音型(おんけい)が彫る

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

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對意二字熟語百顆印、46顆目は「安否」です。

安否とは

無事かどうか、消息を問うときに用いる。

興るか亡びるか。

安心と不安。

あんぷ。

「安否を氣遣う」「安否を確認する」といった使い方をします。

相手が無事かどうか、心配する氣持ちを表す言葉です。

安否確認の形骸化

安否確認ってありますよね。

何だろ、あれって必要なのかなって思うことがあるんですよね。

システム化された安否確認

現代の企業や組織では、災害時の安否確認システムが導入されています。

地震が起きたら、自動的にメールが送られてくる。

「無事です」「被害あり」「連絡取れず」などのボタンを押す。

それで、組織全體の安否狀況が把握できる。

一見、合理的なシステムです。

でも、本當に緊急事態では

システム化して事前の確認するのは良いんですけど、本當に緊急事態ってそんなことしてらんないでしょって思う。

正直、そんな事より目の前のもっと大切なことがあるでしょうがと。

災害の時、システムに安否を入力する暇があったら、目の前の人を助ける。

火事の時、會社に報告する暇があったら、逃げる。

家族の安全を確認する。

避難經路を確保する。

應急處置をする。

本當の緊急事態では、やるべきことが山ほどあります。

本末轉倒

本末轉倒になっていないか。

形式が目的になっていないか。

安否確認システムは、本來、人の安全を守るためのものです。

でも、いつの閒にか、システムに入力すること自體が目的になっている。

「まだ入力してない人がいます」

「早く入力してください」

そんなメッセージが飛び交う。

でも、入力してない人は、もしかしたら本當に危險な狀況にいるのかもしれない。

システムに入力する餘裕すらないほどの。

やりたい人がやればいい

そりゃ、言われたことを言いなりで、やりたい人はやったら良いと思うよ。

でも、やりたくない人まで、强制的にやらされるのは違うと思うよ。

自主性の尊重

安否確認をしたい人は、すればいい。

それで安心できるなら、それはそれで良い。

組織の一員として、報告義務を果たしたいと思う人もいるでしょう。

それは尊重すべきです。

でも、それを全員に强制するのは違う。

緊急時に、システムに入力することよりも、もっと優先すべきことがある人もいる。

優先順位は人それぞれ

ある人にとっては、會社への報告が優先事項かもしれない。

でも、別の人にとっては、家族の安全が最優先。

また別の人にとっては、近所の高齡者を助けることが最優先。

優先順位は、人それぞれ、狀況それぞれです。

それを一律に「全員入力せよ」というのは、個人の判斷を奪う行爲です。

形式的な平等

「全員に同じことを求める」

一見、平等に見えます。

でも、それは形式的な平等であって、實質的な平等ではありません。

狀況が違う人に、同じ行動を求めることは、むしろ不平等です。

言える環境が必要

理想としては、誰もやらない、興味を示さない、そんなことしても意味ないじゃんと思ったら言える環境が必要なんだと思う。

疑問を口にできる組織

「これ、意味あるんですか?」

「本當に必要ですか?」

「もっと優先すべきことがあるんじゃないですか?」

そう言える空氣。

それが、健全な組織です。

疑問を持つことは、非難ではありません。

より良い方法を探すための、建設的な姿勢です。

でも、現實は

でも、多くの組織では、それが言えない。

言ったら、非常識だと思われる。

協調性がないと思われる。

空氣を讀めないと思われる。

だから、みんな黙って從う。

疑問を持ちながらも、やり續ける。

形骸化のメカニズム

それが、形骸化の始まりです。

最初は意味があったことも、疑問を持てない環境では、次第に形骸化していきます。

「なぜやるのか」が問われず、「やること」だけが殘る。

目的が忘れられ、手段だけが殘る。

そして、誰も疑問を持たなくなる。

それが、組織の硬直化です。

心理的安全性

Googleが提唱した「心理的安全性」という概念があります。

チームの中で、自分の意見や疑問を自由に言える狀態。

それが、イノベーションを生み、組織を强くする。

安否確認システムについても、疑問を言える環境があれば、より良いシステムに改善できるはずです。

本當に大切なこと

緊急時に本當に大切なのは、システムへの入力ではなく、命を守ること。

形式的な報告ではなく、實際の行動。

安否確認という名の形式ではなく、本當の安否。

目的を見失わないこと

目的を見失わないこと。

それが大切です。

安否確認の目的は何か。

「組織として状況を把握すること」ではありません。

「一人一人の命を守ること」です。

その目的を達成するために、システムは手段の一つに過ぎません。

手段の目的化

でも、いつの閒にか、システムが目的になってしまう。

「システムに入力すること」が目的になってしまう。

それは、本末轉倒です。

システムは、人のためにある。

人が、システムのためにあるのではない。

制作について - 篆刻體という選擇

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(安は白文、否は朱文)
  • 字體: 篆刻體風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 少々入れました
  • 印影

     

     

三囘目の「否」

以前の可否、諾否、に續いて否という字が、今囘で三囘目となるので、なんか趣向を變えたいなと思い、篆刻體へ變更しました。

同じ字でも、字體を變えることで全く違う印象になります。

それが、篆刻の面白さです。

可否では小篆の白文。

諾否でも小篆だけど朱文。

そして今囘の安否では、篆刻體の朱文。

同じ「否」でも、三囘とも違う表情を持つことになりました。

篆刻體の特徴

篆刻體は橫畫が太く、縱畫が細いため、朱文は彫る量が少なく、白文は多めに彫ることになります。

朱文の難しさ

朱文で細い線を出そうとすると、どうしても空白部分が多くなり、多めに彫って、さらに深く掘らないと彫り蹟が殘ってしまうので、何度も補刀を繰り返す必要があります。

小篆の朱文は、繊細な線が多い。

その繊細な線を出すために、周りを丁寧に彫り落とす。

彫り殘しがあれば、何度も補刀する。

時閒がかかります。

篆刻體の效率

その點、篆刻體は彫る面積が少なくなるので、彫る時閒が少ないし、補刀も無くてすみます。

橫畫が太いということは、彫る部分が少ないということ。

縱畫が細いといっても、それは白文で表現される。

朱文は、比較的シンプルに仕上がります。

手拔きではない、選擇

何と無く、手拔きっぽく感じてしまいますが、彫りすぎると字では無くなってしまうため、愼重に彫り進めます。

拍子拔けな感覺

これでもかぁ〜という補刀は無い分拍子拔けな感じもあったりしますが、印影を見ると普段とは違うので面白くもあります。

いつもなら、何度も何度も補刀を繰り返す。

「まだ彫り殘しがある」

「まだ線が太い」

「まだ深さが足りない」

そうやって、完璧を追求する。

でも、篆刻體は、ある程度彫ったら、それで完成。

それ以上彫ると、字が崩れてしまう。

だから、止める。

その潔さが、拍子拔けに感じるのです。

效率も技術

手拔きではなく、選擇。

效率的に彫ることも、一つの技術です。

時閒をかければ良いというものではありません。

最小限の勞力で、最大の效果を得る。

それも、立派な技術です。

挑戰としての字體變更

そして、普段と違う字體に挑戰することも、學びです。

同じ字體ばかり彫っていると、慣れてしまう。

新しい字體に挑戰することで、新しい發見がある。

新しい技術が身につく。

それが、成長です。

今日も樂しく

今日も彫り彫り樂しみました♪😊

形式に囚われず

形式に囚われず、自分のやり方で。

安否確認も、篆刻も、自分らしく。

それが、一番大切なことなのかもしれません。

マニュアル通りにやることも大切。

でも、それが全てではない。

狀況に應じて、柔軟に對應する。

自分の頭で考えて、自分で判斷する。

それが、本當の意味での「安否」を守ることに繋がります。

おわりに

「安否」という言葉から、安否確認システムの形骸化、そして形式より實質について考えました。

安否確認は、本來、人の命を守るためのもの。

でも、いつの閒にか、システムへの入力が目的になっている。

本末轉倒です。

大切なのは、目的を見失わないこと。

そして、疑問を言える環境を作ること。

「これ、本當に必要ですか?」

そう言える組織が、健全な組織です。

篆刻も同じ。

形式に囚われず、自分のやり方で。

效率的に彫ることも、立派な技術。

普段と違う字體に挑戰することも、學び。

すべては、選擇です。

形式か實質か。

システムか人間か。

效率か完璧か。

どちらを選ぶかは、自分次第。

でも、常に目的を忘れないこと。

それが、一番大切なことです。


安否確認の目的は、システムへの入力ではなく、命を守ること。形式より實質。手段より目的。それを忘れない限り、本當の「安否」は守られます。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 46/100】

 

 

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あぁ、うん、まさに、安否を確認している最中ですね。。。

 


補足: 篆刻體について

今囘使用した篆刻體について、少し詳しく。

篆刻體とは

篆刻體は、篆刻のために發展した書體です。

小篆をベースにしながら、印章に適した形に變化させたもの。

特徴は:

  1. 橫畫が太く、縱畫が細い
  2. 直線的で力强い
  3. 裝飾性が少ない
  4. 彫りやすい

なぜ橫畫が太いのか

これには、實用的な理由があります。

印章は、上から押すもの。

その時、橫畫(水平線)には、均等に壓力がかかります。

でも、縱畫(垂直線)には、壓力がかかりにくい。

だから、橫畫を太くすることで、印影がはっきり出るようにしているのです。

篆刻における實用性

篆刻體は、美しさと實用性の兩立を目指した書體です。

小篆の美しさを殘しながら、彫りやすく、押しやすく改良されています。

形式より實質。

美しさより機能性。

それが、篆刻體の哲學なのかもしれません。

安否確認システムも、本來はこうあるべきです。

形式より實質。

システムより人間。

目的を忘れず、實用性を追求する。

それが、本當に役立つシステムなのです。

 

對意二字熟語百顆印、45顆目は「需給」です。

需給とは

需要と供給。

經濟學の最も基本的な概念です。

資產運用や金融市場で使われる場合は、株式や債劵などの買い(需要)と賣り(供給)の動向のことを指します。

需要が多ければ價格は上がり、供給が多ければ價格は下がる。

市場經濟の基本原理です。

バランスの崩壞

バランスが大切なんでしょうね。

供給過多や、需要無視をしているので今の世の中の混亂が生じているのかもしれませんね。

供給過多の世界

現代社會は、供給過多です。

モノが溢れています。

食べ物、服、家電、情報。

すべてが、必要以上に供給されています。

コンビニに行けば、何でも手に入る。

ネットで注文すれば、翌日には屆く。

でも、本當にそれは必要なものでしょうか。

需要無視の生產

本當に必要とされているものではなく、供給側が賣りたいものを作り續ける。

本當に欲しいものではなく、買わされるものを消費し續ける。

需要と供給のバランスが、完全に崩れています。

企業は、賣れるものを作るのではなく、賣りたいものを作る。

そして、廣告やマーケティングで、それを欲しいと思わせる。

本來の需要を滿たすのではなく、需要そのものを作り出す。

それが、現代の經濟システムです。

結果としての混亂

その結果、何が起きているか。

無駄な消費、環境破壞、資源の枯渴。

人々は滿たされず、常に何かを求め續ける。

モノは溢れているのに、心は滿たされない。

それが、需給のバランスが崩れた世界の現實です。

自分の現實と誰かの現實

目の前で起きてることが自分の現實であって、見せられたり、聞かせられているものは、誰かの現實であったり、そうしたいという意圖であったりと、自分の考えや思いとは違うものはできるだけ避けるようにした方がいいように思う。

