、

世界が緑に染まっていく。

 

その力強さに、

毎年元気をもらっています。

 

一方で、

赤く紅葉したり黄色く登山道を染めて甘い香りを放つ秋にも癒しをもらってる。

 

春の力強さとは違う、

静かな美しさ。

 

燃えるような紅葉、

落ち葉の絨毯、

澄んだ空気。

 

秋の山は、

心を落ち着けてくれます。

 

甲乙はつけらんないですよねぇ💦

春秋時代と縄文時代

そういえば春秋といえば、

キングダムの戦国時代も春秋ですよね。

 

正確には春秋時代の後の戦国時代ですが、

あの時代区分には「春秋」という言葉が使われています。

 

紀元前770年から紀元前403年までが春秋時代、

その後、

紀元前403年から紀元前221年までが戦国時代。

 

中国では、

国が分裂し、

争いが続いていた時代。

 

その頃日本では、

僕の大好きな縄文文明の晩期だったようです。

 

紀元前1000年頃から紀元前300年頃までが縄文時代晩期。

 

ちょうど中国の春秋戦国時代と重なっています。

 

大陸で戦乱が続いていた頃、

日本列島では縄文人たちが独自の文化を育んでいた。

縄文の春秋

縄文の頃の春や秋の山は、

今よりもっと色鮮やかだったのかなぁ〜😆

想像してみるんです。

 

ビルもない、

道路もない、

電線もない。

 

人工的な化学物質もない。

 

ただ自然だけがある世界。

 

その中で迎える春と秋。

 

芽吹く緑は、

今よりもずっと鮮やかだったかもしれない。

 

紅葉は、

今よりもずっと深い色だったかもしれない。

 

空気は澄んでいて、

水は清らかで、

生き物たちの声が山に満ちていた。

 

縄文人たちは、

その中で四季を感じながら生きていた。

 

春には山菜を採り、

秋には木の実を集める。

 

季節の恵みに感謝しながら、

自然と共に暮らしていた。

 

彼らが見ていた春秋の山を、

想像するだけでワクワクします。

もう一度見れるのかなぁ

ビルとか人工的な化学物質とかなくなったら、

もう一度見れるようになるのかなぁ〜

人間が手を加えていない自然。

 

それは、

もう存在しないのかもしれません。

 

でも、

少しずつでも、

自然が回復していく可能性はある。

 

人間が少し謙虚になれば、

自然は驚くほどの回復力を見せてくれる。

 

そんな未来を夢見ながら、

今できることをする。

 

それは、

自然に敬意を払うこと。

 

四季の恵みに感謝すること。

 

そして、

この美しい季節を、

次の世代にも残していくこと。

撃辺の難しさ

今回も朱白文で彫りました。

 

「春」は白文、

「秋」は朱文です。

 

撃辺を入れましたが、

印面向かって右手側が意図的な模様のようになってしまい、

自然にかけたり、

劣化感がなくてちょっと残念な感じになりました。

 

撃辺は難しいですね。

 

狙いすぎると作為的になってしまう。

 

でも狙わないと綺麗すぎて味が出ない。

 

そのバランスがまだ掴めていません。

 

古い印には、

時の流れが刻まれています。

 

欠けたり、

削れたり、

磨り減ったり。

 

その「不完全さ」が、

逆に作品に深みを与える。

 

それを意図的に再現するのが撃辺の技法ですが、

作為的になってしまうと途端に嘘っぽくなる。

 

自然な崩れ方を、

意図的に作る。

 

矛盾しているようですが、

それが撃辺の本質なのかもしれません。

白文と朱文の課題

文字は前回と同じく、

白文は何となく上手くできた感じなんだけど、

朱文の線がうまく出せてないように思います。

 

白文(彫り込む)は調子が良いのに、

朱文(線を残す)が上手くいかない。

 

これは明確な技術的課題ですね。

 

白文は、

彫りたい部分を彫ればいい。

 

力を入れて、

刀を進めて、

石を削り取る。

 

ある意味シンプルです。

 

でも朱文は、

残す線を意識しながら彫らなければならない。

 

彫るのは線の周り。

 

線そのものは彫らない。

 

より高度なコントロールが必要なのかもしれません。

 

「春」は上手くいったのに、

「秋」は納得いかない。

 

この差が、

今の自分の技術レベルを示しています。

印刀を戻してみた

今回は印刀を、

刀匠に作ってもらったものに戻しました。

 

前作「往来」では、

使い慣れた印刀を使ってみました。

 

結果、

「往」は綺麗にできたのに「来」がガタガタに。

 

そこから何かを学んだのかもしれません。

 

今回、

刀匠作の印刀に戻してみたら、

前回より上手くいったように思います。

 

道具によって、

彫り味が変わる。

 

切れ味、

重さ、

バランス、

握りやすさ。

 

すべてが微妙に異なる。

 

その違いを感じ取りながら、

自分に合う道具を見つけていく。

 

