唯我独尊

唯我独尊

任天堂信者で、映画、ヒーロー物、格闘技好きな左翼オヤジの独り言。

 
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北朝鮮のミサイル発射実験に関して、日本政府は
国連安全保障理事会に提訴し、制裁決議の採択を
求めた。

当初は、北朝鮮との関係が深い中国・ロシア以外
の常任理事国は、日本に同調していたが、中国が
北朝鮮を説得する外交努力を行う為という名目で
制裁決議の採択の延期を求め、これが認められ
中国の外交努力を見守るという展開になった。

このような状況下において、日本のマスコミや自民党
などは、中国が追い詰められたと論評していたが
どうも様相がおかしくなってきた。
制裁決議に同調していたイギリスとフランスの態度が
強行姿勢から、とりあえずは中国の主張する制裁条項
を含まない非難決議にしておいて、なおかつ北朝鮮が
挑発行動をやめない場合に制裁決議を行うという、二段
階論に転じ始めた。

この一連の流れを見たときに、世界の外交のダイナミズム
というか、枠組みの実像を見せ付けられた思いがした。
要するに、全ての国は、自国の国益が最優先であり、
ロシアの外相が言う「行うべきは、脅しや要求ではなく、
交渉である」との考えが、アメリカを除く世界の主流で
ある事が明確になった。

また、日本が世界から、どのように認識されているのか
という事も、透けて見える。
世界でもトップレベルの軍事予算を使い、経済力、技術力
でも、世界のトップレベルにあって、いつでも大陸間弾道弾
に転用できるロケット技術と、核兵器にすぐにも転用出来る
プルトニュウムを大量に、原子力発電所に溜め込んでいる
我が国の現実を、国民はもっと認識すべきであるという事
なのだ。国際原子力委員会(IAEA)の核査察が行われる場合
の人員は、日本の査察を行う時が人数が一番多いそうである。

世界から見れば、北朝鮮の脅威など、日本の潜在的脅威
に比べれば、小さい話なのだ。
さらには、小泉、安部の両氏に象徴される、馬鹿者が勇ましい
言辞を垂れ流した結果、日本に対して協調する心情よりも
脅威に感じる方が、大きくなっているというのが、世界の現実
なのである。

これは推測に過ぎないが、制裁決議の延期と、それを
安保理として受け入れた水面下で、日本を蚊帳の外に
した各国間における交渉がもたれたのではないだろうか?
国連とは、結局、第二次世界大戦の戦勝国のサロンなの
である。有名な話であるが、中国では国連と呼ばず連合国
と呼んでいる。実は、それが正しいのである。
ユナイテッドネイションズ略称UNであるから、直訳すれば
連合国なのだ。
だから、日本の国連における立場は、今だに敵国なので
、世界の秩序の枠組みを本気で話し合い、決める時には
日本は常に蚊帳の外におかれる事になる。

このまま制裁決議案が採択されず、日本が蚊帳の外に
おかれたまま、非難決議で終わりとなった場合、安部氏や
麻生氏などの、勇ましい事を言っていた御歴々は、どう
するのだろうか?
また、15日からロシアで開催されるサミットに、中国の
胡主席もゲストで参加するが、アメリカやロシアの大統領
と首脳会談をする予定はあるが、小泉首相との会談の
予定はない。これは、これまでの小泉政権の対アジア
政策の結果である。国益を考えずに、自らのくだらない心情
だけで行動した小泉政治のツケがこんな時に大きく響いて
来る。国民の安全にとっても、いかに小泉政治が有害で
あったかの証明が、皮肉にもこんな場面でなされたので
ある。

では、日本はどうすれば良いのか?
それは、平和憲法の理念を具現化し、決して二度と再び
世界の脅威にはならないという決意を、行動をもって示し
、世界の諸国民の信頼を勝ち得る他ない。

領土問題や、今回のような事があるので、時には耐え難い
場面もあるだろう。天皇の玉音放送ではないが、耐え難き
を耐え、忍び難きを忍ぶという苦渋の道である。しかし、それ
さえも甘受しなければならないのが、かって侵略戦争を仕掛け
、世界の国々に、多大な苦難を強いた我が国の責任なのである。