誰かが見せたいもの

テレビで見るもの。

ネットで讀むもの。

SNSで流れてくるもの。

それらは、誰かが見せたいもの。

誰かが信じさせたいもの。

あなたの現實ではなく、誰かの現實、あるいは誰かの意圖です。

メディアという名の供給

メディアは、情報を供給します。

でも、それはあなたが需要した情報ではありません。

メディアが供給したい情報です。

視聽率を取りたい。

クリックさせたい。

シェアさせたい。

その意圖に基づいて、情報が選別され、加工され、供給されます。

あなたの現實はどこに

では、あなた自身の現實はどこにあるのでしょうか。

畫面の向こうではありません。

記事の中ではありません。

目の前です。

今、ここで起きていること。

あなたが直接體驗していること。

それが、あなたの現實です。

全ては洗腦の道具

全ては洗腦の道具なのだから。

强い言葉

强い言葉ですが、これが眞實だと思います。

メディア、廣告、敎育、政治。

すべてが、あなたの思考を誘導しようとしています。

何を買わせたいのか。

何を信じさせたいのか。

どう行動させたいのか。

頭がいい人たちの戰略

頭がいい人たちが考える事は、、、

彼らは、心理學を知っています。

人がどんな時に購買意欲を持つのか。

人がどんな言葉に反應するのか。

人がどんな恐怖を持っているのか。

社會學を知っています。

集團がどう動くのか。

流行がどう生まれるのか。

社會がどう變化するのか。

經濟學を知っています。

需要をどう作り出すのか。

價格をどう操作するのか。

市場をどうコントロールするのか。

そして、それらを使って、私たちの行動を誘導します。

見えない糸

私たちは、自分で選んでいると思っています。

でも、實は選ばされています。

見えない糸で操られる人形のように。

「これが欲しい」と思った時、それは本當にあなたの欲求でしょうか。

それとも、誰かに植え付けられた欲求でしょうか。

自分の頭で考える

だからこそ、自分の頭で考えることが大切です。

三つの問い

これは本當に必要なのか。

これは本當に欲しいのか。

これは本當に正しいのか。

この三つを、常に問い續ける。

誰かの言葉ではなく

誰かに言われたから、ではなく。

「專門家が言ってた」

「テレビで言ってた」

「みんなが言ってる」

それは、思考停止です。

みんながやってるから、ではなく。

「みんな持ってる」

「みんな行ってる」

「みんな信じてる」

それも、思考停止です。

自分で考えて、自分で決める

自分で考えて、自分で決める。

それが、洗腦から目覺める第一步です。

時閒がかかります。

エネルギーが要ります。

でも、それが自由への道です。

誰かの意圖に從って生きるのではなく、自分の意志で生きる。

それが、本當の自由です。

目の前の現實を生きる

目の前で起きていることに、集中する。

畫面の向こうではなく、今ここに。

誰かの意圖ではなく、自分の意志で。

それが、自分の現實を生きるということです。

スマホを置いて

スマホを置いて、周りを見る。

空を見る、木を見る、人を見る。

畫面の中の世界ではなく、目の前の世界を見る。

情報を減らす

情報を減らす。

ニュースを見ない日を作る。

SNSを開かない時閒を作る。

そうすると、自分の頭が靜かになります。

誰かの聲ではなく、自分の聲が聞こえてきます。

體驗を增やす

體驗を增やす。

實際に行く、實際に會う、實際に觸る。

間接的な情報ではなく、直接的な體驗。

それが、あなた自身の現實を作ります。

制作について - こういう日もある

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(需は白文、給は朱文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れました
  • 印影

     

     

上手くいかなかった

朱文がうまく彫れませんでした。

白文も何か斜めになってます。

今日はこういう日なんでしょうね。

完璧を目指すけれど、完璧にはならない日がある。

集中しようとするけれど、集中できない日がある。

それも、受け入れる。

調子の波

需給のバランスのように、調子にも波がある。

良い日もあれば、そうでない日もある。

今日はこういう日。

それでいい。

無理に完璧を求めず、今日の自分を受け入れる。

それもまた、自分の現實を生きるということです。

完璧主義からの解放

完璧を求めすぎると、苦しくなります。

「もっとうまく彫らなければ」

「もっと綺麗に仕上げなければ」

その「ねばならない」が、自分を縛ります。

でも、完璧でなくてもいい。

今日の自分なりの最善で、十分です。

今日の現實を受け入れる

朱文が上手く彫れなかった。

白文が斜めになった。

それが、今日の現實です。

誰かと比べるのではなく、理想と比べるのではなく、ただ今日の現實を受け入れる。

それが、自分の現實を生きるということです。

おわりに

「需給」という言葉から、現代社會の歪み、洗腦、そして自分の頭で考えることについて考えました。

需要と供給のバランスが崩れた世界。

情報が溢れ、でも眞實が見えにくい世界。

そんな中で、どう生きるか。

自分の頭で考える。

目の前の現實を生きる。

誰かの意圖に從うのではなく、自分の意志で生きる。

それが、洗腦から目覺めるということです。

そして、完璧を求めず、今日の自分を受け入れる。

上手くいかない日も、それが今日の現實。

それでいい。

そう思えることが、自由への第一步なのかもしれません。


需給のバランスが崩れた世界で、自分の現實を守る。誰かの意圖ではなく、自分の意志で。完璧ではなく、ありのままで。それが、本當の自由です。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 45/100】

 

 

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諭吉さん・・・(;^ω^)

 

 


補足: メディアリテラシーの重要性

現代を生きる上で、メディアリテラシーは必須です。

メディアリテラシーとは

メディアリテラシーとは、メディアからの情報を批判的に讀み解き、自分で判斷する能力のことです。

情報を疑う姿勢

すべての情報には、發信者の意圖があります。

  • 誰が發信しているのか
  • なぜその情報を發信しているのか
  • 何を目的としているのか

これらを常に意識することが大切です。

複數の情報源

一つの情報源だけを信じない。

複數の情報源から情報を集め、比較し、自分で判斷する。

それが、メディアリテラシーの基本です。

一次情報を探す

できるだけ一次情報(原典)に當たる。

誰かの解釋を通した情報ではなく、元の情報を確認する。

それによって、歪みや操作を見抜くことができます。

自分の頭で考える習慣

最終的には、自分の頭で考える習慣をつけることです。

「本當にそうだろうか」

「他の見方はないだろうか」

「誰が得をするのだろうか」

常に問い續ける姿勢が、洗腦から身を守ります。

需給のバランスが崩れた情報社會。

供給過多の情報の中で、自分の現實を守る。

それが、現代を生き抜く知惠なのです。

 

對意二字熟語百顆印、44顆目は「開閉」です。

開閉とは

開いたり閉じたりすること。

あけたてすること。

扉の開閉、窓の開閉、店の開閉。

日常の中で、私たちは無數の開閉を繰り返しています。

心の扉は常にオープン

扉には、開けることも閉めることもできる。

でも、心の扉は常にオープンでいたい。

開かれた心

誰に對しても、何に對しても、開かれた心で接する。

それが、豐かな人生への鍵なのかもしれません。

先入觀を持たず、偏見を持たず、ただありのままを受け入れる。

相手がどんな人であっても、まず扉を開けて迎え入れる。

それが、開かれた心の姿勢です。

なぜオープンでいたいのか

心を開いていると、色々なものが入ってきます。

良いものも、悪いものも。

嬉しいことも、辛いことも。

でも、それらすべてが、人生を豐かにしてくれます。

心を閉じていたら、何も入ってこない。

安全かもしれないけれど、何も起こらない。

成長も、學びも、出會いも、すべてが遮斷されてしまいます。

開くことと閉じること

開くことは、受け入れること。

新しい出會い、新しい經驗、新しい學び。

すべてを受け入れる姿勢。

開くことの意味

扉を開けるということは、外の世界とつながるということ。

自分の內側だけに閉じこもるのではなく、外に向かって開いていく。

それは、勇氣の要る行爲です。

外には、未知のものがある。

コントロールできないものがある。

それでも、開く。

閉じることの意味

閉じることは、守ること。

大切なもの、譲れないもの、自分自身。

それらを守る姿勢。

扉を閉めるということは、內側を守るということ。

外の風雨から、寒さから、危險から。

自分の大切なものを守るために、扉を閉める。

それもまた、必要な行爲です。

どちらも必要

どちらも必要です。

でも、どちらに重きを置くか。

それが、その人の生き方を決めます。

開くことに重きを置く人は、外向的で、社交的で、冒險的です。

閉じることに重きを置く人は、內向的で、慎重で、保守的です。

どちらが良いということではありません。

でも、私は開くことに重きを置きたい。

そう思います。

常にオープンであること

心の扉を開けておくことは、勇氣が要ります。

開くことのリスク

傷つくかもしれない。

心を開いていると、傷つくことがあります。

相手の言葉に傷つき、相手の行動に傷つく。

裏切られるかもしれない。

信頼していた人に、裏切られることがあります。

開いていたからこそ、裏切りが深く刺さります。

利用されるかもしれない。

善意を利用されることがあります。

開いていたからこそ、利用されてしまいます。

それでも開けておく

それでも、開けておく。

それが、信頼であり、愛なのだと思います。

傷つくリスクを承知で、開ける。

裏切られるリスクを承知で、信頼する。

利用されるリスクを承知で、差し出す。

それができるのは、強さです。

弱いから閉じるのではなく、强いから開ける。

本當の强さとは、傷つくことを恐れない强さなのかもしれません。

でも、閉じることも大切

もちろん、何でもかんでも開けっ放しにすればいいわけではありません。

自分を守るために、閉じることも必要です。

自己防衞としての閉鎖

有害なものから身を守る。

明らかに有害な人、有害な環境、有害な情報。

それらからは、扉を閉めて身を守る必要があります。

エネルギーを奪うものから距離を置く。

一緖にいると疲れる人、氣が滅入る場所、ネガティブな情報。

それらからは、距離を置くことも大切です。

バランスが大切

開きっぱなしは危險です。

でも、閉じっぱなしは孤獨です。

バランスが大切。

基本は開いているけれど、必要な時は閉じる。

多くの人に開いているけれど、特定の人には閉じる。

そんなバランス感覺が必要です。

でも、基本姿勢としては

でも、基本姿勢としては、開いていたい。

そう思います。

デフォルトは「オープン」。

必要に應じて「クローズ」。

この順番が大切だと思うのです。

最初から閉じていて、安全を確認してから開ける。

それでは、出會いの機會を逃してしまいます。

制作について

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(開は朱文、閉は白文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れました
  • 印影

     

     