この過程も、

百顆印シリーズの楽しみの一つです。

9作品目の到達点

「可否」で始まり、

「乾湿」

「濃淡」

「老若」

「授受」

「玉石」

「内外」

「往来」を経て、

「春秋」へ。

 

9作品を終えて、

残り91個。

 

まだまだ道は長いですが、

一つ一つに意味がある。

 

技術的な課題が見えてきたこと、

道具との対話が深まってきたこと、

そして何より、

言葉と向き合う時間が楽しいこと。

 

春秋。

 

季節を表し、

時を表す言葉。

 

縄文の春秋を想像しながら、

今この瞬間の春秋を刻む。

 

過去と現在が交差する、

不思議な時間でした。

 


制作情報

  • 作品名: 春秋
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(春=白文、秋=朱文)
  • 撃辺: あり(意図的な模様になってしまった)
  • 印刀: 刀匠作の印刀
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #09
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第8作「往来」: 

 

 

第7作「内外」: 

 

 

第6作「玉石」: 

 

 

第5作「授受」: 

 

 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

 

一枚の写真に表現してくれるなんて、、、素敵です、、、(^^)/

 

 


 

#篆刻 #春秋 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第8作目は「往来」です。

 

行ったり来たりすること

 

人や事物が行ったり来たりすること。

 

また、

その人。

 

ある場所へ、

また、

ある道をゆききすること。

 

行ったり帰ったりすること。

 

「往来」という言葉、

日常ではあまり使わないかもしれません。

 

往復は結構使うけれど、

往来はちょっと古風な響きがある。

 

道路を「往来」と呼んだり、

「往来禁止」という言葉で使われたり。

 

でも、

よく考えてみると、

私たちは毎日往来しています。

 

毎日の往来

 

この物理世界において人として生きていると、

毎日往来してますよね。

 

寝るとあちらの世界に行くし、

起きるとこちらの世界に戻ってくる。

 

毎日一度は必ず往来してる。

 

寝ない人もいるから必ずでもないか…でも、

ほとんどの人は毎晩、

意識の世界から無意識の世界へと旅立っています。

 

そして朝になると、

また意識の世界へと戻ってくる。

 

これを往来と呼ばずして、

何と呼ぶのでしょう。

 

睡眠という儀式

 

僕は睡眠がすごく大事な儀式だと思ってる。

 

儀式。

 

それは単なる生理現象以上の何か。

 

意識的に、

丁寧に、

大切に行うべきもの。

 

寝ている間に色々なところが治ることを実感すると、

その大切さは身に染みてわかります。

 

身体の疲れ、

心の疲れ、

精神の乱れ。

 

睡眠は、

それらすべてを癒してくれる魔法のような時間。

 

起きた時の感覚

 

起きた時の感覚で何となくわかります。

 

寝起きはスッキリしていることが多い。

 

身体が軽く、

頭がクリアで、

新しい一日を迎える準備ができている。

 

そんな朝は、

睡眠の質が良かった証拠。

 

ちょっとだるい時は、

嫌なことあったり、

睡眠時間が短い時に多い。

 

身体は正直です。

 

心の状態も、

睡眠の質も、

すべて朝の感覚に現れる。

 

だから質の高い睡眠は大事だと思う。

 

判断力の低下

 

睡眠時間が短いと判断力が低下する。

 

これは過去に嫌というほど経験しています。

 

寝不足の日は、

普段なら気づくことに気づけない。

 

当たり前の判断ができない。

 

感情のコントロールも難しくなる。

 

そういう時は大概違和感がある。

 

事前に何となくわかる。

 

「今日はちょっとおかしいぞ」

という内側からのサイン。

 

それを無視すると、

大抵良くない結果になる。

 

だからこそ、

睡眠は妥協してはいけない。

 

あちらの世界への往来を、

きちんと行う。

 

それが、

こちらの世界で健やかに生きるための条件なのかもしれません。

 

使い慣れた印刀

 

今回も朱白文で彫りました。

 

「往」は白文、

「来」は朱文です。

 

撃辺は無しとしました。

 

そして今回は、

久々に刀匠に作ってもらった印刀ではなく、

以前から使っている馴染んだ印刀を使ってみました。

 

新しい道具には新しい道具の良さがあります。

 

切れ味が鋭く、

緊張感がある。

 

でも、

使い慣れた道具には安心感がある。

 

手に馴染み、

力加減がわかり、

信頼できる。

 

今回はその安心感を求めたのかもしれません。

 

往と来の対比

 

正直に言うと、

ちょっと複雑な仕上がりになりました。

 

「往」はびっくりするぐらい綺麗にできたような気がするんです。

 

線が安定していて、

バランスが良くて、

自分でも「お、いいじゃん」と思える出来。

 

使い慣れた印刀の恩恵かもしれません。

 

でも、

「来」がびっくりするぐらいガタガタになってしまいました。

 

細かくなるとどうしても緊張感が出てしまう。

 

彫りすぎたらどうしようというビビりが出て、

上手く彫れてない気がする。

 

行くことと来ること。

 