この事を、クサレ外道集団自民党や、欲ボケ強欲老人集団経団連
の奴らが隠蔽し、世界の、とりわけ中国、韓国などが、日本は
充分反省したのに、いつまでも頭を下げさせるとか、土下座外交
はする必要が無いとか、あるいは平和勢力に対して、自虐史観だ
とかの難癖をツケまくってきた。その結果、短絡的な若者層には
「朝鮮なんか世界地図から消してしまえ」とかの愚かな発想しか
持ち得ない者が、多数発生している。

今からでも遅くない。平和憲法、とりわけ前文と第9条の理念の
具体化に取り組み、世界に指し示すのである。
手始めに、核兵器生産に転用可能な原発の廃止を表明し、ロケット
開発を全面的に中止する事である。
そして、軍事予算の削減を図り、将来的には災害などに対処する
国土保安隊に改組する事を内外に明らかにするのである。
さらには、中国や韓国との政府間、民間を問わず、人的、文化的
交流を、さらに活発化させ、北朝鮮を経済的だけでなく、政治的に
そして文化的にも孤立化させ、その際も追い込むのではなく、北朝
鮮の姿勢の変化に関しては、門戸を解放しておく事が大切である。

北朝鮮のミサイル実験が行われ、マスコミでも、防衛力強化論
が喧伝されてる状況下において、私の主張は妄言に聞こえるかも
しれないが、本気で平和憲法の理念の具体化に取り組まなければ
日本は、世界の嫌われ者になりかねないと私は懸念する。
ましてや、憲法を改悪して、自衛隊を軍に格上げしたり、教育基本法
を改悪して、愛国心教育なぞを盛り込めば、今以上に国際社会に
おける日本の地位は、さらに危うい事になる。それは、言い換えれば
国民の安全が脅かされるという事である。これこそ最も国益に反する事である。
金正日が、また馬鹿な事をしでかした。

既に御承知の通り、日本に向けてミサイルを数発発射したのだ。
5発とも10発との言われているが、正確な数字はいずれわかるであろう。
また、ミサイルの種類であるが、スカッドCなら韓国向け、ノドンなら日本
向け、テポドン2号なら米国向けと言われているが、これもいずれ判明
するであろうが、この種類によっては、今後の日米韓の対応が異なって
来る為、非常に重要である。

もしも、テポドン2号が入っていれば、米国本土向けであるので、米国も
黙っている訳にはゆかないだろうし、ブッシュ政権の支持率が低迷して
いる事を考えると、北朝鮮への直接攻撃も無いとは言えないだろう。
スカッドCならば、能天気なノムヒョン政権でも、太陽政策の継続に
水をさされるであろう。

また、今回は、事前に中国とロシアが発射を中止するように働きかけて
いたのであるが、それを無視した形であるので、面子を潰された中露両国
も今までのように、金正日を擁護する事も難しく、この件での安全保障理事会
開催もありうるであろう。

しかし、金正日は何を考えているのであろうか?
日本には、金正日の配下にある朝鮮総連があるが、彼らの安全など一考に
すらしていない事が明白になった。
また、今日は、例の万景峰号の新潟港への入港の日でもある。
そんな日に、そして万景峰号の航路でもある、日本海に着弾するミサイルを
何発も発射するとは、大馬鹿者である。

先日の韓国の拉致家族の対面という猿芝居だけでも、日本の国民はハラワタが
煮えくり返っているのであるが、さらに火に油を注ぐ事をして、国交正常化など
出来るわけがないし、北朝鮮サイドから見た場合、あの猿芝居によって日韓の
分断が或る程度成果が上がっていたにも関わらず、またぞろ自らぶち壊すとは、
何が何だかわけが解からない。

一方、撃たれた日本では、当然の事として、防衛問題の論議が活発になり
「やられたら、やりかえせ」「北朝鮮が仕掛けるのをあきらめる程の軍事力の
強化が必要」「憲法を改正せよ」などの、短絡的で愚かな議論が台頭するであろう。
そして、この事件で最も得をするのは、自民党総裁レースで、福田氏の追撃を受け
ていた安部氏である。北朝鮮への強硬姿勢が、大きく得点を稼ぐ事になる。

