前回のブログで、エジプトの神について少し触れました。
エジプト神話には実に沢山の神々が登場し、その数はなんと2000以上にもなるそうです。
日本文化も似たところがありますが、エジプト神話でも、至る所にありとあらゆる神が存在すると考えられていました。
神の民であるヘブライ人は、そんなエジプトでおよそ400年もの間奴隷として日々過酷な労働を課され、惨めな生活を送っていました。
様々な神を拝むエジプト人の中で、唯一無二の創造の神を信じていたヘブライ人。
そんなヘブライ人の嘆きをようやく聞き入れた神は、モーセを遣わし、彼らをエジプトから脱出させることにします。
しかし全知全能の神は、エジプトの支配者・ファラオの心がとても堅く、簡単にヘブライ人奴隷を解放することはないと知っていました。
実際ファラオは、モーセが主のお告げにより奴隷を解放するようにと交渉したとき、
「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」(出エジプト記 5:2)
と、神への畏れもなければ、神の存在すら認めませんでした。
そこで神は、ファラオが真実の神の代わりに崇拝する、エジプトの神々が象徴するものに災いをもたらし、いかにこれらの神が無力で偽りであるかを見せつけることにしたのです。
以下、それらを比べて見ていきたいと思います。
①血に変わったナイル川 - ハピ(ナイル川の神)
ナイル川を守るとされるハピ。しかしその水は血に変わり、川の魚は全て死にました。川は異臭を放ち、エジプト人は水を飲めなくなりました。
②エジプト中を覆う蛙 - 蛙の顔を持つヘケト(水、多産、復活の神)
ヘケトという神が操るはずの水から今度は蛙が群がり、国中至る所に這い上がり、侵入しました。皮肉にもヘケトは蛙の頭を持つ神でしたが、真実の神の前になす術はありませんでした。
③土の塵がぶよに変わる - ゲブ(大地の神)
モーセの弟、アロンが主の言う通りに杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、ゲブが守っているはずの土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲いました。
④エジプト全土に及ぶあぶの大群 - あぶの頭を持つケプリ(日の出を司る神)
あぶの頭を持つ神、ケプリでも、エジプトをあぶの大群から守ることはできませんでした。
⑤エジプト中全ての家畜を死なせた疫病 - 牛の頭を持つハトフル(愛と美の神)
神のこの災いを逃れたのは、真実の神を信じる人々の家畜だけでした。
⑥人と家畜を襲う膿の出る腫れ物 - イシス(豊穣、薬、平和の神)
収穫を豊かにし、癒しをもたらすはずのイシスを信じていたエジプト人。イシスは一体どこにいたのでしょう??
⑦エジプト始まって以来かつてなかったほどの激しい雹 - ヌト(天空の神)
この災いに関して、主は
「人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう」(出エジプト記 9:19)
と、エジプト人にも救いの機会を与えています。
実際、この神の言葉を信じて従ったエジプト人は災いを逃れました。
しかし空を守るはずのヌトは、主によって引き起こされた激しい稲妻や雹を止めることはできませんでした。
⑧地表を覆い尽くすいなご - セト(戦争の神)
地面を見ることもできないほどの大量のいなごが、雹を逃れたものを食い荒らし、全ての木を食い尽くしました。それは、エジプト人が未だかつて経験したことがないほど恐ろしいものでした。
それでも戦争の神セトが、主に戦いを挑むことはありませんでした。
⑨三日間続いた暗闇 - ラー(太陽の神)
太陽が消えたように空は真っ暗になり、エジプト人はお互いを見ることすらできないほどの暗闇の中で三日間過ごすことになりました。しかしイスラエルの人々が住んでいる所には、どこでも光がありました。
⑩エジプト中の初子が死ぬ - エジプト支配者ファラオ
ファラオは、最も偉大な神としてエジプト人から崇められていました。
これまで起こった9つの災いも、ファラオがヘブライ人を解放していれば防げたものでした。つまり国の明暗は、ファラオの一言次第だったのです。
結局ファラオは主の言うことを聞かず、頑なに奴隷解放を拒んだので、主は最後の裁きとして、家畜を含め全ての初子の命を奪いました。
初子は、後継者ともなる重要な役割を果たします。
その初子を失ったファラオは、ついに降参し、ヘブライ人にエジプトから出て行ってくれるようにモーセに懇願します。
こうしてヘブライ人は奴隷生活から解放され、信仰していた神々にことごとく裏切られたエジプト人は、
「わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。 わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」(出エジプト記 7:3-5)
と主が言う通り、嫌でもヘブライ人の信じる神こそが真の神であると認めざるを得なくなったのです。
「思い起こせ、初めからのことを。 わたしは神、ほかにはいない。 わたしは神であり、わたしのような者はいない。 わたしは初めから既に、先のことを告げ まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。 わたしの計画は必ず成り わたしは望むことをすべて実行する。」(イザヤ書 46:9-10)
神の言葉である聖書には、神の預言が沢山あります。
そして、これから起こること以外は、全て神の言う通りに実現しています。
この創造の神こそが真実の神だからです。
「国々の偶像は金銀にすぎず 人間の手が造ったもの。 口があっても話せず 目があっても見えない。 耳があっても聞こえず 鼻があってもかぐことができない。 手があってもつかめず 足があっても歩けず 喉があっても声を出せない。 偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようになる。」(詩編 115:4-8)
エジプト人は、偽りを信じたことで多くのものを失いました。
「信じる者は救われる」
とよく言いますが、本当に救われるのは真実を信じた人だけです。
今日、1人でも多くの人がイエスを信じることを選び、永遠の命を得られますように。
アーメン
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