往くことは調子よくできたのに、

来ることは上手くいかなかった。

 

なんだか人生みたいですね。

 

今の自分にしか彫れない印

 

でも、

今の僕にしか彫れない印という面では最高の出来だと思う。

 

完璧じゃないからこそ、

そこに今の自分がいる。

 

「往」が綺麗にできて、

「来」がガタガタになってしまう。

 

その技術的な未熟さも、

緊張してしまう心の状態も、

すべて今の自分。

 

一年後の自分なら、

もっと上手く彫れるかもしれない。

 

でも、

それは一年後の自分の作品であって、

今の自分の作品ではない。

 

今この瞬間の自分が彫った印。

 

それが何より大切。

 

結果オーライ

 

結果オーライ(おうらい:往来)👍

 

上手くいかないこともある。

 

思い通りにならないこともある。

 

でも、

それも含めて受け入れる。

 

往来。

 

行ったり来たりする人生の中で、

順調な時もあれば、

つまずく時もある。

 

でも、

行って帰ってくる。

 

また行って、

また帰ってくる。

 

その繰り返しの中で、

少しずつ前に進んでいく。

 

8作品目。

 

まだまだ先は長いですが、

一つ一つ丁寧に。

 

完璧を目指すのではなく、

今の自分を刻んでいく。

 

そんな姿勢で、

これからも往来を続けていこうと思います。

 


制作情報

  • 作品名: 往来
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(往=白文、来=朱文)
  • 撃辺: なし
  • 印刀: 使い慣れた印刀を使用
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #08
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第7作「内外」: 

 

 

第6作「玉石」: 

 

 

第5作「授受」: 

 

 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

 

往来が激しいですね・・・(^-^;

 


 

#篆刻 #往来 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第7作目は「内外」です。

 

境界線で分けられる世界

 

内と外。

 

内部と外部。

 

ものの内部と外部。

 

特に、

国内と国外。

 

自国と外国。

 

境界線によって分けられる、

二つの領域を表す言葉です。

 

私たちは日々、

様々な「内外」を意識して生きています。

 

家の内と外、

会社の内と外、

国の内と外。

 

そして最も身近で、

最も深い「内外」。

 

それが、

自分の内と外。

 

原因はどこにあるのか

 

何か問題があった時に、

自分の外に原因を探すことが多かったんです。

 

「あの人がこう言ったから」 

「環境が悪いから」

 「運が悪かったから」

 

外部要因を探して、

そこに責任を求める。

 

それは楽な方法でした。

 

自分は悪くない。

 

悪いのは外側にある何か。

 

そう考えれば、

自分を守れる気がしていました。

 

でも、

ここ最近は問題の原因は自分の中にしかないことに、

やっと気付けるようになってきました。

 

感情の変化

 

この気づきと共に、

変化がありました。

 

悲しくなったり、

不安になったり、

恐怖を覚えたりという感覚は、

かなり薄くなってきた。

 

外に原因を求めているうちは、

コントロールできない恐怖がありました。

 

外部は自分の力では変えられない。

 

だから不安になる。

 

だから恐れる。

 

でも、

原因が自分の内にあるなら話は別です。

 

自分の内側なら、

向き合うことができる。

 

変えることができる。

 

まだ残るイライラと焦り

 

とはいえ、

完全に感情がなくなったわけではありません。

 

イライラしたり焦ったりすることは、

たまにある。

 

特に人と接している時が多いかもしれない。

 

誰かの言動に反応してしまう。

 

思い通りにならなくて焦る。

 

そういう瞬間は、

まだあります。

 

でも、

以前と違うのは、

その時の自分の反応です。

 

自分の中を探る面白さ

 

その場合であっても、

相手に原因はなく、

自分の中に原因がある。

 

そして、

それを探っている時間が面白かったりするんです。

 

「なぜ今、イライラしたんだろう?」 

 

「何が自分の中で引っかかったんだろう?」

 

相手を責めるのではなく、

自分の内側を観察する。

 

すると、

意外な発見があります。

 

自分が何に価値を置いているのか、

何を恐れているのか、

何を求めているのか。

 

外に目を向けるのではなく、

内に向ける。

 

それは、

自分自身との対話です。

 

思考が邪魔をする

 

左脳優先になっているとなかなか内に向けないような気がします。

 

思考が邪魔をするから。

 

理屈で考えようとすると、

本当の原因が見えなくなる。

 

「こうあるべき」

「これが正しい」

という思考の枠が、

内側を見る目を曇らせてしまう。

 

感覚というか直感、

ひらめきみたいなものを大事にする。

 

それらに従うと、

なんかよくわからない喜びが降ってくる感じがあります。

 

何なんだろうな、

あれ。

 

言葉にできない、

でも確かに感じる何か。

 

思考を超えたところにある、

静かな喜び。

 

内側に目を向けた時にだけ訪れる、

不思議な感覚。

 

小篆の美しさ

今回も朱白文で彫りました。

 

「内」は白文、

「外」は朱文です。

 