金正日の愚行と、日本の右傾化は、まるでコインの裏表の如く、表裏一体で
進んでいる。このような情勢下において、私たちが考えなければならないのは
これは、あくまで支配層間における争いであって、北朝鮮の国民と、私たち日
本の国民の間には、争う理由はないという事である。
しかし、ひとたび戦争や紛争が起きると、罪の無い庶民が戦いに駆り出され、
犠牲となるのである。これこそが、戦争の矛盾である。

現状はあくまでも金正日による挑発行為の段階である。支配層の煽りに乗せられる
事なく冷静に事の推移を見守るべきであろう。
当面、金正日の重要な後ろ盾である、中露との関係改善を急ぎ、彼らから金正日を牽制
させる事が急務である。この点、小泉外交の失点が今になって重い。
また、国連に積極的働きかけ、国際的な世論を動かす事である。
金正日は、国際的に本当に孤立してまで、強行に事を成せる度量も、国力も
もってはいない。

目には目を、ミサイルにはミサイルをと言った、一見勇ましいが、愚かな
扇動に乗せられてはならない。
軍事力強化はは蛮人の防衛、賢人の防衛は外交努力である。





久しぶりに爽快な気分である。

と言うのも、滋賀県知事選挙で、自民・公明・民主の三党推薦
の現職が、社民党の支持と無党派層に支えられた新人の女性
候補に敗れたからである。

争点は、新幹線の新駅の是非だったそうで、県の当初予算が
5000億円なのに、借金が9000億円以上もある中で、この
駅を造るのに県は、さらに117億円負担しなければならず
「税金の無駄遣い」批判を受け、敗れたという事らしい。

自分の功績を残し、新幹線駅建設に群がるハイエナ企業と
その企業にさらにタカル悪徳政治家の御機嫌を伺う為に
必要も無い駅を造り、現状でも巨額の県民の借金を
さらに増やそうというのだから、とんでもない話である。
とりあえずは滋賀県民がバカでは無い事が証明されたと
いう事であるが、それでもなを現職に投票したバカも、多数
いるというのが、この国の民度のレベルであるという事も踏まえて
置くべきであろう。

それにしても、こんな大馬鹿者を推薦した政党は何を考えて
いるのであろうか?
国民を侮っていると、痛い目にあうという教訓を、彼らが汲み取って
いれば良いのであるが、少なくとも、本質的にハイエナの集まり
である自民党は反省などするはずはないだろう。
しかし、庶民にも支持層を持つ、民主・公明の両党は、これでは
マズイだろう。

皮肉な事に、当選した嘉田氏を唯一支持した政党が、マスコミなど
からは、役割が終わった扱いをされている社民党である事は、なかなか
興味深い事である。
今後ますます、欧州的な社会民主主義的政策というものが、必要に
なってくる。それは、小泉プレスリー好きバカタレ首相が、先人の
知恵で築いてきた日本的セーフティネットを、無責任にも、あちら
こちらで破壊したまま去って行くからである。
壊れた絆を再構築する際に、必要となるのが社会民主主義的政策
なのだ。それは、社会が社会正義という物差しで、正常化する為の政策である。
小泉の悪政によって疲弊した、日本国の財政を立て直すキーワードは「国民か
ら見た無駄遣いの解消」「高所得者への大幅増税による公平な税負担の実現」「日
本的セーフティネットの再構築」である。

今回は、この「国民からみた無駄遣いの解消」キーワードが働いた
結果である。自民・公明は、財界や悪徳官僚と結託しているので、
この問題に手が付けられず、財政赤字をその原因を温存したまま
一般の国民に対する増税である、消費税の税率UPと福祉切捨て
で対処しようとしているが、元を断たねば意味がなく、その路線では
将来的な日本破産は免れない。その事は、流石に多くのまともな国
民にも解かっている事であるから、今回のような結果が出たし、今後も
全国各地で同じような結果が生まれてくるであろう。

当選後のあいさつで、嘉田氏は「組織でも体制でも形式でもなく、人々の
心が社会を動かす」と言った。
その通りである。国民主権で、普通選挙法が存在する現代においては、選挙
における投票行為によって政治は縛られているし、政治的変革も容易に可能
なのである。にもかかわらず何故ハイエナ集団自民党が政権を握っている
のか?
それは、国民が愚かであるからだ。自らの力に目覚めていないのだ。

