DSA167のブログ

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昔好きだった服の事、バイクの事を思い出しながら・・・
熱い思いを笑いで綴ります。

Amebaでブログを始めよう!

 

 

みなさんこんばんは。

DSA167です。

今日はスカジャンについて好き放題に

語りまくりますので宜しくです。

 

 

 

では参ります。

 

 

 

先日、スカジャンの大先生にその熱き想いを

伺う機会に恵まれ、やっぱオレも1枚いいの

欲しいな~なんて影響されちゃったんですが

なんせ、最近のスカジャンブームもあり、

良いのは高い!

私がイイなと思えばだいたい10万オーバー。

もう無理ですわ(涙)

 

てな訳で昔手放したスカジャンの写真を

眺めながら、私なりのスカジャンへの熱き

想いを語りまくって諦めようと思いますので

そこんとこヨロシク!  ナンジャソリャ・・

 

 

スカジャンって一言で言っても、生地や造りの他、図柄、地域などで多くの種類にカテゴライズされてます。

 

私の勝手なイメージで言えば

 

造りは

●リバーシブルの丸首で、首・袖・腰にリブ、そして中綿入りが基本! であるが、

●中綿なし

●襟付き

●スイングトップ型

●ペラペラのシャツ型ジャケット

などがあって、

 

素材別だと

●アセテートレーヨン(サテン?)・・・基本  スカジャンと言えばコレ!

●べっちん(別珍)・・・少し落ち着いた感じでカッコ良く着れる。

私はなにげにコレが大好き。

●その他、着物やコットンなどあるが、これって「スカジャン」って言うんかい?って思ってしまう。

 

地域別だと

●JAPAN・・・基本 やっぱこれでしょ!

●KOREA・・・良く見かける。安め。柄による。

●OKINAWA・・・まあまあ良く見かける。安め。

●GERMANY・・・・レアと言えばレア。洋のイメージが強くなる。

●HAWAII・・・レアである。陽気な感じでいい。柄による。

●GUAM・・・・レアである。陽気な感じでいい。柄による。

●ENIWETOK ATOLL・・・水爆実験もの。激レアだが複雑。

●ALASKA・・・図柄が良い物が多く、非常に人気が高い。

特に白クマ×犬ぞりは有名。

●VIETNAM・・・地図と南ベトナムの国旗とヨットが背中に

ミシンできれい刺繍されたものがあり、これをベトジャンとして取り扱っている店を見た事があるが、正確?にはこれは日本製で、「スカジャン」と呼ぶべきものであろうと考えております。(NAMの事になると急に鼻息が荒く

なるワタシ・・)

●その他、ICELAND、PANAMA、GOOSE BAYなどいろいろ有るがこれら以外のものは「スカジャン」とは言えないかも!?

もともと、第二次世界大戦後に世界中に散らばった米軍兵士が本国に帰る時に現地で買ったお土産なので基地のあった場所なら良いか?

 

刺繍の図柄別だと

●虎・・・やっぱコレ。基本。だが刺繍の出来はほんとピンキリ。

しょうもない虎は良く「ネコ」と呼ばれます。

使い方としては、

「ええ黒別珍あったけどネコやったわ」みたいな・・

●鷲(EAGLE)・・・これも基本。これもピンキリ。

ダメダメな刺繍は「ハト」と呼ばれる(爆)

「バッキバキのデッドやったけどハトやったわ」みたいな・・

ところで鷲ではなく、鷹じゃね?と思われる刺繍をたまに目にするので動物図鑑で調べてみると、鷲も鷹も生物学上同じタカ科で、違いは大きさで決まるんだと。

要するに大きいのが鷲(EAGLE)で小さいのが鷹(HAWK)。

スカジャンは世界中にコレクターがいて、英語表記ではEAGLEと呼ばれているので、これはHAWKだ!と言ったらどんな顔をするのか見てみたい(笑)

●龍・・・基本やね~コレも。イカつくなり過ぎから私はNG。

●富士山・・・外人に人気があった模様で、もちろん国内の古着市場でも人気。

●日本地図・・・人気の図柄。主要都市の名前が入っているが、KOBEが入っているものと入っていないものがあるので私はそこに拘る。

その他、韓国やドイツ、各地域の地図ものは「MAP」と称され相対的に人気が高い。

●鹿・・・レアとされ高値のイメージ。私は大好き。

「白い鹿」がJAPANのスカに配されている場合が有りますが日本にそんな動物はおらんっちゅう事に最近気づきました(爆)