今までは金文風を多く彫ってきました。

 

金文は古代的で、

力強く、

野性的な魅力があります。

 

でも今回のシリーズで小篆風に変えているので、

すごく斬新で面白い。

 

小篆の美しさを改めて実感しています。

 

流麗で整った線、

統一された構造。

 

一画一画が丁寧に計算され、

全体として調和している。

 

李斯への敬意

 

さすが李斯って思ってしまう。

 

秦の始皇帝の命を受けて文字を統一した李斯。

 

それまで国ごとに異なっていた文字を、

小篆という統一された書体にまとめ上げた。

 

彼が作り上げた小篆は、

2000年以上経った今でも、

こうして私たちの手で彫られ続けている。

 

時代を超えて受け継がれる美。

 

歴史の重みを感じながら、

刀を動かす時間。

 

それもまた、

篆刻の醍醐味です。

 

キングダムと歴史

 

そういえばキングダム途中までしか読んでないな。

 

あの漫画では秦の統一への道が描かれていますが、

物語的に漫画の原作では李斯が小篆を作るところまではやらないんだろうなぁ。

 

文字の統一は、

武力による統一の後。

 

戦いが終わり、

国が一つになってから始まる、

もう一つの統一事業。

 

もしかしたら、

武力による統一よりも、

文字による統一の方が、

より深く、

より長く続く統一だったのかもしれません。

 

内に向き合う時間

 

7作品目。

 

少しずつ、

このシリーズのリズムができてきました。

 

一つ一つの作品を彫りながら、

言葉と向き合い、

自分と向き合う。

 

外側の評価ではなく、

内側の充実感を大切にする。

 

「内外」を彫りながら、

そんなことを考えていました。

 

外に原因を探すのではなく、

内に目を向ける。

 

思考ではなく、

感覚に従う。

 

よくわからない喜びに身を委ねる。

 

そんな時間が、

今の私には必要なのかもしれません。

 


制作情報

  • 作品名: 内外
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(内=白文、外=朱文)
  • 撃辺: 少しだけ
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #07
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

[動画リンク]

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第6作「玉石」: 

 

 

第5作「授受」: 

 

 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら
 

日本国内と外国かな・・・(^-^;

 

 


 

#篆刻 #内外 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第6作目は「玉石」です。

 

価値とは何か

 

玉と石。

 

美と悪。

 

賢と愚。

 

価値のあるものとないもの。

 

良いものと悪いもの。

 

対極的な価値を表す言葉として使われます。

 

「玉石混交」という言葉があるように、

この世界には価値あるものとそうでないものが混ざり合っている。

 

そんな認識が、

この言葉の背景にはあります。

 

でも、本当にそうでしょうか?

 

石がなければ印は彫れない

 

玉も石も好きだけどね。

 

というか、

篆刻をやっている身としては、

こう言わざるを得ません。

 

石がないと印彫れないじゃん。

 

玉は確かに美しい。

 

宝石として珍重され、

高い価値を持つ。

 

でも、

篆刻に使う印材は石です。

 

柔らかすぎず硬すぎず、

刀が入りやすい石。

 

寿山石、

青田石、

昌化石。

 

様々な石が印材として愛されてきました。

 

その石に「価値がない」なんて、

言えるでしょうか?

 

価値観は人それぞれ

 

人それぞれ価値観って違いますよね。

 

だから人によっては玉だけど、

別の人から見ると石だったりもする。

 

ある人にとっての宝物が、

別の人にとっては興味のないものである。

 

それは当たり前のことです。

 

コレクターが大金を払って手に入れるものを、

別の人は「ただのガラクタ」と思うかもしれない。

 

でも、

どちらが正しいわけでもない。

 

価値とは、

絶対的なものではなく、

相対的なもの。

 

見る人、

使う人、

関わる人によって、

その価値は変わっていく。

 

善悪二元論を超えて

 

善悪二元論には囚われまい。

 

これが、

今回「玉石」を彫りながら考えていたことです。

 

世の中を

「良いもの」

「悪いもの」

にきれいに分けることはできません。

 

玉か石か、

白か黒か、

正義か悪か。

 

そんな単純な二分法では、

この複雑な世界を理解できない。

 

結局のところ、

立ち位置によって変わっちゃうものは、

俯瞰して判断しないってのがいいのかもね(´艸`)

 

一歩引いて、

全体を見る。

 

自分の立ち位置を自覚しながら、

他の視点も想像してみる。

 

そうすることで、

もっと柔軟に、

もっと豊かに物事を捉えられる気がします。

 

篆刻における「石」の価値

 

篆刻をやっている身としては、

「価値のない石」なんて存在しないと思っています。

 

どんな石も、

そこに文字を刻めば作品になる。

 

高価な印材も、

安価な練習用の石も、

刀を入れればどちらも表現の場になる。

 

もちろん、

石の質によって彫りやすさは変わります。

 

美しい印材は、

それだけで作品に風格を与えてくれます。

 

でも、

大切なのは素材の良し悪しではなく、

どう向き合うか。

 