国民主権で普通選挙法が存在する限り、支配層は常に戦々恐々としている。
だから、小選挙区制度を導入して、民意が政治に反映しにくくさせ、さらには、
道州制の導入を目論んでいる、道州制にすれば、今よりも知事の数が大幅に
減るのであるが、そうなれば当然の事として民主的な民意の反映は制限される。
それは、代表者が減れば減るほど、択ばれた者の権力が強まり、限りなく独裁に
近づいて行くという仕掛けである。
国政においても参議院不要論があるが、とんでもない話で、先程と同じ論理で
代表者が減るほど、民意は反映しなくなり、特定の者に権力が集中する事になる。

支配層は、本当は選挙制度なんか廃止したいというのが本音だろうが、現代にお
いて、そんな事をすれば国際的に叩かれる事は必至なので、それは出来ないから
極力制度を骨抜きにするか、国民をより一層愚かにして、選挙に行かないように
仕向けるかの二つの道しかなく、その通りに実行してきたのだ。

何故、支配層は選挙制度を恐れるのか?
現代日本は、国民の80%以上が労働者あるいは、その家族である。
だから、日本社会の主人公は労働者なのだ。
極少数のヒルズ族や経団連の腐れ外道などは、脇役以下なのである。
この真実に労働者が目覚め、全員が自分たちの権利と利害を擁護
してくれる政党、個人に投票すれば,1日で社会は変革出来るのである。

今回の滋賀県知事選挙の結果は、その事を示唆している。
労働者は社会の主人公であるにも関わらず、相応の地位と生活を
保障されていない。
労働者が自らの価値と力に目覚めた時、日本は変わるのだ。
ワールドカップドイツ大会で、日本は予選リーグ敗退を喫してしまった。
大会前は、ジーコジャパンに過大な期待が寄せられ、様々な企業との
タイアップ企画も見られたが、早くも終息してしまった。

そうなのだ、過大な期待だったのである。大会後、個人技を重視した
ジーコ監督に批判がなされ、個々人の力が劣るのであるから、組織
プレーを重視した采配を振るえば、違った結果がでたかのようなコメント
をする、サッカー評論家や関係者がいるが、大馬鹿者である。

何故なら、世界レベルのサッカーは、優れた資質を持つ個々のプレイヤ
ー集団が行うものであるからである。
それは、各国の試合を冷静に見れば解かる事である。ベッカム、ルーニー
ロナウド、ロナウジーニョ、トッティ、フィーゴ等のスーパースターが活躍
している。つまり、個々人の力量の高いチームが強いのである。
力量の無い者たちが集まった組織プレイなぞ、たかが知れている。

日本は、フィジカル、テクニック、メンタルの全てにおいて、まだまだ
世界のレベルに達していない事が、はっきりした大会であり、世界No1
のブラジルと闘って、その事が一層明確になったのは、大きな成果
であった。サポーターもマスコミも、もっと冷静に現状を把握すべきであ
る。この結果は、当然の結果なのである。

はっきりいって、日本で世界レベルの選手は、中田英寿と川口だけである。
それは、欧州のスポーツ誌なども認めるところである。
日本選手全員が中田レベルになった時、初めて世界と伍して闘えるのだ。
しかし、日本には大きな問題点がある。それは会見でジーコも指摘したよう
に、日本で最も盛んなスポーツは野球であるという点である。
つまり、フィジカル面で優れた人材は、主に野球に流れ、サッカーの
人材に欠けるのである。これは、野球が盛んな国に共通で、サッカー
のレベルが上がりにくいのだ。

まず人材確保が最重要課題である。その為には、Jリーグをもっと盛んに
して、青少年に将来性も含めて、魅力のあるものにしなければならない。
世界レベルのチームを創る為には、まず自国のリーグのレベルが高い事
が条件である。国内リーグのレベルが、国際試合の強弱に直結している
事実から出発しなければならない。
そういう観点から見た場合、日本のサッカーのレベルアップは険しい道だ
といえるだろう。