●トナカイ・・・鹿と間違っちゃいけません。

角が幅広ですぐ分かると思いますが、アラスカジャンのみに登場する図柄でとてもカッコかわいく人気があります。

●白熊・・・同じくアラスカジャンの一番人気。

ポップな字体のALASKA文字との相性が抜群。

●五重の塔・・・外人に人気だった模様で古着市場でも人気。

●舞妓さん・・・上品な後ろ姿。その佇まいはスカジャンラバーの憧れ。MAP、五重の塔とのセットで配される場合が多い。

●髑髏(SKULL)・・・スカラバーの憧れ。和髑髏とか奥が深い。

●蛇・・・SKULLとセットになったら、中古車買えます。

●蜘蛛の巣・・・SKULLと蛇とセットになったら新車買えます。

花札みたいに揃えばテンション上がるんです(笑)

●かも・・・グース湾(カナダ領)もの特有の図柄。

優しく落ち着きのある図柄で好きな人は多い。

●ミリタリー・・・飛行機・船・スコードロンなどに加え、部隊の

名前等の文字が入っているものを指す。

スカジャンはそもそも兵士の土産物なので、広い意味では全てミリタリーものと考えられると思うのだが、市場ではこれらの図柄を区分して「ミリタリーもの」と呼び、又、人気が高い。

又、ディズニーキャラクターが一緒に配された物も有り、それらは髑髏と同じくスーパーレア物とされ、市場に出る事はめったに無く、オーナーも複製品が出回るのを嫌がりネットにアップされる事も少ないと思われる。

私の記憶では「ミッキーが飛行機に乗っているもの」「ドナルドダックがジープを運転しているもの」などがあった。

●その他、インデアン、バイク、犬など、個人のオーダーで作成されたと思われる図柄が有り、時としてレア物とされ高額で取引されるが玄人向き?

 

パーツ別では

●モール・・・腕に入っているか否かで価値が大きく変わる。

勿論、入っている方が価値が高い。

●リブ・・・ラインが入っているか否かや、素材によってもいろいろ好き嫌いがあるが、なんせ60年前の物で状態が悪いものが多く、とにかく状態の良い物が人気。

●ジッパー・・・スカジャンは基本、全て日本製なのでジッパーもYKKを始め、SPEED・TTSなどの多くの日本メーカーの物

使用されており、TALONなどのUSA製は無い。(私は付け替えと思っていたが、オリジナルもあるらしい?)

これらのメーカー名やマークの彫刻などが面白く、スカジャンを楽しむ大きな要因の1つとなっている。

更にその構造について、「回転式」「バタフライ式」が有り、どちらも普通の服にはあまり付いていない構造なので、これが「スカの魅力はZIPに有り」と言わせしめる要因なのだろう・・・  ダレモイッテイナイガ・・

 

(まとめ)

造り、素材、地域、図柄、パーツ

ざっとこの組み合わせで価値が高い物が決まったりする訳ですが、そんな事よりも要は自分がパット見で気に入った物がやっぱ良いと思うんです。「絵」みたいな物ですから。

とは言いながらも私は時代背景なんかを想像出来る奴が好きなんですね。

 

(思い出)

これだけウンチク語っておきながら私自身スカジャンを買ったのは過去1度だけ。

大昔に神戸の高架下の良く行く古着屋さんでウダウダしていたら、宅急便のダンボールがお店に届いたわけ。

「なに、なに?なにが入ってんすかー!」って

寄ってたかって店のおじさんに無理やりその場で空けてもらって。

そしたら出るわ出るわ お宝が。B15D(MOD)やスカジャンが出てきて「これもろた~」って掴んだら

「ダメだよ~ まだ値段付けてないんだから~」って(笑)

「じゃ、3万でいいやん」って言ったら

「ダメだよ~そんな安いわけないだろ~ 」ってなって

結局両方4万位で売ってもらったと記憶している。

まあ値段や物より、ああいうやり取りが楽しかったな

 

 

 

昔撮った写真。殆ど売ってしまって、今は少ししかない。

 

 

 

左上が今回紹介するスカ。私はベトジャンが専門。

 

 

軍物、特にフライトジャケットやベトジャンはこれでもかと言うくらい集めていたが、スカジャンを買ったのはこれが初めて。しかし買う決め手になった所はこれと言って無く、私の価値感での積算方式。

 

 

 

1.黒別珍・・・3ポイント

1.襟付き・・・△3ポイント

1.サイズ・・・△3ポイント

1.状態・・・△1ポイント

1.表:JAPANマップ・・・3ポイント

1.裏:九州マップ・・・5ポイント

1.ライオン・・・3ポイント

1.ミリタリー(AIR POLICE)・・・3ポイント

1.価格・・・+-0ポイント

合計10ポイント。

10以上なので買い!になった訳(笑)

 

ちなみにドナルドのジープならそれだけで10。

価格10万だとしたら+-0ポイント。

合計10ポイントでギリ買いって感じかな。わかるか?