素材に優劣をつけるより、

どう表現するかが大切。

 

それが、

私の考え方です。

 

素直に彫った日

 

今回も朱白文で彫りました。

 

「玉」が朱文で、

「石」が白文です。

 

柔らかめの撃辺をつけて、

一度試し押しをして、

補刀も入れました。

 

いつものように、

その辺りの工程は尺の関係で動画には入れていませんが、

制作の裏側ではきちんと調整しています。

 

画数が少ない漢字だったので、

色々できそうではあったんです。

 

でも今回は、

何の捻りもなく、

字を彫っただけになってしまった。

 

まぁ、

そういう日もあるか。

 

基本を見つめ直す

 

実験的な試みばかりが良いわけでもありません。

 

前回の「授受」では、

文字構造を分割するという冒険をしました。

 

その前の「濃淡」では線の太さを変えてみた。

 

毎回何か新しいことを試すのも楽しいですが、

時には素直に文字と向き合う日があってもいい。

 

むしろ、

そういう日の方が基本を見つめ直せる気がします。

 

篆刻の基本は、

文字を美しく配置すること。

 

バランスを取り、

空間を意識し、

線を丁寧に彫る。

 

派手な実験がなくても、

その基本をしっかりやることに価値がある。

 

玉のように輝く日もあれば、

石のように素朴な日もある。

 

どちらも必要で、

どちらも大切。

 

今日も楽しく彫れた

 

今日も楽しく彫れましたよ😆

 

結局のところ、

これが一番大切なことかもしれません。

 

上手くいく日も、

思い通りにならない日も、

実験が成功する日も、

素直に彫るだけの日も。

 

どんな日でも、

刀を握って石と向き合う時間は楽しい。

 

玉石。

 

価値の対比を表す言葉ですが、

私にとってはどちらも愛おしい存在です。

 

100個の印を彫る旅は、

まだ始まったばかり。

 

6作品目を終えて、

残り94個。

 

焦らず、

楽しみながら、

一つ一つ丁寧に。

 

そんな気持ちで、

これからも彫り続けていきます。

 


制作情報

  • 作品名: 玉石
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(玉=朱文、石=白文)
  • 撃辺: 柔らかめ
  • 補刀: あり(試し押し後に調整)
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #06
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。

 第5作「授受」: 

 

 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

 第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら


いい雰囲気ですね(^^♪


 

#篆刻 #玉石 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第5作目は「授受」です。

 

与えることと受け取ること

 

さずけることとうけること。

 

やりとり。

 

受渡。

 

物や知識、

思いが人から人へ、

循環していくことを表す言葉です。

 

この世界は、

無数の授受によって成り立っています。

 

誰かが与え、

誰かが受け取る。

 

そしてまた、

受け取った人が次の誰かに与えていく。

 

大きな循環の中で

 

刀を動かしながら考えていました。

 

循環ですよね。

 

僕は人からもらって、

人へ渡す。

 

大自然からの恩恵をいただき、

それに還していかなければならない。

 

篆刻という技法も、

そうやって受け継がれてきたものです。

 

先人たちが磨き上げてきた技術を学び、

それを自分なりに表現して、

また次の世代へ繋いでいく。

 

知識も、

経験も、

技術も、

すべては循環の中にある。

 

いただいたものはありがたく頂戴し、

自分にできることを繋いでいく。

 

それが、

この世界で生きるということなのかもしれません。

 

循環を止めないために

 

今だけ自分だけお金だけ。

 

そういう考え方をしてしまうと、

循環が滞ってしまう。

 

溜め込むだけで、

次へ流れていかない。

 

それは川が淀むようなもの。

 

流れが止まれば、

水は腐ってしまいます。

 

未来のことを考えて行動する。

 

人のために何ができるか考えて行動する。

 

そうすることで、

循環は続いていく。

 

そして不思議なことに、

その行動はやがて自分の中に知識や経験として溜め込まれていくんです。

 

与えることは、

同時に受け取ることでもある。

 

これが授受の本質なのだと思います。

 

できることが増える喜び

 

楽しい😆 楽しすぎる(´艸`)

できることが増えるって楽しいよね。

 

このシリーズを始めて5作品目。

 

まだまだ序盤ですが、

確実に何かが積み重なっている感覚があります。

 

言葉と向き合う時間、

石と対話する時間、

その一つ一つが自分の中に蓄積されていく。

 

それは誰かから授けられたものであり、

いつか誰かに授けるものでもある。

 

そう思うと、

この作業がますます楽しくなってきます。

 

文字構造を活かした実験

 

今回も朱白文で彫りました。

 

そして今回は、

ちょっと面白い試みをしてみました。

 

「授」の手偏を朱文で、

「授」の受の部分と「受」を白文に。

 

文字としてはまとまりを分割しているので、

正統派からすればおかしなことになっています。

 

漢字は部首と旁(つくり)で構成されているわけで、

それを朱白で分割するのは邪道と言われても仕方ない。

 

でも、

やってみたかったんです。

 

