対義語二字熟語百顆印シリーズ、
第11作目は「師弟」です。
教える人と学ぶ人
師と弟子。
先生と弟子。
師匠と弟子。
教員とその学生・生徒・児童。
知識や技術を伝える人と、
それを受け継ぐ人の関係を表します。
古くから、
技術や知識は師弟関係の中で伝承されてきました。
師が持つものを、
弟子が受け取り、
次の世代へと繋いでいく。
それが、
文化を守り、
発展させてきた仕組みでした。
師と呼べる人
師と呼べる人は今はいないかなぁ。
篆刻においては、
誰にも師事していないんですよね。
完全な独学。
本を読み、
ネットで情報を集め、
とにかく彫ってみる。
失敗して、
また彫る。
その繰り返しで、
ここまで来ました。
ただ、
人が彫ってるところを間近で見たい!と思ったことがあって、
三つ篆刻教室に問い合わせしてみたんです。
でも、
二つは教室中断してて、
一つは日時が全く合わなかった。
今じゃないんだろうな
まぁ、
これは今じゃないんだろうなと。
そう思いました。
縁がある時は、
すんなりと繋がるものです。
扉が開く時は、
スムーズに開く。
でも今回は、
どの扉も閉まっていた。
それは、
まだその時期ではないということ。
あるいは、
そもそも師弟関係という形での学びが、
今の自分には必要ないということかもしれません。
ネットも普及してるしね。
YouTubeには無数の篆刻動画があります。
海外の作家の作品も見られる。
古典の印影も、
検索すればいくらでも出てくる。
情報へのアクセスは、
昔とは比べ物にならないほど容易になっています。
全ての人は師匠
人生という意味では、
今は何でも心の師匠になれるし、
全ての人は師匠だよね。
だって、
全ての人は自分と違うんだもの。
人から得るところだらけですよね。
誰かの言葉、
誰かの行動、
誰かの作品。
それらすべてから学べる。
道ですれ違った人の歩き方から、
何かを感じ取ることもある。
カフェで隣に座った人の会話から、
新しい視点を得ることもある。
SNSで見かけた誰かの投稿が、
人生を変えることだってある。
師弟関係という形式がなくても、
学ぶ心さえあれば、
世界中が師匠だらけです。
形式的な師弟関係にこだわる必要はない。
むしろ、
特定の師に限定してしまうことで、
学びの幅が狭くなる可能性もある。
自由に、
広く、
深く。
あらゆるものから学ぶ。
それが、
今の時代の学び方なのかもしれません。
弟という立場
弟についても特に思うところはない。
実際に弟はいないし。
慕われるのは嬉しいかもしれないけど、
人に何かを伝えるのはどうなのかな。
自分もまだまだ学んでいる途中です。
11作品目を終えたところで、
まだ技術的な課題もたくさんある。
朱文は安定しないし、
撃辺のバランスも掴めていない。
そんな自分が、
誰かに教えられるのだろうか?
教えるより、
一緒に学ぶ。
そんな関係の方が、
しっくりくる気がします。
上下関係ではなく、
横の関係。
師弟ではなく、
学友。
お互いに刺激し合い、
高め合う。
そういう関係性の方が、
今の自分には合っている気がします。
過去の積み重ね
今回も朱白文で彫りました。
字体はいつもの小篆風です。
「師」は朱文、
「弟」は白文です。
撃辺をやや入れてます。
そして今回、
ふと気づいたことがあります。
何となく白文がうまく行ってるのは、
過去の百顆印シリーズの積み重ねのおかげかもしれない。
前回の国字百顆印シリーズの半分ぐらいと、
前々回の四字熟語百顆印シリーズ、
前々前回の古典落語百顆印シリーズで、
ほぼ白文で彫ってきたからなのかなと。
250顆以上の白文
計算してみると、
すごい数になります。
国字シリーズで約50顆、
四字熟語シリーズで100顆、
古典落語シリーズで100顆。
合計250顆以上の白文を彫ってきたことになります。
その経験が、
今のこのシリーズで活きている。
刀の入れ方、
力加減、
空間の取り方。
無意識のうちに身体が覚えている。
だから白文は、
比較的スムーズに彫れるようになっている。
今までの百顆印シリーズを朱文で彫ってたら、
また違った感じになってるでしょうね。
技術は、
積み重ねです。
一つ一つは小さな経験でも、
それが積み重なると大きな力になる。
師匠がいなくても、
自分で積み重ねていけば、
確実に上達していく。
それを実感しています。
朱文の課題と楽しさ
朱文は相変わらず線の太さが揃わなかったり、
思った線を思った場所に引けなかったりしてます。
イメージは大事だと思うけど、
イメージ通りにいかないのは、
何かあるんだろうな。
技術的な問題なのか、
道具の問題なのか、
それとも意識の問題なのか。
まだ答えは見えていません。
でも、
朱文彫ってる時のが楽しいかも。
上手くできないからこそ、
挑戦しがいがある。
課題があるからこそ、
面白い。
そんな風に思えるようになってきました。
白文は安定してきて、
ある程度思い通りに彫れる。
それは達成感がありますが、
同時に少し物足りなさもある。
朱文は、
まだまだ試行錯誤の段階。
毎回新しい発見があり、
毎回違う結果になる。
その不確実性が、
逆に楽しいんです。
師なき道
師弟という言葉を彫りながら、
考えていました。
師がいない道は、
孤独かもしれない。
でも、
自由でもある。
正解を教えてくれる人はいないけれど、
自分で正解を探せる。
型を教えてくれる人はいないけれど、
自分で型を作れる。
そして、
世界中のすべての人、
すべてのものが、
師匠になってくれる。
250顆以上の白文の積み重ねが、
今の技術を支えている。
失敗の数だけ、
学びがある。
師弟関係がなくても、
学びは続く。
11作品目を終えて、
そんなことを感じています。
制作情報
- 作品名: 師弟
- サイズ: 10mm角
- 書体: 小篆風
- 技法: 朱白文(師=朱文、弟=白文)
- 撃辺: やや入れた
- シリーズ: 対義語二字熟語百顆印 #11
- 印影
YouTube動画
制作過程や完成作品の詳細は、YouTubeでもご覧いただけます。
これまでの作品もぜひご覧ください。
第10作「出欠」:
第9作「春秋」:
第8作「往来」:
第7作「内外」:
第6作「玉石」:
第5作「授受」:
第4作「老若」:
第3作「濃淡」:
第2作「乾湿」:
第1作「可否」:
生成AIさんに作っていただいた画像はこちら
師匠と弟子なのかな・・・(^-^;
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