消えた文章

全部消えたんだわ

かいてたやつ

何が起きたのか

書いていた文章が、全部消えてしまいました。

こういうこと、ありますよね。

長い時閒かけて書いたのに、操作ミスで一瞬で消える。

保存していなかった。

ブラウザがクラッシュした。

何かのボタンを押し閒違えた。

理由は分かりません。

でも、消えてしまった。

ショックと諦め

ショックです。

せっかく書いたのに。

色々考えながら書いたのに。

良い文章が書けたと思ったのに。

でも、消えてしまったものは、戾らない。

でも、これも開閉

でも、これも開閉。

書いたものが開かれ、そして閉じられた。

ファイルが開いて、そして閉じた。

文章が生まれて、そして消えた。

開閉は、常に起こっている。

意圖的な開閉だけでなく、意圖しない開閉も。

計畫的な開閉だけでなく、事故的な開閉も。

すべてが、開閉なのです。

やり直す勇氣

また新しく書き始める。

それも、開閉の一つです。

消えたものは戾らない

消えてしまったものは、戾らない。

どんなに悔やんでも、あの文章は戾ってきません。

どんなに探しても、もう存在しません。

それは、受け入れるしかない事實です。

でも、また書けばいい

でも、また書けばいい。

前と同じものは書けないかもしれない。

同じ言葉、同じ順序、同じリズムでは書けないでしょう。

でも、違うものが書ける。

もしかしたら、前より良いものが書けるかもしれない。

もしかしたら、前とは違う視點のものが書けるかもしれない。

それでいい

それでいいのだと思います。

開いて、閉じて、また開く。

書いて、消えて、また書く。

始めて、終わって、また始める。

それが、人生です。

一度閉じたからといって、そこで終わりではない。

また開ければいい。

一度失ったからといって、諦める必要はない。

また始めればいい。

開閉の繰り返し

人生は、開閉の繰り返しです。

出會いと別れ。

始まりと終わり。

成功と失敗。

すべてが、開いて、閉じて、また開く。

その繰り返しの中で、私たちは生きています。

おわりに

「開閉」という言葉から、心の扉、リスクと勇氣、そして消えた文章について考えました。

心の扉は、常にオープンでいたい。

傷つくかもしれないけれど、それでも開けておきたい。

そして、文章が消えてしまっても、また書き始める勇氣を持ちたい。

開いて、閉じて、また開く。

その繰り返しが、人生を豐かにしてくれる。

そう信じています。

消えてしまった文章に、感謝を。

そして、また新しく書き始めることに、勇氣を。

今日も、心の扉を開けて、世界と向き合います。


開くことは勇氣、閉じることは知惠。でも、基本は開いていたい。消えても、また書く。閉じても、また開く。それが、生きるということ。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 44/100】

 

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

怪しい店に見えるwww

うん、シンプルで好きだな、こういうの。

 


補足: デジタル時代の開閉

文章が消えてしまったという經驗は、デジタル時代ならではの開閉です。

儚いデジタルデータ

紙に書いたものは、燃えない限り殘ります。

石に彫ったものは、何千年も殘ります。

でも、デジタルデータは儚い。

一瞬で消える。

ボタン一つで削除される。

保存していなければ、何も殘らない。

自動保存の重要性

現代では、自動保存機能が重要です。

Googleドキュメントのように、常に自動保存されるツール。

定期的にバックアップを取るシステム。

それらが、私たちを守ってくれます。

でも、消えることも學び

でも、消えることも學びです。

消えたからこそ、自動保存の重要性を學ぶ。

消えたからこそ、執着しないことを學ぶ。

消えたからこそ、やり直す勇氣を學ぶ。

すべては、開閉。

生まれて、消えて、また生まれる。

その繰り返しの中で、私たちは成長していきます。

篆刻は消えない

その點、篆刻は良い。

石に彫ったものは、簡單には消えません。

何百年、何千年と殘ります。

デジタルデータのように、一瞬で消えることはありません。

それが、アナログの强さです。

開いても閉じても、そこに在り續ける。

それが、石に刻むということなのです。

 

對意二字熟語百顆印、43顆目は「浮沈」です。

浮沈とは

浮いたり沈んだりすること。

浮き沈み。

特に、榮えるか衰えるかということ。

「人生の浮沈」「運命の浮沈」といった使い方をします。

榮華も衰退も、すべては浮き沈みのように繰り返される。

そんな無常觀を表す言葉です。

音だけでは分からない

浮沈(ふちん)

同音異義語の難しさ

文字で書かれたものを讀み取ると、意味は傳わるのだけれども、言葉というか、口から發せられた言葉で音だけ聽くと、浮沈なのか不沈なのか不鎭なのか、まさかの普陳なのか、割合的にあまり使わない響きのため判斷に迷う言葉ではありますよね。

浮くと沈むでふちん。

同音異義語が多い日本語ならではの難しさです。

浮沈: 浮き沈み

不沈: 沈まないこと(不沈艦など)

不鎭: 鎭まらないこと

普陳: 普通に陳列すること(あまり使わない)

音だけでは、文脈がないと判斷できません。

漢字文化の特徴

これは、日本語が漢字に依存している證據でもあります。

音聲言語としては曖昧でも、文字言語としては明確。

目で見れば分かるけれど、耳で聞いただけでは分からない。

それが、漢字を使う言語の特徴です。

人閒の體は浮く

イメージ的には水が出てくるかなぁ。

人閒の體って浮くんですよね。

びっくりです。

お風呂で浮く體驗

お風呂とかプールとか浮くんですよ。

力を抜いて、リラックスすると、自然と體が浮いてくる。

特に仰向けになると、顏だけ出して、體全體が水面に浮かびます。

不思議な感覺です。

自分の體が、こんなに輕いものだったのかと。

空氣の役割

でもそれって體の中の空氣が關係してるのかなって思うんですよね。

お風呂の中で顏だけ出して體を湯船に沈めて、空氣を吐き續けると、だんだん沈んでいきます。

風船みたいな感じで、體の中に空氣や浮く物質體を輕くするものがあると浮くんだと思う。

肺の中の空氣、腸の中のガス。

それらが浮力を生んでいるのでしょう。

人體の比重

人閒の體の比重は、約1.0前後です。

水の比重も1.0。

つまり、ほぼ同じ。

だから、息を吸えば浮き、息を吐けば沈む。

その微妙なバランスの上に、私たちは存在しているのです。

日によって浮き方が違う

あと日によって浮き方が違う。

これはびっくり。

最近の發見

最近とってもここ1年ぐらいで氣付いた事なんだけど、體が輕いなと感じたり、晴れ晴れしてる時って浮きやすいんです。

でも、何と無くだるかったり、嫌だなという事があったりすると、體がお風呂で沈むんですよね。

なんなんですかね、あれ。

僕だけなんですかね。

心の狀態と浮力

心の狀態が、體の浮力に影響を與える。

そんな不思議な現象を、日々のお風呂で體驗しています。

氣分が良い日は、スッと浮く。

氣分が重い日は、なかなか浮かない。

同じ體重のはずなのに、明らかに違う。

科學的な說明

科學的に考えれば、説明はつくかもしれません。

心が輕い時:

  • 筋肉がリラックスしている
  • 呼吸が深く、肺に空氣が多い
  • 體の緊張が少ない

心が重い時:

  • 筋肉が緊張している
  • 呼吸が淺く、肺の空氣が少ない
  • 體に力が入っている

筋肉の緊張狀態や呼吸の深さが、微妙に浮力に影響を與えているのかもしれません。

でも、それだけじゃない氣がする

でも、それだけでは說明できない何かがある氣がします。

もっと根本的な、エネルギー的な何か。

心が輕い時は、體全體のエネルギーが輕くなっている。

心が重い時は、體全體のエネルギーが重くなっている。

そんな感覺があります。

心と體は繋がっている

心が輕ければ、體も浮く。

心が重ければ、體も沈む。

比喩ではなく、物理現象

これは比喩ではなく、實際に物理的な現象として起きているのかもしれません。

心の狀態が筋肉の緊張に影響し、呼吸の深さに影響し、結果として浮力に影響する。

あるいは、もっと不思議な、科學では說明できないメカニズムがあるのかも。

心身一如

東洋思想では、心と體は一つだと考えます。

心身一如(しんしんいちにょ)。

心と體は分けられない。

心が變われば體が變わり、體が變われば心が變わる。

お風呂での浮沈は、まさにそれを體感させてくれます。

お風呂が敎えてくれること

いずれにせよ、心と體は切り離せないものなのだと、お風呂が敎えてくれます。

毎日入るお風呂。

その中で、自分の心と體の狀態を觀察する。

それは、とても良い瞑想になります。

今日は浮くか、沈むか。

それを感じるだけで、自分の心の狀態が分かる。

制作について - さんずい三囘目

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(浮は白文、沈は朱文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れませんでした
  • 印影

     

     

さんずいの多さ

自分で抽出しといてですが、氵(さんずい)多いなと。

二文字ともさんずいの組み合わせは今囘で三囘目かな。

過去の濃淡と淸濁がそうでしたね。

水に關する言葉は、やはりさんずいが多くなります。

對意二字熟語で水に關するものを選ぶと、必然的にさんずいが重なる。

濃淡、淸濁、そして浮沈。

すべて水の性質を表す言葉です。

線が消えた朱文

そして朱文側のさんずいが細くなり過ぎてほぼ線が消えてしまいました。

もっと水っぽく表現したかったんですけどね。

こういう時もある。

意圖せぬ表現

水のように細く、水のように儚く。

意圖せず生まれた表現ですが、これはこれで水らしいかもしれません。

水は形を持たない。

流れ、消え、また現れる。

線が消えかけているさんずいは、まさに水の本質を表しているのかも。

完璧に彫れなかったことが、結果として水らしさを生んだ。

そんな風に考えることもできます。

氣泡をイメージした丸い角

あとは氣泡は丸いので、それをイメージして印の角を丸く仕上げました。

後付けの失敗

最後の後付けなので朱文側の枠が切れてます。

後付けすると、こういうことになるという例ですね。

計畫的にやれば良かったのですが、彫り終わってから「そうだ、氣泡みたいに丸くしよう!」と思いついてしまいました。

失敗も學び。

次は最初から計畫に入れます。

でも、アイデアは良かった

でも、氣泡をイメージして角を丸くするというアイデア自體は良かったと思います。

浮沈という言葉から、水中の氣泡を聯想する。

その氣泡の丸さを、印の形に反映させる。

テーマと形が呼應する。

それは、とても良い試みでした。

實行のタイミングが惡かっただけで、發想は良かった。

次囘に活かします。

靑田石の彫りやすさ

今囘も朱文は樂しい。

壽山石との比較

一個前に壽山石の姓名印を彫ったのですが、硬い、不純物が多い、缺けまくる、知らない閒に肩に力が入っている、と、色んな氣付きがあった上に、やはり靑田石は彫りやすいなと改めて思うのでした。