「受」の間に「手」を挟む

 

この配置には意味があります。

 

「受」の間に「手」を挟む構図になるんです。

 

授けるという行為には手が必要。

 

受けるという行為も手で行う。

 

物理的にも、

象徴的にも、

「手」は授受の媒介なんですよね。

 

そして、

「授受」という熟語そのものが「受」が重なってできている。

 

「授」の中にも「受」があり、

「受」も当然「受」。

 

この構造を視覚的に表現できないか。

 

そんなことを考えながら配置してみました。

 

多分だけど、

面白い配置ではあると思うのです。

 

伝統と実験

 

篆刻は伝統的な技法です。

 

何千年もの歴史があり、

守るべき様式やルールがある。

 

それは尊重すべきことだし、

学ぶべきことでもあります。

 

でも同時に、

遊び心や実験的な試みがあってもいい。

 

伝統を学びながら、

自分なりの表現を探る。

 

先人から授けられた技法を受け取りながら、

それを自分のフィルターを通して次へ渡していく。

 

それもまた、

授受なのではないでしょうか。

 

5作品目の到達点

 

「可否」で始まり、

「乾湿」「濃淡」「老若」を経て、

「授受」へ。

 

5作品を並べてみると、

それぞれに個性があります。

 

言葉の意味、

文字の形、

朱白の配分、

線の太さ、

枠の有無。

 

様々な要素を変えながら、

10mm角という制約の中で表現の幅を探っています。

 

今回の「授受」では、

文字構造そのものに手を加えてみました。

 

次は何を試してみようか。

 

そんなことを考えるのも、

楽しいんですよね。

 

循環する喜び。

 

与えることと受け取ること。

 

できることが増えていく楽しさ。

 

それらすべてを、

この小さな印面に込めてみました。

 


制作情報

  • 作品名: 授受
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(授の手偏=朱文、受の部分=白文)
  • 構成: 文字構造を活かした実験的配置
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #05
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第4作「老若」: 

 

 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

受け取ってますね・・・(^-^)


 

#篆刻 #授受 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第4作目は「老若」です。

 

時間という平等

 

老人と若者。

ろうじゃく。

ろうにゃく。

 

年齢という、

誰もが通る時間軸を表す言葉です。

 

生まれた瞬間から、

私たちは時間の中を歩み続けます。

 

若さから老いへ。

 

それは避けられない、

しかし誰にも平等に訪れる変化です。

 

それぞれの良さ

 

刀を動かしながら考えていました。

 

年寄りには年寄りのいいところがあると思います。

 

経験、

知恵、

落ち着き、

深み。

 

時間を重ねることでしか得られないものが、

確かにある。

 

一方で、

若いと色々見えない部分がある気がします。

 

視野が狭かったり、

考えが浅かったり。

 

まだ経験していないことが多いから、

当然ですよね。

 

でも、

若いからできることも結構あったりする。

 

体力、

柔軟性、

吸収力、

勢い。

 

若さにしかないエネルギーがある。

 

失敗を恐れない大胆さも、

若さの特権かもしれません。

 

どちらが良いとか悪いとかではなく、

それぞれの時期にしかない価値がある。

 

老若、

どちらも尊いんです。

 

今が一番若い

 

そして、

気づいたことがあります。

 

僕は今が一番若いんだから、

多分これからなんだと思う。

 

過去を振り返って

「あの頃は若かった」

と言うのは簡単です。

 

でも、

未来から見たら、

今この瞬間が一番若い。

 

明日の自分より、

今日の自分の方が若い。

 

だったら、

今できることを今やる。

 

それしかないんですよね。

 

年齢という枠

 

結局、

年齢制限なんて自分で決めちゃってるんですよね。

 

「この年齢だからもう遅い」 

 

「若いうちにやっておけばよかった」

 

そんな風に、

自分で枠を作ってしまう。

 

でも本当は、

その枠は自分が作り出した幻想なのかもしれません。

 

何かを始めるのに、

遅いなんてことは全く持って考える必要はない。

 

60歳で大学に入学する人もいる。

 

70歳で絵を描き始める人もいる。

 

80歳でマラソンを走る人もいる。

 

年齢は、

ただの数字。

 

それを理由に諦める必要なんて、

どこにもない。

 

いつでもどこでも何かを始められる状態でいること。

 

それは、

とても素晴らしいことだと思います。

 

枠が壊れた

 

今回も朱白文で彫りました。

 

「老」を朱文で、「若」を白文に。

 

そして今回、

ちょっとしたハプニングがありました。

 

ちょっと力を入れ過ぎてしまって、

枠が大きく壊れてしまったんです。

 

「やってしまった…」

その瞬間はそう思いました。

 

撃辺は印の顔。

それが欠けてしまうのは、

失敗以外の何物でもない。

 

でも、

完成してみると、

それがいい感じに突き抜けていて良かったかなと。

 

年齢という枠を超える、

という意味では、

枠が破れているのも悪くない。

 