 

※ドナルドってドナルドダックの事。マックのドナルドじゃないからね。

あんな奴、スカジャンに入ってたらキモイですから。

 

 

38度線があると言う事は休戦協定の1953年7月27日以降の

物って事が分かります。歴史のお勉強。

表面の日本地図にKOBEの文字が入ってないのが残念。

しかし裏面は非常に珍しいって言うか、他で見た事のない

九州MAP! HAKATA とか KUMAMOTO とかいい感じ。

そんで良く見るとASHIYAと見慣れない地名。

ここは旧日本軍より1945年に米軍に接収された飛行場がある

場所で、1960年に日本に返還され今は自衛隊基地となっている。

 

このスカジャンの元のオーナーは恐らくこのASHIYA AIR BASE

AIR POLICEとして勤務していた兵士で、このスカジャンを

特別にオーダーしたのではなかろうかと。

「ちゃんと ASHIYA って刺繍入れてくれよ!」と。

 

時代は1953-1954で朝鮮戦争の休戦協定が締結された期間。

インドシナではフランスがベトミンに大敗し、アメリカの台頭が裏で始まり、まだまだ緊張が高かった頃だろう。

 

一方、古着目線で言えば、フライトジャケットの色が陸軍航空隊(USAAF)が正式に空軍(USAF)として独立した事を象徴するエアフォースブルーに変わった頃でもあり、(L2A、B15Cなど)きっと衣服にこだわりのあった元オーナーはこれらのジャケットをPXで買い受けて使っていたのではないか・・

 

また、

 

1954年にはご存じマリリンモンローが韓国へ慰問へ行った(兵士からB15Cを譲り受けた写真が有名)年でもあり、「ここも寄ってくんねーかなー」って鼻の下伸ばしてたんじゃね・・

 

などと 妄想が浮かんで来て楽しい。

 

 

何度見てもかっこいい九州MAPライオン

九州PUNXにお似合いだと思うが。いっちょレプリカ作るか。

 

 

 

ライオンのアップ。

ライオンは他でも見た事があるがポンデライオンみたいなのが

殆どで、こんなイケてるライオンは最初で最後。

 

 

 

最近のスカジャンブーム。 特に若い女の子に人気。

 

先日、テレビで有名なタレントの女の子がGERMANYもんのスカジャンを「あれカワイイ~」と欲しがっていた。

 

彼女らにとってスカジャンのどこがどうカワイイのか良くわからんが、いずれにせよ私にとってもスカジャンはすごく「カワイイ」のである。


 

終り

 

みなさん こんばんは。

 

DSA167です。

 

今回は前回(スカジャン)からの流れで ”ベトジャン” について

 

詳しくお話しします。

 

 

 

前回のやっつけ記事から一転し、今回は本気で語りますので

 

体調すぐれない方は「初級編」で閲覧を中止する事をお勧めします。

 

マジです(笑)  ワロてますが・・

 

では参ります。

 

 

 

 

-初級編 -

 

ベトジャンとは、ベトナム戦争中(1960初頭~1975)に現地の商人に

 

よって作られたアメリカ兵向けの土産用ジャケットの事である。

 

それは黒のツイル地やアメリカ軍のポンチョライナーなどを利用した簡易な作りで、背中には地図・地名・年号と詩、胸には虎と福の字、袖には龍を、その多くは手刺繍によりヘタウマに施されている。

 

ベトジャンはスカジャンの一種と捉える事も出来るが、スカジャンは土産物として艶やかに、そして現地特有の物が刺繍されている事が多いのに対して、ベトジャンはあからさまに「戦争」を皮肉り、又、兵士の想いを代弁したメッセージが施されたものが多く、そこが大きな違いで、又、魅力でもある。

 

 

 

ここにその代表的な一文を紹介しよう。

 

 When  l  die  l'll  go  to  heaven .

Because  l  spent  my  time  in  hell.


もし俺が死ねばきっと天国へ行くだろうよ

なぜなら  俺は人生を地獄で費やしちまったのだから・・

 

 

誰も望まぬ地獄の戦場に放り込まれ、

 

1年間生き永らえた若者の想いを見事に表現した

 

誇り高きジョーク。

 

そんな詩。

 

 

ベトナム戦争に従軍した兵士の平均年齢は”22才”

戦死者の数 5万8千人

その多くは徴兵で、将来ある若者だった。

 

 

 

 

最初は  "カッコいい" "カワイイ" で着れば良い。

 

そのうち言われなくても感じてくるんだよ。

 

彼らの喜怒哀楽 全てが詰まった様な叫びを・・

 

 

 

 

それが VIETNAM SOUVENIR JACKET

 

ベトジャンだ!