次期日本代表の監督に、旧ユーゴ出身のオシム氏が就任する模様であるが
彼の走るサッカー理論は、日本代表の強化に、大いに役立つだろう。
フィジカルで劣る部分は、鍛えるしかないのであるから。
ところで、このオシム氏は名言を述べるという事から、オシム語録なるものが
あるそうで、TVでは「レーニンは、勉強しろ、勉強しろ、勉強しろと言ったが、
私は、走れ、走れ、走れと言う」と言ったのを例にあげていたが、これでは
まるでレーニンが教育オヤジのようである。正しい訳は「学べ、学べ、学べ」
なのである。これは、青年に対しての発言で、青年期というのは、人生の基盤
を確立する時期であるから、レーニンは激励の意味で、そう言ったのである。
それにしても、民放でレーニンの格言が聞けるとは、レーニンを心の師と仰ぐ
私にとっては、嬉しい限りである。
今日は、NINTENDO64が発売されて10周年の記念日である。
報われなかったチャレンジマシンについて、本来は大いに語り
たかったが、あまりに無残な事件が発生した故に、NINTENDO64
については、後日語る事にする。

奈良の事件である。高校一年生が放火し、継母と幼い異母兄弟
2人が焼死した。
動機は、父親に成績の事でしかられ、時には暴力も振るわれ、以前
から殺意を抱いていたというのである。
しかし、この供述には釈然と出来ないものがある。もしも父親に怒り
を覚え、殺意があったのならば、父親が宿直で不在の日に実行した
のは、辻褄が合わない。

地中から、ゴルフ道具一式が見つかった事と併せて考えて見ると
父親の大切なものを、奪ってやりたかったのかも知れないが、
今一つ頷けないものがある。

NHKは今日のテレビ欄のタイトルで、普通の高校生が何故?と書いて
いたが、毎年多数の京大合格者を輩出している、あの学校が普通とは
思えない。普通の定義は、社会通念上、大多数のものを指すのである
から、普通の高校生という記し方は、明らかな事実誤認である。

この少年の不幸は、子供の心を考えもしない父親の元に生まれた時か
ら始まっている。医師であるにも関わらず、この父親は青少年の心理に
ついて、無知、無理解も甚だしい。
戦前ではあるまいに、21世紀の今日、親の職業を子供に押し付けるなどと
いうのは、言語道断である。ましてや、殴って成績が上がるのであれば
こんな簡単な事はない。子供には子供の夢や希望があり、それを認め
実現に助力と助言を与えるのが親の務めである。
もとより、親は馬鹿だから子供に、何かしら期待するものであるが、それは
あくまでも期待なのであって、現実は別なのである。

この父親が、私と同年代であるだけにまことに残念である。医者になる為
の知識は暗記したかも知れないが、本当のインテリジェンスが身について
いないところに、日本のアカデミックにおける、知識偏重の問題点すら
垣間見える。

両親は、少年が中学生の頃に離婚している。理由は判らないが
多感な年頃の少年が、心に深い痛手をおった事は、想像に難くない。
「ゼロからやり直したかった」と少年は言っているとの事だが、父親が
彼のこの悲痛な叫びをどう受け止めるか?
父親が真の父親になれるか否かの試金石である。

翻って我が家では、今日が妻の誕生日であったので、息子がプレゼント
に薔薇の花束を買ってきた。食事をした後、親子3人で、ニンテンドードリ
ーム誌の付録に付いていたDVDで、Wiiのゲームデモ映像を見て、その
素晴らしさに感嘆の声をあげた。
私は自慢しているのではない。互いを尊重しあって生活していれば、自ず
とそうなるものである。
ついに禁を破って「ハウルの動く城」を見てしまった。

私の中の宮崎駿は「となりのトトロ」で終わっている。
それ以降の宮崎駿作品は、熱烈な宮崎ファンであった
が故に、痛ましくて見るに耐えかねる。

とは言いつつ、それなりに見ているが、羅針盤を失った
彼の作品は、隔靴掻痒の感が拭えない。
しかし、それは、宮崎だけの責任に帰すものではない
とも思う。
何故なら、二馬力の精神を失った「魔女の宅急便」
「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などを、世論は評価
したのであるから、宮崎としても、自らの中途半端さを
修正する契機を得なかったとも言える。

大プロダクションとなったジブリは、経営を維持する事が何より
も最大の命題とならざるを得ない事から、実験的な作品や、
ストレートなメッセージを発信する事が困難になっている事
は、想像に難くない。
だからこそ、世論は「となりのトトロ」以降の作品に評価を
与えてはならなかったのだ。そうすれば、経営的にも、以前の
姿勢に立ち戻れたのではあるまいかと思うのは、楽観論に
過ぎるだろうか?

