記憶というものは、記録と違ってだんだん薄れてなくなっていくものだ。
俺の中にある最も古い記憶は、5歳くらいの頃だろうか。
幼稚園児だった頃の記憶が、一番古いような気がする。
今まで散々悪いことをしてきたけど、初めて万引きという行為に及んだのが、5歳だった。
当時の友達だった奴に誘われ、訳もわからぬまま行為に及んだ。
当然、悪いことなんだという認識など全く無かった。
自分だけが捕まり、親を呼ばれ、こっぴどく叱られたのを覚えている。
そこで初めて、万引きという行為の意味を知った。
子供ながらに反省もしただろう。
普通ならばもう二度としないだろう。
が、普通じゃない俺はそうはならなかった。
小学校に上がった。
万引きをする回数はどんどん増えていった。
小学校時代、俺は初めていじめを受けた。
万引きをしないとまたいじめを受ける、なんていうこともあった。
中学校に上がった。
いじめは無くならず、入学して少ししてから、数ヶ月の間だが不登校になった。
不登校の間も万引きはやめなかった。
この頃にはもはや万引きに対する罪の意識など全く無かった。
中1の夏休みに、友達に誘われて初めてタバコを吸った。
最初は、なんだこんなものと思っていたが、しばらくすると止められなくなっていた。
もうすぐ30になるが、喫煙歴は18年だ(笑)
中1の冬にお袋が死んだ。脳梗塞だった。
その時はたぶん、人生で一番泣いた。
正直、ガキの頃はお袋があまり好きではなかった。
なにかと口うるせーし叩かれるし。
それでも、今なら優しい人だったと思える。
家族愛っていうものにはピンとこないし、いまいちよくわからない。
お袋も不器用な人だったかもしれない。
不器用な中にも愛はあったのだろう。
兄がお袋に入院しろと言っても、お袋は頑なに入院しようとはしなかった。
入院なんかしたら誰がお前らの面倒みるんだ、って。
具合が悪かろうがなんだろうが、毎日兄弟の面倒をみてくれていた。
死んだ日の夜も、普通にメシを食って寝て、その数時間後だ。
ほんの数時間前まで普通にメシを食ってたお袋が、あっさり死んでしまった。
今になって思うと、確かに危険なサインは出ていた。
今でも俺は、お袋の死に対して罪悪感がある。
俺が殺したようなもんだ、そう思う時もある。
お袋が亡くなる1ヶ月前。
珍しくお袋が俺と弟にクリスマスプレゼントをくれた。
二人で使いなさいと、ダブルベッドを買ってくれたのだ。
それがめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。
お袋からもらった最後のプレゼントだった。
言うなれば形見のようなものだ。
お袋が亡くなって、離婚した父親が戻ってきた。これから面倒をみると。
正直、良い気持ちはしなかった。
離婚して子供の面倒全てお袋に押し付けた奴が、今更父親ヅラすんのか、そう思った。
まぁでも、納得せざるを得ない状況だったから、そこは我慢。
が、自分にとっての大事件が起きた。
お袋が亡くなって数週間後のある日、学校から帰ってきた時のこと。
部屋にあったはずのダブルベッドがない。
父親に聞いたら、こう答えた。
「邪魔だから捨てた」
すぐには理解が追い付かなかった。
お袋からもらった最後のプレゼントだった。
弟と大事に使っていたダブルベッドだ。
それを、邪魔だから捨てたの一言で済まされてしまった。
その時だったかな。
自分の中の何かが爆発したのは。
怒りが憎しみに変わった瞬間だった。
俺はこう思った。
"こいつ、いつか殺してやる"
この数年後に、あることを起こそうとする訳だが、それは後述ということで。
中2のある日、俺は父親にボコボコにされた。
父親の500円貯金箱がなくなった。
真っ先に俺が疑われ、どうせお前がやったんだろ、お前以外に誰がいる、そうやって犯人だと決めつけられた。
髪を掴まれ引きずられ、馬乗りになって平手打ちの連打。
まだ中2だった俺には、これはこたえた。
犯人はわかっていた。兄貴だ。
けど真っ先に疑われるのは俺だ。
当然、俺はやってないと否定した。が、信用されることは無かった。
こんなことは日常茶飯事だった。
何かあれば自分が疑われる。
日々の暮らしの中で、それが"普通"だった。
中2の冬、飼っていたハムスターが死んだ。
学校から帰ってきたら、リビングにあったハムスターのケージがなくなっていた。
どこにいったのかと探していたら、それはなんとベランダに置いてあった。
父親が、うるさいからベランダに放り出したんだそうだ。
冬の外に放り出されたハムスターは、何も出来ずにそのまま凍死した。
亡骸を手にしたまま俺は泣いた。
父親に対する憎しみが増していく。
俺はいまだに、誰かに自己紹介する時は下の名前で言うようにしている。