 

 

昼は戦士

FIGHTERS BY DAY


   夜は恋人

    LOVERS BY NIGHT


      時には飲んだくれ

        DRUNKARDS BY CHOICE


 さあ 戦うぜ!

 READY TO FIGHT !

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

-中級編 -

 

従軍期間(通常1年、これをツアーと呼んだ)を無事終え、本国へ帰る時、兵士達はそこで戦い、生き抜いた証として土産物を買い求めた。

当初、現地の兵士達に”PLEIKU JACKET”と呼ばれたこの土産物は、商売気質旺盛なベトナム商人によりスカジャンをヒントに生み出された。(要はこれもスカジャンの様なものだが、スカジャン

というのは原則日本製と捉え区別すべき?)

PLEIKUというのは中部高原地にある町の地名で、ここには米軍の「CAMP・HOLLOWAY」というベトナム戦争を象徴する様な大きなヘリコプター基地があり、両軍にとって重要な拠点でもあった。

 

※1965.2/7にベトコンによる攻撃があり、これがきっかけで米軍の北爆が始まるなど歴史的にも有名で、80年代にソビエト連邦の支援で復興を遂げたが現在でも外国人の立ち入りに許可のいる地域が存在する。

 

恐らくここで最初にベトジャンが売られたので、当時そう呼ばれていたのだろう。

最初の頃はパラシュートの生地や寝袋をジャケットに仕立て直して作られていたが、そのうちに上で述べた様に黒ツイル地やポンチョライナーのカモフラージュ生地に地図・地名・年号等を手刺繍した物がポピュラーになっていった。

 

 

 

 

刺繍の意味について、右胸の「虎の顔」は吉祥の印で、左胸の「福」の字は福禄寿の頭文字からきているという。

 

機械ミシンによる刺繍ものに多く見られる「竜の頭」?
ウシがよだれを垂らしている様にしか見えないが・・

 

 

 

 

 

 

いづれも中国の縁起に起因しているものが多いが、「福」の代わりに「HAPPINESS」と英語で訳されたものも多い。

その他、「アメリカと南ベトナムの国旗のクロス」や個人の名前が刺繍された物も多く見受けられる。

 

 

 

ベトジャンの魅力の一つに、このヘタウマな手刺繍が挙げられると思うが、当時、機械ミシンで刺繍された物も人気が高かったと言う。

 

なぜか機械ミシン(チェーンステッチ)物の殆どがポンチョライナー製。

 

 

ライナーにはアオザイ(民族服)の生地が使われている事が多い。

 

 

 

両腕に刺繍されている「龍」。これが定番。

しかし手刺繍ゆえに個体差が激しく、これでも質の高い方で、

雑なものは「エビ」にしか見えなかったりする。

黄色が基調となっているものが多いが、緑・白・赤・青もある。

 

 

 

この個体の右腕には龍の代わりに国名が刺繍されている。

きっと買った兵士が事前にオーダーしたのであろう。

したがってこれは土産物の「プレイクジャケット」である一方

自分の経歴を記した「ツアージャケット」とも言う事が出来る。

※地図の色については北ベトナム:赤、南ベトナム:黄、ラオス:青

  カンボジア:緑という大変カラフルな配色が通常である。

  しかしこの個体はラオス/白、カンボジア/ピンクとなり、全体が白と

   暖色系の色で纏まっており非常にクールな印象に仕上がっている。

  これも購入者のオーダーであったのではないかと推察される。

 

以上の様に、ベトジャンには露店で売られていた多くのパターンの他

兵士が独自にオーダーした物が加わり、その種類の多さはスカジャン

と同じく、造り・素材・刺繍の柄等すべてにおいて無限で、ここで全てを

紹介する事は出来ない。

しかし代わりに、私の感覚で恐縮であるが数的な事項にしぼってその

構成比を紹介したい。

 

 

(色)

黒   65% (黒コットンツイル63%、ナイロン・別珍他2%

カモ  25% (ポンチョライナー24%、タイガーストライプ他1%

青    3%

白    2%

赤    1%

緑   0.5%

ピンク   0.5% (子供用で稀に見られる)

その他  3% (軍物直接刺繍や※民族生地 他)

 

※モンタニャール(デガ)民族の伝統生地で作られたものは特に

  希少価値が高い。

 

 

 

(造り)

腰丈、センターZIPジャケット 90%

ロング丈センターZIPジャケット  5%

その他(シャツ型、ハーフZIP、4つポケ 他) 5%

 

 

 

ライナーにパラシュート生地が使われた4つポケジャケット

 

 

少しやっつけ仕事的な刺繍。

人の手仕事によるものなので当然全て違いがある。

 

 