私が見限って以降の作品の方が、世論的には評価が高いの
は皮肉な結果ではあるが、毒にも薬にもならない事を意味して
もいる。大衆迎合は、作品の質を貶める事は、古今東西を通じて
自明の理であるが、資本主義社会における経営と思想性の両立
の難しさを改めて考えざるを得ない。
きっと宮崎駿も、一作ごとに自らの理想を追い求め、会社が潰れても
かまわないという精神で突き進んでいた二馬力の時代が、作家として
一番幸せだったであろう。
いつの間にか巨匠の冠をかぶせられて、まるで道化の王様の
ようになってしまった宮崎駿の残骸が、「ハウルの動く城」であった。

宮崎を道化にしてしまったのは、日本テレビとの提携が原因なのか?
それとも、鈴木云々がプロデューサーの座に座ってからであろうか?
そんな状況下にある宮崎駿の最後の抵抗が「ハウルの動く城」で
あったかと思うと、見ている時から、胸が締め付けられた。
随所に本来の宮崎らしい躍動感や、反戦思想を滲ませている事は
大駄作「千と千尋の神隠し」よりは、格段に評価出来るが、最後が
いけない。裏事情は知らないが、急激に尻すぼみしてしまった感は
否めない。しかし、宮崎らしさの片鱗を見せた事で、本作を宮崎駿の
残骸と定義したのである。

これが、宮崎駿の最終作品だとすれば、誠に残念至極である。
是非とも老骨に鞭打って、かっての「柳川掘割り物語」のような
収益を無視した、本当に自分が創りたい作品を、創りたいように
創って欲しいものである。宮崎駿という稀有な作家には、最後に
それくらいの、わがままは許されるべきである。

先日、電車の吊広告で、偶然「ゲド戦記」 のポスターを見た。
そして、そのコピーにギョっとした。
うろ覚えで正確ではないが「父さんさえいなくなれば、全てうまく
行くと思っていた」とかいうコピーだった。
「ゲド戦記」の監督が、宮崎駿の長男、宮崎吾郎であるだけに
このコピーは意味深である。
久しぶりに、ジブリの作品を映画館で見てみたい気になった。




韓国で最も観衆を呼べる俳優と言われているソン・ガンホ主演
反則王 を見た。

「殺人の追憶」を見て、ソン・ガンホの巧さに驚嘆し、「大統領の
理髪師」を見て、ソン・ガンホの味わいある演技に唸り、本作を
見て、その運動神経の良さと、役者としての本物さに魅了された。

韓国映画というと、濃い話の展開と、恋愛物というのが、昨今の
パターンだが、ソン・ガンホの映画においては、恋愛はたんなる
隠し味に過ぎず、本質は人間存在の追及である。
それも、日本のドラマに有りがちな、医者や弁護士、資産家、あるいは
小金を持った中産階級の話ではなく、市井に生きる庶民の視点
で描かれている。

反則王は、うだつの上がらない銀行員が、上司である副支店長に
成績の悪い事を叱責され、ヘッドロックをかけられて痛めつけられる。
何とか、このヘッドロックから逃れたいと思って、ふと見かけたジムの
ポスターに惹かれ、プロレスジムの門を叩く。
初めは入門を断られるが、ジムの館長が、凱旋帰国したスターレス
ラーの引き立て役が必要となり、主人公に白羽の矢が立つ。
こうして彼は、銀行務めの傍ら、ジムに通い、悪役レスラー、ウルトラ
タイガーマスクになるというのがあらすじである。

コメディである。しかも、今の日本では忘れられてしまった、良質の
コメディである。根底にペーソスがあるから、爆笑の後に、じんわり
心にしみる味があるのだ。
それにしても、ソン・ガンホは素晴らしい。この役になりきっているし
プロレスの場面では、ヘタなレスラーよりも魅せる試合をしている。
また、彼の繰り出す絶妙な、笑いの演技は、その見事さ、緻密さ
滑稽さ、そして人間味に、感嘆の溜息がでるばかりである。

ラストシーンは、フランス映画っぽく、余韻を残して終わるが、これまた
ありきたりの韓国映画とは違って、行間が読める大人向けなのだ。
私は、このラストシーンが大好きである。

