對意二字熟語百顆印、42顆目は「曲直」です。
曲直とは
正邪。
善惡。
まっすぐなこと(=正)と、曲がったこと(=不正)。
「曲直を正す」という言葉があります。正しいことと正しくないことを明らかにする、という意味です。
でも、曲と直は、本當にそんなに明確に分けられるものなのでしょうか。
善惡二元論を超えて
あまり使わない言葉です。
僕自身の中で、善惡二元論は取り拂われつつあります。
なので、この言葉も對立構造を生むために作られたものなのかなと思っています。
二元論の限界
善と惡。
正と邪。
曲と直。
白と黑。
世界を二つに分けて考える。それが二元論です。
わかりやすい。シンプル。判斷しやすい。
でも、世界は本當にそんなに單純でしょうか。
グレーゾーンの存在
善でも惡でもない。
正でも邪でもない。
曲でも直でもない。
その中閒に、廣大なグレーゾーンが存在します。
むしろ、世界の大部分はグレーゾーンなのではないでしょうか。
純粹な白も、純粹な黑も、實はほとんど存在しない。
すべてはグラデーションの中にある。
對立構造を生む言葉
これらの對意語は、世界を分斷します。
「こちら側」と「あちら側」を作り出します。
味方と敵を生み出します。
そして、對立を生みます。
曲直という言葉も、もしかしたら、そういう對立構造を生むために作られたものなのかもしれません。
立場が變われば眞逆になる
嚴密にいうと、どちらが正しくて、どちらが不正というのは、逆の立場から見ると、眞逆になるので、意味を成さないものとなるかと思います。
正義は複數存在する
ある立場から見れば正義でも、別の立場から見れば惡。
戰爭では、兩方が自分こそ正義だと主張します。
どちらが正しいのか。
それは、立場によって變わってしまう。
絕對的な正義も、絕對的な惡も、存在しないのかもしれません。
歷史の例
歷史を見れば、それは明らかです。
かつて正義とされたことが、今は惡とされる。
かつて惡とされたことが、今は正義とされる。
時代が變われば、正邪も變わる。
場所が變われば、曲直も變わる。
文化が變われば、善惡も變わる。
相對性の理解
つまり、曲直は相對的なものです。
絕對的な基準は存在しない。
すべては、見る角度、立つ位置、生きる時代によって變わる。
それを理解することが、成熟した思考の第一步なのかもしれません。
愛があるかどうか
結局のところ、そこの判斷に愛はあるのかが鍵になるのかと思う。
唯一の絕對的基準
曲も直も、善も惡も、正も邪も。
それらを判斷する基準は、愛があるかどうか。
相對的な世界の中で、唯一の絕對的な基準。
それが、愛なのかもしれません。
愛とは何か
相手を尊重しているか。
相手に感謝しているか。
相手の幸せを願っているか。
その判斷が、誰かを傷つけるためではなく、誰かを幸せにするためのものか。
愛に基づく判斷
そこに愛があるかどうか。
それが、唯一の判斷基準なのかもしれません。
曲であっても、愛があれば許される。
直であっても、愛がなければ暴力になる。
形式的な正しさではなく、本質的な愛。
それを問い續けることが大切です。
對立ではなく、受け入れて離れる
相手がいる場合は、その人に對して尊敬と感謝の氣持ちを持って接しているか、意見や考え方が違う場合、對立するのでは無く、そういう考え方もあるのですねと受け入れたあと、自分とは違うということを傳えて、そこから離れれば良いのです。
成熟した對應
對立しない。
戰わない。
でも、同調もしない。
「あなたはそう考えるのですね。でも、私は違います。」
そう傳えて、靜かに離れる。
それが、最も成熟した對應なのかもしれません。
三つの選擇肢
意見が違う時、私たちには三つの選擇肢があります。
- 戰う: 相手を說得しようとする、論破しようとする
- 同調する: 自分の意見を曲げて、相手に合わせる
- 受け入れて離れる: 相手の意見を尊重し、でも自分は違う道を行く
多くの人は、1か2を選びます。
でも、3という選擇肢があることを、忘れています。
受け入れることと同意することは違う
「そういう考え方もあるのですね」と受け入れること。
それは、同意することではありません。
相手の存在を認めること。
相手の考えを理解しようと努めること。
でも、自分は違う道を選ぶこと。
それが可能なのです。
談合の場から離れる
よく、會社の中で働いてると、硏修や勉强會である、談合の場に居合わせてしまったら、私にはこの話し合いに參加する事はできませんと明言した上で、その場を去りましょう♪というのがあるんだけど、まさしくこれの事かと。
不正を目の當たりにした時
不正を目の當たりにした時、どうするか。
戰うのも一つの選擇。
内部告發する、上司に報告する、警察に通報する。
それも、勇氣ある行動です。
靜かに離れる勇氣
でも、「私はこれに參加できません」と宣言して、その場を去る。
それも、勇氣ある選擇です。
曲を曲と指摘するのではなく、ただ「私は直を選びます」と示す。
それで十分なのです。
自分の立ち位置を明確にする