右端の兵士がポンチョライナーで作られた4つポケのジャケットを着用している。

実戦で使った物に後から記念に刺繍を入れてもらう事もあった様だ。

 

 

ローカルメイドのポンチョライナージャケットを羽織るジョン・ケリー(前国務長官)

彼はベトナム従軍中、数々の戦闘で勲章を授与されるも帰国後

反戦運動に転じる。(下写真は反戦運動中の1コマ)

2016.4/11 アメリカ現職閣僚として初めて広島平和記念公園を訪問。

資料館では「はらわらをえぐられる様な思い」と率直に語り、原爆

ドームの視察も急遽行うなどし、後のオバマ大統領の広島訪問に

繋がっていった事は記憶に新しい。

 

 

(フロントジッパー)

メーカーはYKKが圧倒的に多いがVKKやKKVなどいわゆる

ベトナム製?のパチモンも良く使用されており、その形・材質は

様々である。

尚、TALONやCONMARなどのアメリカ製が付いているのも時折

見かけるが、その殆どはアメリカ本国へ持ち帰られた後に修理

交換されたものである。但し、中にはオリジナルの場合もある。

 

ブラスのYKKジッパー。アルミやステンの物も良く見かける。

 

 

存在感のある回転式(リバーシブル対応型)のYKKジッパー。

なぜかポンチョライナー製のジャケットにはこのジッパーが付く事が多い。

リバーシブルでは無いのにである(笑)

 

 

(背中のメイン刺繍)

地図      90%

スコードロン  5%

その他      5%(キャラクター、スカル、パラシュート章 他)

※スカルはスカジャン同様、ベトジャンラバー垂涎の的。

 

 

(背中の地名)                     (駐留していた主な米軍組織)

SAIGON (サイゴン)    10% 南ベトナム首都/MACV、在ベトナム米陸軍

QUI  NHON (クイニョン)   8% 

PLEIKU (プレイク)      6% 第4歩兵師団

BIEN  HOA (ビエンホア)   6% 

DA  NANG (ダナン)  6% 第3海兵師団、第1海兵師団、第3水陸両用軍

AN  KHE (アンケ)       5%  第1騎兵師団

LONG  BINH (ロンビン)  5%

PHU  LOI (プーロイ)      4% 

TAY NINH(タイニン)    4%

CU CHI (クチ)             4% 第25歩兵師団

NHA  TRANG (ニャチャン/米読:ナトラン)  4% Special forces,第1野戦軍

CAM  RANH (カムラン)   4% カムラン湾には米空・海軍基地があり拠点であった。

BONG SON(ボンソン)   3%

DON  GHA(ドンハ)       3%

PHU  CAT(プーキャット)    2%

CAN  THO(カントゥ)        2%

TUY  HOA(トゥイホア)      1%

BAN ME  THUOT(バンメトート) 1%

THAILAND(タイ国)  2% UBON(ウボン)とKORAT(コラート)に米空軍基地

その他  20%   その他の地名、VIETNAMのみ、地名・国名無し等

 

 

 

(背中の年号)  駐留米軍

63-64   1%     16,263人(63.11

64-65   2%     23,300人(64末

65-66   5%   184,300人

66-67  15%  380,000人

67-68  18%  480,000人

68-69  18%  541,500人

69-70  18%  470,000

70-71  10%  330,000

71-72   5%

72-73   1%

単年表記 2% (例  1967 )

2年表記 1% (例 68・69・70 )

なし    4%

 

単年表記の例



以下、時代背景参考


1954.5/7

ディエン・ビエン・フー陥落

ベトミン(北ベ)がフランスに勝利。

アメリカはインドシナの共産化を恐れる。

「一国が共産化するとそれはドミノの様に隣接国にも及ぶ」といういわゆる「ドミノ理論」がアメリカ外交の主軸へ。

          

1954.7/7

ゴ・ジン・ジェム政権樹立→10/26ベトナム共和国樹立(通称南ベトナム)

ジュネーブ協定締結直前にアメリカ(CIA)の支援の下で誕生。 

協定の内容を有利に進めようとあの手この手で画策するアメリカの思惑と行動力が怖いです。

     

1954.7/21

ジュネーブ協定締結(インドシナ休戦協定)

フランス・北ベ・南ベ・カンボジア・ラオスの当事者5か国と

アメリカ・イギリス・ソ連・中国の9か国が参加。

しかし最終的にアメリカ・南ベは調印せず。

(協定内容) 

・ベトナム、カンボジア、ラオスの独立 

・軍事境界線設置(ベトナムを北緯17度線で南と北に分断)