生きる事に、ちょっと疲れている全ての人にお勧めである。
人生には、思うようには行かない事が多々あるが、時には
反則も良いではないか。
決まりきった枠を、打ち破る事も時には必要だという事を
思い出させてくれる映画である。
面白うて、やがて切なき、真の喜劇の世界がそこにある。

今、世間の耳目を一番惹き付けているのは、秋田の
児童殺害事件であろう。

何と言っても、一ヶ月前に自分の子供を失った母親が
犯人だったという点が、極めて特異でありショッキング
だった事と、動機が何なのか、多くの憶測を生む余地
があるからだろう。

隣家の男児を、何故殺さなければならなかったのか?
そして、事故死とされた女児の死が、遺体の状態から、
事故死ではなく、何らかの事件に巻き込まれたのでは
ないかと推測されているが、真実は何なのか?
今後は、この二点の焦点が絞られる。

この二点について、諸説が飛び交っている。
男児の家庭と、何らかのトラブルがあったのではないか?
そしてそれは、スキャンダラスな内容であるとか、あるい
は、児童が女児の最後の目撃者である事が関連して
いるとか、女児については、被害者援護法で定められ、
殺人の被害者家族に支払われる約1500万円が、事故死では
受け取れないので、何が何でも事件の被害者にしなければ
ならなかったのでは?など等、無責任な内容が流されて
いる。いづれにしても、真実は、容疑者しか知らないの
であるから、彼女の口から語られるまで、本当の事はわから
ない。

真実は当然追究されねばならない。しかし、それ以上に
問題なのは、容疑者の人格形成である。
容疑者はある意味、気の毒な人でもある。何故なら、自分
自身の成長過程の中で、周りの人間から、汚い、臭い、暗い
等と疎まれて成長してきた。当然、性格に歪みが出来るだろう。

彼女の親は、彼女が汚れていたのに、何をしていたのだろうか?
正常な親なら、子供の衛生状態に配慮するのは、当然の事
なのだが、容疑者の親は、子供をほったらかしにしていたと言
わざるを得ない。そして、容疑者も子供をほったらかしにしていた。
育児放棄(ネグレクト)が、親から子に引き継がれたという典型的
なパターンのようである。

マスコミが、容疑者の親の追求をしないのはなぜなのだろう?
心の闇の向こう側にあるものこそ、全ての根源である。
再発を防ぎ、真実を解明する為には、心の闇云々を論じるよりも、
その心の闇がいかに形成されて来たのかが、問われなければならない。
そういう意味において、親の責任がまず第一に問われなければならない。
何故、ネグレクトだったのか?子供の心を考えていたのか?
そして、そんな子供を暖かく支え、受け入れる社会の体制が
ない事も、このような救いのない事件を起こす遠因になっている。