他の石を彫ることで、靑田石の良さを再認識。

比較することで、見えてくるものがあります。

壽山石の特徴

壽山石は、中國福建省産の印材です。

色が美しく、高級印材として知られています。

でも、彫りにくい。

硬度が高く、不純物が多く、缺けやすい。

初心者には難しい石です。

靑田石の優秀さ

一方、靑田石は彫りやすい。

適度な硬さ、均質な質感、缺けにくい。

そして、刀が吸い込まれるような感觸。

改めて、靑田石の優秀さを實感しました。

普段使っていると當たり前に思えるけれど、他の石を彫ってみると、その良さが際立つ。

靑田石に感謝です。

ずっと彫っていたい

氣付くとずっと彫っときたい氣持ちになっちゃいます。

危險です。

今日はこの邊で。

彫刻の中毒性

篆刻には、中毒性があります。

一度始めると、止まらなくなる。

もう一顆、もう一顆と、延々と彫り續けたくなる。

時閒を忘れて沒頭する。

それが、篆刻の魔力です。

でも、適度に休む

でも、適度に休むことも大切。

ずっと彫り續けると、集中力が落ち、ミスが增える。

そして、肩や手首を痛める。

「もっと彫りたい」という氣持ちを抑えて、今日はここまで。

その判斷も、大切な技術の一つです。

明日への樂しみ

今日やめることで、明日への樂しみが殘る。

「續きを彫りたい」という氣持ちを持って眠りにつく。

そして、翌日また新鮮な氣持ちで石に向かう。

それが、長く續けるコツなのかもしれません。

浮くように輕やかに、沈むように深く。

心の浮沈を感じながら、今日も一顆完成です。

おわりに

「浮沈」という言葉から、お風呂での發見、心と體の繋がり、そして石との對話について考えました。

心が輕ければ體も浮く。

心が重ければ體も沈む。

それは比喩ではなく、實際に體驗できる現象です。

人生にも、浮沈があります。

榮える時もあれば、衰える時もある。

でも、それは水の中で浮いたり沈んだりするように、自然なことなのかもしれません。

浮くことを喜び過ぎず、沈むことを恐れ過ぎず。

ただ、その流れに身を任せる。

そんな生き方ができたら、素敵だなと思います。


浮くも沈むも、どちらも自然な狀態。大切なのは、その浮沈を感じ取る感受性。お風呂で、人生で、そして篆刻で。すべての浮沈を、樂しみたい。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 43/100】

 

 

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荒波っすね!(´艸`*)

 


補足: 人體の浮力について

お風呂で體が浮く現象について、科學的に少し詳しく。

人體の比重

人體の比重は、個人差がありますが平均で:

  • 男性: 約1.07
  • 女性: 約1.03

水の比重は1.0なので、理論上は沈むはずです。

でも、肺に空氣を入れると:

  • 肺に空氣がある狀態: 約0.95〜0.98

つまり、息を吸えば浮き、息を吐けば沈みます。

死海が浮く理由

死海では、誰でも簡單に浮きます。

これは、死海の塩分濃度が約30%(通常の海水は約3%)で、水の比重が約1.24になるためです。

人體の比重(約1.07)より重いので、自然と浮きます。

心の狀態と浮力の關係

心の狀態が浮力に影響する理由として考えられること:

  1. 呼吸の深さ: リラックスしている時は呼吸が深く、肺の空氣量が多い
  2. 筋肉の緊張: 緊張している時は筋肉が硬くなり、體積が減る
  3. 體の姿勢: リラックスしている時は體が伸び、表面積が增える

これら複合的な要因が、浮力に微妙な影響を與えているのかもしれません。

でも、それだけでは說明できない何かがある。

それが、心と體の不思議な繋がりなのでしょう。

お風呂に入る時、ぜひ試してみてください。

今日は浮くか、沈むか。

それが、今日の心の狀態を敎えてくれます。

 

對意二字熟語百顆印、42顆目は「曲直」です。

曲直とは

正邪。

善惡。

まっすぐなこと(=正)と、曲がったこと(=不正)。

「曲直を正す」という言葉があります。正しいことと正しくないことを明らかにする、という意味です。

でも、曲と直は、本當にそんなに明確に分けられるものなのでしょうか。

善惡二元論を超えて

あまり使わない言葉です。

僕自身の中で、善惡二元論は取り拂われつつあります。

なので、この言葉も對立構造を生むために作られたものなのかなと思っています。

二元論の限界

善と惡。

正と邪。

曲と直。

白と黑。

世界を二つに分けて考える。それが二元論です。

わかりやすい。シンプル。判斷しやすい。

でも、世界は本當にそんなに單純でしょうか。

グレーゾーンの存在

善でも惡でもない。

正でも邪でもない。

曲でも直でもない。

その中閒に、廣大なグレーゾーンが存在します。

むしろ、世界の大部分はグレーゾーンなのではないでしょうか。

純粹な白も、純粹な黑も、實はほとんど存在しない。

すべてはグラデーションの中にある。

對立構造を生む言葉

これらの對意語は、世界を分斷します。

「こちら側」と「あちら側」を作り出します。

味方と敵を生み出します。

そして、對立を生みます。

曲直という言葉も、もしかしたら、そういう對立構造を生むために作られたものなのかもしれません。

立場が變われば眞逆になる

嚴密にいうと、どちらが正しくて、どちらが不正というのは、逆の立場から見ると、眞逆になるので、意味を成さないものとなるかと思います。

正義は複數存在する

ある立場から見れば正義でも、別の立場から見れば惡。

戰爭では、兩方が自分こそ正義だと主張します。

どちらが正しいのか。

それは、立場によって變わってしまう。

絕對的な正義も、絕對的な惡も、存在しないのかもしれません。

歷史の例

歷史を見れば、それは明らかです。

かつて正義とされたことが、今は惡とされる。

かつて惡とされたことが、今は正義とされる。

時代が變われば、正邪も變わる。

場所が變われば、曲直も變わる。

文化が變われば、善惡も變わる。

相對性の理解

つまり、曲直は相對的なものです。

絕對的な基準は存在しない。

すべては、見る角度、立つ位置、生きる時代によって變わる。

それを理解することが、成熟した思考の第一步なのかもしれません。

愛があるかどうか

結局のところ、そこの判斷に愛はあるのかが鍵になるのかと思う。

唯一の絕對的基準

曲も直も、善も惡も、正も邪も。

それらを判斷する基準は、愛があるかどうか。

相對的な世界の中で、唯一の絕對的な基準。

それが、愛なのかもしれません。

愛とは何か

相手を尊重しているか。

相手に感謝しているか。

相手の幸せを願っているか。

その判斷が、誰かを傷つけるためではなく、誰かを幸せにするためのものか。

愛に基づく判斷

そこに愛があるかどうか。

それが、唯一の判斷基準なのかもしれません。

曲であっても、愛があれば許される。

直であっても、愛がなければ暴力になる。

形式的な正しさではなく、本質的な愛。

それを問い續けることが大切です。

對立ではなく、受け入れて離れる

相手がいる場合は、その人に對して尊敬と感謝の氣持ちを持って接しているか、意見や考え方が違う場合、對立するのでは無く、そういう考え方もあるのですねと受け入れたあと、自分とは違うということを傳えて、そこから離れれば良いのです。

成熟した對應

對立しない。

戰わない。

でも、同調もしない。

「あなたはそう考えるのですね。でも、私は違います。」

そう傳えて、靜かに離れる。

それが、最も成熟した對應なのかもしれません。

三つの選擇肢

意見が違う時、私たちには三つの選擇肢があります。

  1. 戰う: 相手を說得しようとする、論破しようとする
  2. 同調する: 自分の意見を曲げて、相手に合わせる
  3. 受け入れて離れる: 相手の意見を尊重し、でも自分は違う道を行く

多くの人は、1か2を選びます。

でも、3という選擇肢があることを、忘れています。

受け入れることと同意することは違う

「そういう考え方もあるのですね」と受け入れること。

それは、同意することではありません。

相手の存在を認めること。

相手の考えを理解しようと努めること。

でも、自分は違う道を選ぶこと。

それが可能なのです。

談合の場から離れる

よく、會社の中で働いてると、硏修や勉强會である、談合の場に居合わせてしまったら、私にはこの話し合いに參加する事はできませんと明言した上で、その場を去りましょう♪というのがあるんだけど、まさしくこれの事かと。

不正を目の當たりにした時

不正を目の當たりにした時、どうするか。

戰うのも一つの選擇。

内部告發する、上司に報告する、警察に通報する。

それも、勇氣ある行動です。

靜かに離れる勇氣

でも、「私はこれに參加できません」と宣言して、その場を去る。

それも、勇氣ある選擇です。

曲を曲と指摘するのではなく、ただ「私は直を選びます」と示す。

それで十分なのです。

自分の立ち位置を明確にする

「私には、この話し合いに參加することはできません」

この一言が、すべてを表現しています。

相手を非難していない。

相手を糾彈していない。

でも、自分の立場は明確にしている。

そして、その場から離れる。

それが、最も賢明な對應かもしれません。

戰わずして勝つ

孫子は言いました。「百戰百勝は善の善なるものに非ず。戰わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」

戰って勝つことが最善ではない。

戰わずして勝つことが最善である。

曲直を爭うのではなく、ただ直を生きる。

それが、眞の勝利なのかもしれません。

制作について - 金文という選擇

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(曲は朱文、直は白文)
  • 字體: 金文風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れませんでした
  • 印影

     

     

シリーズ初の金文

このシリーズ入ってから、ほぼ小篆風か甲骨文字風でしたが、今囘はこのシリーズ初めての金文ベースにしました。

對意二字熟語百顆印、42顆目にして初めての金文です。

小篆、甲骨文字、そして金文。

字體を變えることで、同じ文字でも全く違う印象になります。

斜めに重ねる面白さ

字面を見てて斜めに重ねると面白そう!と思ってしまったからです。

金文の「曲」と「直」を見た時、直感的に「これは斜めに配置したい」と思いました。

曲がりくねった「曲」と、まっすぐな「直」。

それを斜めに重ねることで、動きが生まれる。

對立ではなく、調和。

そんなイメージです。

金文の「直」が好き

直という字は、金文の字が一番好きだったりします。

金文の馬もそうなんだけど目がいかにも目なんですよね。

金文とは

金文(きんぶん)は、靑銅器に鑄込まれた文字。

甲骨文字より少し後の時代、紀元前1000年頃のものです。

鼎(かなえ)や鐘などの靑銅器に、鑄造の際に文字を刻み込みました。

素朴で力强い

その素朴で力强い形が、とても魅力的です。

甲骨文字の象形性を殘しながら、より整った形になっています。

でも、小篆のような完成された美しさではなく、まだ荒々しさが殘っています。

その未完成の美しさが、金文の魅力です。

目がいかにも目

特に「直」の字。目の部分が、本當に目に見える。

金文の「馬」もそうです。目の部分が、はっきりと目の形をしています。

古代の人々の觀察眼と表現力に、感動します。

文字が、まだ繪だった時代。

でも、繪から文字へと移行しつつある時代。

その過渡期の美しさが、金文にはあります。

樂しく彫る

今日も樂しく彫らせていただきました〜

ありがとうございますm(_ _)m

感謝の氣持ち

彫らせていただく。

この「いただく」という謙虛な表現が、素敵だなと思います。

石に、刀に、文字に、そして篆刻という藝術に。

すべてに感謝しながら、彫る。

曲も直も愛を持って

曲も直も、どちらも愛を持って。

對立ではなく、調和を目指して。

今日も一顆、完成です。

曲がっていても、まっすぐでも、愛があればいい。

完璧でなくても、樂しければいい。

そんな氣持ちで、今日も石を彫ります。

おわりに

「曲直」という言葉から、善惡二元論、相對性、愛、そして成熟した對應について考えました。

世界は、曲か直か、善か惡か、そんなに單純ではありません。

すべてはグラデーション。

すべては相對的。

でも、その中で唯一の絕對。

それが、愛です。

愛があるかどうか。

それだけを問い續けていけば、曲直に惑わされることはありません。

對立せず、戰わず、でも自分の道を生きる。

相手を尊重し、でも自分を曲げない。

そんな生き方ができたら、素敵だなと思います。


曲も直も、立場が變われば入れ替わる。でも、愛だけは變わらない。曲がった道でも、愛があれば美しい。まっすぐな道でも、愛がなければ暴力になる。曲直を問うのではなく、愛を問いたい。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 42/100】