・北ベの南ベからの撤退、フランス軍の北ベ・カンボジア・ラオスからの撤退

・56.7までに南北統一自由総選挙を実施。

この時、北ベは南ベの大部分を制圧していた為、境界線設定内容に難色を示したが、ソ連・中国の説得で最終日に応じた。

また、その背景には、あまりダダをこねてアメリカに本格的に軍事介入をされては困るという懸念もあった為。

しかし結果的にはアメリカの傀儡政権である南ベは統一選挙を拒否し、北ベ・ホーチミンは激怒し本格的なベトナム戦争へと発展する事となる。

大国間の利害関係を局地問題の犠牲の上で解決するという戦後処理の図式はドイツ、朝鮮と並んでベトナムにも適用された。

      

1960.12/20

NFL結成(南ベトナム解放民族戦線。いわゆるベトコン)      

南ベとアメリカ打倒を掲げゲリラ・テロ活動による宣戦布告。

ソ連・中国・北朝鮮より資金・武器・技術の援助を受ける。

 

1960

685人

 

1961.1/20  ケネディ大統領 就任

 

1961.4/17-19  ピッグス湾事件
CIAが絵を描いた、キューバ・カストロ政権転覆を狙った在米亡命キューバ人部隊を使った軍事作戦。
大失敗に終わりケネディ大統領が自分の責任を認めるが同時にCIAダレス長官の更迭及びCIA解体を宣言。

 

1961.5/1

キューバ・カストロの「社会主義革命」宣言。
これでキューバは完全に社会主義(東側)に。
アメリカあせる。

     

1961.5

ケネディ、ベトナムに軍事顧問団として特殊部隊600人の派遣決定。

 

1961.9/25
ケネディ大統領が議会で「冷戦下では秘密戦争が主で特殊部隊が必要である」と発言。これにより5th SFGがフォート・ブラッグで「特殊部隊」として正式に制定。

 

1961.10/12 フォート・ブラッグにてケネディ大統領と

会うヤーボロー准将(左)/(ウィキペディアより)

 

1961年末

(米陸軍)特殊部隊訓練グループ 創設

  

1961年末    3,164人

 

ベトナミゼーション(戦争のベトナム化) これは《ベトナム戦争をベトナム国内の問題として、できるだけ米国の介入を避けるため、現地人の手に委ねよう》という試みである。

 

 

1962.2   南ベトナム軍事援助司令部(通称MACV)発足

 

1962.2   「戦略村」政策→失敗

 

1962.10/16-10/28  キューバ危機

 

1963.6/11

僧侶ティック・クアン・ドックがサイゴン・アメリカ大使館前でジェム政権に対する

抗議の為、ガソリンをかぶって焼身自殺。

ジェムの弟で秘密警察長官のゴ・ディン・ヌーの妻、マダム・ヌーはアメリカのテレビインタビューに「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言し世界中の顰蹙を買う。

又、ケネディー大統領もこの発言に激怒したと言う。

 

1963.10/31

ケネディーは「南ベから軍事顧問1,000人引揚げ」を示唆。

これは言う事を聞かなくなってきた南ベ・ジェム政権に対するブラフであり軍事介入拡大政策に変わりは無かったとキッシンジャーが証言している。

一方でケネディは統合参謀本部(アメリカ軍最高機関)よりアメリカ正規軍の援助が必要との提言を受けていたにも関わらず、特殊部隊の限定的な援助、若しくは非正規な支援に拘っていた様子も伺え、真相ははっきりしない様に思える。

      

63.11/2 南ベ クーデターによりジェム大統領殺害。

      ズオン・バン・ミン軍事政権成立。    

 

63.11/22 ケネディー大統領 暗殺

 

以下、参考画像

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


みなさんこんばんは。

変態のDSA167です(笑)

 

今日は久しぶりにコテコテミリタリーをお送りしますので、最近ミリタリーもんに興味が出てきた方からギットギトミリタリーマニアの方まで、最後までハラハラ・ドキドキ お楽しみ下さい!

 

てか、最後までついてこれるかね?  キッキッキ

 

 

 

 

では、参りますぞ

 

 

 

 

(初級編)

 

さて、下の写真はみなさんよくご存じ?の

US ヘルメットバッグでございます。

 

 

 

何に使うバッグかと申しますと、パイロットがヘルメットを持ち運ぶ為のものであります。

 

価格は実物中古で5千円~8千円ぐらい。

1万越えはちとマニアックな要素を含んだ物でしょう。

 

以上、ヘルメットバッグならどんなんでもいいと言う皆様、良いお買い物を! Good Luck !