名字で呼ばれるのが嫌いだからだ。
俺の体には、奴の汚れた血が流れている。
だから俺はこんなふうになったのだろうか。
中学校を卒業し高校に上がった俺は、心機一転のつもりでいた。
いじめはなくなった。
が、クラスでは浮いた存在だった。
この当時からすでに人付き合いが大の苦手で、自分から周りに声をかけるなんてことはせず、当然、友達なんてものはできなかった。
やっぱり学校なんてどこも同じ、そう思っていた。
結局長くは続かず、入学してから4ヶ月くらいで中退してしまった。
高校を辞めてから、今までの反動だろうか、急激な速度でグレていった。
その年の冬に、ある悪友と知り合ったことで、完全に不良街道まっしぐらだった。
盗みや喧嘩は当たり前。
恐喝や車上荒らしなんかもした。
他にもいろいろやった。
初めて人に対して拳を振るった時、こう思った。
あれ、意外とちょろいじゃん。
それからだろうか、自分の中に暴力的な部分が芽生えてしまったのは。
16、7くらいの頃だっただろうか。
その頃の自分は完全に調子にのっていた。
外を歩けば誰でも構わずガンを飛ばし、肩を揺らして歩いてた。
俺をシメようと呼び出してきた先輩を逆に潰してやったこともあった。
俺をハメようと企んだ奴をぶちのめしてやったこともあった。
そんなことしてるもんだから当然、痛い目にあったことだってある。
好き勝手にやってきたけど、嫌な思いだってたくさんした。
ぞんざいな扱いもされた。
ある先輩からは財布扱いだ。
そんな日々から、抜け出すことは出来なかった。
抜け出す術を知らなかった。
一時期、ナイフを持ち歩いていたことがあった。
これ以上、あんまり扱いが酷くなるようなら、こいつらを殺して俺も死んでやろう。
そう思っていた。
結局、そうはならなかった。
何故、ナイフなんて持っていたかというと。
ある思いがあって購入した。
"こいつ、いつか殺してやる"
父親の寝首を掻ってやろうと、当時は本気でそう思った。
その為に、100円のナイフを買った。
切れが悪いナイフで刺すと苦しんで死ぬ、そんなことを聞いたからだ。
実際、寝ている父親の枕元にナイフを逆手に握りしめて立ったことがある。
人生で初めて"殺意"を本気で抱いた時だった。
それを行動に移すことはなかった。
ギリギリのところで、ある考えが浮かんだ。
今ここでこいつを殺してしまったら、未成年とはいえ自分は殺人犯になる。
こんなクズ人間の為に自分が堕ちる必要があるのか。
そんなことを考えているうちに、今やろうとしていたことがなんだかバカらしく思えた。
いつか殺してやろうと思っていた。が、考え方を変えてみることにした。
こいつが生きているうちは、自分の必要な時に利用できるだけ利用してやろう。
そんな思いに変わった。
罪悪感なんてものは、微塵もなかった。
自分が生きてきて見てきた中で、一番のクズ人間が、自分の父親だった。
そんな父親は、数年前にガンで死んだ。
弟からその知らせを聞いた時、俺はどう思ったか。
なにも思わなかった。
「こないだ、じじい死んだから」
そう弟から言われた。
俺は、こう答えた。
「あぁ、そう、思ったより早かったな」
それ以上はなにも思わなかった。
殺してやろうと思った奴が、てめえで勝手に死んでくれたと思うと、せいせいすらした。
悲しみの感情など、ある訳がない。
普通の父親がいる人を、俺は羨ましく思う。
"親が親なら子も子"
その通りなのかもしれない。
自分は、人としての大事なものが色々と欠落しているのだろう。その自覚はある。
人は、そう簡単には変わらない。
性根が腐っている人間だっているんだ。
それを仮面で隠して生きる奴だっている。
人は、そう簡単には変わらない。
変わ "れ" ない。
チェインギャングの歌詞が自分にはよく響く。
胸に突き刺さる。正にそうだよ。
長々と昔話。
書き物してると心が落ち着く
ような気がする。気がするだけ。
ネットは便利だなほんと。
良い記憶も、悪い記憶も、所詮は記憶。
過去を悔やむのは無駄だろうが、たまに思い出すくらいはしてもいいだろう。
まだまだ書き足りないくらい濃い人生だったよ、ほんとに。
なにもしなくても明日はくる。
"一寸の光陰軽んずべからず"
この言葉が良い言葉だと思っていた時、また自分の胸に響く時はくるのかね。
それはきっと自分次第なんだろう。
そんなことは自分が一番よくわかってる。
甘いとかって思われんだよ、結局。
俺らみたいな人種はさ。
これだけは言える。
なったことのない奴にはわかんねーよ。
ってか。
とりあえず
まだ生きてる。
このまま死にたくはないね。
這い上がりてーよ。これはマジ。
てか
部屋くそ寒い。
室内で風邪ひくわw {{(  ̄ー ̄)}}