むしろ、

この作品のテーマに合っているのかもしれない。

 

そんな風に思えてきました。

 

失敗も、

作品の一部。

 

完璧じゃないからこそ、

そこに物語が生まれる。

 

印刀が馴染んでくる

 

使っている印刀は、

刀匠に作っていただいたものです。

 

最初は硬く感じた刃も、

だいぶ馴染んできたような気がします。

 

使い込むほどに手に馴染み、

石との対話が深まっていく。

 

道具と職人が一体になっていく感覚。

 

でも、

力加減は難しい😓

 

今回のように、

つい力が入りすぎることもあります。

 

集中しているからこそ、

無意識のうちに力んでしまう。

 

まだまだ修行が必要ですね。

 

でも、

それでいいんだと思います。

 

完璧を求めるより、

少しずつ成長していく過程を楽しむ。

 

それが、

この百顆印シリーズの意味なのかもしれません。

 

始まったばかり

 

4作品目。

 

まだ始まったばかりです。

 

100という数字は、

まだまだ遠い。

 

でも、

焦る必要はない。

 

一つ一つ、

丁寧に。

 

言葉と向き合い、

石と向き合い、

自分と向き合う。

 

老若を彫りながら、

そんなことを考えていました。

 

何かを始めるのに、

遅すぎることはない。

 

今この瞬間が、

一番若い。

 

だから、

今できることを今やる。

 

そんな当たり前のことを、

改めて確認した作品になりました。

 


制作情報

  • 作品名: 老若
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(老=朱文、若=白文)
  • 撃辺: あり(途中で破損)
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #04
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

第3作「濃淡」: 

 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

第1作「可否」: 

 

 


 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

 

素敵な年を重ねるとこうなりますよね。

 

 

#篆刻 #老若 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第3作目は「濃淡」です。

世界を彩る濃淡

色や味などの濃いことと、

うすいこと。

 

「絵の具で濃淡をつける」というように、

視覚的な表現でよく使われる言葉ですよね。

 

絵画では、

この濃淡が作品に深みを与え、

立体感を生み出します。

 

でも、

濃淡があるのは色や味だけではありません。

あらゆるものに存在する濃淡

刀を動かしながら考えていました。

 

色は濃いと淡いがある。

 

人間味も濃いと薄いがある。

 

存在感も、

意識も、

形も…

 

そう考えてみると、

いろんなものに濃淡があることに気付きます。

 

声の濃淡、

記憶の濃淡、

感情の濃淡。

 

人との関係性にも濃淡がある。

 

時間の流れ方にすら、

濃く感じる瞬間と淡く過ぎていく瞬間がありますよね。

 

世界は濃淡で満ちている。

どちらも良い、という視点

ここで大切なのは、

どちらが良いとかはないということ。

 

濃いことが良くて、

淡いことが悪い。

 

そんなことはありません。

 

どちらも良いんです。

 

人それぞれな部分と同じように、

みんな違ってみんな良い。

 

濃い人生を送る人もいれば、

淡々と日々を重ねる人もいる。

 

濃い色が好きな人もいれば、

淡い色に心惹かれる人もいる。

 

どちらも正解で、

どちらも美しい。

 

差があるから面白い。

 

違いがあるから楽しい😆

 

この多様性こそが、

世界を豊かにしているのだと思います。

線の太さで表現する濃淡

今回も縛りの朱白文で彫りました。

 

「濃」を白文で、

「淡」を朱文で。

 

ここまでは前作と同じアプローチです。

 

でも今回は、

もう一つ実験を加えてみました。

 

「濃」はできるだけ文字線の幅を太めに、

「淡」は逆に文字線の幅を細めに。

 

一顆の中に変化を持たせることで何か見えてくるかなと思ったんです。

 

言葉の意味を、

朱白文の対比だけでなく、

線の太さという視覚的要素でも表現できないか。

 

そんな試みです。

 

篆刻は線の芸術。

 

その線の太さ一つで、

印象は大きく変わります。

 

太い線は力強く、

存在感がある。

 

細い線は繊細で、

軽やか。

 

この対比が「濃淡」という言葉の本質を、

より直感的に伝えてくれるのではないか。

 

結果は見る人の判断に任せます。

撃辺ありに戻してみた

前作「乾湿」では撃辺(印の周囲の枠線)をなしにしました。

 

空気の広がりを表現するために、

枠に閉じ込めない選択をしたんです。

 

今回はありで彫ってみました。

 

理由は特にありません。

 

ただ、

作品ごとに表現を変えていきたい。

 

同じパターンに固執せず、

その都度、

言葉と向き合って最適な形を探る。

 

それがこのシリーズの面白さだと感じています。

 

100個の印を彫る過程で、

どんな表現の幅が生まれるのか。

 

自分でも楽しみです。

変化を楽しむ

第3作目まで来て、

少しずつリズムが生まれてきました。

 

10mm角という制約、

朱白文という縛り。

 

その中で、

どれだけ多様な表現ができるのか。

 

制約があるからこそ、

工夫が生まれる。

 