「私には、この話し合いに參加することはできません」
この一言が、すべてを表現しています。
相手を非難していない。
相手を糾彈していない。
でも、自分の立場は明確にしている。
そして、その場から離れる。
それが、最も賢明な對應かもしれません。
戰わずして勝つ
孫子は言いました。「百戰百勝は善の善なるものに非ず。戰わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」
戰って勝つことが最善ではない。
戰わずして勝つことが最善である。
曲直を爭うのではなく、ただ直を生きる。
それが、眞の勝利なのかもしれません。
制作について - 金文という選擇
今囘も朱白文で彫りました。
- 構成: 朱白文(曲は朱文、直は白文)
- 字體: 金文風
- サイズ: 10mm角
- 石材: 靑田石
- 印刀: 刀匠印刀三號
- 擊邊: 入れませんでした
- 印影
シリーズ初の金文
このシリーズ入ってから、ほぼ小篆風か甲骨文字風でしたが、今囘はこのシリーズ初めての金文ベースにしました。
對意二字熟語百顆印、42顆目にして初めての金文です。
小篆、甲骨文字、そして金文。
字體を變えることで、同じ文字でも全く違う印象になります。
斜めに重ねる面白さ
字面を見てて斜めに重ねると面白そう!と思ってしまったからです。
金文の「曲」と「直」を見た時、直感的に「これは斜めに配置したい」と思いました。
曲がりくねった「曲」と、まっすぐな「直」。
それを斜めに重ねることで、動きが生まれる。
對立ではなく、調和。
そんなイメージです。
金文の「直」が好き
直という字は、金文の字が一番好きだったりします。
金文の馬もそうなんだけど目がいかにも目なんですよね。
金文とは
金文(きんぶん)は、靑銅器に鑄込まれた文字。
甲骨文字より少し後の時代、紀元前1000年頃のものです。
鼎(かなえ)や鐘などの靑銅器に、鑄造の際に文字を刻み込みました。
素朴で力强い
その素朴で力强い形が、とても魅力的です。
甲骨文字の象形性を殘しながら、より整った形になっています。
でも、小篆のような完成された美しさではなく、まだ荒々しさが殘っています。
その未完成の美しさが、金文の魅力です。
目がいかにも目
特に「直」の字。目の部分が、本當に目に見える。
金文の「馬」もそうです。目の部分が、はっきりと目の形をしています。
古代の人々の觀察眼と表現力に、感動します。
文字が、まだ繪だった時代。
でも、繪から文字へと移行しつつある時代。
その過渡期の美しさが、金文にはあります。
樂しく彫る
今日も樂しく彫らせていただきました〜
ありがとうございますm(_ _)m
感謝の氣持ち
彫らせていただく。
この「いただく」という謙虛な表現が、素敵だなと思います。
石に、刀に、文字に、そして篆刻という藝術に。
すべてに感謝しながら、彫る。
曲も直も愛を持って
曲も直も、どちらも愛を持って。
對立ではなく、調和を目指して。
今日も一顆、完成です。
曲がっていても、まっすぐでも、愛があればいい。
完璧でなくても、樂しければいい。
そんな氣持ちで、今日も石を彫ります。
おわりに
「曲直」という言葉から、善惡二元論、相對性、愛、そして成熟した對應について考えました。
世界は、曲か直か、善か惡か、そんなに單純ではありません。
すべてはグラデーション。
すべては相對的。
でも、その中で唯一の絕對。
それが、愛です。
愛があるかどうか。
それだけを問い續けていけば、曲直に惑わされることはありません。
對立せず、戰わず、でも自分の道を生きる。
相手を尊重し、でも自分を曲げない。
そんな生き方ができたら、素敵だなと思います。
曲も直も、立場が變われば入れ替わる。でも、愛だけは變わらない。曲がった道でも、愛があれば美しい。まっすぐな道でも、愛がなければ暴力になる。曲直を問うのではなく、愛を問いたい。
【對意二字熟語百顆印 進捗: 42/100】
生成AIさんに作っていただいた画像はこちら
曲がりくねった道も、まっすぐな道も好きだよ(´艸`*)
補足: 金文について
今囘使用した金文について、少し詳しく。
金文の歷史
金文は、殷王朝末期から周王朝にかけて(紀元前1300〜200年頃)、靑銅器に鑄込まれた文字です。
甲骨文字が占いの記錄だったのに對し、金文は主に:
- 祭祀の記錄
- 功績の記念
- 契約の證明
- 系譜の記錄
などに使われました。
金文の特徴
- 象形性: 甲骨文字の象形性を殘しながら、より整った形
- 裝飾性: 鑄造という特性上、裝飾的な要素が加わる
- 多様性: 時代や地域によって形が大きく異なる
- 力强さ: 靑銅という素材が生む、重厚な印象
篆刻と金文
篆刻では、小篆が最も一般的ですが、金文を使うことで:
- より古拙な味わい
- 力强い印象
- 獨特の風格
を表現できます。
42顆目にして初めて金文に挑戰しましたが、これからも時々使っていきたいと思います。
古代文字の世界は、深く、廣く、そして樂しいものです。




