 

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曲がりくねった道も、まっすぐな道も好きだよ(´艸`*)

 


補足: 金文について

今囘使用した金文について、少し詳しく。

金文の歷史

金文は、殷王朝末期から周王朝にかけて(紀元前1300〜200年頃)、靑銅器に鑄込まれた文字です。

甲骨文字が占いの記錄だったのに對し、金文は主に:

  • 祭祀の記錄
  • 功績の記念
  • 契約の證明
  • 系譜の記錄

などに使われました。

金文の特徴

  1. 象形性: 甲骨文字の象形性を殘しながら、より整った形
  2. 裝飾性: 鑄造という特性上、裝飾的な要素が加わる
  3. 多様性: 時代や地域によって形が大きく異なる
  4. 力强さ: 靑銅という素材が生む、重厚な印象

篆刻と金文

篆刻では、小篆が最も一般的ですが、金文を使うことで:

  • より古拙な味わい
  • 力强い印象
  • 獨特の風格

を表現できます。

42顆目にして初めて金文に挑戰しましたが、これからも時々使っていきたいと思います。

古代文字の世界は、深く、廣く、そして樂しいものです。

對意二字熟語百顆印、41顆目は「諾否」です。

諾否とは

引き受けることと、斷ること。

承諾するかしないか、ということ。

諾(だく)は「はい」と答えること。承諾すること。

否(ひ)は「いいえ」と答えること。拒絕すること。

人生は、この諾否の連續です。

承諾致しかねます

最初「承諾致しかねます」って聞いた時、どっち?ってなったの覺えてるわ。

日本語の婉曲表現

「致しかねます」は「できません」という意味。

だから「承諾致しかねます」は「承諾できません」、つまり「斷る」ということ。

二重否定のような表現で、最初は混亂しますよね。

日本語の婉曲表現の難しさです。

ストレートに言えない文化

「できません」と言えばいいのに、「致しかねます」と言う。

「斷ります」と言えばいいのに、「承諾致しかねます」と言う。

日本語は、直接的な否定を避ける傾向があります。

相手を傷つけないように、角が立たないように、遠囘しに表現する。

それが美德とされる文化。

でも、それが時に混亂を生むこともあります。

斷ることも大事

全部引き受けなくても良いんだよね。

やれることはやって、出來ないことは斷れば良い。

斷れない心理

なんか、賴られると斷れないってな感じになることはあるけど、もっと斷って良いと思う。

斷ることも大事。

なぜ斷れないのでしょうか。

  • 嫌われたくない
  • 期待に應えたい
  • 良い人だと思われたい
  • 斷る勇氣がない
  • 罪惡感を感じる

でも、すべてを引き受けていたら、自分が潰れてしまいます。

自分と他人の責任

出來ることは自分でやって、出來ないことは人に任せるのが一番良いと思う。

自分の責任は自分で負う。

でも、他人の責任まで負う必要はない。

「これは私の問題ではなく、あなたの問題です」

そう言える勇氣を持つこと。

それが、健全な人閒關係の基礎です。

依賴される喜びと冷靜な判斷

依賴されると嬉しくなるのはあると思う。

承認欲求

「あなたに賴みたい」

そう言われると、嬉しいものです。

自分が必要とされている。

自分が役に立っている。

それは、承認欲求を滿たしてくれます。

でも、冷靜に

でも、冷靜にできるのかどうか、やるべきかどうかの判斷をするのはとても大事だと思う。

嬉しいという感情と、できるかどうかの判斷は、別物です。

賴まれたからといって、すべてを引き受ける必要はありません。

冷靜に、自分の能力と時閒と狀況を見極める。

それが大切です。

やりがい搾取

自分の身を削ってまでやる必要のないことをすることはないし、やりがいを搾取されないかよく吟味するべき。

「あなたにしかできない」

「あなたを信頼してる」

「きっとやりがいを感じられるよ」

そう言われると嬉しいけれど、それが本當に自分のためになるのか。

「やりがい搾取」という言葉があります。

やりがいを餌に、低賃金や長時閒勞働をさせること。

「好きでやってるんだから」

「成長のためだから」

そう言いながら、實際には搾取している。

それに氣づかず、やりがいを感じながら搾取されている人は、少なくありません。

冷靜に考える必要があります。

判斷の基準

本當に大事なもの、大切な事が何であるかを考えると、判斷する時にわかりやすいと思う。

短期・中期・長期

短期的な效果や評價ではなく、中期的な生活に落とし込めるかや、長期的な利他につながるかを判斷材料にするのも一つの手段かもしれない。

短期: 目先の利益や評價

今すぐお金が入る、今すぐ褒められる、今すぐ結果が出る。

短期的な視點は大切ですが、それだけで判斷すると、長い目で見て損をすることがあります。

中期: 自分の生活に組み込めるか

これを續けることで、自分の生活は豐かになるか。

持續可能か。

無理をしていないか。

中期的な視點は、生活の質を決めます。

長期: 利他に繋がるか

これは、誰かのためになるか。

社會のためになるか。

未來のためになるか。

長期的な視點は、人生の意味を決めます。

三つの視點で考える

この三つの視點で考えると、諾否の判斷がしやすくなります。

短期的には損でも、中期的・長期的には得になることがある。

逆に、短期的には得でも、中期的・長期的には損になることもある。

目先の利益だけに囚われず、全體を見る。

それが、賢い諾否の判斷です。

一日3萬5000囘の決斷

人は一日に3萬5000囘の諾否を決めているようなので、その判斷が氣持ちの良い判斷になることを、常に心掛けたい。

無意識の決斷

朝起きるか、もう少し寢るか。

何を着るか。

何を食べるか。

どの道を通るか。

すべてが諾否の連續です。

ほとんどは無意識に決めています。

でも、その一つ一つが、實は人生を形作っています。

意識的な決斷

大きな決斷だけが重要なのではありません。

日々の小さな諾否の積み重ねが、人生を決める。

今日、何を食べるか。

今日、誰と會うか。

今日、何をするか。

その一つ一つを、自分の價値觀に基づいて、氣持ちよく決められたら。

それが、豐かな人生に繋がるのかもしれません。

3萬5000囘の質

一日3萬5000囘。

その全てを完璧に決めることは不可能です。

でも、少なくとも意識的に決める決斷については、自分に正直に、自分の價値觀に基づいて決めたい。

他人の期待ではなく、自分の意志で。

短期的な利益ではなく、長期的な幸せのために。

そんな諾否を重ねていきたいものです。

制作について - 「否」の表現の變化

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(諾は白文、否は朱文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 少し入れました
  • 印影

     

     

前囘の「可否」との比較

以前「可否」を彫った際には、否を白文としたので、今囘は朱文としました。

同じ「否」でも、組み合わせる文字によって朱白を變える。

その變化を樂しむのも、連續企畫の面白さです。

可否の時は、否を白文で力强く。

諾否の時は、否を朱文で輕やかに。

同じ文字でも、文脈によって表現を變える。

それが、對意二字熟語百顆印という企畫の深みです。

構圖の意圖

構圖としては諾をやや大きめに、否をやや小さめに配置、布字しました。

「諾」を大きく、「否」を小さく。

引き受ける方を强調したかったのかもしれません。

無意識の選擇かもしれませんが、もしかしたら、私の心の中に「できるだけ諾と言いたい」という氣持ちがあるのかも。

斷ることの大切さを語りながら、でも本心では引き受けたい。

そんな矛盾が、文字の大きさに現れたのかもしれませんね。

完璧ではないけれど

印影をよく見ると、白文の諾に彫り殘しが多いのと、朱文の否の線幅がかなりブレブレだなと思いました。

でも、これで良い。

揃わなかった底

三つ口があるけど底の部分を揃えてみたかったので、布字したのですが、印影見ると揃ってないという、、、😅

でも、これが良い!

計畫では揃えるつもりだった。

でも、實際には揃わなかった。

完璧を目指したけれど、完璧にはならなかった。

不完全を諾とする

でも、それを受け入れる。

完璧でない自分を「諾」とする。

それもまた、諾否の一つです。

「完璧でなければダメだ」と自分を否定するのではなく、

「これで良い」と自分を肯定する。

自分への諾否。

それが、一番大切な諾否かもしれません。

おわりに

「諾否」という言葉から、斷る勇氣、判斷の基準、そして自己肯定について考えました。

一日3萬5000囘の決斷。

その全てを完璧に決めることはできません。

でも、大切な決斷については、自分の價値觀に基づいて、氣持ちよく決めたい。

他人の期待に應えるのではなく、自分の人生を生きるために。

短期的な評價を求めるのではなく、長期的な幸せのために。

そして、完璧でない自分も、「これで良い」と受け入れること。

それが、豐かな人生への諾なのかもしれません。


諾も否も、どちらも大切。引き受けることも、斷ることも、どちらも勇氣が要る。でも一番大切なのは、自分に對して「これで良い」と言える勇氣なのかもしれません。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 41/100】

 

 

 

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Noを選択することもあるよね・・・

 


補足: 決斷疲れ(Decision Fatigue)について

一日3萬5000囘の決斷は、實は私たちを疲れさせています。

決斷疲れとは

決斷疲れとは、多くの決斷をすることで、判斷力が低下する現象です。

朝は冷靜に判斷できたことも、夕方になると適當に決めてしまう。

これは、意志力が消耗するためです。

有名人の戰略

スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグが、毎日同じ服を着ていたのは有名な話です。

これは、服を選ぶという小さな決斷を省くことで、重要な決斷のために意志力を溫存する戰略です。

決斷を減らす工夫

決斷疲れを避けるには:

  1. ルーティン化: 日常的なことは習慣にして、決斷を減らす
  2. 優先順位: 重要な決斷は朝にする
  3. 選擇肢を減らす: あらかじめ選擇肢を限定する
  4. 自動化: 決斷が必要ない仕組みを作る

諾否の判斷も同じです。

すべてを一から考えるのではなく、自分なりの基準を持つ。

そうすることで、決斷の質が上がり、疲れも減ります。

一日3萬5000囘の諾否。

その質を高めるために、工夫をしていきたいものです。

 

對意二字熟語百顆印、40顆目は「首尾」です。

首尾とは

頭と尾。

頭部と尾部。

また、首腦部とそれに從うもの。

「首尾よく」という言葉があります。物事が始めから終わりまで、うまく運ぶこと。頭から尾まで、一貫して成功すること。

始まりと終わりを包括する、完全性を表す言葉です。

爬蟲類屬性の名殘

爬蟲類屬性の名殘なのかな?