母性は、後天的な学習効果である。親の姿を見て、学んでいる。
学ぶ事が出来なかった子供に、母性は形成されない。
今回の容疑者は、まさにそれだったのではないか。

早期に、全ての真実が明らかになって、二人の児童が、安らかに
眠れる事を願っている。






「デイジー」を見た。

私が今まで見た韓国映画の中で、「殺人の追憶」に

次ぐ名作であった。


私の若い同僚に、「韓国映画なんて見ないですよ」と

食わず嫌いをする者がいるが、彼のように、自ら興味

の幅を狭めていると、こんな傑作を見逃す事になる。


おばちゃんたちのアイドル、ヨン様やチェジウ等が出て

くる韓国のTVドラマは、単純明快かつ濃ゆい話が多いが、

「デイジー」はそういった、韓国にありがちな物語ではない。


デイジーの花をキーワードに、物語が展開する。

脚本がよく出来ていて、時間軸が多層的に展開するの

であるが、矛盾の無い見事な展開で、話に引き込まれて

しまう。


主演のチョン・ジヒョンが巧い。韓国の俳優にありがちな

ややオーバーアクションな演技ではなく、本当に自然で

ある。風のように演じるという言葉が、ピッタリ来る名演である。

整形美人が多いと言われる韓国女優陣にあって、彼女は、

ナチュラルな雰囲気を持った女優だ。

際立って美人という訳ではないが、表情や動き、そして声に

魅力のある女優である。きっとどんな役も器用にこなせるの

だろう。


そして、私の大好きなチョン・イソンは、相変わらず、無骨な

男をやらせたらピカイチである。彼を初めて知ったのは、

「武士(MUSA)」という映画である。実は、私はチャン・ツィイー

の大ファンであるので、彼女が出ているから「武士(MUSA)」

を見たのであるが、そこに奴隷の剣士役で出ていたのがチョン

・イソンである。長身で、見事に鍛え上げられた肉体を持ち、そ

のうえ、韓国俳優No1のイケメンの上に、アクションと芝居が

抜群に巧いこの男に、一撃で魅入られてしまいそれ以来のファンである。。


今回も、惚れていながら、なかなか声をかけられず、遠くで見守る

クールな殺し屋にピッタリである。恋愛映画なのに、時折差し挟まれる

アクションシーンの見事な事。恋愛映画を見ているのか、黒社会映画

を見ているのか、どちらの要素も過不足なく織り込まれているのが

この映画の魅力である。


切ない男の気持ちが、胸にドーンと来て、思わず涙してしまった。

そういえば、遥か昔、自分にもそんな想いをした事があるなあと、オー

バーラップしてしまった。

印象的だったのは、韓国恋愛映画という触れ込みに、いつもの濃ゆい

展開を期待して、多数の韓流ファンのおばちゃんたちが来ていたが、

誰一人泣く者はおらず、私と同じ列にいた初老のおじさんが、大泣きし

劇場の外に出てからも、すすり泣いていた事である。

余程琴線に触れるものがあったのだろう。

私も泣かされたように、「デイジー」は、男を泣かせる恋愛映画という、

新しいジャンルの映画かもしれない。



さて、今回は教育論争の中心課題である。徳育について

考えて見たい。


徳育とは読んで字の如く、徳を育むという事である。

では、徳とは、いったい何の事だろう。

徳というものについては、中国の思想、とりわけ日本にも強い

影響力を持つ儒教的な徳と、西洋哲学的な徳の考え方がある。

日本で徳と言う場合には、一般的に儒教的な徳を意味する。

儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁・義・礼

智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。


仁とは、主に他人に対する優しさを表し、儒教における最大の徳

とされる。

義とは、正しい行いを守る事であり、人間の欲望を追求する「利」と

対立する概念で、仁と併せて仁義と言われる事もある。

礼とは、さまざまな行事の中で規定されている動作や言行、服装や

道具などの総称で、儒教的には、人間関係を円滑にすすめ、社会

秩序を維持するための道徳的な規範の意味を持つ。

智とは、物事を認識したり判断したりする能力の事。

信とは、言行に嘘偽りのない誠の事。

孝とは、親を大切にする事。

悌とは、年長者に従順に仕える事や、兄弟の情が厚い事。

忠とは、真心を込めてよく勤めを果たす事、あるいは、君主

または、国家に対して真心を込めて尽くす事。

以上が徳である。


これは、あくまでも孔子の時代(紀元前551年~紀元前479年ころ)

の思想であるので、民主主義が定着した現代では、やや噛み合わない

部分もあるが、徳というものは、大切なものである事がわかるであろう。


だがしかし、自民党や保守の愚か者どもが、声高に徳育の強化を叫ぶ

時、その最も強調するのが、礼・悌・忠なのだ。なんたるアナクロニズム

なんたる大馬鹿者であろうか!!!!

礼・悌・忠こそが、時代とともに変遷する要素であり、紀元前の考え方

が現代に通用するはずがない。文字どおりの論語読みの論語知らず

とはこの事である。

彼らの思惑である、礼・悌・忠の強化などというのは、時の支配層に

都合の良い考え方に他ならない。

しかも、徳目の強化を声高に唱えている自民党文教族のボスが、最も

徳の低そうな、料亭大好き人間の森喜朗元首相なのだから笑止千万

である。

利権集団自民党と欲ボケ爺集団経団連の愚か者どもに告ぐ。お前らこそ

仁・義・信という現代にも必要な、徳育を受け直せと私は怒りを持って言いたい。

徳育を、礼儀作法や愛国心教育の強化などという、つまらないものに矮小化

させてはならない。

真に強化しなければならない徳育は、仁・義・信を三本柱にした本当の徳育

なのだ。将来の日本の担い手たちに、日本を仁・義・信の三本柱を中心にした

国創りしてもらえるように徳を育むのである。。世界に誇れる恥ずかしくない

国となる為に。