 

 

 

 

 

(中級編)

 

このヘルメットバッグは、ミリタリーバッグの中でも最高傑作として、多くのメーカーからリプロ品が販売され、又、中古市場においては昔から安定して人気のある品です。

 

 

”あの” 吉田カバンがアレンジを施したリプロ品。

※ちゃんと"カバンの方"を見て下さい。

 

 

人気の理由は軽量(外側ナイロン、内貼りポリ)で大容量(側面に大きなポケット2つ)でありながらシンプルなデザインにあると言って良いでしょう。

実物は人気ゆえ、最近ではすっかり数が減ってしまいました。

 

名称に関してはミリタリー業界のみならず、アパレル、古着業界においても単に「ヘルメットバッグ」と呼ばれておりますが私の様なオタクにとっては、ヘルメットバッグと言えば以下の

様に大きく4つの区分で認識しており、今回紹介した様な一般によく見かける形のものは「3rd」及び「4th」となります。

尚、1st、2ndは形が大きく異なり、特に1stはコレクタブルな希少品であります。

 

 

 

1st 1956-1958  AF

 

”1st”

 

 

 

2nd 

初期  1959-1962  AF(巾着式)

後期 1963-1966  AF(巾着式、AFデカールなし)

 

”2nd 初期 巾着式”

 

 

3rd 

初期 1967-1971  AF NV MC AM (アルミZIP)

中期 1972-1974  AF NV MC AM (ブラスZIP)

後期 1975-1979  AF NV MC AM (大型ブラスZIP)

 

4th 

初期 1980-1984  AF NV MC AM (センター上部にスプリングフック)

後期 1985-(大型ブラスよりプラスティックZIPへ変更)(2020.3/16サーチライトさんで85のスコービルのデカブラス確認)

 

※90年代以降もほぼ同型のものがマイナーチェンジを繰り返しながら継続使用されています。

 

 

80年頃以降に現れた”スプリングフック”

 

”4th後期 プラZIP(スライダーは金属)”

 

 

※上記の他、NAVY専用として以下の物が存在します。

  ・50年代末期 コットンとナイロンベルトでカムタムメイドされた非正規品。

  ・60年代全期 「ボーリングバッグ型」と呼ばれる正式制定品。

 

”NAVY 67年製 ボーリングバッグ型”

 

以上の区分については、大阪 MASHさんがカテゴライズされコレクターの間でデファクトスタンダードとなっているもので正式な名称・年代ではありません。

 

以上が50年代から90年代におけるヘルメットバッグの変遷と区分の説明でした。

 

ここで1つ気付くのが、66年頃迄はAF、NAVYがそれぞれ正式のヘルメットバッグを持っていたが、67年頃に4軍共用の物(3rd)が開発されており、まさしくベトナム戦争の激化に伴う戦争の効率化?だったのではと考えさせられます。

 

さて、ここで話を”一般的なヘルメットバッグ”でもあり、”戦争の効率化”で生まれた3rdに焦点を当てて話を進めて行きましょう。

 

 

 

 

 

(上級編)

 

ヘルメットバッグの事を”3rd”や”4th”と呼ぶ事は

よほどの変態でない限りありません。

実際の現場(どこやねん?)では3rdのディティールを持つものを”ナム戦もの”、3rd後期以降のものを”ナム戦以降もの”と言った方が通じ易いでしょう。 

 

そんなもん分かっとるわい!と言っているアナタ。なかなかの変態です。

しかしまだまだ上の下レベルの話なんでこれから

です。 COME ON !

 

 

 

こちらはDSA所有の3rd初期、いわゆる”アルミZIP”(上)と3rd中期”ブラスZIP(小)”です。

 

最近、M65フィールドジャケットのZIPが”アルミ”か”ブラス”かによって2ndか3rdに明確に区分して販売される様になりましたね。

 

この影響か、M65パーカやヘルメットバッグにおいても同様の動きが見られ、ヘルメットバッグにおいては”アルミZIP!”と明記されているのをたまに見かけます。

 

上記一覧の通りZIPがアルミからブラスに変更になったのは71年頃と考えられておりますが、そう言えばM65ジャケットやパーカもだいたい同じ頃だったと思うので、こういう所を調べたりするのがミリタリーの面白いところであります。

 

変った理由は使えばすぐにわかる事ですが、アルミはとにかくボロい。

注意して扱わないとよく刃こぼれを起こします。

また、ブラスに比べて動きが悪く、少し古い物にいたっては、たいてい”引っかかり感”が有り、ワクワク イライラします。

 

 

 

 

だがしかし!  である。

 

 

 

 

それでも俺たちは”アルミ”を求めるのである!

 

 

 

 

 

なぜか?