尻尾生えてないんだよなぁ。

進化の痕跡

人閒は哺乳類ですが、進化の過程で爬蟲類の時代を經ているという誰かの考え方があります。

魚類 → 兩生類 → 爬蟲類 → 哺乳類

その長い進化の歷史の中で、尻尾は次第に退化していったという仮説のようです。

尾骶骨という名殘

尾骶骨という尻尾の名殘はあるけれど、尾そのものは無い。

お尻の骨の一番下にある小さな骨。それが尾骶骨です。

觸ってみると、確かにそこにあります。小さな突起として。

それは、かつて私たちの祖先が持っていた尻尾の最後の痕跡だと言う仮説のようです。

言葉の中の尻尾

でも、言葉の中には「尾」が頻繁に登場します。

身體から消えても、言葉の中には生き續けている。

それは、尻尾という概念が、人閒の想像力に深く根付いている證據なのかもしれません。

尾のつく言葉たち

よく考えると徹頭徹尾も尻尾です。

頭隱して尻隱さずの藏頭露尾も尻尾ですね。

徹頭徹尾

頭から尾まで、最初から最後まで。

「彼は徹頭徹尾、誠實な人だ」

始めから終わりまで一貫している、という意味です。

首尾一貫とも言いますね。

藏頭露尾(頭隱して尻隱さず)

頭を隱しても尻尾が出ている。

一部を隱しても全體は隱せない、という意味です。

「頭隱して尻隱さず」という諺の方が馴染みがありますね。

キジが草むらに頭を突っ込んで隱れたつもりでも、長い尾羽が丸見えになっている光景から來た言葉です。

その他の尾

他にも、尾のつく言葉はたくさんあります。

  • 語尾: 言葉の終わり
  • 尾行: 後をつけること
  • 尾鰭: 話に尾鰭をつける(誇張すること)
  • 首尾一貫: 始めから終わりまで一貫していること
  • 虎頭蛇尾: 始めは勢いがあるが終わりは衰えること

現時点で人には尻尾がないのに、尻尾を使った表現がこんなにも多い。

それだけ、尻尾という概念が言語に深く刻まれているのです。

犬や猫の尻尾

犬や猫が家にいるので、たまにその尾を觀察する事があるのですが、結構動きが激しいです。

感情を表す尻尾

犬の尻尾は、感情のバロメーターです。

嬉しい時はブンブン振って、興奮してる時は大きく囘して。

怒ってる時はピンと立てて、恐怖を感じてる時は足の閒に挾んで。

尻尾を見れば、犬の氣持ちが手に取るように分かります。

猫も同樣です。

機嫌が良い時はゆっくり揺らし、集中してる時はピクピク動かし、怒ってる時は太く膨らませます。

もし人閒に尻尾があったら

人も尻尾あったら面白そうですよね。

嬉しい時はブンブン振って、怒ってる時はピンと立てて、緊張してる時は足の閒に挾んで。

感情が尻尾に現れる。

もし人閒に尻尾があったら、嘘がつけなくなりそうですね。

口では笑ってても、尻尾が怒ってたら、バレバレです。

「本音と建前」という日本の文化は、成り立たなくなるかもしれません。

會議中、上司に同意するフリをしながら、尻尾はブンブン怒ってる。

合コンで興味ないフリをしながら、尻尾はパタパタ喜んでる。

想像すると、なかなかカオスな光景ですね。

でも、ある意味、とても正直な世界になるかもしれません。

カエルの不思議

特殊なのがカエルですよね。

消える尻尾

おたまじゃくしにはあるのに、カエルになる過程でだんだん短くなって消えるんですよね。

いや、もう、すごいことですよねこれって。

變態(メタモルフォーゼ)という現象。

おたまじゃくしは、完全な水中生活者です。鰓で呼吸し、尻尾で泳ぎます。

でも、成長するにつれて:

  1. 後ろ足が生える
  2. 前足が生える
  3. 肺が發達する
  4. 鰓が退化する
  5. 尻尾が短くなる
  6. 尻尾が完全に消える

そして、完全な陸上生活者になります。

驚異的な變化

尻尾だけでなく、鰓が肺になり、水中生活から陸上生活へと完全に變わる。

一つの生物が、一生の内に全く違う形態になる。

自然の神秘です。

同じDNAを持っているのに、環境に應じて全く違う姿になる。

これは、生物の持つ可塑性(かそせい)の驚くべき例です。

人閒で言えば、赤ちゃんが成長して大人になる程度の變化ではありません。

魚が鳥になるくらいの、根本的な變化です。

逆はない

でもその逆はなさそうですね。

生まれた時は尻尾ないのに大きくなるにつれて生えてくるってのは聞いたことないですね。

進化の方向性

進化の方向は、複雜から單純へ、ではなく、單純から複雜へ。

あるいは、必要なものを殘し、不要なものを削ぎ落とす。

カエルにとって、陸上では尻尾は不要だから消える。

水中では推進力として必要だった尻尾も、陸上では邪魔なだけです。

人閒にとっても、尻尾は不要だから退化した。

樹上生活から地上生活へと移行した人類の祖先にとって、バランスを取るための尻尾は、もはや必要ないと言う仮説のようですね。

首は殘り、尾は消えた

首と尾。

首は殘り、尾は消えた。

でも言葉の中には、今も尾が生き續けています。

身體からは消えても、概念としては殘り續ける。

それが、言葉の力なのかもしれません。

制作について - 白文のバランスの難しさ

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(首は朱文、尾は白文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 少し入れました
  • 印影

     

     

尾が大きくなりすぎた

白文がちょっと大き過ぎた氣がします。

どうしても枠がないので大きめになっちゃうので、氣持ち抑えめに布字しないと押印後にあれ?ってなります。

白文は周りを彫り落とさないので、文字そのものの大きさが印象を左右します。

少し小さめに書いたつもりが、押印してみると想像以上に大きく見える。

朱文と白文の違い

朱文は周りが殘るので、枠に支えられてバランスが取りやすい。

外枠があることで、文字の大きさの基準ができます。

でも白文は、枠がない分、文字の大きさが全體のバランスを決めてしまう。

文字が大きすぎると、印全體が窮屈に見える。

文字が小さすぎると、印全體が間延びして見える。

このバランス感覺は、經驗を積むしかありません。

感覺を掴む

この感覺は、何度彫っても難しいです。

でも、だからこそ面白い。

一囘一囘、少しずつ感覺を掴んでいく。

今囘は少し大きすぎたから、次囘はもう少し小さめに。

そうやって、試行錯誤を繰り返しながら、自分の感覺を磨いていきます。

首尾よく...いかなかった

首尾よく仕上げるつもりが、尾が大きくなりすぎた。

それもまた、一興です😊

完璧を目指すけれど、完璧にはならない。

でも、その不完全さの中に、手作りの味わいがある。

それが、篆刻の面白さなのです。

おわりに - 40顆目の節目

「首尾」という言葉から、尻尾について、進化について、そしてバランスについて考えました。

そして、この「首尾」は、對意二字熟語百顆印の40顆目。

ちょうど40%が完了したことになります。

首から尾まで、100顆という長い道のりの、ちょうど中間地點を少し過ぎたあたり。

始めた頃は、100顆なんて遠い未來のように思えました。

でも、一顆一顆彫り續けているうちに、氣がつけば40顆。

首尾よくいったものもあれば、失敗したものもある。

でも、すべてが學びであり、すべてが成長の過程です。

殘り60顆。

首から尾まで、最後まで彫り續けます。


首尾一貫。始めから終わりまで、一つの道を貫く。それが、百顆印プロジェクトの目標です。尾が大きくなりすぎても、それもまた一つの學び。首尾よくいかなくても、それもまた首尾なのです。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 40/100】

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、

たしかに、角の先から尾っぽまでですね・・・

 


補足: 尾骶骨について

人閒の尻尾の名殘である尾骶骨について、少し詳しく。

尾骶骨の構造

尾骶骨(びていこつ、尾閭骨とも)は、脊椎の最下部にある小さな骨です。

通常3〜5個の骨が癒合してできており、三角形の形をしています。

尻尾の痕跡

これは、かつて尻尾だった部分の痕跡だと言われています。

他の哺乳類、例えば猿は長い尻尾を持ちます。その尻尾の骨格が、人閒では退化して尾骶骨だけになったという想像のようです。

稀に尻尾が生える

非常に稀ですが、人閒の赤ちゃんが尻尾を持って生まれてくることがあります。

これは「先祖返り(atavism)」と呼ばれる現象で、退化したはずの形質が現れるものです。

ほとんどの場合、軟骨と皮膚だけでできた小さな突起で、手術で除去されます。

遺伝子の記憶

尾骶骨は、私たちの身體に刻まれた記憶です。

何億年という時閒をかけて、私たちがどうやって生成されたのかを、靜かに物語っています。

首から尾まで。

その尾は消えても、記憶は殘る。

それが、生命の歷史なのです。

 

