少し前までは、衣替えの期間が決まっていました。
6月の1週目の内に夏の制服に変えることが、半強制的に行われていました。
その年の6月が暑かろうが涼しかろうが、そう定められている学校が多くありました。また、人によっても、暑さを感じる個人差があることも、無視されていたのです。
今では、このことがいかにナンセンスなことであるかは、皆が理解するところです。
しかし、制服を着ることについて、異議を唱える人は限られています。
制服だけではなく、体操着、靴や靴下、カバンなど身につけるものについては、いまだに多くの学校で、校則によって規制されています。
36年前に豊田市のある中学校で、制服を廃止しようとした校長がいました。
ところが、保護者だけではなく、教育委員会からもストップがかかり、
1ヶ月に1日だけ、自由な服装で登校する日を制定しました。
画期的なことで、動向を気にしていたのですが、長続きせずに、すぐに廃止になってしまいました。
パパやママにしてみたら、制服があった方が都合がいいのは分かります。
毎朝、着て行く服に悩まれては、ママも仕事に遅れてしまいます。
友達との競争で、高い服をねだられてもそんな余裕はありません。
学校にしてみても、
「派手な服装はダメ」
とルールを作っても、どこまでが派手かの基準は人それぞれで決めづらいのです。
ただ、制服の良さもあります。
スポーツの世界のように、同じユニホームを着ると、チームの心を一つに目標に、立ち向かえるのです。
制服は、日本独特のものです。
海外ではありません。
逆に今では、制服の良さが海外でも認められて、いくつかの企業でも、導入されてきています。
制服の文化は、どんな理由から生まれたのかと言うと、それは、軍隊です。
自分の考えを排除し、士官の命令に従うことだけを求められる組織です。
日本の学校は、戦後以降も管理主義的な教育が行われてきました。
だいぶ、時代も変わり、
子どもありき
の教育にシフトしてきています。
各学校にシンボル的に制服はあってもいいと思います。
ただ、
服装の自由化無しにして、教員の体罰をはじめ、子どもの主体性を無視した一方的な指導は無くならないはずです。
また、パパやママの困りごとについても
親の今を簡単に過ごすか
子どもの将来を見据えて時間をかけるのか
の選択です。
毎日、
自分の着るものを選ぶ
という行動が、
自分の考えを持って決められる大人になる
ことにつながるのです。
これからを生き抜いて行かなければならない子どもたちにとって、
何の考えも選択もなく着る制服には
何の意味もないのです。
毎朝、子どもが決めた服装に、
「今日も素敵だよ」
という言葉掛けして送り出してください。
子どもは、
「いってきます」
と胸を張って玄関を駆け出していきます。