 

 

 

 

 

より、”ナム” であるからである。

 

 

 

 

※ナム・・・ベトナム戦当時の物を中心に収集するコレクターは1960~1975の物、特に1965~1970に強く拘る。

 

 

 

 

話がそれてきたので本題へ戻します。

 

下画像は”アルミZIP”(上)と”ブラスZIP”(下)のラベルです。

 

今までの説明通り、70年と71年でZIPが変わっています。

違う場合もたまにあるので本当の所は”だいたいこの頃”といったところです。

 

そして、別に良く見て頂きたいのが内側のライナーです。

上は”カモフラージュ柄”、下は”普通のO・D色”です。

 

”カモフラージュ柄”は3rd初期にたまに見かけられるディティールで、マニアには”裏カモ”として人気です。

素材はベトジャンでお馴染みのポンチョライナー生地です。

 

さらに、3rdが誕生したての本当に最初の頃は裏地がM51のライナーの様な白いパイル地で、こちらはさらにレアな物となっております。

 

”パイル地の裏地”

※この個体はブラスZIPで70'sだった模様で、必ずしも上記説明が正しいとは言い切れないのでご注意を!

 

 

 

 

M65フィールドジャケットにも”裏グレー”とい人気ディティールが存在しますが、なぜ俺たちはこの ”裏***” というものに惹かれるんですかねぇ。    エヘッ

 

 

 

ここで同意したアナタ! 変態確定です。

 

 

 

変態のアナタにはいよいよ変態編をお送りしますが同意出来なかったそこの坊やは

 

 

 

GO TO BED !

 

 

 

 

 

(変態編)

 

ヘルメットバッグの変遷は縫製工程の簡略化よりも裏地やZIPの変化の方が分かりやすく面白い所ですが、特にZIPメーカーの変遷が興味深いところです。

 

3rd初期のアルミZIPには”GENERAL”が多く、次のブラスZIPには”SCOVILL”が多くなり、これは大型ブラスになっても同様ですが、まれに”TALON”も見受けられます。そしてプラZIPになってからは”IDEAL””YKK”が幅を効かせます。

この様にメーカーも時代と共に変わってゆきました。

 

さて、次にZIP自体の構造をDSA167所有のアルミもんブラスもん(書き疲れて表現がだんだんテキト-に・・汗)で確認してゆきましょう。

 

下止め(左端の金具)の形はただの四角で同じだが・・

 

 

上止めの金具は全然ちゃう。

アルミは”U字”の一発留め。ブラスは左右それぞれに留め具。

 

 

ここで

 

”なんだ、DSA167の奴 パチもんZIPに交換されたブツつかまされてやがる”

 

と思った方、正常です。

 

そう、どちらのスライダーの持ち手にもメーカー名が刻印がされていないのです。

 

 

 

 

だがしかしである!

 

 

 

さらに良く見るとスライダーの形が違うのに、持ち手の形だけが全く同じなのである。

 

さらにさらに良く見ると、ブラスの方は塗装で、アルミ地が覗いている。

要は”持ち手だけ”が全く同じ物であるではないか!

 

 

 

 

 

 

「だからどないしてん」としか言いようの無いこの結末・・・

 

 

 

寒い・・  まだ11月だと言うのに寒い・・

 

 

 

理由はいろんな事が考えられるがたぶん全然ちゃうと

思うから言わん。

 

 

 

きっとアホの私じゃ絶対に思いつかん様なロマン(笑)

に満ちた理由なんやと思う。

 

 

 

私がこの2つのバッグを所有する理由は

 

”アルミ”だの”ブラス”だのではなく

 

こういうところなんやな。

 

 

 

 

どや、キミは変態を超える事が出来たか?

 

 

 

 

終り

 

 

 

 

 

 

 

 

【あとがき】

 

先日、知る人ぞ知るスカジャンに魅了された熱き漢に

話を伺う機会を得た。

 

彼はスカジャンを作っているが、「作っている」というには

違和感が残る。

 

なんと言うか、ただひたすらに自分が今まで培った知識

の「真実の部分だけ」を形にするだけの作業。

 

当然、技術的、人的、時間等、様々な困難が立ちはだかるが、

決して妥協はしないその姿勢。

 

スカジャンの魅力はやはりあの迫力ある、刺繍だろう。

しかし古着好きには外せないポイントがもうひとつある。

そう、ジッパーだ。

 

わかる奴にはわかる。分からない奴にはわからねぇ。

彼はそう言い切りひたすら理想を追い求める。

 

わずか数十着作成するスカジャンのジッパーの為に

膨大な資料・時間・数百万の巨費を投じる。

 

ビジネス第一の大手メーカーではありえない、

真実の追求こそが全てに優先するその悲しくも

熱き性。

 

そして、その熱き魂を感じ取り、身を削って支援する

漢がいる。

 

 

unsound

 

unsound ・・・

 

 

 

 

俺は変態?

 

いや、まだまだ正常だ。