對意二字熟語百顆印、39顆目は「强弱」です。

强弱とは

古くは「こうじゃく」とも讀む。

强いことと弱いこと。

きょうじゃく。

力の强弱、聲の强弱、光の强弱。

私たちの周りには、さまざまな「强弱」が存在しています。

弱さがあるからこそ

强いと言うのが良いとは思うんですけどね、でも弱さがあるからこそ强くなれるような氣もします。

弱さを知らない强さ

弱さを知らない强さは、脆い。

一度も負けたことのない者は、負けた時に立ち直れません。

一度も失敗したことのない者は、失敗した時に崩れてしまいます。

表面的には强く見えても、その强さは砂上の樓閣のようなものです。

弱さを經驗した强さ

弱さを經驗したからこそ、本當の强さが生まれるのかもしれません。

倒れたことがあるから、立ち上がり方を知っている。

傷ついたことがあるから、傷を癒す方法を知っている。

弱さを受け入れ、弱さと共に生きることを學んだ時、人は本當に强くなります。

强さとは、弱さを排除することではなく、弱さを包含することなのかもしれません。

昭和の扇風機

昔の扇風機は强と弱でしたよね。

カラフルな羽根

羽が綠とか靑とかオレンジで、昭和な感じが良いですよね。

今は白一擇にたまに黑みたいな感じですよね。

昭和の扇風機は、カラフルでした。

綠色の羽根、靑色の羽根、オレンジ色の羽根。

囘っている時は色が混ざり合って、何とも言えない昭和の色になる。

今の扇風機は、どれもシンプルでモノトーン。

洗練されているけれど、どこか寂しい氣もします。

紐を引っ張る電源

壁掛け首振りなんて、電源もアナログで紐引っ張ったりしてました。

今じゃ考えられないんだろうなぁ。

カチッ、カチッという音。

紐を引っ張る感觸。

首振りのギィギィという音。

すべてがアナログで、すべてに手觸りがありました。

一囘引っ張ると弱、もう一囘引っ張ると强、さらに引っ張ると切。

シンプルで、わかりやすくて、壞れにくい。

リモコンもタイマーもないけれど、それで十分だったのです。

アナログが好き

そう考えると僕はアナログが好きなんだろうなぁ。

觸覺的な樂しさ

ガチャガチャ囘したり、カチカチボタンを押したりするのが好きだったりする。

デジタルは便利だけど、觸覺的な樂しさがない。

タッチパネルをスワイプするのと、ダイヤルを囘すのと、どちらが樂しいか。

僕は斷然、ダイヤルです。

ダイヤルを囘す時の手應え。

ボタンを押した時のクリック感。

スイッチを入れた時のカチッという音。

それらすべてが、操作している實感を與えてくれます。

デジタルの均質性

デジタルは、すべてが均質です。

畫面をタップするのも、スワイプするのも、同じ平面を觸るだけ。

音も感觸もフィードバックも、すべてが人工的にプログラムされたもの。

便利だけれど、どこか物足りない。

アナログの不完全性

アナログには、不完全性があります。

ダイヤルは少しガタついていたり、ボタンは押す角度で感觸が違ったり。

でも、その不完全性こそが、愛着を生むのです。

使い込むほどに手に馴染み、自分だけの道具になっていく。

それがアナログの良さです。

クレッシェンドとデクレッシェンド

あとは强弱と言えば、クレッシェンドとデクレッシェンドかな。

だんだん强く、だんだん弱く

だんだん强くしたり弱くしたりするやつです。

だんだんって個人差ありますよね。

クレッシェンド(crescendo): だんだん强く

デクレッシェンド(decrescendo): だんだん弱く

音樂用語として、誰もが知っている言葉です。

でも、この「だんだん」が曲者です。

曖昧な指示の豐かさ

それをあのマークだけで表現してるってすごいことだと思うんですよね。

< と > のようなシンプルなマーク。

でも、演奏者によって、だんだんの速度も、到達點も全く違う。

ある人は一小節かけてゆっくりと强くし、ある人は一拍で急激に强くする。

同じ樂譜でも、十人十色の表現が生まれる。

それが音樂の面白さです。

數値化したら

ボリュームコントロールが壞れてしまったら表現できないです。

一秒後に何dB上がるとか書いてあればもっとわかりやすいのかな。

確かに、それは明確です。

「一秒後に3dB上げる」と書いてあれば、誰が演奏しても同じになります。

でも、それでは音樂ではなく、ただの數値になってしまう。

曖昧さの價値

曖昧だからこそ、豐か。

明確でないからこそ、解釋の餘地がある。

演奏者の感性、その日の氣分、會場の雰圍氣。

すべてが混ざり合って、唯一無二の演奏が生まれます。

强弱という二つの言葉だけで、無限の表現が可能になる。

言葉の力、記號の力は、實に不思議です。

强弱って盡きないですね。

ここらでやめとこう😊

制作について - 意圖せぬ弱さの表現

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(强は白文、弱は朱文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れました
  • 印影

     

     

弓だらけの文字

强も弱も字の中に弓が入ってて、ほぼ弓で何これ感滿載ですよね。

「强」の字を分解すると:弓+口+虫

「弱」の字を分解すると:弓+ン+弓+ン

兩方とも弓が主要な構成要素です。

弓という武器が、强さと弱さの兩方を表現している。

不思議な組み合わせですよね。

配置の判斷

何と無く强のが白文合うかなと思っていたのですが、弱の朱文がとても弱そうでこっちの方が合ってて良かったなと印影みて思いました。

最初は何となくの直感で朱白を決めました。

强は白文で力强く。

弱は朱文で...特に深く考えていませんでした。

でも、押印してみて驚きました。

弱そうな朱文

そんなに意識してなかったのに、かなり弱そうです。

なんかもう今にも倒れそうな感じです。

何でそうなったって言う雰圍氣が滲み出てます。

これだから面白い🤣

偶然がもたらした完璧

意圖せず生まれた「弱さ」の表現。

線がガタガタしており、バランスが不安定で、本當に弱々しい。

でも、それが「弱」という文字を完璧に表現している。

計算ではなく、偶然がもたらした良い感じな表現。

强は力强く白文で、弱は頼りなげに朱文で。

その對比が、「强弱」というテーマを見事に體現しています。

創作の面白さ

創作の面白さは、こういう豫期せぬ瞬閒にあるのです。

完璧に計畫して、完璧に實行して、計畫通りに仕上がる。

それも良いけれど、時には計畫を超えたものが生まれることがあります。

意圖しない美しさ。

狙わない良い加減さ。

それが、手作業の醍醐味なのです。

もし、コンピュータで設計して機械で彫っていたら、この「弱さ」は生まれなかったでしょう。

人の手が彫るからこそ、不完全が生まれ、その不完全が良い加減になる。

矛盾しているようですが、それが眞實なのです。

おわりに

「强弱」という言葉から、弱さと强さ、アナログとデジタル、計畫と偶然について考えました。

弱さがあるからこそ、强さが生まれる。

アナログの不完全性が、愛着を生む。

計畫通りにいかないことが、豫期せぬ美を生む。

すべては對極にあるものが、互いを引き立て合っています。

强だけでは成り立たない。

弱だけでも成り立たない。

强と弱が共に在ることで、初めて完全になる。

それが、「强弱」という對意二字熟語が敎えてくれることなのかもしれません。

今日も石を彫りながら、强さと弱さの閒を行き來します。


完璧を目指しながら、不完全を受け入れる。强さを求めながら、弱さを認める。その矛盾の中に、人生の、そして創作の眞髓があるのかもしれません。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 39/100】

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、

強と弱ですかね・・・

そうそう、そんな感じ!
懐かしいなぁ・・・まだ探せばあるのかなぁ・・・

 


補足: 强と弱の語源

「强」と「弱」、兩方に「弓」が含まれている理由について、少し調べてみました。

强(強)の成り立ち

  • 弓+蟲(または田田)
  • 弓が堅く張られている樣子
  • 張力が强い=强い

弱の成り立ち

  • 弓+弓(左右對稱)
  • 弓の弦が緩んでいる樣子
  • 張力が弱い=弱い

兩方とも弓の張り具合から來ているようです。

弓は古代において重要な武器でした。その張り具合で、强さと弱さを表現したのです。

同じ弓でも、ピンと張れば强く、緩めば弱い。

一つの物の狀態の違いが、對極の意味を生む。

漢字の成り立ちには、古代の人々の觀察眼と表現力が凝縮されています。

文字を彫りながら、そんな古代の人々の思いに馳せるのも、篆刻の樂しみの一つです。

 

對意二字熟語百顆印、38顆目は「呼吸」です。

呼吸とは

息を吐いたり、吸ったりすること。

息の出し入れ。

生きとし生けるものすべてが行う、最も基本的な生命活動です。

呼吸という對義語

呼吸という言葉があまりにも馴染みすぎていて、それ自體が呼氣と吸氣の對義語だと言うことを忘れているような狀態です。

なぜ「吐吸」ではないのか

息を吐くなので、吐吸でも良さそうですよね。

でも私たちは「呼吸」と言います。「吐吸」とは言いません。

これは單なる慣習ではなく、深い意味があるようです。

「呼」という文字には、單に「吐く」以上の意味が込められているのです。

「呼」という字の意味

それは呼という字に答えがあるようです。

色んな解釋があるようですが、呼は口と乎という字で構成されていて、乎に「呼ぶ」という意味があるみたいです。

「乎」という字には、實に多様な解釋が存在します。

解釋その1: 神との繋がり

乎は鳴子の形をしてるので、鳴子が神と繋がるための道具→息を吐くことは神とつながる事と同義。

鳴子とは、神事で使われる音を鳴らす道具。シャラシャラと音を立てて、神を呼び、神と交信するためのものです。

息を吐くこと、聲を發すること。それは神を呼び、神と繋がる行爲。

古代の人々にとって、呼吸は單なる生理現象ではなく、神聖な行爲だったのかもしれません。

解釋その2: 丹田からの放出

乎がしたから上にエネルギーを放出させる意味合いを持っている→息を吐くことは丹田から力を放出させるのと同義。

東洋醫學や氣功では、丹田(へその下三寸の部分)を重視します。

そこからエネルギーを放出すること。それが「呼」の本質。

息を吐く時、私たちは丹田から力を放出しています。

武術の「氣合い」も、歌唱の「腹式呼吸」も、すべてこの原理に基づいています。

解釋その3: 感嘆

乎は感嘆を表す文字→あーと言うと息を吐くのと同義。

「ああ!」「おお!」

感嘆の聲は、すべて息を吐くことで發せられます。

驚き、喜び、悲しみ。

感情が溢れ出る時、私たちは自然と息を吐き、聲を發します。

「呼」という字には、そんな人閒の根源的な表現が込められているのです。

多様な解釋の面白さ

色んな意味が想像できますね、面白いです。

一つの文字に、これだけ多くの意味が重層的に込められている。

それが漢字の深さであり、面白さです。

神との交信、エネルギーの放出、感情の表現。

すべてが「呼」という一文字に凝縮されている。

最も大切で最も疎かなもの

普段何氣なくしてる呼吸について掘り下げることなんてないのに、一番大事なことなんですよね、呼吸。

6ヘルスの一つ

仲埜孝明先生の6ヘルスの一つは呼吸なんですよね。

6ヘルスとは、健康の六つの柱:

  1. 呼吸
  2. 構造(姿勢)
  3. 睡眠
  4. 食事
  5. 運動
  6. 精神

その筆頭に來るのが呼吸です。

なぜなら、呼吸なくして生命は成り立たないから。

すべてに繋がっている

全てにつながっていると言っても過言ではないです。

だって息してないと動けないんだもの。

運動する時、呼吸が亂れます。

食事する時、咀嚼と嚥下の閒に呼吸を調整します。

睡眠中も、呼吸は續いています。

精神が安定している時、呼吸は深く穩やかです。

精神が不安定な時、呼吸は淺く速くなります。

すべての生命活動は、呼吸と連動しているのです。

疎かにしがち

疎かにしがちなんだけど、もっと大切にすべきですね。

最も大切なのに、最も意識されない。

それが呼吸です。

一日に何回呼吸をするか、數えたことがあるでしょうか。

大人で一日約二萬回。

そのうち、意識して呼吸した囘數は、何回あるでしょうか。

おそらく、ほとんどゼロに近いはずです。

生命そのもの

呼吸は生命そのもの。

生まれた時の最初の吸氣から、死ぬ時の最後の呼氣まで。

私たちの生は、呼吸と共にあります。

「息を引き取る」という言葉があります。

最後の呼氣を吐き出し、もう吸氣をしなくなった時、人は死にます。

生まれてから死ぬまで、一度も止まることなく續く行爲。

それが呼吸です。

制作について - 擊邊の改善

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(呼は朱文、吸は白文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れました
  • 印影

     

     