工夫があるから、

発見がある。

 

「可否」で始まり、

「乾湿」を経て、

「濃淡」へ。

 

3つの印を並べてみると、

それぞれに個性があります。

 

言葉が違えば、

形も違う。

 

当たり前のことですが、

その当たり前を一つ一つ確かめていく作業が、

とても楽しいんです。

 

濃淡のある日々を、

濃淡のある印で刻んでいく。

 

そんな時間を、

これからも大切にしていきたいと思います。

 


制作情報

  • 作品名: 濃淡
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(濃=白文・太線、淡=朱文・細線)
  • 撃辺: あり
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #03
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

これまでの作品もぜひご覧ください。 

 

第2作「乾湿」: 

 

 

 

第1作「可否」: 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら


お、、、おっとせい?。。。(^-^;

 


 

#篆刻 #濃淡 #対義語 #朱白文 #小篆 #伝統工芸 #百顆印

 

対義語二字熟語百顆印シリーズ、

第2作目は「乾湿」です。

空気の表情を刻む

空気のかわきと湿り気。

 

乾燥と湿気。

 

当たり前のように存在していて、

でも意識しないと気づかない。

 

そんな「乾湿」という言葉を、

今回は印面に刻みました。

 

私たちの身体や生活に、

目に見えない形で影響を与え続けている要素。

 

季節によって、

場所によって、

時間によって、

その表情は刻々と変化していきます。

季節と共に移ろう湿度

空気って、

冬場は乾燥するし、

梅雨時期はものすごい湿気がありますよね。

 

日本に住んでいると、

この乾湿の変化は身体で感じます。

 

冬の朝、

喉がカラカラになって目覚める日。

 

梅雨時、

部屋中がじっとりと湿気を含む日。

 

ここ数年、

ちょっとした発見がありました。

 

濡れた髪のまま寝ると、

何となくだけど、

起きた時の乾燥が多少和らいでいるような気がするんです。

 

科学的根拠があるのかどうかは分かりませんが、

身体が感じる小さな変化。

 

それもまた、

乾湿と共に暮らすということなのかもしれません。

乾燥剤から竹炭へ

湿度対策について、

最近考えていることがあります。

 

食品に入っている乾燥剤、

捨てずにためているんです。

 

湿度が多いと感じた時に部屋に撒いてみようかと。

 

湿気取りを買えばいいのかもしれないけど、

再利用できるものは再利用したい。

 

そんな気持ちがあります。

 

でも、

もっといい方法があるんじゃないか。

 

そう考えていたら、

ふと思い出したことがありました。

 

以前、

どこかに旅行した時、

宿泊施設に米俵みたいなものが置いてあったんです。

 

何だろうと不思議に思って見ていたら、

どうやら中身は竹炭だったよう。

 

これだ!と思いました。

 

炭は調湿効果があって、

しかも繰り返し使える。

 

日本の伝統的な知恵ですよね。

 

乾湿を彫りながら、

そんなことを思い出していました。

朱白文で表現する乾湿

今回の作品は朱白文で彫りました。

 

「乾」を白文で、

「湿」を朱文で。

 

何となく、

字のイメージで朱白を決めた感じです。

 

白い余白が乾いた空気を、

朱い文字が湿った重みを表現しているような。

 

そんなイメージが伝わるといいなと思っています。

 

篆刻では、

朱文(線が残る)と白文(線を彫り込む)の組み合わせで、

様々な表現ができます。

 

今回は対義語という性質を活かして、

一つの印面の中に両方を共存させてみました。

撃辺をなくした理由

もう一つ、

今回の作品で試みたことがあります。

 

撃辺(印の周囲の枠線)をあえて入れませんでした。

 

空気感を表現するには、

枠に閉じ込めない方がいい。

 

そう感じたんです。

 

乾湿は、

境界線のない、

広がりのあるもの。

 

だからこそ、

印面も開放的に。

 

小さな試みですが、

言葉の持つ性質を、

形でも表現できたらと考えています。

やっぱり春か秋が快適

刀を動かしながら思ったこと。

 

やっぱり春か秋が快適ですよね。

 

極端な乾燥も、

過度な湿気もない。

 

ちょうどいい乾湿のバランス。

 

人間は、

そういう「ちょうどいい」を求める生き物なのかもしれません。

 

百顆の印を彫り終える頃には、

また違う季節を迎えているのでしょう。

 

その時、

この「乾湿」の印を見返したら、

どんな空気を感じるのか。

 

それもまた、

楽しみです。

 


制作情報

  • 作品名: 乾湿
  • サイズ: 10mm角
  • 書体: 小篆風
  • 技法: 朱白文(乾=白文、湿=朱文)
  • 撃辺: なし
  • シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #02
  • 印影

     

     


YouTube動画

制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。

 

 

 

 

 

前作「可否」もぜひご覧ください。 

 

 

 

 

生成AIさんに画像を作ってもらいました。

左が乾で、右が湿ですね。
日本での風景で分かりやすいです。