昨日よりは良くなった

昨日よりは擊邊は良くなった氣がします。

前囘の「長幼」では、擊邊がびっくりするほどおかしなことになってしまいました。

明らかに作爲的な模樣になってしまい、恥ずかしい思いをしました。

でも、その失敗があったからこそ、今囘は意識して改善できました。

自然な成長

前囘の失敗から學び、少しずつ改善していく。

それもまた、呼吸のように自然な成長の過程です。

呼いて、吸って、また呼いて。

失敗して、學んで、また挑戰して。

その繰り返しが、成長を生むのです。

一度の呼吸で完璧にはなれません。

でも、何萬囘も呼吸を繰り返すうちに、自然と呼吸は深くなり、安定していきます。

篆刻も同じです。

朱文を彫る樂しさ

朱文はどうしても時閒がかかってしまうんだけど、樂しいんですよね😃

ずっと彫ってたい感じになる。

時閒を忘れて沒頭する

朱文は文字の部分を殘し、周りを彫り落とす技法。

彫る面積が廣いため、時閒がかかります。

でも、不思議と時閒を感じません。

集中しているうちに、あっという閒に時が過ぎていきます。

その時、呼吸は自然に深くなり、心は靜かになる。

彫刻と呼吸が一つになる瞬閒。

それが、創作の喜びなのかもしれません。

呼吸と刀のリズム

呼いて、吸って、また呼いて。

刀を動かすリズムと、呼吸のリズムが重なり合う。

息を吸う時、力を溜める。

息を吐く時、刀を動かす。

武道の動作と同じです。

その調和の中で、一つの印が生まれていきます。

呼吸を意識する

篆刻をしている時、私は呼吸を意識します。

淺い呼吸では、刀が安定しません。

深い呼吸をすることで、心が落ち着き、手が安定し、美しい線が引けます。

呼吸を整えることは、心を整えること。

心を整えることは、技術を整えること。

すべては繋がっているのです。

おわりに

「呼吸」という言葉から、生命の根源について考えました。

最も大切で、最も疎かにされているもの。

それが呼吸です。

普段、私たちは呼吸を意識することなく生きています。

でも、時には立ち止まって、自分の呼吸に意識を向けてみる。

深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

そうするだけで、心が落ち着き、身體がリラックスし、頭が冴えてきます。

呼吸は、神との繋がりであり、エネルギーの放出であり、感情の表現である。

そして、生命そのものである。

今日も、呼吸と共に生き、呼吸と共に石を彫ります。


生まれてから死ぬまで、一度も止まることなく續く呼吸。最も身近で、最も神聖な行爲。それを意識するだけで、人生は變わるのかもしれません。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 38/100】

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、

吸って、吐くですね。。。

 


補足: 呼吸法について

呼吸を意識することの大切さを書きましたが、具體的な呼吸法をいくつか紹介します。

腹式呼吸

  • 鼻からゆっくり息を吸い、お腹を膨らませる
  • 口からゆっくり息を吐き、お腹をへこませる
  • リラックス效果が高い

丹田呼吸

  • へその下三寸(丹田)を意識する
  • 吸う時に丹田にエネルギーを集める
  • 吐く時に丹田から力を放出する
  • 武道や氣功の基本

4-7-8呼吸法

  • 4秒かけて鼻から吸う
  • 7秒息を止める
  • 8秒かけて口から吐く
  • 不眠症や不安に效果的

片鼻呼吸(ヨガ)

  • 右鼻を閉じて左鼻から吸う
  • 左鼻を閉じて右鼻から吐く
  • 交互に繰り返す
  • 自律神經を整える

呼吸を變えることで、心と身體が變わります。

一日一囘、五分でもいいので、意識的に呼吸をしてみてください。

それが、健康への第一步です。

 

對意二字熟語百顆印、37顆目は「長幼」です。

長幼とは

年上と年下。

また、おとなと子ども。

年長者と年少者。

また、大人と子供。

「長幼の序」という言葉があります。年長者を敬い、年少者をいたわるという、儒敎的な秩序觀念です。

でも、この言葉の本質は、單なる上下關係ではなく、互いを尊重し合う關係性にあるのではないでしょうか。

年齡差の不思議

小さいうちは結構重要なことなのかもしれないけれど、大きくなるとその差が開いたりしますよね。

何なんですかね、あれ。

子供の頃の一歲

子供の頃は一歲違うだけで大きな差を感じます。

幼稚園の年少と年長では、體格も知識も全く違う。

小學一年生と六年生では、まるで別の生き物のようです。

一歲の差が、發達段階において大きな意味を持つのです。

大人になると

でも、大人になると十歲違っても對等に話せたりする。

三十歲と四十歲、四十歲と五十歲。

確かに人生經驗の差はあるけれど、對話において決定的な壁を感じることは少ない。

むしろ、年齡に關係なく、價値觀や興味が合うかどうかの方が重要になってきます。

不思議なものです。

子供心の大切さ

幾つになっても子供心は大事だとは思います。

好奇心、純粹さ、遊び心。

年齡を重ねても、それらを失わない人は魅力的です。

逆に、若くても心が老いてしまっている人もいます。

長幼の差は、年齡だけでは測れないのかもしれません。

幼少期に滿たすこと

でも、なんていうのかな、幼少期に自分の中を一盃滿たしているかどうかで、變わってくるんでしょうね。

腦の發達段階

爬蟲類腦から、哺乳類腦を經て、人閒腦を育成する段階がとても大事なんでしょうね。

人閒の腦は三層構造になっています。

爬蟲類腦(腦幹): 生命維持を司る。呼吸、心拍、體溫調節など。

哺乳類腦(大腦邊緣系): 情動を司る。恐怖、喜び、愛着など。

人閒腦(大腦新皮質): 理性を司る。思考、判斷、創造など。

この三つが順番に發達していきます。

安心感の重要性

一つは安心して過ごせるかどうかで滿たされ具合は違ってきそうです。

幼少期に安心感を得られるかどうか。

それが、哺乳類腦の發達に大きく影響します。

安心できる環境で育った子供は、情緖が安定し、他者を信頼する力を育みます。

逆に、常に不安や恐怖の中にいた子供は、世界を敵對的に捉えるようになってしまいます。

接し方の大切さ

あとは接し方なのかな。

出來ること前提で見守ると言うのが大事なんだと思う。

「この子はできる」と信じて見守るのか。

「この子はできない」と思って先囘りするのか。

その違いが、子供の自己肯定感に大きく影響します。

できると信じて見守られた子供は、自分を信じる力を育みます。

できないと思われて過保護にされた子供は、自分を信じられなくなります。

當時は精一盃だった

多分、いまだったらできそうだけど、當時はもう精一盃だったんだろうなぁ。

ごめんねぇ〜m(_ _)m

繰り返される連鎖

口を出して、手傳いをして、自分の思考を押し付けて、轉ばないように先囘りして、、、

それじゃ、結局自分がされた事と一緖で同じ事が繰り返されてしまう。

親もまた、親から同じように育てられたのかもしれない。

そして、氣づかないうちに、同じパターンを繰り返してしまう。

世代を超えて繼承される、育て方のパターン。

それが、必ずしも良いものとは限りません。

眞逆をすればよかった

自分がされた事とは眞逆をすればよかったのかもしれない。

自分が口を出されて嫌だったなら、口を出さない。

自分が先囘りされて窮屈だったなら、先囘りしない。

自分が押し付けられて苦しかったなら、押し付けない。

でも、それは簡單なことではありません。

自分が當たり前だと思っている育て方を變えるのは、とても難しいことです。

今更だけど

まぁ、今更だわ。

過ぎてしまった時閒は戾らない。

もう一度やり直すことはできない。

後悔しても、自分を責めても、過去は變わりません。

これからのことを考えよう

これからのことを考えよう。

いつ始めても遲くはない。

見守ること、觀察すること

見守ること、觀察することから始めよう。

今からでも、できることはあります。

口を出したくなっても、グッと堪えて見守る。

手を出したくなっても、じっと觀察する。

相手が何を考え、何を感じ、何をしようとしているのか。

それを理解しようと努めること。

それが、新しい關係性の始まりになります。

せっかくの機會

せっかくの機會が訪れたのだから、これを活かす手はないよね〜😊

子供が大きくなった今だからこそ、できることがある。

過去の失敗を活かして、今からの關係を築き直すこと。

過去は變えられないけれど、今から始められることはある。

長幼の關係も、いつからでも築き直せる。

そう信じて、一步を踏み出します。

制作について - 擊邊の難しさ

今囘も朱白文で彫りました。

  • 構成: 朱白文(長は白文、幼は朱文)
  • 字體: 小篆風
  • サイズ: 10mm角
  • 石材: 靑田石
  • 印刀: 刀匠印刀三號
  • 擊邊: 入れました
  • 印影

     

     

失敗した擊邊

擊邊がびっくりするぐらいおかしなことになってます。

特に下部。

明らかに作爲的につけた模樣のようで、恥ずかしい限りです。

擊邊(げきへん)とは、印の邊緣を石や金屬で叩いて、自然な缺けや傷をつける技法です。

古い印の風合いを出すためのものですが、やり方を間違えると、いかにも「わざとらしい」模樣になってしまいます。

今囘がまさにそれです。

體で覺える技術

叩き方にコツがあるんだろうけど、まだまだ叩き足りないんでしょうね。

いや、加減というか、わざとらしさが出ないような叩き方があるんだとは思うけど、體で覺えるんでしょうね。

恐らく、同じ角度で叩いちゃダメなんだろうけど、同じ角度で同じ强さで叩いてるので、模樣ぽくなってしまうんだろうなと、何と無く思います。

ランダムに、不規則に、自然に。

それを意圖的に作り出すことの難しさ。

規則性を持たせないために、どう叩けばいいのか。

理屈では分かっていても、體がそれについていかない。

生で見てみたい

人が叩いてるのを、生で見てみたいんですけどねぇ。

一度、實際に見れば、きっと分かることがある。

角度、强さ、リズム、道具の持ち方。

言葉では說明できない微妙なコツが、きっとあるのでしょう。

獨學を貫くか

まぁ、獨學を貫くか。

それも樂しいでしょう😆

獨學の樂しさ

誰かに敎わる方が效率的かもしれない。

でも、自分で試行錯誤しながら學ぶ過程こそが、樂しい。

失敗して、氣づいて、また試す。

その繰り返しが、本當の學びなのかもしれません。

敎わったことは、すぐに忘れてしまう。

でも、自分で苦勞して掴んだことは、身體に染み込んで一生忘れません。

子育ても篆刻も

子育ても、篆刻も、獨學も。

すべては試行錯誤の連續です。

完璧な親などいない。

完璧な篆刻家もいない。

みんな、手探りで、一步ずつ進んでいる。

失敗しながら、學びながら、少しずつ成長していく。

それでいいのだと思います。

おわりに

「長幼」という言葉から、子育てについて、そして學びについて考えました。

幼少期に十分に滿たしてあげられなかった後悔。

でも、今からでも遲くない。

見守ること、觀察することから始めよう。

篆刻の擊邊も、一度の失敗で諦めない。

何度も試して、體で覺えていく。

長い時閒をかけて、少しずつ成長していく。

長幼の關係も、技術の習得も、すべて同じです。

焦らず、急がず、一步ずつ。

今日も石を彫り、今日も子供を見守ります。


幼い頃に戾ることはできない。でも、今から始めることはできる。長い時閒をかけて、少しずつ關係を築き直していく。それが、長幼を生きるということなのかもしれません。

【對意二字熟語百顆印 進捗: 37/100】

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、

素敵な画像ですね・・・(´艸`*)


補足: 三つの腦について

人閒の腦の三層構造について、もう少し詳しく:

爬蟲類腦(腦幹)

  • 最も原始的な部分
  • 生命維持機能を擔當
  • 本能的な反應(戰うか逃げるか)
  • 胎兒期から乳兒期に發達

哺乳類腦(大腦邊緣系)

  • 情動を司る
  • 愛着、恐怖、喜び、悲しみ
  • 親子關係、社會性の基礎
  • 乳幼兒期に發達

人閒腦(大腦新皮質)

  • 理性的思考を司る
  • 言語、創造性、計畫性
  • 人閒らしさの源泉
  • 幼兒期から成人期にかけて發達

この三つは階層的に發達します。下の層が十分に發達していないと、上の層もうまく發達しません。

だから、幼少期の安心感や愛着形成は、その後の人格形成に決定的な影響を與えるのです。